まだまだ、陸の青さを知らない
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《sea10:安全な場所》
「だぁかぁらぁ。迷っただけっつってんじゃん」
フロイドの目の前には五人。一人の主幹を筆頭に、取り巻きが三人と伝令が一人。どの男も屈強な体を持った警備員と言いたいところだが、口の悪さ、柄の悪さはお忍びで訪れた各国の王侯貴族たちを出迎える警備員と様子が違うようにみえた。
「俺たちにこんな場所まで案内させておいて迷っただぁ?」
「パパとはぐれちゃった」
「そんなデカイ図体して、いったいどこのパパとはぐれんだよ」
アズールとジェイドが会場の正面から入る頃、フロイドは会場の裏側を探索していた。先に見つければそれでよし、見つけられなければアズールたちに加勢するだけ。
片っ端から物色して進むフロイドを不審に思ったのは通常の警備員ではなく、オークションに出品するリストを管理している裏の警備員だというのだから分が悪い。アズールの言いつけ通り仮面をつけてはいるものの、手当たり次第破壊しながら進んでいたフロイドが見つからないはずもなく、まだオークションが始まって間もないというのに会場の裏側はひとつの波乱を迎えていた。
最初は四人の警備員に囲まれた。
「何をしている?」という質問に対して「捜し物」と答えたフロイド。
「ここにお前の探し物はないから失せな」と忠告されても「やだ」と断り、「ねぇねぇ、オークション会場の商品ってどこから運ばれてくんの?」と無邪気に尋ねる姿は愛らしい。好奇心か、狙って来たのか、即座の判断が出来ずに固まる男たちは、目の前の得体のしれない少年よりも、他の何かを危惧したのだろう。
顔を見合わせて実行したのは「この先を知られるわけにはいかない」とフロイドを界隈から強制的に追い出すことだった。
「いや、待て。オークションに興味があるってことは、参加者か?」
「おい、こいつチケット持ってやがるぞ」
「なんだと、それを早く言え」
フロイドの肩を掴もうとした男の一人が、偶然ポケットから舞い落ちたチケットを見て息をのむ。会員制のそれは、見る人が見れば偽造かどうかすぐにわかる。まして、オークションの品を管理する男たちがそれを見間違えるわけもなかった。
悪い予想は当たるものだと、男たちはそろって態度を豹変させる。
「坊っちゃん。本日出品予定の品を探していたのでしたら、そう仰っていただければよろしかったのに」
「急になに、なんか気味悪いんだけど。まあ、いいや。案内してよ」
「はい、どうぞ。さあさあ、こちらです」
それまでの態度をどこへやったのか、にこやかな笑みを浮かべて男たちはフロイドを専用通路へ招いてオークション会場に続く道を案内する。ところが、途中でそれに気付いたフロイドの声が低く「は?」と足を止めた。
「いや、俺は会場に行きてぇんじゃねぇんだけど。捜してんのは出品される人魚だっつってんだろ」
「坊ちゃん。それは、競り落としていただければ手に入るかと。オークションはもう始まっておりますし、ですがまだまだ序盤。坊ちゃんが会場に到着なさるころには、ちょうど人魚姫のオークションですよ」
「さっきから、その坊ちゃんってなに。締めたくなるからやめてくんない?」
仮面をつけていてもその下の表情がわかるほど、愛らしい顔と恐ろしい顔の二面性を持つ少年に困惑するしかない。本来は血気盛んに相手を負かす男たちも、チケットを手に出来る一握りの地位を相手にしているからか、下手に機嫌を損ねないように必死だった。
息子が「買って」といえば大金をはたく富豪が大勢いるように、息子が「狩って」といえば次のオークションに出る素材は自分達の臓器かもしれない。
際限の知らないワガママは、溺愛の度合いで歯止めが聞かない場面も沢山見てきたのだろう。「気に入らない」の一言で明日の朝日を拝めなくなった命のリストに加わりたくないだけに、男たちもフロイドの顔色を伺いながら進む。
裏口から会場に向かう専用通路は、思ったよりも長く、想像よりも綺麗に出来ている。
窓が一つもない代わりに頭上には等間隔に照明がつけられ、音が響かないように足元には黒の絨毯が続く。その上を複数の車輪の跡が残り、かすかに血の匂いがした。
「なんだぁ。ここから運び入れてるんなら、さっさとそう言ってよ」
また、手のひらを返したようにフロイドの声がにこやかに笑う。
進行方向から背を向けて、元来た道を戻り始めようとしていた人物と同一人物とは到底思えない変化だが、ここしばらくでそれも慣れてきた。
そうしてしばらくは何の問題もなく進むかと思われた矢先、今度は前方から他の警備員が息をきらせて走ってくるのが見えた。
「おい、念のため調べたらそのチケット。さっき暴動が起こった港から盗難届が出てたやつだって」
「なに!?」
四人から五人になった警備員たちが一斉にフロイドを凝視する。
「あ、これヤバイ感じ?」
「お前、本当はここに何をしに来た」
「あー・・・・迷っちゃった」
魔法を発動させる構えを見せた男たちに、フロイドはとぼけた態度のフリで誤魔化す。当然誤魔化されるわけもなく、フロイドは一本道のど真ん中で振り出しに戻っていた。
「だぁかぁらぁ。迷っただけっつってんじゃん」
「俺たちにこんな場所まで案内させておいて迷っただぁ?」
「パパとはぐれちゃった」
「そんなデカイ図体して、いったいどこのパパとはぐれんだよ」
「だって、そう言えって。アズールがぁ」
「クソっ、おかしいと思ったぜ。アズールが誰だか知らねぇが、オークションを狙うなんて余程の命知らずか自信家か。ここから生きて出れると思うなよ」
言葉と同時に放たれた魔法が、至近距離でフロイドの身体を吹き飛ばす。
ところがどういうわけか、魔法はフロイドの体に当たる前に別の場所を壁ごとえぐりとっていた。
「ねぇ、それ。俺に言ってんの?」
肩に手を添えて首を回したフロイドの声が、前方で構えを崩さない五人の男たちを睨んでいる。二メートル近い長身から威圧される感覚は、年齢がどうかは関係ない。港を炎の海に沈めた魔法と暴力は、人数さえも超越する威力となって対人たちを威嚇している。
「やれ、絶対にここで仕留めろ。生きて帰すな」
「相手はガキ一人だ、やっちまえ」
怒声、罵声と魔法、妨害が入り乱れる。それに対抗するフロイドのユニーク魔法は、すべてを弾き返した勢いで壁にひとつの巨大な穴をあけていた。
「おいっ、やめろ、そこはオークション会場だぞ!?」
どの男がそれを叫んだのかはわからない。
フロイドの耳に入ったのは、聞いたことのないステラの悲鳴。そして目に映ったのは、生きているのか死んでいるのかもわからない傷だらけの姿。
一瞬で世界が凍り付いたように動かない。
何が起こっているのか判断も区別もつかない。ただ、ステラが漬けられている色の悪い液体は麻薬だとすぐにわかった。
「殺してやる」
本当にそれが自分の口から発したものかはわからない。数か月前にアズールがオーバーブロットを起こして、体中から気味の悪い液体を吐き出していたが、いま自分にも同じことがいえるとフロイドは切れた思考回路で人魚の姿に戻っていく錯覚を味わっていた。
これはヤバいと警備員たちは悟ったに違いない。瞬間、フロイドの肩を掴んだ男の腕が吹き飛んで、足があり得ない方向に曲がる。
その血なまぐさい叫び声は、同時に舞台袖でも起こっていた。
「・・・おっけぇ」
交わる視線が思考を共有させる。ステラを瀕死状態にさせた術師は、舞台の袖でジェイドの闇に飲まれている。愚かな司会は人魚の涙の価格が決まった木槌を鳴らし、次いで本体のオークションを続行させているが、裏方は覚醒した化け物の逆鱗に触れた惨状以外のなにものでもない。異常に気付かないのはアズールの魔法が作用しているせい。けれど、それでよかった。時間を稼ぐ必要はもうない。
あとは全部、アズールが海を呼べばそれで終わる。
「さあ、まだまだ上がっていきます、三億、三億六千万、三億八千・・・四億二千万」
司会者はまもなくその口を閉ざすだろう。
止まらない価格競争に会場がざわめいているのではない、突如として足元から這い上がる海水の気配に驚きと混乱が会場を満たしていく。低く、そして高く打ち寄せる波の音。引いて返す穏やかな海ではない、津波と同じ、後方から一瞬で奪い去っていくのは巨大な壁。
「ステラ」
「ごめん・・っ・なさい」
「ばか、謝ってんじゃねぇよ」
海水がなだれ込むのに合わせてステラを抱き寄せたフロイドの声が水中に消える。
次いで、アズールの呼び声に反応したジェイドもフロイドの腕の中にいるステラに気づいて安堵の息を吐いた。何が起こっているのか、会場はまだ事態を把握していないらしい。一流の魔法士もいるのだから、最善ばかりの結果でもないだろう。
それでもいまは、優先すべきことはひとつしかない。
ステラを安全な場所へ連れ帰る。その目的を果たすために、三人はステラを抱いて、満たしていた海水ごと忽然と会場から姿を消した。