番外編
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『素直になれない分だけ』
本当にホールに立っていると思わなくて、その姿を見つけて言葉につまる。今日が何の日か、吉野は関係なく働くだろうとは予想していたが、小さな桃色の髪がホールにいるのを目の当たりにすると少し気持ちが複雑に変わる。
「あ、来てくれたんですか」
ニコリと軽やかな声が聞こえても無視したくなる。
「もう何か注文されました?」
「して、ません」
「そうなんですね。今日は何を飲みますか?」
「飲み、ません」
「え?」
屈託のない吉野の雰囲気に居心地が悪くなる。まるで欲望を持っているのはこちらだけだと突きつけられているようで、素直になれない気持ちばかりが膨らんでいく。
「やっぱり帰ります」
「え、どうしたんですか?」
本当に驚いているらしい。慌てたように追いかけてくる声がパタパタと小走りに駆け寄ってきて、エントランスを出ていこうと席を立った足を呼び止める。
それでも声が追い付くことはない。
さすがに、ここに来た目的を果たさないことに後悔しそうな気がして足を止めた。
「うわぁぁあ」
「きゃっ」
一緒に倒れるのは何度目か。つまづいた吉野の身体が足の間に埋もれて、胸の間にその顔が埋まっている。一瞬何が起きたのか、理解するよりも早く、状況を認識した心臓がバクバクと変な鼓動を生んでいた。
「すっすすすみません、まさかあなたの上に倒れるなんて」
「別に、大丈夫です」
「ケガはなかったですか?」
「大丈夫です」
伸びて来た腕を思わず払いのけてしまった。誕生日にそんな顔をさせたくはないのに、今更払いのけた手をなかったことには出来ない。
「よかったら席に戻りませんか?」
優しい声の吉野に無言でうなずく。二人そろって立ち上がって、結局元の席まで戻る羽目になった。
何をやっているんだろう。
そう自問自答せずにはいられない。こんなことをするために足を運んだわけじゃないのに、全部が空回りして泣きたくなる。
「今日はどうかしたんですか?」
頼んでもいないのにあたたかな飲み物を持って戻って来た吉野の声が追い打ちをかけてくる。
「僕が何か怒らせるようなことしたんでしょうか?」
「吉野さんは、何も悪くありません」
そう、本当に吉野に非はひとつもない。勝手に期待して、勝手に落ち込んだだけのこと。
「ただ、私が一方的にお祝いをしたくて。連絡は一応いれたんですけど返信がないし、こんなに早くからホールにいると思わなくて」
「えっ、僕の誕生日、知ってたんですか?」
心底驚いた顔も見慣れてくれば溜息しか出てこない。もっと前からちゃんと約束を取り付けていなかった方が悪いのだと、自分に言い聞かせるしかない現実を渋々ながら受け入れる。
「今日は天気がよかったので御苑に誘って、これを渡したくて、吉野さんが迷惑でなければって思ってたんですけど」
「うわぁ、嬉しいな。ありがとうございます。まさか、あなたに祝ってもらえると思ってなかったから、なんだか特別なものをもらった気分」
素直な反応に、胸に刺さったトゲが溶けていくような気持になる。
「それに、御苑が好きだっていう話も覚えていてくれたんですね」
向けられる笑顔にイヤな気はしない。先ほどまでの態度を気にもしていないだろう吉野に、一生勝てない無言の敗北を悟るほかない。
「僕にはその気持ちが何より一番の贈り物です」
裏表のない言葉が嬉しくて、顔が赤くなるのがわかった。
「あの、次の休みの日に僕から誘ってもいいですか?」
遠慮がちにかけられた声に、断る理由などどこにもない。ただ本当にいいのかと不安の瞳で見つめてしまっていたのだろう。「あなたの時間を僕にください」と真剣な顔の吉野に胸が高鳴る。
「もちろん、です」
「よかった。それから、実は内緒でケーキを作ってもらったんですよ。一緒に食べてくれますよね?」
「いいんですか?」
「一人で食べるよりもあなたと食べた方が美味しいから」
どこまでも可愛く笑う吉野につられて、素直な感情が湧いてくる。
「吉野さん、好きです。お誕生日おめでとうございます」
声は震えてしまっていたかもしれない。半分泣きそうな顔をしていたかもしれない。それでもどこか照れたように頬を赤らめた吉野の姿を見て、笑わずにはいられなかった。
完