番外編
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チームK公演『愛を求めて』
原作:人魚姫
(配役)
人魚の王子:ギィ
人魚の王:ケイ
セバスチャン:銀星
カモメ:ソテツ
人魚の悪魔:吉野
シンガー:吉野
* * * * * * *
ひどい嵐の夜だった。
潮風は荒れて帆船を叩きつけ、波は高くうねりを繰り返す。暗闇にとどろく雷鳴。右へ左へ揺れた船はなんとか持ちこたえるも、あらゆる装備を海へまき散らし、やがて一人の少女までも攫って行く。
「ねぇ、だいじょうぶ?」
恐る恐る近づいたギィは海に浮かぶ少女にそっと声をかけた。反応はない。そのとき唐突に人魚とは違い、二本足をもつ人間は海の中では生きられないことを思い出した。
「どんどん冷たくなってる」
抱き寄せて青白い顔を再度覗き込んで確信に変わる。ギィは少女を抱きしめると、腰から下にはえた、しなやかな尾ひれを動かして陸へと急いだ。
「よかった。もう安心みたい。気にしないで。僕はただ運んだだけ」
水を吐き出して咳き込んだ少女は、瞳を閉じながら苦しそうに眉をしかめている。名乗るつもりはどこにもなかったが、ギィは少しでも彼女の苦しみが和らぐようにと優しい声で祈りを歌った。
そこへ複数の人間の気配が近づいてくる。
慌てて海へ戻ったギィの見つめる前で、少女は複数の大人たちに介抱されて連れられて行く。水面から幾度となく目にした巨大な城。そこへ消えていく少女たち一行を見届けた後、ギィは無言で海の中へと帰っていった。
「あ、ギィ。どこに行ってたんだよ」
「銀星。人間に会ったことある?」
「まさかまた海の上に行ってたのか?」
腕を組んで帰りを待ちわびていたらしい銀星に、ギィは首を縦にふってその質問に答えた。海の上に行くことは人魚の世界では禁忌とされる。わかっていて行ってしまったのは仕方がないが、嘘はつけない。
「海が、荒れてたから」
「ひどい嵐だったからな。この海の底までは影響がないからって、そうじゃなくて。ギィ、あれほど海の上に興味を持つなって言ったのに、どうして行っちゃうかな」
「ごめん、銀星」
「まあ、無事に帰ってきたなら今回はそれでいいよ。だけど海の上は危険なんだ。特に人間は信用できない、いいか、もう絶対に行くなよ」
「どうして銀星はそこまで人間を嫌うの?」
「嫌ってるんじゃなくて危険なんだって。それより今夜は大事なパーティーだ。ギィも出番があるだろ、ケイが期待してる。失敗しないようにしないと」
前を泳ぐ銀星の声が水中を漂う線になって揺らめいている。その線を目で追いながらギィは「わからないな」と小さな呟きを置き去りにして、その場からそっと泳ぎ去っていった。
「どうして銀星は人間を嫌ってるの?」
その答えは誰にももらえない。
「危険だから嫌うの?」
静寂な海の底では独り言さえただの泡に変わる。
「人間は弱い。彼女が危険だなんて僕は思えない」
先ほど海の上で触れた少女は柔らかく、簡単に命を落としてしまいそうなほど儚い気がした。城に消えていった少女の感触が腕から消えてくれない。ギィは何度も自分の手を見つめてその少女の面影を思い出していた。
「す、すみません。ケイ、さっきまでたしかにギィはいたんですけど」
「言い訳はいらぬ」
海の底の神殿。人魚の王が暮らす豪華な場所で今夜は大事なパーティーが開かれる。主催者は他の誰でもなく、人魚の王ケイ。人魚の中でもとりわけ美しい歌声をもつギィは、そこで一番重要な役を任されていた。
「銀星、ギィをここに連れて来い」
今すぐにと付け加えられれば、銀星に反論の余地はない。明らかに激怒しているケイの顔をまともに見ることも出来ずに、銀星はギィを探しに海の中を泳いでいった。
そのころ、ギィは懲りずに海の上に顔を出していた。空には丸い月が浮かび、あの少女が眠る城が美しい輝きに照らされている。
「なんだギィ、珍しいな」
「ソテツ。どうしたの?」
海から顔を出した岩場へ舞い降りるように空からの声はギィの横に腰をおろす。鳥は人間の世界に詳しい。海の底とは違い、欲しい答えを持っているかもしれないとギィはソテツに先ほど銀星にしたのと同じ質問を繰り返した。
「どうして銀星は人間を嫌ってるの?」
「銀星と喧嘩でもしたのか?」
「ううん。銀星は人間が危険だから海の上には行くなって言う。だけど僕は人間が危険だとは思えない。あの子は、城で眠る彼女は柔らかくて弱かった」
手の平に残る感触を確かめるようにギィは呟く。それをどう思ったのか、ソテツはにやりと意地悪な笑みを浮かべて「それは危険だな」とギィに告げた。
「危険、どうして?」
「人魚が人間に恋をしちまったからさ」
「恋、それはなに?」
「心臓が燃えて狂っちまう。人間はその恋という病に侵されて地位も名誉も捨ててしまうらしい」
「僕は病気?」
「そうだな、かかっちまったのかもしれないな」
「僕は死ぬの?」
「いや。たしかひとつだけ方法がある」
「それはなに?」
「同じ人間になることだ」
そう言ってソテツは空に飛んでいく。星のように小さくなっていくソテツを見つめていたギィは、やがて何かを決めたのか音もなく海の底へと消えていった。
* * * * *
夜の海は暗い。ただでさえそうなのに、海の悪魔が暮らす海域はさらに暗い気配で満ちている。
「ギィ、珍しいね。キミがこんなところまで来るなんて」
「吉野。お願いがあって来たんだ」
「お願い?」
他の人魚たちが煌びやかな尾ひれを持っているのに対し、この海の悪魔はタコのように醜いひれをもっていた。誰もが恐れ、誰もが近づかない危険人物。けれど海の底で暮らす住民の中で吉野だけが人間の足を与えてくれる唯一だった。
「僕は人間になりたい」
開口一番にそう決意を見せたギィに、吉野の顔は驚きにひらめく。
「どうしてまた人間なんかに、いや、待てよ。わかった、ギィ。人間に恋をしたんだね」
「恋、ソテツもさっきそう言ってた」
「人間の足を欲しがる人魚の理由なんて大抵そんなもんだよ」
「そうなの?」
「うん。で、ギィ。キミは何と引き換えに足を手に入れるつもり?」
「何を引き換えにすればいい?」
「そうだな。じゃあ、その声にしよう」
「声、声が無ければ歌えない」
「歌はなくても足は手に入る。ギィが欲しいのは足、僕が欲しいのは人魚として最高の歌声」
「わかった、それでいい」
「交渉成立だね」
吉野が差し出してきた怪しげな紙にサインをした瞬間、ギィの口から歌が溢れて変な貝殻に吸い込まれていく。悪魔との取引。それが成立したということはギィが人魚から人間に変わるということ。
「さあ、陸まで早く泳がないと。人間は海の中で息はできない。それから大事なことをひとつ言い忘れていた。ギィ、恋した相手と三日以内に結ばれなければ海の泡となって消えてしまうよ」
尾ひれから足に変わる下半身が熱くて熱くてたまらない。それでも吉野の声を聞きながら泳ぐギィは必死に足を動かして海面を目指していた。あれだけ味方だった水が今は怖い。苦しくて、引きずり込まれそうになる力から這い上がるように、ギィはなんとか彼女を救った例の浜辺へとたどり着いた。
「お前、本当に人間になったんだな」
息をすることに必死で、朝日を浴びて煌く浜辺に倒れていたギィはその声を聞くなり意識を失っていた。
「ここは?」そう口にしようとして声が出ないことに気づく。そうだった。足を手に入れる代わりに吉野に声をあげたことを思い出したギィは、慣れない体を確認するように胸に手を当てて周囲を見渡す。
海の底とは違う人間の世界。岩ではない羽で出来たベッド、珊瑚ではなくガラスで出来た照明、海藻の代わりに布で作られたカーテン。想像していた以上の世界が広がって、言葉に詰まる。
「よぉ、目が覚めたか?」
窓の柵に腰かけるのはソテツ。
「覚えてないか。ここはお前が恋したあのお姫様が住む城の中さ。しかし、本当にあの吉野と契約して人間の足を手に入れるとはな。どうだ、人間になった感想は?」
声が出ない以上、首をかしげることでしか答えられない。
「へぇ、声を対価にしたのか。吉野もとんだ悪魔っぷりだな」
水とは違う重力の世界。うまく両足で立つことが難しいのか、ギィは何度も転びながら人間の身体を感覚として会得しようとしていた。それを曖昧な視線で見つめたあと、ソテツは「ま、せいぜい頑張れよ」と羽を広げて飛んでいく。どこへ行くのかはギィも知らない。ソテツはいつも急に現れて、急に消えていく。
そこから三日。
ギィにとっては幸せ過ぎるほど幸せな時間を過ごしていた。声がなくても意思疎通によって仲を縮めた関係は、少女とギィを温かな世界で包んでくれた。ギィの知らなかった世界。海の底からあこがれ続けた陸の世界は、何物にも代えがたい素敵なものだった。
「ギィ、ここにいたのか」
三日目の夜、船上パーティーに招かれていたギィが一人喧騒を離れて見つめた海面にその顔は現れる。
「随分と探したんだ。本当に人間になっているとは思ってなかった」
「ギィ、貴様、自分が何をしたのかわかっているのか?」
たった三日離れていただけなのに、彼らと共に過ごした海の時間はもう随分と昔のような気がする。
「少女は人間の王女。彼女は今宵、他の王子と結婚するそうではないか」
ケイの言うとおり、今ギィの乗っている船の上では王女と王子の結婚パーティーが執り行われている。王女と過ごした三日間はたしかにギィにとってかけがえのないものをくれたが、それが必ずしも実を結ぶとは限らない。
「吉野に頼んでお前を人魚に戻してくれる方法を聞いてきた」
銀星が海面から投げてよこしたのは月の光を受けて不気味に輝くナイフだった。
「姫を殺してその血を浴びれば人魚に戻れる。帰ってこい、お前の住む世界はこの海の底だろ」
「ギィ、貴様の答えがどうであれ俺はすべて見届けよう」
銀星とケイの顔が波間に消えて、ただの潮風だけがギィの頬を撫でる。手にしたナイフは冷たく、昔、まだ人間という存在を知らない頃に海の底で手にしたものよりも随分と鋭利な気がした。これで王女の柔らかな肌を突き刺せば、簡単に殺せるだろう。人魚に戻り、もう一度海の底で暮らす希望がギィの手に残っている。
「面白いことになってきたじゃねぇか。ほら、吉野が歌うぞ、ギィ。もとはお前のもっていた歌だ。姫がどう聞き、お前がどう判断するのか、海はまた物語を届ける」
どこからともなく現れたソテツが示す通り、吉野の歌声が聞こえてくる。
知りたいと思ったキミのこと
追いかけて来たんだ歌を捨てて
ああ、新しい世界は
こんなにもキミで溢れてる
あの道はどこに続いているの?
あの花はなぜ咲いているの?
答えを告げるキミの唇は
なぜこんなにも柔らかいの?
あの夜さえなければ
互いを知らずにいられたのに
あの夜さえなければ
海の底でキミを知らないまま
漂う波に身を焦がして
僕のものに出来るなら
僕のものに出来たなら
この手で奪いつくして
赤く染まる泡になろう
「ねぇ、僕はどうすればいい?」
幸福な笑みを浮かべる王女に問いかけるギィの声は届かない。ギィの声を奪った吉野の歌だけが夜の海に響きわたり、まもなく選択の期限が迫っていることを伝えていた。
恋した人魚は何を選ぶのか。
「泡となって消えればキミは悲しい?」
それはギィだけが知っている。海がみた物語。
完