番外編
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『たとえ恋人じゃなくても』love晶
首が出るほどバッサリ髪を切らなくても晶は気づいてくれるだろう。そう思っても、こればかりは自分の気持ちのけじめとしてどうしてもやっておきたかった。なんて、古典的な手法に頼った〝らしくない言葉〟が鏡の向こうから聞こえてくる。
「すごくサッパリしましたね」
一仕事やり終えた達成感からか、どこか弾んだ若い店員の声が合わせ鏡で映された後頭部ごと鏡を覗き込んでくる。
「なんだか自分じゃないみたい」
「髪洗ったとき、もっと実感わきますよ」
恐る恐る触れた髪は、先ほど目の横を通り過ぎて床に落ちた長さよりも短く、首というよりかは耳まで見えそうなほど深く切られていた。望んだのは他でもない、自分自身。
「ありがとうございました」
「あ、こちらこそ。ありがとうございます」
「セットの仕方とかわからなかったり、髪の扱いわからなかったらいつでも寄ってください」
えらく愛想のいい笑顔に引きつった顔でお礼を告げたのは、まだ自分の姿に慣れないせい。いや、きっとこれから向かう先にいる存在のせいに違いない。
「今時、失恋で髪を切るなんて」
美容室に入っている間に、街はすっかり夜の匂いを漂わせていたらしい。見慣れたネオンの明かりが街灯の間に揺れて、ヘッドライトをつけた車が忙しそうに通り抜けていく。
「変、じゃないよね?」
クローズと札のかかったショーウィンドウに映った顔は、どこか不安そうな瞳を浮かべていた。無理もない。昨日までの自分とまったくの別人がそこに立っている。どこか接点を探すなら、青い色を差し色に使っているというところだけ。スカートはパンツに、ヒールはスニーカーに、ゆるやかなロングヘアはさっきベリーショートに成り代わった。
携帯の中に映る、ひらひらと女の子らしさを重視した自分の姿とは似ても似つかない。
「メイク、濃くしてきてよかった」
今朝、起きたときにはどうしようもなく泣き腫れていた目を隠すために、きつめに引いたアイラインが短い髪に映えているような気がした。
「はぁ、言い訳やめよ」
鏡の中の自分が気合を入れるように姿勢を正す。そうでもしていないと、すぐに暗闇の中に引きずり込もうとする気持ちに負けそうになる。もう十分泣いた。影がガラス越しに頬をなぞるように手を伸ばす。
「オレも好きだよ」
毎晩のように通ったスターレスで、晶の常套句が自分の望む気持ちを含んでいないと目の当たりにしたのは、昨日の夜のことだった。
「その目、さては疑ってるでしょ?」
いつも決まって同じ席に案内される彼女の存在は、常連客の間では有名な話。よほど大事な客なのか、素性を知らないうえに喋ったこともない相手を気に留めるほどの余裕は、なぜだろう。その日まで、どこにもなかった。
「オレに会いに来たって言ってよ」
外野は視界に入らないのか、たった一人をエスコートするためだけに晶は空間を作り出している。常連客だと自負できるほど、晶を推していると当の本人にも認められるほど、通い詰めていた身分でさえ体験したことのない空間がそこにはあった。
「会いに、来ました」
自分ではない別の声が少し照れたように返答している。そのとき沸いた感情を、嫉妬以外の言葉で表現出来ない自分に腹が立ったことは記憶に新しい。実際、晶にもその怒りをぶつけたように思う。
「なにが、嘘でも嬉しい、よ。晶のバカ」
毎日見ていたはずなのに、一度も見たことのない晶の笑顔。
「あの子より、私の方がずっとずっと好きなんだから」
胸が痛んだのを思い出してショーウィンドウに映った自分の顔がうつむいた。聞かなくてもわかっていた返事を求めて、玉砕した感情がまた視界を歪めてくる。
「ダメ、絶対今日行くって決めたんだから」
うんっと、誰にでもなく自分に言い聞かせるように足はスターレスの方角に進んでいた。
「えっ、ちょ、うわ」
出会い頭の開口一番に見れたその顔で、救われたなどと言ったら笑うだろうか。
「なに?」
「どうしたの、髪ってか、全然雰囲気違い過ぎない?」
「それ、晶が聞いちゃう?」
予想以上に狼狽えた態度に、少しでも晶の中に「自分」という存在が認識されていたことが素直に嬉しい。
「短いのも似合ってるでしょ?」
晶を真似てニカリと笑ってみせれば、なんとも言えない表情で見つめ返される。その顔を見ていたら、どうしようもなく根付いた感情を無視することは出来なかった。
「私、晶が好き。それは変わらない」
今日は勇気を出して来てよかった。
これは私なりのけじめ。だと付け加えなくても晶はもうわかってくれたようだった。
「えー、嬉しいこと言ってくれるじゃん。さすがオレ、人気ナンバーワンって感じ」
「当たり前でしょ。誰が応援してると思ってるの」
にこっと、いつものように笑い返して店内に向かって歩き出す。
「ほんと、ありがと」
そう小さな声で呟く晶の声には聞こえないふりをして、慣れた手つきで席に着いた。
明日も明後日もきっと通い続けるだろう。たとえ恋人にはなれなくても、差し色は青のまま。
完