番外編
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『企画は時として良くも悪くもある』
※キャラ捏造あり
世の中には便利なものが沢山ある。
卵と牛乳を加えるだけで簡単にホットケーキという甘いお菓子が作れる時代。魔法の粉と言っても過言ではないホットケーキミックスはコンビニですら手に入る。それなのに、スターレスの厨房という本格料理を提供する場所にその代物は存在しなかった。
「ちっ、面倒くせぇ」
聞き慣れた舌打ち、それでも律儀にエプロンをつけた黒曜を発見する。
目の前にはボール、泡だて器、秤にフライパン。要するに、何か料理をするところなのだろう。
「仕方ありませんよ、黒曜。これもお客様のためです」
「客も俺らが作ったやつより、金剛とかもっと他のやつが作ったほうがうまいし、喜ぶに決まってんだろ」
「まあ、そう言わずに」
エプロンの紐を腰で結わえながら近づいてくるリンドウに、うんざりした黒曜の視線が振り返る。同時にリンドウの横に立つ男を見つけて、今度は心底うんざりしたような息を吐き出した。
「本当にやるのかよ」
「彼女が所望しているのだ、無下に扱うわけにもいかぬ」
「所望って・・・実際、所望してるのは羽瀬川だろうが」
そう言いながら三人並んだところで、今しがた身に起きた出来事を思い返す。時刻は朝の九時。店の事務所に呼び出されたケイ、リンドウ、黒曜の三人は数多の書類で埋もれる運営から、唐突な無理難題を言いつけられた。
「我々、三人でですか?」
驚いたリンドウの声も無理はない。
「お願いしますよぉ。もうフライヤー刷っちゃったんです」
「なんだ、これ。強制じゃねぇか」
「社長が決定事項だからさっさとやれって・・・僕、頑張ったんですよ」
「ケイは知っていたんですか?」
「いや、耳にした記憶はない」
「店のこと全部任されてるんじゃねぇのかよ」
黒曜が小さく吐き捨てるのも納得がいく。運営が半分泣きながら配布してきたチラシには、今晩限定で「チーム代表が作るスペシャルホットケーキ」の宣伝文句が躍っている。
「何人分焼くかわかってんのか?」
「ですが、お客様にお出しする以上、適当なものは出せません」
「それはそうだけどよ。お前らホットケーキ焼けんのかよ?」
チラシから顔をあげた黒曜が、不安そうに隣に視線を向けて感じた一抹の不安。いつもは自信に満ち溢れた空気がどことなく、覇気まで薄れているような気がしないでもない。
「あ、ちなみに一人一枚しか頼めないようにしています」
運営の言葉が凍り付いた男たちの心に火を灯す。
「誰のホットケーキが選ばれるかで、チームに得点が加算されます」
「は?」
「それはつまり、彼女にもそうだと言うのか?」
「彼女?」
黒曜の威嚇にかぶせるように、確認するような言葉を投げて来たケイへ運営の疑問が首をかしげる。そしてすぐに「彼女」が誰を指すのか理解したらしい。
「あっは、はい。そうです。彼女も一枚しか食べることが出来ません。そういう決まりです」
うんうんと首を縦に振る運営に、ケイの心は定まったようだった。
「まじかよ」
黒曜のうんざりした声と共に、仁義なきホットケーキの幕はあがり、そして冒頭に戻る。
「混ぜて焼くだけのものに練習なんているのか?」
手際よく調理器具を準備し終えた黒曜は、次いで目当ての食材を探すように厨房の中を歩き始める。卵と牛乳は冷蔵庫の中で簡単に見つけられるだろう。肝心のホットケーキミックスという代物は、たぶん見つかりはしないだろうが、黒曜はまだ知らない。
「ケイは、ホットケーキを作ったことありますか?」
「いや、そういう貴様はどうだ?」
「改めて聞かれると自信がないので、調べてみました。やはり、お客様に提供するにはこれくらいの仕上がりがないといけませんね」
「なるほど。しかし、彼女の口に入るものが適当でいいわけがない」
「ケイ?」
「産地にこだわった特別な食材を用意しよう」
言うが早いかケイはどこかへ電話をかけ始める。それを横目に、リンドウは作り方を頭にたたき込もうとしているのか、無言で画面をスクロールしていた。
「てめぇらは、何やってんだ」
ホットケーキミックスを諦めたらしい黒曜が、小麦粉、砂糖、バターなどをキッチン台に音を立てて乗せる。人が必死で準備をしているのに、なぜ突っ立ったまま動こうとしないのかと、白けた声が安易に物語っているが、そんな視線を気にするような人物はここにはいない。
「まあいい。とりあえず練習がてら一枚焼きゃ文句はねぇだろ」
言いながら黒曜は慣れた手つきで、秤に乗せたボールに粉を振り分けていく。
「待ってください、黒曜。それだと焼き上がりにムラが出来ます」
「はぁ?」
「このサイトによると黄金比というものがあって、あ、あと。これも入れた方が本格的な仕上がりになるそうです」
「知るかよ。うまけりゃいいだろ」
「妥協はできません。僕は僕のやり方で作ります」
「勝手にしろ」
量り終わった材料を混ぜてフライパンを熱して冷ます。黒曜がそこまでの工程を終えてもまだ、リンドウは実験のように材料とにらめっこをしている。
「ケイさん、何か頼みました!?」
「ああ、届いたか」
「突然届いたからビックリしました。なんですか、これ?」
「最高級の食材を取り寄せたのだ。彼女の口に入るものは最高のものでなければならない」
「選ばれたらの話だろ」
段ボールを抱えて入ってきた運営とケイの会話の中で、黒曜は焼けたらしいホットケーキをひっくり返す。ふわりと甘い匂いが漂って、黄金色の表面が綺麗な円を描いていた。
「うわぁ、黒曜さん。うまいですね」
「これくらい普通だろ」
「そんなことないですよ。意外です」
「意外ってなんだよ」
「これなら心配いりませんね。社長に報告してこないと」
「いや、問題しかねぇだろ」
不安げな黒曜の声は誰にも届かない。運営が去った厨房で、黄色と緑と赤の信号色は何色を点灯させて指示を仰げばいいのか。
「して、黒曜。ホットケーキとは何からどうすればいい?」
「知らねぇのかよ」
「何事にも得手不得手はある」
「まあ、普段レッスン見てもらってる借りがあるからしゃーねぇ」
ケイに頼られるのも悪くない。黒曜が本当にそう思ったのか定かではないが、たまにはそういうのもありかと、気を取り直したように黒曜はケイと一緒に厨房に立つ決意を固めたようだった。
「リンドウ、ちょっとそこのボール取ってくれ」
少し離れた場所にいるリンドウに黒曜の声が振り返る。
「リンドウ?」
「いま、話しかけないでください。大事なところですから」
ピリッとした緊迫の一言。舞台でもレッスンでも、他者の介入を許さない雰囲気を持つことがあるが、まさかここでもそれが発揮されるとは誰が想像しただろう。
「一枚焼くのに何分かけるつもりだよ」
引きつった口角に空気をふくませながら、黒曜は振り返った先でさらに言葉を失う。
「ケイ、ちょっと待て。何をどう混ぜたらこうなった?」
明らかに知っているホットケーキを焼くための粉ではない。
「愛すべき俺の小鳥がついばむのだ。甘いほうがよかろう」
「適量ってもんがあんだよ」
そうしていつの間にか開店したスターレスの厨房は、類を見ない大惨事が飛び交っていた。時間がかかってもいいから推しのホットケーキが食べたいという客もいれば、尊すぎて口に出来ないという客もいる。興味本位で頼む客もいるが、このような試みは初めからうまくいくはずがない。
「ドゥルルルルルルルルルルル、じゃじゃん。黒曜15枚、リンドウ3枚、ケイ1枚。チームWの勝利です」
「致し方あるまい」
「そうですね。この勝負は初めから無理がありました」
「好き勝手言ってんじゃねぇぞ」
付け焼刃な企画に翻弄されたのは何も客ばかりではないと黒曜はぐったりとした苛立ちを声に滲ませる。
孤軍奮闘した功労者は「初めからうまくいくと思っていたのかよ」とでも言いたげに、思い出したくもない数分前のキッチンを思い返して二度とごめんだと捨て台詞を吐いた。
「勝敗がついたのだ。俺の思いを彼女に届けてこよう」
「あ、ケイさん。彼女の席には、さっきミズキさんが持って行かれてましたよ?」
「なに?」
「あれ、ケイさんが持って行かせたんじゃなかったんですか?」
他のすべての注文を断ったケイの渾身の一作。それを片手にケイが見守る先では、いつもの席で静かに座る一人の女性。と、近づいて行く見慣れた少年が一人。
「本当にミズキさんが作ったんですか?」
「何言ってんだよ、これくらい余裕だってーの。俺だってホットケーキくらい焼けるし。てか、一人一枚なんだから他のやつは頼むなよ?」
「うっうん。ケイさんのは開店と同時に売り切れで、リンドウさんは注文殺到で追い付かないって・・・黒曜さんのは少し食べてみたかったけど」
「なんだよ、俺のじゃ不満なのかよ」
「そんなわけないよ、すごくおいしい」
「だろ。ちょっと金剛にも手伝ってもらったけど、それ抜きにしてもぜってぇうまい」
はたから見れば仲良しの一言以外、なにものでもない雰囲気に照明は暗く落とされる。まるでそこだけがスポットライトを浴びているように輝いて見えるのは、本来であれば彼女の隣にたたずみ、彼女の口に入るホットケーキが自分のものであったかもしれないという夢の残像。
「次の公演はKとする」
低いケイの声は、嫉妬と憤怒が入り混じったようななんとも言えない轟音を響かせる。
「よいな運営」
「はっはいぃぃいぃぃ」
その眼光は実際ににらまれた運営にしかわからないだろう。苦笑いをする黒曜とリンドウの視界の中で、哀れな運営の悲鳴が叫ばれる。
今日は色々無茶過ぎた。
突発的な企画も挑戦してみる価値はあるかもしれないが、出来るならもう少し準備が欲しいところだと、彼らはまた新たなる試練の扉を体感した。
(完)