番外編
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『ある日の密談にて』
目を閉じて思い出す記憶は、いつも黒く塗り固められている。風景も顔も名前も、自分が本当は誰なのかさえ釈然としない曖昧な世界。それでもただひとつ、残った記憶だけが色鮮やかに瞼の裏に散っていた。
「おやおや、また小鳥のことで思考を満たして」
真意のない柘榴の言葉が、ひとり譜面とにらみ合うケイの背後からかけられる。シンプルな調度品だけが置かれた部屋の一室。高層ビルで埋め尽くされた都会の街を一望できる密室で、二人は互いに一方通行の視線を送っていた。
「聞こえぬほど集中し、そこに何を思うのか」
クスクスと笑う柘榴の笑みに、ケイのため息が答える。
青い色が憂いに揺らめき、横目に流れる仕草を知れば、世界中の女性が黄色い声援をあげるだろう。
「色気も凶器。無駄に振りまいても減らぬところがまた、王者と呼ばれる由縁というもの」
「柘榴、何が言いたい」
「それほどまでに思い詰めているのなら、いっそ手中に収めればよろしい」
無理矢理にでも、と。付け加える柘榴の戯言にケイが眉をしかめるのも無理はない。ようやくお互いの視線が交わったところで、今度は柘榴が薄い笑みを浮かべて背後から回り込むようにケイの前に足を運ぶ。
そして、ケイのあごを持ち上げながらその瞳を深く覗き込んだ。
「この瞳に映すのは小鳥だけ」
「それの何が悪い」
「記憶の中だけに存在していた姫君と実に触れて、欲望が浮き彫りになっていくその姿。世の女性が見れば卒倒は必須」
「そんなものは知らぬ。俺は彼女以外に興味はない」
「良きかな良きかな。ケイはそうでなければ」
そう言いながら離れていく柘榴の背中にケイの怪訝な視線は揺るがない。
いつもそうだ。つかみどころのない男。言葉の裏に隠された本音は何か、見ようと探ったところで見えたためしはどこにもない。それでも、嘘という非現実な事態が目の前で起こっても、ケイの名を持つ王は自分の信じるものを見失ったりはしない。
「俺の記憶は、彼女以外に存在しない」
「それは何も存在しないワタクシに、どのような答えをお望みで?」
「いや、かまわぬ。ただの独り言だ」
フッと吐き捨てた息ごと、ケイは再び譜面に視線を戻す。
五線譜の上に踊る数多もの音符が紡ぎだす歌は、何を意味するのか。誰もがその音に込められた思いをくみ取って、誰もが正解にはたどり着かない。そういう風に出来ている。
「そこまで執着しているなら、いっそ籠の中に閉じ込めればいいものを」
納得がいかない様子の柘榴の声が追い打ちをかける。
「ある記憶だけを頼りに、ようやく手に入れた場所で成就召されればよいが」
「余計な心配だ、柘榴」
「さようで」
「それに鳥は自由に羽ばたいてこそ美しい歌を歌う」
透き通る青の瞳が物語る意味はなにか。
一瞬、目を見開いた柘榴の時間もすぐに動き出す。時計の秒針が一秒進んで、再び息を吹き返した絵画のように美麗なままそこにある。ソファーに腰かけて口ずさむケイの歌声、それに合わせるように喉を鳴らした柘榴の鼻歌は独壇場で音色を重ね、どこにもない世界を奏でていく。
「げに、小鳥のために歌う歌は美しい」
ハモることをやめた柘榴も対面にあるソファーに腰かけてケイの歌声に耳を澄ます。
愛を囁く至高の歌。
それを届ける相手を思い浮かべながら、込められた思いを想像する。
「有涯(ウガイ)なる王のゆく道、とくと拝見いたしましょう」
聞こえないほど小さな声で呟いたにも関わらず、ケイの耳には届いたらしい。
ぱたりと止んだ歌の端に「貴様は参加せぬのか?」と不敵に笑って足を組む王の姿が映り込む。
「姫君がなびくかもしれませぬぞ?」
対峙するソファーで二人、火花を散らせて見つめ合う。思考の読み合いでもしているのか、他者の介入を許さない空気が冷気を運んでくるようだった。
それを崩したのは柘榴の方。
「記憶の中の愛する小鳥、止まる枝は誰の手か」
俳句でも読むような仕草で一人椅子に背を預ける。
「貴様ごとき、この俺がひるむとでも?」
「よろしい、二言はなしということで」
そう言って立ち上がった柘榴の足音が遠ざかっていく。
どこへ行くのか、訪ねたところで無粋な質問にしかならないだろう。それを知っているからケイも何も聞かずに再び譜面に目を走らせる。
「俺の中にある記憶は彼女だけ。それは変わらぬ。今までも、これからもな」
ケイの呟きを拾うものはどこにもいない。
誰もいない部屋で一人、奏でる熱の吐息は、どこにもいかないまま静かな部屋の中に溶けて消えた。
(完)
※補足※
有涯(ウガイ)=限りある人の一生