番外編
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藍×アコースティックフィリア(音響性愛)
『残響の余韻と共に』
薄っぺらな機械の奥から聞こえる呼び出し音がプツリと途切れて「藍さん?」と、遠慮がちに相手をうかがう声を伝えてくる。その瞬間が、たまらなく好き。オレのためだけに発されたような特別を感じて、ゾクゾクと言いようのない悦がこみあげてくる。
「もしもし、ねぇちゃん?」
弾んだ声が出てしまうのは、もう仕方がない。遠く離れていても、今この瞬間、この声を独占している。その事実が何よりも、オレの欲情を煽ってくる。
「別に、特に用事はないんやけど」
ねぇちゃん自身を連れ出そうとか、何か約束を取り付けようとか、本当にそういう用事があって電話をかけたわけではない。ただ、そういう用事がなくてもオレにとっては死活問題と言っていいのかもしれなかった。
「ねぇちゃんの声、聞きたくて」
素直にそう告げてみる。すると、電話向こうの相手は照れたように小さな声で「そんな」と口ごもった。
「ほんまやって、ねぇちゃんの声可愛いからずっと聞いてたいねん」
「またまた、そんなこと言って」
「えー、ねぇちゃん。声可愛いって言われるやろ?」
「そんなこと言ってくれるの藍さんくらいですよ」
「嘘や。世の中の男、ほんまにちゃんと耳機能してんか?」
オレの言葉にクスクスと笑う声が返ってくる。冗談だと思われたのだろう。けれど、決して冗談ではない。ねぇちゃんの声は可愛い。お世辞とか社交辞令とか、口説き文句とかそういうのじゃなくて、ただ単純にオレの耳に響く綺麗な声。オレのものに出来るなら、駕籠の中に閉じ込めて永遠に歌って欲しいと真剣に思っている。そういう意味では小鳥と同義語。でも、小鳥ちゃんなんてリコみたいな呼び方は絶対にしたくない。
「出来ることなら今すぐ会って、本物の声聞きたい」
「え?」
「なぁ、ええやろ?」
「いっ今からですか?」
「アカンの?」
ねぇちゃんがオレからのお願いを断ったことはない。知っていて利用するのはアカンのかもしれへんけど、電話越しじゃない声を聞きたくてたまらない衝動に駆られた以上、口実があってもなくても呼び出す道しか選べない。
「ありがとう、めっちゃ嬉しい。ほな後でな」
切れた電話に胸が高鳴る。ねぇちゃんの声を初めて聞いた時から心地いい音だと思ってた。遠くにいてもすぐにわかる。オレにとっては呼び鈴と同じ。ねぇちゃんが喋るだけで、吸い込まれるように一直線の道が見えるような。そんな感覚。
「あー、ねぇちゃんの声もっと聞きたい」
誰にでもなく雑踏の中でつぶやく。晴れた空が広がっていても、薄暗いビル街の路地までその光は届かない。どこか湿気て、薄暗い壁の隙間ではせいぜい細長い一直線の空が見えるだけ。見上げた空の青は尊いほど透き通って、救いようのない世界に差し込む一筋の希望のように見えた。
「なに余裕ぶっこいてんだ、このクソガキっ」
「おっと。なんや危ないなぁ。おっちゃん、まだヤれるんやったらそう言ってや」
不意に戻って来た現実世界に色が変わる。薄汚れた灰色の景色は赤黒い斑点が飛び交って、血なまぐさい男の臭気に満ちている。一瞬にして記憶は掘り起こされ、つい数秒前まで殴り合いの喧嘩をしていたのだと思い出させてくれた。
「せやけど、ねぇちゃんとの電話、邪魔してくれんでほんまよかったわ。もし邪魔されとったら、遊びじゃすまんかったで」
バキッと骨の砕ける音が拳の先から伝わって、次いでドサリと地面に肉塊が倒れる音が続く。
「なぁ、聞いてくれる?」
呻きながらうずくまる男の耳に語り掛けるように、今、胸中に渦巻いて、誰かに伝えたくてたまらない思いを浴びせるように吐き出した。
「ねぇちゃんの声めっちゃ可愛いねん。こんなむっさい世界に住むオレらにとっては蜜の味っていうか、なんていうか。全然別物って感じで、ずっと聞いておきたいって感覚になるの。それやのにさ、ここんとこすれ違いばっかで全然生で声聞けてないわけ。オレ、寂しくてさ。すっげぇむしゃくしゃしてたの。だから、おっちゃんみたいなエエ鴨見つけてラッキーって感じ」
感情が高ぶると誰かに伝えたくてたまらなくなる。きっと誰にでもある感覚やと思うけど、幾分か吐き出せば冷静さを取り戻せるどころか、もっと興奮するんやからオレの頭はどうかしているのかもしれない。
「ああ、言い忘れてたけど、オレ、潰れた人間の声も好きなんやわ」
音は、本当にオレの好奇心をくすぐって感情を乱してくれる。
「殴らせてくれてありがとうな」
お礼を言って、薄暗い世界から抜け出すことにした。これから会う人は、青い空の下で息をしているのだから、自分もそこに順次なければならない。
「早くねぇちゃんの声聞きたいな。色んな声聞ける仲になりたいって言ったら、どんな顔するんやろ」
想像するだけで楽しみでしかない。けれど約束の場所に向かう前に返り血の付いた手を洗っておく必要はあるだろう。面倒でも光の差す空に赤い血は似合わない。
「待たせてごめんな」って駆け付けて抱き着いた時、どんな声をあげるだろうか。それを考えるだけで顔がニヤけてくる感情を、ねぇちゃんはたぶん知らないほうがいいと思う。
完