まだ、陸の青さを知らない
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《sea12:歌姫が生まれた日》
どれだけ魔法の存在する国に生きていても、魔法で解決できないことが山ほどある。それでも、かつて存在した偉大なる魔女に憧れて、人魚は今日も海の底で生きていた。
「いいなぁ、私も靴っていうのをはいてみたい」
「かっこいいでしょ。今度、そっち帰ったときに見せてあげんね」
「春休みまで会えないのやだな。私も陸に行きたい。そうしたらフロイドの持ってる、その靴っていうのも履けるんでしょ?」
「どうせ誰もいないし、すぐにおいでって言ってあげたいけど、やっぱダメ。ここは雄ばっかだから血の海になっちゃう。あと色々ヤバイことになりそうじゃん」
「色々?」
「そ、いろいろ」
かっこいい靴を見つけたから見てほしいと、携帯のカメラに貼りつくほど近付いていた雑誌が遠のいて、笑顔のフロイドが映り込む。
「今年も氷、分厚い感じ?」
「えっ、ああ、うん、海のうえは当分拝めないと思う」
「そっかぁ。じゃあステラに会えるのは氷が溶けてからになっちゃうね。ステラは大丈夫、寂しくない?」
「寂しいけど、フロイドが毎日電話してくれるから平気」
「んああ、可愛い。今すぐギュッとしたいぃ」
深海でも陸で発明された機械は有能で、遠く離れたナイトレイブンカレッジで寮生活をする恋人たちの顔を問題なく届けてくれている。
「私もフロイドにぎゅってされたい」
「おやおや、フロイドだけでいいんですか。ステラ、あまり一人だけを贔屓するような発言は感心しませんね」
「じゃあ、二人にぎゅってされる」
「それはそれは、次に会えるのが楽しみです」
「ジェイド、何持ってるの?」
「ああ、これはモストロラウンジで提供しているパフェです。今からお客様の席へ運ぶところでしたが、フロイドのスマホから可愛い声が聞こえてきたので覗いてみました」
「ぱふぇ、美味しそう。私も食べてみたい」
ホリデーに入る直前、最後の営業日は大混雑を極めているらしい。
飽きたか、疲れたか、フロイドが電話をかけてきた理由は忘れてしまったが、フロイドとジェイドの背後で色んな声が乱れているあたり、本当に盛況な状態なのだろう。
なんでもポイントカードを作ったおかげで、注文数も客数も増え、連日店は賑わっているのだという。
「俺もこの間、ステラがアップされてるマジカメみたよ。観光客とマナティと一緒に写ってるやつ」
「ん?」
「そういえばベティさんから友達申請が来ていましたが、僕たちのアカウント教えたんですか?」
「ううん。どうやって教えるの?」
穏やかな微笑みを浮かべるだけの二人が、明確な答えをくれたことは今のところない。日を重ねるにつれ、笑顔の裏に色々なものを隠されているような気がするが、害はないので深く考えないことにしている。
「ステラの夢を叶えるためには露出も大事だと理解しているのですが、どうも思考と本音が噛み合いません」
「光の当たらない深海の奥に閉じ込めて、誰の目にも触れない場所で飼い殺せたらいいのに。ジェイドもそう思うってことでしょ?」
「フロイドもですか」
「ふたりともどうかした?」
「いいえ、なんでもありません」
相変わらず画面には鏡合わせにした双子の顔が映っている。何番のテーブルにドリンクが届いていないだの、どこかのテーブルで乱闘があっただの、微笑ましいだけで済まない実況中継に紛れて囁かれた言葉はうまく聞き取りにくい。
ちょうど誰かが皿を割ったせいで、フロイドの言葉を聞き逃したステラの顔は、モストロラウンジの厨房で笑顔を浮かべる二人の目にも映っていることだろう。
「ステラ、僕たちともっと色んなことを愉しみましょうね」
ジェイドが笑顔のままステラと同じ角度に首を傾ける。その仕草が可愛くて、ステラは素直にうなずいた。
「ふたりとも、お仕事頑張ってね」
上機嫌で手を振ると、それに気付いた二人も上機嫌で手を振り返してくれる。
そしてこれはお決まりになりつつあるパターンだが、二人と夢中で会話する時間が一定数を超えるとアズールが画面に割り込んでくる。多分、もうまもなく。
「何をしているんですか、二人とも。この混雑時にサボらないでください、最終日の売上がかかっているんですよ」
「アズール」
「え、もしかして、またステラと通話していたんですか。まあ、それでやる気が持続してくれるなら構いませんが」
「今日、すごく忙しいんだってね。体調、大丈夫?」
ジェイドとフロイドが消えて、画面にアズールの顔が映る。
スマホを与えられた日よりは幾分元気そうだが、体調はあまり良いようにはみえない。
「今日が終わればしっかり休みますよ。それよりもステラ、あなたもそろそろ時間ではないですか?」
「え?」
アズールに指摘された通り、時計を見るともう日の傾く時間が過ぎている。
「やば。今日、最終調整日だったんだ」
「まったく、そんなことで大丈夫なんですか?」
心配そうな瞳がじっと画面越しに見つめてくる。
それを見つめ返していると、また時計の針が左にひとつ傾いた。
「ホリデーは氷で閉ざされてそちらに帰れませんが、演奏会は三人でちゃんと見ます」
「ほんと?」
珊瑚の海の冬は分厚い氷の下に閉ざされる。
出ることも入ることも出来ない監獄だが、今年は文明の利器のおかげでその窮屈さを感じずに済みそうだ。
「ステラの晴れ舞台を見るために大きいテレビを買ったんですよ」
「じゃあ、とびきりのいい声で歌わなくちゃ」
やる気が右肩上がりにあがっていく。
例年通り開催されるホリデーの演奏会。披露会で騒ぎを起こしてから、もう四年の月日が経つのだと思えば、しみじみと感慨深くもなる。
「さあ、頑張るとしましょう」
自分でも気合をいれるように手を二度叩いたアズールの声が、モストロラウンジで働く従業員たちの士気をあげている。
遠い場所で前を向いて進むその姿を目に焼き付けて、ステラは通話を終えるボタンを押した。
* * * * * *
今夜はホリデーの演奏会本番、会場は満員御礼。
今までメインを務めていた盲目の歌姫が今年は出演を辞退したせいで、急遽ステラが代役としてメインを務めることになった。通い慣れた王宮とはいえ、いざ実際に一般客を集めて開催する舞台となれば緊張感も変わってくる。
一年の締めくくりを祝う珊瑚の海でも大事なイベント。
披露会では毎年歌わせてもらっていたが、大きな舞台で歌うのとはわけが違う。
今年は特別にテレビ中継が入ると、嬉しそうに泳ぐベティの発言を聞かなければよかったと思ったときにはもう遅い。先日、アズールが「大きなテレビを買った」と言っていたときに、その事実を把握しておくべきだった。
「ふぅ」
胸に手を当てて深く息を吐き出す。
二枚貝に閉ざされた舞台の中は暗く、アズール達と過ごしたタコ壺の中と少しだけ似ている。
「大丈夫、大丈夫」
前奏が始まり、周囲の歌声が会場を盛り上げるのをステラはじっと待っていた。貝の中は暗く静かで、最終調整日に体験したときよりも音が遮断されているように感じられる。
せっかくの晴れ舞台。失敗はしたくない。
「失敗なんてするわけがない。僕たちの番ですよ、堂々とすればいいんです」
「アズール」
「安心してください。何度も繰り返し観れるように録画の準備もバッチリですし、会場のライブ写真も撮影依頼済みです」
「・・・ジェイド」
「あ、そーだ。ステラの緊張が和らぐように、俺が特別なおまじないかけてあげるね」
「特別なおまじない?」
「氷が溶けたら陸に招待したげる」
「フロイド、本当!?」
「あは、声ちゃんと出るじゃん」
目を閉じて思い浮かべるのは大事な人。本番前にも通話したおかげで、幾分か緊張は和らいでいる。
「ふふっ」
ターキーを三人でつついていた姿を思い返すと少しおかしい。
四年前、初めて四人でホリデーを過ごしたあの日から今日まで。数えきれないほどの思い出や時間をすごしてきた。たった一年半、満足に会えなかっただけで胸が張り裂けそうなほど心細かった。
そういうものを今夜は全部込めるつもりで、ステラは心音を整えていく。
『アズール、ジェイド、フロイド。私、歌姫になるわ。海だけじゃなく、全部手に入れてみせる。いつの日か陸の世界の果てまでも』
本当の夢の始まりは、今夜ここから。
先に人間の足を手に入れた、王子とは到底呼べない人魚たちを追いかけて、ステラは思いを歌に変えて響かせる。どこまでも遠く、離れた場所まで。
いつか愛する人たちと共に、世界を統べるその日を信じて。
fin.