番外編
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『素直になれたら』
軽口を叩いていれば紛れる気もある。
誤魔化していれば見つからない感情もある。
隠すなら鍵のない宝箱へ。例えば誰かに見つかったとしても、誰がいれたかわからないほど、古くてさび付いたくらいが丁度いい。
「はぁ」
喫煙場所で吐き出した煙が勢いよく白に染まり、次いで空に吸い込まれて灰色に変わる。
「天気、あまりよくないですね」
「うわっ、あっつ」
「え、大丈夫ですか?」
突然真横に立っていた気配に驚かない方が無理だと、動揺した晶は自身の指先に触れたタバコの火を地面でもみ消す。空と同じ灰色のコンクリートは、靴底に混ぜられて変な跡を描いていた。
「指、大丈夫ですか?」
「えっ、あ、ああ。平気平気、これくらい」
「すみません、驚かせてしまって」
「いいの、いいの、気にしないで」
伸びてきた指先に大げさな素振りをして距離をとったのは自衛のため。もう一本取り出しながらおもむろにライターで火をつける。
「オレよくやっちゃうんだよね」
煙と一緒に適当に笑って流しておけば、大抵は引かれた境界線を認識して立ち止まる。それ以上はダメだと、安直に伝える笑顔があるとすれば、今まさに晶はそんな顔をしているだろう。
「だめですよ。やけどしていたらどうするんですか?」
「いや、危ないから」
仮にも火を持っている相手に、無防備な腕は遠慮を知らない。逆にこのまま火傷をさせるなんて事態が起これば、それは考えるだけで恐ろしい結末が待っている。
「どうかしたんですか?」
ぶんぶんっと恐怖の想像を打ち消すように首を振った晶は、あまり理解していなさそうに傾いた顔が、疑問符をぶら下げているのを見つけた。
「本当に大丈夫だから、ね」
また、一線を引く。
警戒心をどこかに置き忘れてきたのか、当然のように隣に立つ女の子は「大丈夫だったらいいんですけど」と、少しふてくされた声で横に並びなおしていた。
腕を伸ばせば簡単に届く距離。
煙であれば無造作に近寄って抱き締めることができるのに、今の場所では触れることはおろか、溢れる感情を伝えることさえ叶わない。
「はぁ」
どうしたものかと、タバコの煙に見せかけて晶の息は曖昧な煙を吐き出していた。
* * * * * *
いつもの場所で一人、らしくない晶を見かけて近付いた。別に驚かせるつもりはなかったのに、心底ビックリしたような晶の態度が罪悪感を連れてくる。
「すみません、大丈夫ですか?」
純粋な心配が拒絶されたせいで、咄嗟に伸ばした指先は行き場をなくしたようにギュッと握りしめることしかできない。最近、どうも晶と変な距離を感じる。
「大丈夫だったらいいんですけど」
もしかして、一人の時間を邪魔されたことを怒っているのだろうか。それとも、なにか悩みがあるのだろうか。悩みなら打ち明けてほしいが、よく考えてみれば、それを気軽に相談するにはもっと他に適役がいるだろう。
結局何も口にできないまま、再び空に顔を向ける。いつも通り、タバコはまた晶の唇の中で溶けて、吐き出された風が空に漂って消えていった。
「今日は黒曜さんのじゃないんですね」
嗅ぎなれた匂いの違いくらいは把握できると、話題を向けて言葉に詰まる。いつの間にじっと見つめられていたのか、あまりに綺麗なその眼差しに、見惚れてしまったと言ったらどうするだろう。
「うん、ちゃんと買ってみたから」
「そ、うなんですね」
「この匂い、嫌いだった?」
「いえ、別にどれを吸っていてもかっこいいというか」
しどろもどろになる言葉が続かなくて気持ちが焦る。何と答えるのが正解なのかがわからなくて、見当違いな返答ばかりがぐるぐると浮かんでは消えていく。
「ねぇオレの歌、ちゃんとキミに届いてる?」
「はい、届いてますよ」
「ふぅん。じゃあさ、今のオレの気持ち当ててみてよ」
悪戯にあがった三日月形の口角に、いつもの調子が垣間見える。よくホールで不特定多数に見せるのと同じ顔。本音を別の場所へ隠してしまったような曖昧な口調。こういうときは、素直に答えるべきか言葉につまる。
「今の気持ち、ですか?」
どう答えるべきか、言葉を探してさまよう視線はきっと面白いくらいに泳いでいたに違いない。
「そう。オレがどんな気持ちでキミを見ていて、どんな気持ちで歌ってるか。届いてるなら簡単でしょ?」
距離を近づけて微笑む顔が妙に怪しい。煙草を持つ手とは逆の手で、頬に触れる指先。その指先が軽く唇に当たっているのはわざとなのか、偶然なのか。
「なんてね。あ、もしかして真剣に考えちゃった?」
「またからかったんですか!?」
「あまりにキミが可愛いから。それよりさ、こんなところでオレなんかと一緒にいていいの?」
そう言われて促された先では、迎えに来てくれたらしい影がひとつ。
「次は、オレにエスコートさせてね」
余裕の顔でウインクまでしてきた晶を物言わぬ顔で見つめてから、そっとその場を後にした。
* * * * * *
静寂が戻った喫煙場所でひとり、晶の髪が無造作に揺れる。
「ねぇ、オレを好きになってよ」
その一言が吐けたらどれほど楽になるのだろう。
「歌にしか出来ないって、どうなのよこれ」
初めての感情に戸惑った息が彼女の背中を見送って苦笑する。玉砕覚悟で伝えるなんて馬鹿げてると頭のどこかでわかっているのに、いつも伝えたくてたまらない気持ちに駆られてしまう。
「あーあ。オレって面倒くせぇ」
乾いた笑いが湿った空気の中にこぼれていった。
日々、募(ツノ)っていく気持ちに歯止めがきかない。煙にのってたどり着いた先で不確かな感情が雲にでもなったのか、溢れる思いの滝のように雨が降り始める。
「もしもこの重い雨をキミが受け止めてくれるなら」
でたらめのメロディーに乗せた、でたらめの歌詞は誰にも届かない。それでも晶は歌を歌う。
その声で、その唇で、触れることが出来なくなった遠い存在を思いながら。
「キミが残した温もりに、答えのないキスを贈ろう」
完