番外編
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時折、頬を撫でる風が鋭さを増して吹き抜ける路地裏の一角。柱の影に隠れるように息をひそめなければならない理由などどこにもないはずなのに、現に息をひそめてやり過ごしているからにはわけがある。
「ごめん、あんたを巻き込むつもりはなかったんだ」
抱き締めてくる腕は想像以上にいい香りがして、至近距離で見ても綺麗な顔は困ったように謝罪を口にしている。
「い、いえ」
まともに見ていられなくて顔をそむけた。ぴたりと密着した銀星の鼓動は冷静に一定の感覚を刻んでいる。それが余計にこちらの緊張を煽っていることなど、彼はきっと気づきもしないだろう。
「もう大丈夫かな?」
「えっと、ど、どうですかね?」
銀星の腕の中から路地の外に視線を向ける。
代り映えのない街はいつも通り人が行き交い、車が不定期に走り抜けていく。何が大丈夫なのか銀星の判断基準はわからないが、第三者から言わせてもらえば「大丈夫だろう」と判断できる様子だった。
「大丈夫そう、ですね」
息を潜める銀星の代わりにそう判断したことを告げる。
「本当?」
また更に抱きしめる力が強くなった銀星の腕に、体が硬直していく。これではどちらが守られているのかわからない。こうなった原因を探る記憶が正しければ、隠れなければならないのは銀星のほうだったはずだ。そう。あれは丁度、立ち寄ったカフェから出てすぐのことだった。
「銀星さん?」
「うわっ、姫!?」
見慣れた銀色の髪がまるで不審者のように柱の影に隠れていれば、一体何事かと声をかけないほうが無理だろう。
「ちょ、姫、こんなところで何してるの?」
「それはこっちの台詞ですよ。こんなところで何してるんですか?」
思った以上に焦った銀星の顔に、あまりいい予感はしない。まずいところに遭遇してしまっただろうかと、先ほどまで銀星が真剣に見つめていたものを覗き込んでみた。
「なに、見ていたんですか?」
「なにって」
しどろもどろになる銀星の様子に触発されても、彼がそうなる原因らしきものは見当たらない。いたって普通の日常。一番おかしいのは、周囲ではなく銀星だとすら思えてくる。
「ふふ」
「え、なに?」
警戒心を全身に宿したまま背後から同じように前方を覗いてくる銀星の熱意がなんだかおかしくて笑えてくる。本人は気づいていないようだが、まるで借りて来た猫のように張り詰めた空気が可愛かった。
「眼鏡までして、変装でもしてるんですか?」
「そうだよ」
「え?」
まさかの予期しない返答に笑いが止まる。一体どうして変装してまで街にいるのか「さっきそこで買ったんだ」と言葉だけ投げてよこす銀星の態度に、ただ事じゃない気配を感じ取る。
「どうして変装なんて、もしかして私のせいですか?」
不本意ながら狙われている身としては、自分以外の誰かに危害が及ぶようになったのではないかという心配が一番に浮んだ。けれど、実はそうではないらしい。
「いや、あんたのせいとかじゃないから。ほんと、えっと。はぁ、見られたらしょうがないか。あのね、逃げてた」
「え、誰からですか?」
「ほら、この間の対決でちょっと」
そこから先の言葉を濁した銀星の顔に察しがつく。一部の界隈でアイドル並みに人気の出た銀星は、ついに店の外でも頻繁に声をかけられるようになったらしい。
「多分じきに飽きるだろうけど、あまりに多くてちょっと困ってたとこ」
顔で認識されるのを極端に嫌っているせいか、神経がすり減っているような印象を受けた。それはメガネを衝動的に買ってしまうはずだと、同情の息がこぼれてしまう。
「銀星さん、はい」
「わ、姫。ちょっと」
「私のマフラーを貸してあげます。これで顔の下半分を隠せば大丈夫ですよ」
「いや、あんたが風邪ひくといけないからダメだって」
「大丈夫です、こう見えて私頑丈ですから」
そう言って銀星の手を引いて歩き出す。あの場にずっといるよりは、移動した方が警戒は少なくてすむ。そう思って歩き出したのに、銀星はどうやらそうではなかったらしい。
「姫、こっち」
「きゃっ」
「お願い、静かにしてて」
身を潜ませる銀星の行動に引き寄せられたまま抱きしめられて今に至る。銀星が警戒したように、隠れてすぐに銀星のファンらしい集団がどこかへ駆け抜けていったが、こちらはそれどころではないと叫びたい。無意識に抱きしめているのか、銀星の鼓動が近くて熱が出そうになる。ドキドキと鳴る心臓が口から出そうで耳まで赤く染まっていく。
「ごめん、あんたを巻き込むつもりはなかったんだけど、もう大丈夫かな?」
「大丈夫そう、ですね」
「本当?」
誤魔化すように視線を向けた街並みから視界を戻したところで息が止まる。
「うわ、ごめん」
唇が触れるか触れないかの距離に顔があったのはさすがにちょっと驚いた。
「姫、ごめん。俺、もしかしてずっと抱きしめてた?」
「そっ、そうですね」
「あー、もう。なんであんたにはこんな情けないとこばかり見られちゃうかな。ごめん」
ごめんと謝りながら一向に腕の力は弱まらない。むしろ今までの感覚を取り戻そうとしているのか、頭まで胸に押さえつけるように抱きしめなおすのだから混乱が思考を奪っていく。
「姫っていい匂いがするよね」
「え、え?」
「なんだか落ち着くから、もうちょっとだけこのままでいい?」
メガネ越しに見つめてくる眼差しがいつもと違った熱を連れてくる。
冬の日没は早い。物陰で抱き合う男女に目をくれる人がいるはずもなく、影が溶け合うまであと少し、銀星の腕の中で過ごす時間はそれほど長くもないだろう。
「ありがとう。あんたがいてくれて助かったよ」
そう囁く銀星の声に安堵が滲むならそうなのかもしれないが「よかったですね」と見上げた声は、影が溶け合う前にその唇に溶けて消えていった。
完