番外編
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『たしかな腕の中で』
目が覚めたはずなのに、思考がうまく働かなくて全身がだるい。二日酔いに似た気分の悪さに見舞われながら体を動かそうとして初めて、自分の置かれている状況を認識する。
「おい、ねーちゃん。ジッとしてな」
塞がれた視界、布をかまされた口。手足を縛る細い縄はきつく肌に食い込んで、事態の仄暗さを安易に伝えてくる。そう遠くない男の声は低く、少なくても一人ではない気配が漂っていた。
「本当に大丈夫なんだろうな?」
「大丈夫だって、羽瀬山のシマから出ればこっちのもんだ」
「しかし、信じられねぇな」
顔も名前も知らない無骨な指先に顎が掴まれる。抵抗に暴れたくても、全身を襲う変な倦怠感がそれを許さない。恐怖に歯を鳴らすことも出来ずに、ぐったりと力の抜けた体が男の行為を許していた。
「こんな普通の女が、俺たちを大金持ちにしてくれるとは」
「ああ、大事な商品だ。丁重に扱わないとな」
「今夜のオークションは荒れるぜ」
クスクスと肌にかかる笑い声が気持ち悪い。
微妙な振動と感覚から、どうやら車でどこかに運ばれている際中らしい。男たちの会話を聞いていると、今夜行われる闇オークションの景品のひとつとして「ブラックカードの女」が出品されることは、内密に進行されている計画ということだった。
冗談じゃない。
いつも通りにスターレスへ向かっていたはずだった。
人通りの多い道を歩き、暗くて危ない道は避け、多少遠回りしてでも安全を意識して選んだ道を歩いていたはずだった。それなのに、どうしてこういう状況になっているのか。思い出そうとすると頭痛が走る。
「ねーちゃんも恨むなら自分の運命を恨むんだな」
男が言うには、ブラックカードとそれを持つ女は高値で取引される今夜の目玉で、一部の界隈では流行最先端の話題らしかった。色んな組織が狙っているが、スターレスという店を中心に、羽瀬山の仕切っているシマ一帯はガードが固くて手が出せずにいたという。
「それに、狙われてるっていうのに無防備なのはどうにかした方がいいぜ」
「俺たちがそれを言うのか?」
「はは、違いねぇ」
億以上の金が動く話。物騒な雰囲気を出せばそれだけで摘まれる芽も街に溶け込んでしまえばわからない。
「これからは道を聞く観光客にも気をつけるんだな」
その一言で思い出した。
人通りの多い交差点。信号が赤から青に変わる少し前、道を聞かれて覗き込んだ地図のような紙で口を塞がれたところからの記憶がすっかり抜け落ちている。
「ッ!?」
いっきに現実味が増した感覚に背筋に悪寒が駆け抜ける。今までどこか夢の続きのような曖昧な世界でしかなかったものが、唐突に痛みと恐怖を連れてくる。
「大人しくしてろ。俺は商品に傷をつけたくねぇ」
「・・・ッきゃ」
「おいっ、あぶねーな。運転くらいちゃんとしろよ」
石か何か踏んだのか、ボンッと跳ねた後輪のタイヤに驚いた車が急停車した。
「なにやってんだよ」
アゴをつかんで流暢に語っていた男が離れて、運転手を覗き込む。苛立った口調をみると、想定外の事態になったことはすぐにわかった。
「わっ悪い。けど、なんでだ。全然車が動かねぇ。パンクか?」
「こんな山道で事故とか勘弁してくれよ」
「ちょっと見てくるわ」
「ったく、しゃーねぇ」
車の開いた音は嗅いだことのない匂いを連れてくる。深い森の匂い。街とは違う夜の冷気が鼻腔に漂って、本当に誘拐されたのだと伝わってくる。
ここで逃げ出せたら助かるかもしれない。
場所もわからない山奥、縛られた状態で二人の男から逃げる方法はわからない。せめてこの倦怠感がなくなればいいのにと、眉をしかめたときだった。
「どうした?」
聞き慣れた声が耳をかすめる。そんなはずはないのに、優雅な低音が風の隙間から聞こえてくる。
「ああ、なんだてめぇ」
「俺はこの先の山荘に用があって通りがかった者だ」
「おっおい、参加者の一人じゃねぇのか?」
「え、あ。すっすみません。ちょっと、荷物を運んでいたら車が故障してしまったようで」
喧嘩腰の男たちが手の平を返したように丁寧な口調で語りだす。目の前に現れた人物が放つ威圧感に、完全に闇オークションの参加者だと認識したようだった。
「それは重篤だな。よければ手を貸そう」
「いや、大丈夫なんで」
「遠慮は必要ない」
「なっ、ちょ。てめぇ、なにしやがッ」
風に乗って聞こえてくる音が明らかに優しくない。時々車体がぐらついたが、数秒間の横行は不気味な発砲の音で静寂が訪れる。
「ケイさん!?」
芋虫のように車内に転がり、口に噛ませられた布のせいで、名前を呼んだその人物の声がかき消される。
イヤな考えが胸中を駆け巡り、鼻から漏れる息が短い間隔を刻み始めたところで、なぜかふわりと身体が浮いた。
「ふ…っ…ぅ」
優しく取り払われた視界に映った姿に、涙がにじんでぼやけていく。
「すまない、遅くなった」
いつも崩れない余裕の表情に、少しだけ見たことのない焦りと安堵が滲んでいる。晴れた空の青の瞳にうつるボロボロの女。随分と心配をかけたのだと、胸が熱い痛みを訴えてくる。
「もう大丈夫だ」
解放された手足は自然とケイを求めてしがみつく。決壊したダムのように溢れて来た嗚咽ごと求めたその腕は、ケイの香りに全身を包んでくれるようだった。
「くそっ、やはり足に撃つだけでは気が収まらん」
お姫様抱っこのように車中から救出されたケイの腕の中からその声を聞く。
暗い山道ではよく見えなかったが、悪事を働いた者たちにはそれ相応の制裁が下されたようだった。これ以上、何を行おうというのか。その先を考えたくなくて、思わずケイを無言できつく抱きしめた。
「ああ、そうだな。早く帰ろう」
額に口付けるように落ちてくる優しさが心地いい。
安心できる声は、薬に侵された体に眠気を誘ってくる。緊張感で冴えていただけの思考は、その日の出来事をそこで完全に閉ざすことにしたらしい。
「男の手に触れられるのは嫌だろうが、今は俺の手に守られていてほしい」
ケイの腕の中で「はい」と答えながら見る夢からは、今度こそ安全に目覚めることが出来るだろう。
恐怖も嫌悪も忘れるほど、甘い気だるさを伴って。
完