番外編
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『モクレンの直談判』
(※チームWのイベントがなかなか来ない気持ちが高ぶった小説)
蛍光灯の明かりだけが足元を照らす廊下を細い音が等間隔に響きわたる。
わき目も振らず一定の感覚で刻まれる足音が向かう先はただひとつ。灰色の壁に埋もれるように現れた扉には「事務室」と簡易的なプレートがかけられていた。滑らかな黒髪が揺れ、次いで紫色の眼光がそれを睨む。
「ケイは、いる?」
モクレンの静かな声はドアノブと同時に室内に侵入した。けれど、その声に答えるものはいない。無人の事務室。目星をつけて足を運んできたのに、どうやら来る場所を間違えたらしい。
「運営もいないのか」
うんざりしたため息が足音に混ざる。誰もいないと知りながら事務室に備え付けられたデスクに近づいて行くと、そこには次の公演のフライヤーがあった。
Wではない。
明らかに自分の所属するチームカラーではない宣伝に、モクレンの瞳から色が消える。そのとき、事務室の扉が開いて銀星が姿を見せた。
「あれ、モクレン?」
「銀星か」
「どうかした?」
「それはこっちの台詞だ。なんだこれは」
どうやら刷り上がったばかりなのだろう。崩れることなく綺麗に積みあがったチラシを叩くようにモクレンが銀星に問いかける。
それを聞かれてどうしろというのか。
「ケイに考えがあるんだろ」
「お前、本当にそう思っているのか?」
ふんっと鼻で笑うモクレンに銀星の顔が不可解に歪む。
「まあいい。ケイはどこ?」
「さあ、今の時間だったらたぶんってモクレン?」
「銀星が知らないのならスターレスにはいない」
「いや。さすがに俺でもケイの全部は把握できないって」
「それもそうか」
考え込むように足を止めたモクレンに、銀星の声が呆れた息を吐き出す。無音の事務室で二人きり。
一体ケイに何の用かと困ったような銀星の表情が物語っているが、そこはモクレンには関係ないらしい。本人に直接言いたいことがある。それが叶わないからといって、銀星に感情をぶつけたところで仕方がないということも理解していた。
「ところでお前は何をしていた?」
「ああ、俺?」
ふと気になったらしいモクレンが、銀星の格好をみて疑問を投げかける。レッスンをしていたわけでも、ホールに出ていたわけでもなさそうな私服で、なぜこんな場所にいるのか。
「お前はいま、公演中だろう?」
安易にサボっていていいのかと聞いているのだろう。
どこか羨ましそうな声をにじませたモクレンが、少し不満げな視線を銀星に向けていた。それを知ってか知らずか、銀星は苦笑交じりに手に持っていた本を目の前に持ち上げる。
「俺は明人さんの本を、ね」
「お前も好きだな」
「原作を知らないと役の意図がわからないだろう」
「私は踊れればなんでもいい」
「ああ。うん、モクレンはそうだよな」
返答はわかっていたと言わんばかりに残念そうな銀星の声が沈むが、モクレンはその下げられた本を追う代わりに、事務室の扉に視線を走らせる。
耳を澄ませば聞こえてくる足音。
徐々に近づいてきて、それはやがて室内に入ってくる。
「えっ、あ、ケイ?」
突然現れた姿に銀星が驚きの声を上げるのも無理はない。
ロードワークでもしていたのか、汗を流し、肩からイヤホンをぶら下げたケイが事務室に顔を見せる。耳には携帯を押し当て、少し声を荒げているように見えたが、それもすぐに室内の気配を察知して通常の顔に戻っていた。
遭遇してはいけない場面にいただろうか。
そう思ったのも束の間、銀星の隣を横切ってモクレンの影がケイを壁際に押し倒す。
「約束が違う」
空色の瞳と交差するように迫る紫焔(シエン)の瞳。
「約束?」
突然のあおりを受けて面食らったらしいケイは、電話向こうの相手に断りも入れずに会話を終了させていた。
事務室にふいに訪れた不穏な気配。
しかし、現状に不可解さを示したケイの反応はたった数秒。それだけでモクレンの言いたいことを悟ったのか、ああ、と口角を上げるように息を吐いた。
「それで?」
いつもの挑戦的な視線でケイはモクレンに笑みを向ける。モクレンもようやく目当ての人物と遭遇できたことを喜んでいるのか、その怒りを口角に浮かべて美しい音色を響かせる。
「お前は俺が躍らせてやると言った。だけど私はもう一か月も踊れていない」
「不満か?」
「当たり前だ」
そこで数秒にらみ合っていたが、やがてラチが明かないとでも思ったのだろう。ケイを壁際に追い詰めていたモクレンが体を離して無言のまま立ち去ろうとする。成り行きを見守っていた銀星が駆け寄ってきたが、ケイはそれを制するようにモクレンの背後に声をかけた。
「どこへ行く?」
「踊れるならどこでも」
「ならば、スターレスに残れ。前にも言ったがな」
「それを信用しろと?」
「ああ。俺が貴様を躍らせてやる」
振り返ったモクレンに言葉はない。
真意を探るように細く変わった鋭利な視線があるだけ。
「どう受け取るかは貴様次第だがな」
「次はない、とだけ言っておこう」
「かまわぬ。戦いは自ずとやってくるものだ、誰にでも等しくな」
それが今ではないだけだと、うずく衝動をなだめ、押さえつけろとでもいうのか。踊れなければ息が出来ないと叫ぶ花に対して、与えられる雨は何の色か。降るまで待てというのだろう。
「私はいつでも踊れる」
そう言ってモクレンはケイと銀星の元から立ち去っていく。その行き先は誰も知らない。それでも、誰もが知っている。舞台の幕は突然あがるものだということを。
「銀星、あと五分でレッスンを始める」
「えっ、は、はい」
バタバタと焦ったように飛び出していった銀星の足音も遠のいていく。視界の端には次の公演を期待されたチームのチラシが映っていた。モクレンがあの調子では、あと何人か声を荒げるものがいることも想像がつく。それでも進むしかない。来るべき時が来る日まで。
そうして静寂が支配した事務室で再度、ケイの携帯が音をたてて着信を告げた。
(完)