まだ、陸の青さを知らない
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《sea07:似たもの同士》
暗闇の岩礁で海の魔女と二人きり。
実際には海の魔女の真似事をしていた同級生の男の子と二人きり。ミドルスクールに通うクラスメイト達が好きそうな話だが、これはそんな糖度の高い蜜逢でもなんでもない。
「贅沢な悩み過ぎて、僕以外には解決できないでしょうね」
偶然出会った寂れた場所で、偶然話し込んでいるだけの他人同士。
片方は努力で魔法を自在に操る力を身に着け、珊瑚の海で話題絶賛中の海の魔女。聞けばタコの人魚は珍しく、随分と嫌な思いをしてきたらしい。それは生まれつき人魚姫と同じ髪の色を持ち、美しい虹色のヒレを称賛されてきたステラも同じ。
「贅沢、なのかな?」
「それに気付かないとは。あなたが恨まれるのがよくわかります」
「・・・うーん」
「どんな橋も、渡るには通行料が必要だ」
やはりアズールの笑みは胡散臭い。数分前に素顔をみてから随分くだけた雰囲気になったものの、人はやっぱりそう簡単には変わらないらしい。
『本当の自分を知ってほしい』
努力なしにその願いが実ってほしいという愚かさに気付いたのは、つい先ほどまでの話。アズールが相手でなければ、鼻で笑われて相手にもされなかったに違いない。恵まれたものを持っていて何を言っているのかと、また誰かの反感を買い拒絶を示されていたかもしれない。
でも、アズールはそれをしなかった。だからこそ気付けた自分の汚点をステラは噛み締めるように心に積もらせていた。
「私って、わがまま?」
「ええ、筋金入りの。どうせ、ちやほやと持てはやされて、さぞいいご身分だったからでしょうけど」
「いいかた」
「あなたに取り繕ったところで、それこそいまさらでしょう」
「海の魔女もお手上げ?」
「まさか。この僕に願えば、どんな悩みも必ず解決してみせますよ」
いつの間に隣に腰かけていたのか、ステラは横で自信に溢れるアズールの態度に声をあげて笑っていた。あまりに自然すぎる流れに違和感すら感じていなかったけれど、ここまで他人に近寄られて嫌悪を感じなかったのは初めてで、なんだか少しおかしかった。
「じゃあ、一つ目の願いなんだけど」
「都合よくランプの魔神みたいな扱いをしないでもらえますか?」
「さすがに騙されないか」
「さすがに騙されたらおかしいでしょう」
それもそうかと、ステラは慣れてきた視界にふと映ったものを指先でつまみ上げた。
すっかり忘れていたが、アズールが来るまで絶望に打ちひしがれてここで泣いていたことを思い出す。泣けば勝手に結晶になる、虹色の涙。ステラにとって何の価値もない見慣れた物質だが、アズールがどういう反応をするのか、気になって渡してみることにした。
それはほんの気紛れ。
その辺に転がる石を渡す感覚で、ステラはアズールに結晶を手渡した。
「ねぇ、これは通行料になる?」
「なんです。そ・・ゴホッありえない・・っ・・これ、これはいったいどこで手に入れたんです?」
「え・・・大丈夫?」
あまりの興奮ぶりに、ステラの体が瞬時に強張る。
落ち着いた雰囲気をどこにやってしまったのか、年相応の男の子になったアズールの態度についていけず、ステラは目を瞬かせてその様子を眺めていた。
「人魚の涙、しかも虹色の・・・すごいぞ、ありえない。こんな稀少なもの、売れば数十万いえ数百万の価値がつく」
「そうなの?」
「見てください、この形。色、艶、大きさ。そうそう手に入りませんよって、本当にくれるんですか?」
「え、うん」
「あとで返せと言われても返しませんよ」
「大丈夫。それ、私の涙の結晶だから」
「・・・・は?」
震える指でつまんで、角度を変えて何度も確認するアズールの姿に心が痛い。胸が苦しいのは気のせいじゃないだろう。騙すつもりはなかったが、そこまで素直に喜ばれると正体を口にするのが怖くなる。
「生まれつきなの。泣くと涙が結晶化するの、だから、それ、そんなに価値のあるものじゃないと思う」
「いや、いやいやいや。泣けば宝石が生産できるって、都合よく金になる話があるわけがない。元手がタダで手に入る上に、市場価値の高い素材が体質なんかで出来てたまるか」
「金にはならないでしょ。ただの涙なんだから」
「僕は今、無知とは恐ろしいという言葉を身をもって痛感していますよ」
海底に転がった残りの結晶を拾い集めてステラはアズールに渡す。
意外にも、アズールが結晶を大事に両手で包んだのをみて、ステラは気持ちが軽くなるのを感じていた。
「本当はね、秘密なんだ。でもあまりにもアーシェングロットが喜ぶから教えちゃった」
秘密にしなさいと幼いころに言い聞かせられたということもあるが、アズール以外の人に喋ったことは一度もない。
もともと人前で泣くことが出来る性格じゃないことも幸いしていたのだろう。涙が結晶化することを知っている人は限られている。
「それを対価に、叶えてほしいことがひとつ出来たんだけど」
「・・・あなた、本当にいい性格していますね」
アズールの口元が引くつくのも無理はない。
アズールに言わせれば「このときのステラの顔ほど悪役と呼ぶにふさわしかった」らしく、ステラは無事、アズールと契約を取り付けて小さな瓶を手に入れた。
* * * * * *
「ねぇ、本当にこれ、ちゃんと飲めるんでしょうね?」
アズールの隠れ家だというタコ壺に移動してきたのは数十分前のこと。
「少し待っていてください」と大きな窯に様々な物体を投げ込むアズールを見守って出来たものが、中指ほどの長さをした小瓶だった。
中身は墨のような不気味な液体。作っている過程をみていなければ、アズールが吐いた墨だと思い込んだかもしれない。
「疑いは不要です。効果は実証済みなので安心してください」
本人が自信満々に言うのだから大丈夫なのだろう。
魔法薬と称されるものが美味しいのか、まずいのかはともかく。人魚の姿を一時的に変化させる効果のあるものが吉と出るか、凶と出るかは判別しにくい。
「どうしよう、緊張してきた」
「対価はいただいているので、それはもうあなたのものです。使うも使わないも、捨てるもご自由にどうぞ」
「うーん、胡散臭い」
自分は騙されているんじゃないだろうか。
そもそも、涙の結晶などという何の労力もかけていない無償のものを対価にした時点で、アズールもそれ相応の価値を対価にしている可能性はある。
「全部口に出ていますよ」
「え?」
「大体、この僕が適当な魔法薬を渡すわけがないだろう。少しは信用しろ」
敬語から急に親密になった口調に、ステラの覚悟は固まったらしい。無意識に首を縦に振っていたということは、つまりそういうことなのだと、ステラは小瓶を大事にしまってアズールを信じることにした。
「アーシェングロット、明日もまたここに来てもいい?」
「ダメだと言ってもどうせ来るんでしょう」
「どうしてわかるの?」
「似たような双子を知っているんですよ」
「わかった。ジェイドとフロイドのことだ」
「彼らのことはいつから名前で呼ぶ間柄に?」
「リーチ兄弟って言ったほうがよかった?」
「なぜです?」
「なんとなく?」
視線を合わせて互いに首を傾げ合う。返答に不満足だと顔に出ているからアズールはわかりやすい性格だとも思う。
「アーシェングロットって、おもしろいね」
「そういうところが似ているんですよ」
今度は呆れた溜息がわざとらしい。それでも不思議と嫌な気分にならないのは、アズールが他の人魚たちとは違って拒絶や拒否を示さないからだろう。
傍にいる居心地の良さがクセになる。
「薬、作ってくれてどうもありがとう」
素直にお礼を口にして、ステラはタコ壺から退散するためにヒレで海水を蹴る。
最後に手でも振ろうかと迷って、振り返った先でなぜか驚いたようにアズールが目を見開いて固まっていた。
「なに?」
「いえ、あなたもそういう顔が出来るんだなと」
歯切れの悪いアズールの姿が新鮮で、やはり面白いと感じてしまう。
「変なアーシェングロット」
結局手を振ることはやめにして、ステラは軽く笑ってからその場を去った。
決行は、明日の夜。ホリデーコンサートに出席する演奏家や歌手をスポンサーに披露するための立食パーティー。
お守りにと、なぜか左手首に吸盤のあとをつけられたが、それは眠って起きる頃には跡形もなく消えていた。