番外編
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『奪った代償は高くつく』
紫色の結晶に飲み込まれるなら、きっとこういう感覚なのかもしれない。徐々に意識が薄れて、朦朧としながら、途切れる酸素を求めて喘ぐ口がふさがれる。苦しいとか、怖いとか、そういう感覚ではなく、ただただ綺麗だと溺れるように沈んでいく不思議な錯覚。
「姫、もっと頂戴」
耳に残る高音に、下半身を疼かせる余韻が全身を震わせる。掴まれた顔に逃げ場所などどこにもないのに、噛みつくように唇を奪ってくるモクレンの手首を気づけばずっと握りしめていた。
「っ…~ぅ…はぁ…ぁ」
どうしてこんなことになったのか、おぼろげな記憶では状況の把握もままならない。鍵の閉まったレッスン室で二人きり。壁際に追い詰められた形で酸素不足にさせられるなど、数時間前には想像もしていなかった。貪欲な狼。薄くて熱い舌が口内を犯してくるせいで、先ほどから耳に響く卑猥な音が気を狂わせてくる。
「いいね、その顔。もっと見たい」
「ンッ…ぁ…っ待っ」
足の間にモクレンの体が滑り込んで、抜けた腰ごと床にずり落ちる。真上から追いかけてくるモクレンの唇は、まだ顔を離してくれない両手ごと、一緒に上から降り落ちて来た。
酸素不足で呼吸がうまく続かない。
ぐちゅぐちゅと溶けそうになる脳が抵抗を放棄したところで、ようやくモクレンに声が届いたようだった。
「待っ…て、モク…レ…ン」
「ん、なぜだ?」
半分以上覆いかぶさる形でモクレンの動きが止まっている。これ以上続けられたら確実に心臓が止まりそうだというのに、相手は息ひとつ乱れないのだから理解に苦しむ。さすがダンサーというべきか、どんな体制も、どんな運動も彼の手にかかれば魅力的にこなす魔法のひとつでしかないのだろう。
そう思いながら呼吸を整える間、じっと見上げていたのがいけなかったらしい。
「誘う方が悪い」
「誘ってなんか…ッ…ませ」
「そうか?」
遠慮のない唇は、また断りもなく襲ってくる。一体何が琴線に触れたのかはわからないが、欲情を煽ってしまう原因はこちら側にあるとモクレンは主張する。
「その顔、その声、全身で誘っているようにしか思えない」
言いがかりも甚(ハナハ)だしい。
そもそも練習に付き合えと誘ったのはモクレンの方で、半ば強引にレッスン室に連れて来たのもモクレンだったはずだ。
「モクレンさんがダンスの練習をするっていうから」
「ああ、たしかにそう言った」
態勢を変えないまま、いつもの真顔でモクレンはうんっと頷く。
「社交ダンスもどうにか組み込もうと思って協力を頼んだのは認めよう」
そしてニヤリと口角をあげて、顔を近づけて来た。
「じゃ、どう…ッて…ぁ…キスなん、か」
「君の唇が誘うからだ」
「ぁッン…や、ま…っ…モク…ぁ」
このままでは冗談抜きで食べられてしまう。それなのに危機感を訴える脳や、警鐘を鳴らす心臓に反して、体が溶けてしまったみたいに言うことを聞いてくれない。モクレンの行為を許すように、もっと欲しいと心のどこかが願っている。
「イヤなら逃げればいい。頬でもなんでも引っぱたいて、誰かを呼びに行けばいい」
「そ…っ…んな」
「幸い、今の時間なら外に出れば誰かいる。知っていて、そうしないのに説明がいるのか?」
モクレンの言う通りなのだろう。
ただ認めたくないのは、その先に行けば帰ってこれない事実に向き合うのが怖いだけ。
「ダンス以外で真剣に手に入れたいと思える感情が芽生えるとは」
クックッとのどの奥で笑う目の前の悪魔が、心身無事に返してくれるとは微塵も思えない。むしろ、その紫色の瞳の中で永遠に捕らわれの身になるほうがしっくりくる。
「それがどれほど大変なことか教えてやろうと思って」
もう十分に理解した体が、ついに観念したように脱力していく。
「いいか。そんな顔を私以外に見せるな」
願うことなら、そうありたい。
「わかったら、もう少し。私の好きにさせろ」
鍵のかかったレッスン室がこじ開けられるまであと少し、閉じた瞳に降り落ちてくる甘くけだるい感覚の中で、聞いたことのない吐息の夢を見た。
完