まだ、陸の青さを知らない
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
《sea04:外聞と醜聞》
本当の「私」を誰も知りたいとは思わない。
そのことに気が付いたのは、初めて家族以外の輪の中で過ごす時間、エレメンタリースクールにあがってすぐのこと。自己紹介の段階で、ステラはすでに名乗る必要がないくらい自分が有名人なのだということを知った。
「はいはい、知ってる。お姫様なんでしょ」
「ええ、違うよ。髪の色が有名な人魚姫と同じなだけで、わたしのママが、あの子はただの使用人の娘だって言ってた」
「でも、でも、王宮に出入りしているってことじゃないの?」
「すごい。リエーレ王子とも知り合いなのかな?」
「赤い髪の色してるからってズルい」
「あと歌がすごくうまいんだって、それに泣くと涙が宝石に変わるらしいよ」
「嘘だぁ。そんな人魚いないよ」
「本当だってば、聞いたんだから」
教師が慌ててクラスをなだめるほどには波立つ水。語り継がれる人魚姫と同じ赤い髪を持って生まれ、誰もが見惚れる虹色のヒレをなびかせ、鈴の音が転がる声から放たれる歌は聞いたものを虜にする。
それが、ステラ・ノーブル。
彼女を見たものは一目で恋に落ち、彼女の歌を聞いたものは二度と他の人魚を愛せない。幼少期から独り歩きした噂は年齢を重ねるごとに大きくなり、気付けばステラは高嶺の花に祭り上げられていた。
「美人だからって調子に乗り過ぎなのよ」
同級生だけでなく、上級生に呼び出された岩陰で罵倒されるのは何度目か。
エレメンタリースクール時代は、幼いながらになんとか友達を作ろうと頑張っていたステラも、ミドルスクールに入って二年もする頃にはすっかりそれも諦めていた。
まだ二桁になったばかりの年齢。
友達だと思って仲良くしていた子が、ある日突然敵意を向けて拒絶してくるのは慣れている。輪に入れてくれたと喜んだ心が、何かの下心で穢されることを知っている。
最初は「比べられるのがイヤ」「美人にはわからない」「連れていれば自慢できる」などと訳の分からないことが多かったが、それも学年があがり、年月がたつにつれて理解できるようになった。
周囲は色恋やおしゃれに夢中の年頃。
名前も顔も知らないどこかの人魚がステラに恋をしたそうだが、それを嫉妬や憎悪に変換させた感情の矛先はすべて心当たりのないステラに向けられる。
「好きで、この容姿に生まれたんじゃないんだってば」
恵まれた容姿だからなんだというのか。純粋な好意を得られない容姿に、愛着を持てないステラの態度が余計に逆鱗に触れるらしい。
群れで悪意をにじませた女たちは、その言葉を聞いてますます腹をたてている。
「男にちやほやされていい気になっているようだけど、こんな女のどこがいいのかしら」
「ほんと、能面人魚には勿体ないんだから、早くその仮面剥ぎ取れば?」
「そうそう少しは内面に釣り合った見た目になるかもよ」
集団であることが余計に気持ちを増幅させるのだろう。ステラを岩陰に追い込んだ少女たちはみな、同じ顔で優位を自覚している。ステラが睨んだところで効果はなにもない。
魔法のひとつも放てない哀れな人魚は多勢に無勢。
「欲しければいつでもあげるわ。海の魔女にでも願うことね」
ステラの捨て台詞はいつも同じ。
精一杯の強がりを残して去っていくステラの様子を雑魚の集団は腹を抱えて笑っている。ずっと遠く、どこか遠く。本当の自分でいられる場所を求めて、ステラはその場から一目散に逃げ出していた。
「ステラ、どうしたの。今日は誰にやられたの?」
「ベティ、なんでもない。放っておいて」
「そんな、可愛い顔に傷が残ったら大変だよ。ああ、髪もぐちゃぐちゃに」
「ふんっ、傷が残ったほうがいいのよ。そうしたらあいつらだって、少しは私にかまわなくなるでしょ」
通い慣れた王宮の一角。母親が仕事をするあいだ預けられていた場所で顔見知りになった程度の関係。泳ぐ着ぐるみと自画自賛するマナティの人魚は、愛嬌と愛想の良さから内外に交友の輪は広い。
「ステラの場合は、その性格が災いしてるんだとボクは思うけどな」
「悪かったわね」
「いつかステラの良さを理解してくれる人に出会えるよ」
「こんな小さい海じゃ到底無理な話だわ」
「ほら、そういう気位の高さがなんていうか、まあそこがステラの良さでもあるんだけど。もうちょっと素直になれば、いや、でもそうするとステラじゃないから難しいなぁ」
ぶつぶつと泳ぎながら喋るベティを肌で感じながら、ステラは絡まった髪を指でとかしていた。捕まれた頭皮が少し痛む。他にも痛むところはあるが、口の中が切れているわけじゃないので今回はよしとしよう。
ベティが言うには殴られた頬も青く変色していないとのことなので、特に問題はないだろう。ただ、そういう力加減にとどめられていることが腹立たしい気持ちはぬぐえない。
「ああ、ステラ。ステラじゃないか?」
「うわ・・・」
「愛しいステラ、こんな場所で会えるなんて夢みたいだ」
よく似た雰囲気をまとった六匹の細長い集団が頭上から降り落ちるように現れる。
「電気にあてられたように固まった顔も可愛いすぎて眩暈がするよ」
「なにかあればいつでも言っておいで。きみのお母さんには世話になってる」
「神経がびりびりと振動するような感覚がしたら、僕たちの愛が伝わった証拠さ」
好きなことを言って泳ぎつづけるせいで、水流が竜巻のようにステラの周囲を取り囲む。幸い、一緒にいたベティも輪の中に入っているが、それを幸いと呼ぶのかどうかは、この際あまり意識したくない。
「うわぁ。彼ら、相変わらずだねぇ。顔が引きつって、寒気がしているステラの姿をよくもあれだけポジティブに変換できるもんだよ」
ベティですら言葉を失うほどの鬱陶しさ。
「もう行かなくては、それじゃあまた」
「ステラ、きみの初舞台を楽しみにしているよ」
電気をまとった六つの影は、水流の輪を残したまま嵐のように通り過ぎていく。彼らに言い寄られるようになったのはミドルスクールにあがってすぐのこと。もともと知られていたようだが、同じクラスになったのが運の尽き。
ステラの母と同じく王宮に出入りしているという彼らは、会うたびに「これは運命だ」と騒ぎ立て、全身に恋の電流が流れたとか何とかで、ステラを将来の伴侶にすると勝手に決めている。
「どうしてみんな、私に理想を押し付けるんだろう」
「ステラ?」
「ううん、なんでもない」
とかし終えた髪を指で撫でて、ステラは泳ぎだす。ベティも習うように少し後ろをついてきたが、何も言わないステラの空気を感じ取ったのか、目的地につくまでは無言で泳ぎ続けていた。
「おいおい、どうした。ステラ、全然声が出ていないじゃないか」
目的地はすぐ目と鼻の先にあった。
王宮で定期的に開催される舞踏会や祭事などで活躍する音楽を練習する場所。退屈な時間を紛らわすために覗いた場所でその才能を評価されたステラは、もう何年もここで英才教育を受けている。
「今度の演奏会でステラは主役なんだ」
両手に乗る程度しかない小さな先生は、その小さな体に見合わないほど大きな野望を持っていた。
「断言してもいい。そこで世界スターになる最初の一歩を踏み出すんだ」
「私は世界のスターなんて目指してない」
「何を言っている。恵まれた容姿、与えられた声。その逸材を見抜いたわしの目に狂いはない。ステラは希望の星、これでわしも有名人だ」
「有名になりたいのはセバスチャンでしょ」
「わかっていないな、ステラ。世界は広く、そして魅惑的。かつて海の人魚たちは人間の世界を恐れ、陸を拒絶したが、いまの時代じゃ人魚だって陸で活躍する」
どれだけ陸が素晴らしいのか、セバスチャン三世は語るすべてを歌で現わす。
さすが、歩くミュージカルと称されるだけあると、ステラは何度もみた光景に溜息を吐いて受け流していた。
「私は、目立ちたくない」
これ以上、好奇な目にさらされるのも、標的にされるのもうんざりだ。好意も悪意も度が過ぎればただの猛毒。ゆっくりと体中を巡って、やがて死に導くだけ。
「それはわしが許さない。次の演奏会は王様も見に来る特別なホリデーコンサートだ。いいか、くれぐれも穴をあけるんじゃないぞ」
小さなロブスターの熱意は日に日に持ち上がっていく。教師が力を入れたところで生徒がそれに続くとは限らない。ステラも例外ではないように、自分を最大限にお披露目しようとしているその姿を寒気と共に眺めている。
「陸にあがれば、少しは息が出来るようになるのかな」
「ボクは陸に興味がないし、なんとも言えないね」
「セバスチャンは肝心なことを忘れてるわ」
「そうだね。魔法が使えないボクたちは、海以外で生きていけないものね」
「陸で生活できる身体ってどうしたら手に入ると思う?」
「海の魔女に頼んでみればいいんじゃない?」
「ふふ。歌声と引き換えにすれば、足が手にはいるかも」
ベティの存在はこういうときに有難い。かろうじて気落ちしなくて済んでいるのは、いつも傍にいてくれるおかげだと、ステラは少しだけ笑うことの出来た現実に感謝していた。
だからといって、日常までそうだとは限らない。
「生意気なのよ。いったい、何をどうすればあんたがメインに選ばれるわけ?」
昨日は彼氏をとられたと言いがかりをつけられた岩陰で、今日は舞台を横取りされたと言いがかりをつける人魚に襲われる。
「あんたの未完成な歌より、わたしの歌のほうが完成度が高いでしょう」
「それなら私じゃなくて、セバスチャンに直接言えばいいじゃない」
「先生を呼び捨てにしているのも許せないわ。大体みんな、あなたのどこがよくて抜擢したのか意味がわからない。リエーレ王子も見に来られるのに、無様なコンサートなんて出来ないのよ」
随分年上なだけあって、昨日のように殴られないだけマシかもしれない。目の前の人魚は何度か舞台で主演をつとめていた人魚。歌手を目指しているらしく、ホリデーという大舞台で歌うことを夢見て、何度もオーディションを受けてきたらしい。
だけど、それがなんだというのか。
ステラもオーディションを受けた。たしかに彼女ほどの夢や希望をもって挑んだわけではなく、ベティが勝手に応募して、セバスチャンが勝手に決めたという点においては弁解しがたいが、それでも審査員はひとりではない。
少なからず、いま目の前で自分を恐喝する相手よりは歌の価値があったということだろう。
「本気で歌う気がないんだったら、舞台を降りて頂戴」
できるならそうしたい。
それでも、決まってしまった事実は変えられないのだから仕方がない。最初から持って生まれたものがあるように、望まず与えられるものがあるように、ステラが決めなくても世界は勝手にまわっていく。
押し付けられた役割をこなすだけ。
ただ、それだけのこと。