番外編
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2020年5月23日
今日は恋文の日だと、スターレスに通うお客さんたちの会話で知った。みんな、名刺やコースターの裏に何か一言をねだっているけれど、肝心のソテツが見当たらない。今夜はシフトに入っているからエスコート役を頼みたかったのに、どうやら先客がいたようだ。
「なんだ、不機嫌だな」
公演開始直前、別の客にドリンクを運びに行った帰りらしいソテツの声が聞こえてくる。
思わず顔をあげて、たしかに不機嫌かもしれないと、自分の感情を認識した瞬間に顔が赤くなったのがわかった。
幸いにも、公演開始の暗転と重なり、ソテツに赤い顔を見られることがなかったのは良かったかもしれない。でも、その一瞬の暗がりの合間に、ソテツは頭をひとつ撫でて静かに去っていった。
こういうところばかり、ちゃっかりしている。
ソテツに触れられた髪の熱が引いてくれない。
それなのに、結局その後はソテツと一度も会えなかった。千秋楽間近の公演を見に、いつもより客足が多かったこともあるけれど、今日は恋文の日。そういうイベントの日はスターレスは盛り上がる。
「私もソテツさんからの一言欲しかったなぁ」
なんてガラにもなく思いながら帰宅して、すねた機嫌を洗い流すようにシャワーを浴びた。濡れた髪を拭いている途中、スマホの充電を忘れていたことに気づいて、カバンに手を伸ばす。「あれ?」カバンの中から取り出したスマホと一緒に落ちた一枚の紙切れ。
「なんだろう?」
一人呟いて、落ちた紙を拾い上げる。同時にスマホが光っていることに気づいて、誰かからメッセージが届いていることを知った。
メッセージの相手はソテツだった。「もう見たか?」たった五文字の文面に、前後もなければ脈絡もない。
一体何のことだろうと、返答しようと思った矢先にソテツからの着信が画面にうつる。
「もしもし?」
どうしてだろう。いつもよりドキドキする。今夜は同じ空間にいながら、会えたのは一瞬だったからかもしれない。
「もう見たか?」
わざわざメッセージと同じ内容を繰り返すソテツの声が、いつもより緊張しているような気がした。
「見たって何をですか?」
「何って、お前。もしかして気づいてないのか?」
どこかホッとしたような、あきれたようなソテツの声。ふと、先ほど拾い上げたばかりの紙切れを思い出す。
「もしかして、この紙ってソテツさんが?」
「なんだ見てるんじゃねぇか」
どこがおもしろいのか。ソテツの声が笑っている。
「さっき見つけたところで、まだ中は見てませんよ?」
「ああ、じゃあ。まだ読むなよ」
「どうしてですか?」
「その方が、色々都合がいいからさ」
意味がわからない。ソテツはときどき、そういうことをする。
今回も悪戯か罰ゲームか、何かきっとそういうたぐいのことだろう。はぁっと、溜息にも似た息を吐き出して、電話の向こうにいるソテツへの不信感をそれとなく伝えてみる。
「そう不機嫌になるなって」
楽しんでいる気配を隠そうともしない声に唇が不貞腐れていく。
「さっき構えなかった分、今夜はいっぱい構ってやる」
「え?」
そう言って切れた電話。
意味がわからない。もうこうなったら紙切れでもなんでも見てやろうと、乱暴に開いて言葉を失った。
「・・・え?」
紛れもなく、ソテツの文字で書かれた言葉に狼狽える。一体、これは何だろうと再度ソテツに連絡しようとしたところで、インターホンが鳴った。
こんな夜更けに誰だろう。
変な鼓動を感じたまま来訪者を確認して、時間が止まる。いつの間にそうしたのか、気づけばドアを開けていた。
「ソテ…っ…」
静かに閉じていくドアを置き去りに、部屋に招き入れたソテツの腕に引かれて唇が奪われる。
逃げないように後頭部に回した手の大きさも、抱き寄せる腕の強さも、重なる唇の吐息もソテツで間違いはない。ただ、どうして突然こんなことになっているのか。それだけが理解できない唯一だった。
「読んだんだろ?」
鼻先が触れるほどの距離でソテツの瞳が問いかける。確信を得ている質問。
どうやら答える時間はくれないらしい。
「あれで結構恥ずかしかったんだぜ」
そういうソテツの声が熱い。密着した心臓が混ざり合うように早鐘を打って、息の仕方を忘れたようにソテツを見つめていた。
「いつも平然と口にしてるじゃないですか」
「紙に書くってことが重要なのさ」
なんとか声は無事に言葉になったらしい。少し体を離したソテツのおかげで、酸素が体に戻ってくる。玄関で二人。見つめ合って止まった時間がくすぐったくて笑ってしまう。
「愛してるって何万回言うよりも恥ずかしい」
「そういうものですか?」
「ああ、だから大事にとっとけ」
その顔を見てわかってしまった。今日、店であまり会えなかった理由を。今夜、こうして不意打ちのように会いに来た理由を。
「ねぇ、知ってました?」
「ん?」
「今日って恋文の日でもあるけど、キスの日でもあるんですよ?」
「だからこうしてキスしに来てる」
「そう…っ…ですね」
どこまで本当で、どこまで嘘なのか。ソテツの内心は計り知れない。それでもきっと、今夜もらった言葉は特別なものだろう。
『いつもお前のことを思ってる』
丁寧に書いてくれた文字の形が、重なる唇と同じように心を熱く染めるのだから。完