まだ、陸の青さを知らない
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
《sea10:望んだ契約》
「ちょっと、なんでヒトデちゃんがここにいるわけぇ?」
「ヒトデじゃなくて、ステラ。もう、いい加減に名前覚えてよ」
「ステラ、フロイドは照れているだけなんです。本当は大好きなあなたが来て内心喜んでいるんですよ。ステラが来るまで落ち着きがなくて大変だったんですから」
「ちょっ、ジェイド!?」
海にあるレストランの一角。なんでも貸し切りだというそこは、アズールの実家が経営するレストランらしい。
顔触れは言わずもがな。
目の前にフロイド、右隣にジェイドがいる。
「そんなん言ったらジェイドもだし、昨日の夜から『明日はステラに会える』って寝言でまで言ってたじゃん」
「なっ、フロイド、それは秘密にしてくださいとあれほど」
「知らねぇ。先に言ったのジェイドだし」
騒がしいとは、まさにこのことだろう。
小さく収まることの出来ない大きさの二人が取っ組み合いを始めると、食器たちが応戦するようにカタカタと音を立てていく。
「お前たち、ホリデーくらい静かに出来ないんですか。ステラも笑ってないで止めなさい」
最後の料理を運んできたアズールが左隣に腰かける前に墨を吐く。
黒く濁った水に気付いた双子は、それを払うことで争いをやめたが、代わりに、その矛先をアズールに向けることにしたらしい。
「アズールもそうやってすましてるけど、めっちゃ顔にやけてるし、ステラが好きって隠せてねぇからな」
「フロイド、お前っ」
「ええ、好物を調べて用意するくらいには浮かれていますね」
「ジェイド」
耳まで真っ赤にしたアズールの顔を見て、こっちまで熱くなってくる。
「なんです。あまり人の顔をじろじろと見ないでください」
「えっ、あ、うん」
「アズール、顔真っ赤ぁ」
「ええ、とても。ゆでだこみたいです」
「うるさいんだよ、お前らは」
ターキーをつついて、ケーキを切り分け、プレゼントを交換する。当たり前のようで特別な時間。ホリデーの大事な日にこの三人と過ごせることが、ステラにはたまらなく嬉しかった。
「本当によかったの?」
「なにが?」
三人の声がそろったのがおかしくて、ステラはクスクスと笑う。
そして、真面目な顔でフォークをテーブルに置いた。
「国中の人が王宮の演奏会に行ってるのに、自宅謹慎になった私に付き合ったりなんかして」
食事をしながら会話も回る。尽きることのない話題も終盤に差し掛かり、一番聞きたかったことを口にしたステラを前に呆気にとられた三人の顔。
ここ一番の長いため息に、ステラの肩が少しだけ強張る。
「なにを言い出すかと思えば」
「ヒトデちゃんってバカなの?」
「そこがステラの可愛いところだと僕は思います」
思いがけない答えに、顔をあげたステラは、そこにある三人の笑顔に唇をかたく結び直すことしかできなかった。
「いいに決まってるだろ」
ぽんっと、無遠慮にのったアズールの手が優しくて心地いい。
「この僕が一緒にいると決めたんですよ。胸を張っていいくらいです」
「僕たちが、でしょ。アズール」
「そうですよ、アズール。抜け駆けは許しません」
自分と同じ年月だけ生きた別の人魚たちは、自分よりも随分大きな手で触れてくる。
今なら少しだけ、素直になってみてもいいかもしれない。
本音で触れ合うのはまだどこか怖いけれど、信じることが出来る気がする。
本当の自分をわかってくれる人。それはアズール、ジェイド、フロイドのことをいうのかもしれないと、ステラは三人の手に甘えて静かに告げる。
「あのね、私ね、みんなと過ごしたいなって思ってたから、本当はね、誘ってくれてすごく嬉しかったの。だから・・・だから、その・・ありがとう」
また少しの静寂。
言葉にした照れくささは、彼らの手の影に隠れなければ誤魔化せない。
「ねぇ、ヒトデちゃん。それ無意識だったら、すっげぇタチ悪いんだけど」
「ん?」
不機嫌そうに視線をはずしたフロイドの仕草が気になって、ステラはその顔を覗き込む。心なしか顔が赤くなっているような気がしたが、まるで捕食するように大きな口を開けて「ステラって、もう番ってんのかって聞いてんの」と言い放たれた時は、さすがに面食らったようにステラも硬直していた。
時間差で顔に熱が昇ってくる。
「えっ、つがっ・・そっそそそんな人いたら、ここに来たりなんてしない、よ」
「でも、言い寄られること多いじゃん」
どこで水を得たのか、食い下がらないフロイドの態度に混乱する。
人魚の番。一生の約束をする相手は、そう簡単に決められない。それはステラだけでなく、目の前の三人も同時に言えることのはず。
「じゃあ、俺を選んでよ」
「フロイド、抜け駆けはなしといったでしょう。ステラ、フロイドより僕を選んでください」
フロイドに触発されたジェイドの距離も近さを増す。
大きく口をあけて愛情表現を迫ってくる二人の勢いにのまれて、そのまま泡になってもおかしくはない。
「二人とも、そのくらいになさい」
しんと、凍った水の気配に勢いが止む。
「ステラも二人に触発されて答えなくていいですよ。そういう大事なことは、流れで答えるものではありませんから」
怒っているのか、呆れているのか。静かなアズールの声にホッと胸をなでおろしたのも束の間、前後左右を封鎖する双子の締め付けが緩むことはない。アズールもそれがわかっていたのか、牽制と威嚇の色をにじませた瞳でステラの頭上にあるウツボの双眸とにらみあっていた。
この状態で、誰か一人。
まだ自分の夢が見つかったばかりで、将来の伴侶を選ぶことにまでうまく頭がまわらない。だけど許されるなら願ってみたいことはある。欲しいのは時間と関係。
ステラは意を決して声を出すことにした。
「・・・私の涙を対価に、海の魔女に叶えてほしい願いがあるんだけど」
「いやですよ。面倒なことに巻き込まれるのはゴメンです」
「私ね、アズールもジェイドもフロイドもみんな同じくらい大好きで、誰か一人を選ぶって無理だと思うの」
「あなた、僕の話聞いてました?」
「うん。涙を全部対価にするから、だから、ずっと、私の傍にいてほしいの。アズールも、ジェイドも、フロイドも、三人みんなで」
誰と番うとか、どうあるべきかとか、そういうものを今すぐには考えられない。わかっているのはひとつだけ。これから先もみんなといたい。仲間としてでも、友達としてでもかまわない。
ステラの声は、無言の輪のなかで徐々に小さく変わっていった。
「・・・だめ?」
「んー、他のやつは無理だけどぉ。ジェイドとアズールなら、俺いいよ」
「そうですね、考えようによっては今出す答えとしては、それが一番良い方法かもしれません」
「フロイド・・・ジェイドまで、正気か?」
「だって、ステラはそれがいいんでしょ?」
フロイドの問いかけに、ステラは首を縦に振る。
どういう状況かわからないが、どうやら事態は好転の気配をみせているらしい。
「今更他の雄にやるつもりはないし、断られたら断らなくなるまで締めるつもりだったし、どうせ遅かれ早かれ手に入れるならどんな形であれ、ステラが望むのでよくね?」
「フロイドの言うとおりです。複数と番う前例がないわけでもありませんし、僕たち三人を相手にすることがどういうことか、時間をかけて教えて差し上げるのも良いものでしょう」
「まあ、俺たちとちょっと認識違いそうだけど。ヒトデちゃん、そういうとこ見かけに寄らず疎いっぽいし」
「ふふ。そこがいいんじゃないですか」
「はぁ、知りませんよ。後でやっぱり気が変わったなどと、言わないでしょうね」
それは自分に問いかけられているのか。なぜ三人が悪役顔で見下ろしてくるのかの理由をいまいち理解できないでいるステラは、今度こそ勢いにのまれるまま首を縦に振っていた。
「あんな稀少で高価なもの、他の誰にも渡したくはない」
「じゃあ」
「仕方ありません。ただし、あなたの願いは却下です」
話の流れがおかしいと、ステラは涙目でアズールを見上げる。
三人の承諾を得た流れでは、ここで契約して一件落着ではないのかと、物言わぬステラの態度にアズールの口角がにやりとあがった。
「涙そのものを対価にするなら契約してやる。今後一切、泣くこと自体出来ないというわけです。その代わり、泣かさないと約束しますよ」
言葉通り受け取るなら、それは幸せな契約を交わす合図。
「三人とも欲しいんでしょう。契約しますか?」
そのとき流した最後の結晶は、今もアズールたちの役にたっているだろうか。
あの日、初めて三人と過ごしたホリデーはたしかに滅茶苦茶だった。アズールが店にあるピアノを弾いて、フロイドがどこからか叩き始めたリズムにジェイドの指が低音の弦楽器で調子を合わせる。誘われるままデタラメな歌を自由に歌って、初めての唇を静かに交わした。
* * * * * *
「・・・アズール」
ステラは深海で一人、遠い水面を見上げる。
「ジェイド、フロイド」
首筋に刻まれた二人の歯形が、まだ少しだけ熱を持ったように痛い。そして名残を惜しむように触れた瞬間、ステラは悪夢が正夢になったことを知った。