まだ、陸の青さを知らない
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《sea02:ありふれた海の底》
海の中は数奇に満ちている。
魔法を使えるものと、使えないものが存在するだけでなく。人魚の形態も種類もそれぞれ違う。より海洋生物に近い見目をした人魚もいれば、より人間に近い姿をした人魚もいる。
言葉を喋るだけのエビや魚までいるのだから、海底を訪れる観光客が驚くのも珍しくはない。きっと境界の曖昧さに混乱するのだろう。
海の常識は、陸の常識と異なる。
だからこそ、わかりやすく「人魚」という形容を体現したステラは光ある場所に出ると観光客に好奇の視線を向けられることが多かった。
「ねぇ、人魚姫よ、本物の人魚姫がいるわ」
「うわぁ、本当に綺麗だなぁ。昔の船乗りたちが憧れたのもわかる気がする」
「赤毛色の髪に虹色のヒレ。白い肌、うらやましい。緑のヒレだったら昔話に出てきた本物の人魚姫みたいだし、きっとあんな感じだったんでしょうね」
「こっち見ないかな、写真とか一緒に撮ってくれたらいいんだけど」
うんざりするほど聞き飽きた賛辞。観光資源の恩恵を多少なりとも受けている都心部では、ステラが姿を見せるだけで四方八方から容姿を褒める声が聞こえてくる。
観光客たちは小声で話しているつもりだろうが、筒抜けであることを誰か教えてあげてほしい。ステラは無視を決め込んで、男女二人組の前を素通りしていくことを心に誓っていた。
「いいよいいよ、減るもんじゃないし。お客さん、違う海の人?」
「ちょっと、ベティ!?」
「この子、鉄砲玉だから見かけた今はすっごく運がいいよ。ステラと写真を撮ればラッキーなことが起こるって、ちょっとした迷信なんだ」
やたら愛想のいいマナティがステラの進行方向を遮って、観光客に喋りかけている。そのなめらかな巨体が評判だが、ステラはその巨体が見た目よりよも可愛くないことを知っている。怪力。そのせいで、ステラはその場所から泳ぎされそうになかった。
ただ見た目はたしかに愛らしい。
実際、観光客から「可愛い」の言葉を頂戴しているので、本人もまんざらではないだろう。
「ふふん、ボクの名前はベティ。マナティの人魚だけど、マナティだともいえるね。ボクが可愛いってことも有名な話さ、珊瑚の海の土産コーナーではボクのキーホルダーも売ってるよ」
腰を振って愛想を振りまく。ステラには到底出来ない芸当だが、観光客にはうけているのでベティの努力も報われるに違いない。「せいぜい頑張って」と隙をついて離れようとしたが、テンションの高いベティの前でその逃走が成功したためしはない。
現に今もなぜか、観光客に挟まれる形でベティと仲良く肌をくっつけて、向けられたカメラの枠に収まっている。
「だけど今日、お客さんが目を付けたのはさすがの一言。柔らかく伸びた赤毛の髪、ゆるやかにしなる虹色のヒレ、珊瑚の海が産んだ最高の美少女、ステラ・ノーブル。はいはい、ステラの気分が変わらないうちに笑顔で一枚、はい、アンダーシー」
独特の機械音と同時にフラッシュが光って、ステラは承諾のない自画像を見知らぬ他人の思い出に残す羽目になった。
「ばいばーい、よい旅を」
小さな腕を力いっぱい振るベティを横目に、ステラは今度こそその場から泳ぎ去る。
あまり好奇の目にさらされるのは好きじゃない。本当なら、人通りの多い時間に街中を通るだけでもイヤなのに、今日はそうしなければならない理由があったのだから尚のこと気分があがらない。
「ステラ、もう少しお客さんの前では愛想よくしたほうがいいと思うよ?」
「イヤよ。どうして私がそんなことしなきゃいけないのよ」
「将来、アーシェングロット家とリーチ家の世話になるなら、笑顔で接客するのは欠かせないスキルだと思うけど」
「・・・・ぅ」
痛いところをついてくる。
幼いころから一緒に育った相棒相手に隠し事は通せない。その三人の名前を出せば言い返せないことを知っていて名前を出してくるのだから、海に住む人魚は少なからず「良い性格」をしているともいえる。
「陸でも、もすとろらうんじっていう社交場を経営しているそうじゃない。どうするの、ステラ。愛想と愛嬌がなければ、アズールたちに役立たずって追い出されちゃうとボクは思うな」
「・・・そんなことないもん」
「そんなことあるよ。実際にステラは愛想と愛嬌がなさ過ぎて、友達の一匹もいないじゃない」
自分の発言に爆笑している性悪の友人に何を言い返せばいいだろう。
並んで泳ぎながら人波をかいくぐり、好奇と羨望の視線をぬって目的の場所にたどり着く頃には、ステラの機嫌は最悪に傾いていた。
「ステラ様のおなーりぃ」
珊瑚の海の中心。巨大な支柱に守られた城の一角で開催される週一回のけいこ場に、不機嫌なステラが現れるのは毎度のこと。
「ステラ、今日も綺麗だな。どうだ、レッスンのあと一緒に食事でも」
「今度ね」
「ステラ、この間とても綺麗な石を拾ったんだ。ステラに似合うと思って、ほら」
「あなたの方が似合うと思うわ」
「あああああ、聞いた、か・・・俺の方が似合うって」
「くそ、うらやましい」
その瞬間、バチバチと周囲に火花が散るのもいつものこと。
「相変わらず、友達はいないけど、マンタとかウナギとか変なのには好かれるよね」
「ベティ、うるさい」
「陸に行ったって番であることに変わりないんだから。電気鰻の六兄弟もいい加減諦めればいいのに」
「それは直接本人たちにそう言ってよ」
「無理無理。だって、あのリーチ兄弟と唯一対等に力比べが出来る猛者たちだよ。ボクなんかあっという間に海の藻屑になっちゃう」
「はい、静かに。静粛に、そこ、いつまでもバチバチしない」
「あ、セバスチャン三世先生だ。先生、こんにちは」
「はい、ベティこんにちは。おや、今日もステラは機嫌最悪かい?」
両手の平に乗りそうなほど小さなロブスターが、カメの背中に乗って目の前まで泳いでくる。代々、王宮で開催される舞踏会や式典での演奏を任されている宮廷音楽家の家系らしく、その手には黒の指揮棒が握られていた。
「まあ、歌をうたえば機嫌も直るさ」
楽観的な姿勢は、喋る言葉尻から唄っている雰囲気でもよくわかる。
「わしに歌を教われることは、名誉あることだと肝に銘じておくように」
お決まりの台詞から始まる今日のレッスンも、きっと退屈に終わるだろう。発声練習、定番曲の反復練習、次のホリデーで開かれるコンサートのために用意された歌は珊瑚の海で昔から演奏されている馴染みの曲。
変化や進化とは遠い世界。そのくせ、妬み、ひがみ、そねみの感情はどす黒い色をまとって濃さを滲ませるから厄介極まりない。
「今年はあのステラがサブボーカルを務めるそうよ」
「え、だけどセンターの子はステラは嫌だって交渉してなかった?」
「それが、今年こそは出演させるって先生が意気込んでるって」
「いいわよね、美人は。努力や才能がなくても、ちやほやしてもらって」
「ねぇ、ちょっと聞いた、さっきまた観光客に写真をねだられたって」
「有名人を気取ってるのよ、いいご身分だわ」
好きでこの容姿を選んだのではない。それでも生まれつき赤い髪、生まれつき虹色のヒレ。珊瑚の海に伝わる人魚姫の髪と同じ色を持ち、光に当たれば宝石のようだと絶賛される七色の鱗を持っていれば、幼いころから勝手に周囲の視線を集めてしまう。
おまけに母親が王宮で王子や王女相手に家庭教師をしているということもあり、幼少期からなにかと王宮に出入りしていた。顔見知りになれば、好意にしてくれる人は多い。一般人にもかかわらず身分の高い人魚たちから無条件に可愛がられる人魚は有名にならないほうが無理な話で、当時もそれを面白く思っていない人魚たちから随分と危険な目に遭わされてきた。
そのことを彼女たちはきっと知らない。
いや、知っていても関係ないのだろう。噂は噂、本当か嘘かはどうでもいい。
「気にするな、ああいう連中は口先だけで実際には何もしてこない」
「そうそう、ステラの魅力に嫉妬しているだけだ」
喧嘩を終えたのか、よく似た六人の人魚がステラの周囲を取り囲む。
ステラは友達の出来ない最大の理由に、この幼馴染たちを一番に取り上げたいと常日頃思っていた。
「なによ、あれ。また当てつけみたいに囲われちゃって」
「守ってもらわなきゃ何も出来ないくせに」
「行きましょ、ここにいると気分が悪くなるわ」
距離を置いて離れていく同世代の人魚の輪に、入りたいとすら思わなくなったのはいつからか。小さなころから周囲がこうでは、自分の意思や意見を伝える前に物事が決まっていくのだから仕方がない。
海が自然に流れるのと同じ、ステラには周囲の流れにまかせる癖がついてしまった。
「さあ、ステラ。ここで君が歌う番だ、貝に向かって両手を広げて、そう。そこで観客を振り返り、とびっきりの笑顔をみせる」
熱が入って周囲がみえないセバスチャン三世は、投げやりの演技でも満足したのか、上機嫌に舞台上を右往左往しながら自分の演出に酔っている。
何が楽しいのか、何が嬉しいのか、ホリデーの舞踏会に出ることが決まったとしても、その歌声を聞かせたい人達は陸のうえで過ごすというのに。ステラのやる気はすっかり失せて、最終調整に入るという退屈なレッスン場をひとり壁の花で溶け込むように過ごしていた。