まだ、陸の青さを知らない
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《sea08:共通認識》
「んー、久しぶりに、朝が来たって感じ」
伸びをして目覚めた朝は、いつもと違うように感じられた。
自分で自分の運命を変えると決めたからか、見慣れた自分の部屋でさえキラキラと輝きを纏っているように見える。
「それにしても昨日の吸盤、なにか意味があったのかな?」
つけられたときは、紫色に変色した円形の痕が肌に列をなしていたが、今はそれの名残りすら見えない。他の場所に移動したかとも思ったが、どうやらそういうわけでもないらしい。
ステラは全身を確認するように一周して鏡の前で確かめる。それでも吸盤型の模様はどこにも見当たらなかった。
「そういえば、契約違反者は頭にイソギンチャクが生えるんだっけ?」
あの吸盤の模様は、何かを感知した時に作動する魔法なのかもしれない。
なんとなくの記憶を掘り起こしたステラは、鏡にうつる自分の頭を眺めてイソギンチャクが生えている光景を想像してみる。
「うぅ・・・あまり可愛くないかも」
そもそも契約違反が何を条件に該当するのかがわからない。対価は払い、正当な手続きで欲しいものを手に入れたはずだが、相手は海の魔女なのだから「もしも」という心配はしておいた方が無難だろう。
「イソギンチャクが生えたら、それこそ本当に何か別の対価を払ってとってもらおう」
魔法に耐性がない以上、考えても無駄なものは無駄でしかない。その時はその時だと、ステラはひとり意気込んで家を出る。
通うことが義務付けられた学校へ向かう足取りは、ここ数年、いやもしかしたら初めて憂うことなくたどり着いたかもしれなかった。
「ステラぁあぁあぁ」
「あら、ベティ。おはよう」
「おはよう、うっ、え、ステラ、どうしたの?」
「何の話?」
「だってなんだかいつもと違う感じ。魔法が使えるようにでもなったみたい・・・なんて、ああ、それよりも昨日、男に襲われたって聞いたよ。電気鰻の六兄弟なんか、血眼になって犯人捜しをしているし、どこ探してもステラはいないしで大変だったんだから」
「昨日?」
昨日といえばアズールと契約を交わしたことが記憶に新しい。他に何か記憶に残るようなことがあっただろうかと、ステラはベティの語るもうひとつの記憶を思い出すために首をかしげていた。
「でもステラが無事そうでホッとしたよ。今日の披露会は出席できそう?」
「もちろん出席するつもり」
「よかった。じゃあボク、先に会場の準備に向かってるからステラも学校が終わったらヒィッ!?」
「やばぁ。誰かと思ったらヒトデちゃんじゃん」
「・・・・ぎゃああぁでたぁ、リーチ兄弟ぃ」
「あ、ちょっと。ベティ!?」
「ひっでぇ。俺たちまだ何もしてねぇんだけど」
そういう割には楽しそうに口元が歪んでいる。
姿を見せるだけで逃げられるようになるには、いったいどれだけの前科を積めば成せる技なのだろう。到底想像もつかないが、決していいものとは言えないだけに知りたいとも思えない。
「なぁにぃ?」
「別に、なにも」
「もしかしてヒトデちゃん緊張してる?」
「どうして私が」
「この距離で接するの怖いんでしょ。でもアズールは平気だったぽいし、俺のことも早く慣れてね」
「意味わかんない」
ステラは思考を諦めた息を吐いて、なぜか自分の腰に手を回す双子の片割れをじっと見上げた。
「そういえば、前のときもそうやって呼んでたけど、どうして私のことをヒトデって呼ぶの?」
対面は二度目。仲良く話したことがあるわけでも、共通の知り合いがいるわけでもない。
あだ名で呼ばれるほどの仲ではないはずだと、純粋な疑問をぶつけただけなのに、フロイドから返ってきた答えはステラの予想を見事に裏切ってきた。
「タコちゃんが珍しく目印つけたとか言って、どんな子か見に来たらヒトデちゃんだったからビックリしちゃったぁ」
「フロイド・リーチ、人の話聞いてる?」
「あれ、ヒトデちゃん、俺たちのこと見分けがつく感じ?」
「そりゃ、人生で初めて抱かれて投げられたらイヤでも覚えると思うけど」
「へぇ。見かけによらず、いい度胸してんじゃん」
「誤魔化さないで」
「だって、よく壁に貼り付いてるし。それにぃ狭い場所に隠れてたり、小さくなりながらご飯食べてるの俺たち何回か見たことあるよ」
「えっ、どこで!?」
再現するように小さくなってみせるフロイドに、開いた口が塞がらない。
たしかに長い体躯が特徴的な双子のウツボ兄弟は、魔女の噂が横行するようになってから見かける頻度が異様に増えた気がする。
それでも見られていたとは思わなかった。
荒ぶった精神を落ち着けたいときに狭い場所を探して小さくなる癖。小さい頃に人目を避けるように行動していた名残なのか、気分が塞ぐと精神を落ち着かせるために今でもそういう行動をとることがある。
恥ずかしいから細心の注意を払って周囲を観察したうえで行っていたはずなのに、まさか、こんな思わぬ人物に知られているとは思わなかった。
「んー、どこってぇ、別にそんなのどこでもよくね?」
「よくない。それに私まだ投げ飛ばされたこと、謝ってもらってないんだからね」
「えぇ、ごめんってぇ」
「そんな謝りかたないでしょ。ああ、どうしよう。誰にも見つからない場所だと思ってたのに、別の場所探さなきゃ」
「もう必要ないのでは?」
フロイドとよく似た顔の男が反対側にあらわれる。
もう驚くのもバカらしい。フロイドがいればジェイドもいる。そう思ったほうが話が早い。
「海の魔女と契約されたのでしょう?」
左手首を撫でられる感覚が恐ろしい。どこまで知っているのか。この二人のほうが自分の行動をよく知っているのではないかとすら思えてくる。
「でしたら、隠れて涙する日はもう永遠に来ないも同然ということです。王宮のはずれにある壊れた円柱の間は危ないので、体が大きくなってからも定期的に挟まりに行くのはお勧めしませんよ」
「ちょっと待って、え、いつから・・・いつから知ってるの?」
衝撃の発言にステラの動揺は隠しきれない。それを見越しての発言だったのだろう。
問い詰めるように肩を掴んできたステラをどこか楽しそうにジェイドは見つめている。
「いつでしたでしょう。初めてみたのはエレメンタリースクールにはいる前くらいでしょうか、可愛いことに緊張していたんですね。入学式の日とお遊戯会の日もお見かけしましたよ。お世辞にもお上手とはいえない歌を披露なさっていて、あ、でも本番はお上手でした。あとはミドルスクールにあがる前、ああ、そんなに揺さぶられると記憶が曖昧に混ざってしまって全部口にしてしまいそうです」
「・・・最悪だわ」
恥ずかしさが頂点に達したステラは顔を押さえてうずくまる。正確にはフロイドとジェイドの長い尾ひれを利用して隠れたといったところだが、正直なところ。ステラはこれ以上、自分の恥態を他人の口から聞きたくなかった。
「誰にも言ってないでしょうね?」
「あはは、ヒトデちゃん。そんなデカイ声出せるんじゃん」
「ふふ、さすがよく通る素敵な声をお持ちです」
話が通じない人魚には数多く遭遇してきたが、これは次元が違うと脱力したくもなる。
「知られてたなんて、全然知らなかった」
「そうでしょうね。知っている人魚なんて、僕たちくらいじゃないでしょうか」
信じるか信じないかは人それぞれ。ジェイドの悪戯な顔が、いかにも「たのしんでいます」という風でなければ、ステラもその言葉を鵜呑みに出来たかもしれない。
「他の誰かに言ったりしたら許さないからね」
「何されるのか楽しみだねぇ、ジェイド」
「ええ、フロイド。どう許していただけないのか非常に興味があります」
「うるさい」
「ヒトデちゃん、いまのアズールにそっくり。うけるんだけど」
「昨日はそのアズールに、あなたたちに似てるって言われたところよ」
「へぇ、僕たちとあなたが?」
「私だって、おことわりよ!」
それだけを言い残してステラは始業の合図を示す学校へ飛び込んでいく。
「ねぇ、ジェイド。俺、いまジェイドが何を考えてるかわかるよ」
「奇遇ですね、フロイド。僕も同じことを考えていました」
その声を思わず耳で塞いでしまいたくなる。
クスクスと笑う双子の声がいつまでも追いかけてくるなか、ステラの顔は真っ赤に染まっていた。