番外編
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ソテツ『囚われた手の先』
「3」
カウントダウンを決めた声がコンマ一秒を急かしてくる。冬と呼ぶには遅く、春と呼ぶにはまだ早い。曖昧な季節の移り変わり目は、気まぐれな天気を頭上に掲げていた。それでもじっと秒針に習った数をかぞえているには理由がある。
「2」
路地の隙間で待機した身体は、物陰から覗くようにたった一人の帰還を待っているのだから仕方ない。
「1」
予定通りであれば、渦中の人物はそろそろ向こうの電信柱の角を何も知らない顔で曲がってくるはず。いつも通り、何の変哲もない日常だと思っている、はず。そうでなければ困る。こちらには、この日のために準備したモノがあるのだから。
「あ、来た!!」
目論見通り、動かした体に汗をかいたのか、額をぬぐいながら一定のリズムで駆け寄ってくるソテツが見えた。練習前にロードワークに行ってくると、店につくなり着替えを終えたソテツが走りに出かけて一時間。まだ寒さが残る冬の終わりとはいえ、梅の咲き誇る穏やかな日差しは春の気配を与えてくれる。
「ソテツさん」
行方を遮るように飛び出した身体。そして、ソテツに向けて発砲した銃型のクラッカー音。視界を染めるのはカラフルな紐と細かな色紙の破片。
「お誕生日おめでとうござい・・・キャッ」
驚かせようとお祝いのクラッカーを持っていた手に痛みが走ったと思った瞬間、次いで肩に衝撃が走り、気づけば至近距離に息を切らせたソテツの顔があったのだから意味がわからない。ソテツもそう思っていたに違いない。まさか自分が路地裏の壁に押さえつけたのが顔見知りだとは思っていなかったと安易に目が物語っている。
「なんだ、お前か」
はぁっと深いため息が重力に引き寄せられるように下に落ちていく。
「で、こんなところで何やってんだ?」
普段見たことのない気配に息を呑んだとは言えない。元からどこか踏み込ませない一線を感じていたが、今のは明らかに敵意を含んだ鋭利な瞳。すぐに「いつも通り」のソテツに戻ったとはいえ、それに対応できる強靭な心臓は持ち合わせていない。
「聞いてるか?」
顔を覗き込むように問われて言葉につまる。先ほどから無意味に鳴る自分の心拍に気圧されて、何が起こったのか理解するほうが先決のように思えた。
「え、何ですか?」
「聞いてなかったのか?」
「すみません」
捕まれたままの手首がソテツの指先に込められた力の強さを伝えてくる。脈拍が異常に早いことはバレているだろう。そしてその手の中に包まれたクラッカーに視線を流したソテツが、少し眉をひそめて合点がいったようにフッと笑みを吐き出すのがわかった。
「へぇ、俺を待ち伏せて驚かすとは考えたな。まんまとしてやられたってわけだ。で、成功した感想はどうだ?」
「逆に驚き、ました。お誕生日のお祝いをしようって思っただけなんですけど」
「けど?」
「まさかこんなことになるとは思ってなくて」
「こんなこと、なぁ。そりゃなるだろ」
当然のような顔をされても疑問符しか浮かばない。予想の範囲内では、どう頑張っても俗にいう「壁ドン」の形にはならない。どう流れたらこういう形に収まるのか、またひとつ、ソテツという人物への疑問が増えた結果にしかならなかった。
「なりませんよ」
「だが実際になってる」
「そうです・・・けど」
無駄に近いと感じるのも気のせいではないだろう。走り込んできたソテツの熱気が捕まれた手首からも伝わってきて、変に汗ばんでしまいそうで困惑する。
ドキドキと鳴りやまない心音。
このままはり付けにされていては、耐えられない色気に息が止まってしまいそうだった。
「あの、手首痛いです」
なんとか窮地を脱しようと試みた声が震える。
圧力のある目を気丈に見つめ返してみても、内側まで探るように光の差す眼光には勝てそうにない。
「そろそろ、離してください」
「ん、ああ」
ニヤリとあがった口角に、這い上がってくるのは悪寒。
「だけどお前のその顔、痛いってだけの顔じゃないぜ?」
耳元で囁かれる低い声に再び息を呑んだのは内緒の話。それでもきっとバレているだろう。どうすれば目の前の狼に、差し出せるものが何もない赤ずきんだと訴えればいいのか見当もつかない。
「俺の誕生日ってことは、欲しいものをもらってもいい日ってことか」
「あっ、あの。ソテツさん?」
何をどう解釈したのか、独自の結論に至ったらしいソテツの空気が豹変する。
「ちょっ、どこ触っ」
密着した熱気に腰が砕けそうになる。
首筋を撫でる大きな手のひらが、春には早い柔らかな風を連れてくる。
「これから、れっ練習ですよね?」
「少しくらい遅れたってわけないさ」
「でも、あの」
これが現実でなければ何なのだろう。
ただ驚かせようと待ち伏せしていただけなのに、なぜこうなったのかどれだけ考えても理解が追い付かない。何がいけなかったのか。銃型のクラッカーを見つけてしまったときから、こうなる未来は神様に仕組まれていたのかもしれない。
「悪いな。逃がしてやれなくて」
唇が重なる少し前、たしかにそう聞こえたソテツの声は、地面に落ちたクラッカーの音にかき消されるように転がっていった。
完