番外編
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『抱き枕と石鹸の香り』
スターレスが開店する一時間前。今日は少し曇っているからか、いつもより肌寒い。大判のマフラーを肩から掛けていて正解だったと、手をこすりながらバクステの廊下を歩いていた時だった。
「きゃっ」
口元に手をあてて息を吹きかけると同時につまずいた足元。転ばずにはすんだが、原因は一体何なのか。
「もしかして」
目線を下げて核心を得る。
「メノウさん?」
柱のせいで上半身がすっかり隠れてしまっているが、こんな寒い日に廊下で寝る人物は一人しか心当たりがない。廊下に飛び出た黒い足の正体を追いかけてみると、やはり柱にもたれて寝息を立てているメノウを発見した。
ゆるく呼びかけてみる。
「メノウさん」
反応はない。
すやすやと気持ちよさそうに柱にもたれて眠っているが、寒くないのだろうか。今日は冗談抜きでいつもより冷える気がする。打ちっぱなしのコンクリートの壁。いくらメノウの体温が伝達しているとはいえ、このままでは風邪をひくのではないかと心配がよぎる。
「メノウさん、風邪ひきますよ」
とりあえず、声をかけてみた。
そうすると少しだけ「んー」と眉をしかめる声が聞こえる。
「メノウさん、こんなところで寝ていると風邪ひきますよ」
今度はしゃがんで直接語り掛けてみた。すると、むにゃむにゃと唇が動いて小さな声が眠ったまま口を開いた。
「だいじょうぶ、慣れてるからぁ」
「慣れてるって」
「おやすみぃ」
この柱は余程心地いいらしい。
ぺたりと座り込んだ体勢のまま柱にもたれて眠っているのは可愛いが、このまま放っておくわけにもいかない。考えあぐねた末、肩からかけてきた大判のマフラーをメノウにかけることにした。これなら運営くんに毛布をもらいに行くまでの間も、少しは体温の保存になるだろう。
「うわぁあ」
肩から降ろしたマフラーをメノウにかけようとした格好のまま、まさかのメノウに抱き寄せられる。
ふわりと香る優しい匂い。こんなところでも風呂上がりの香りに包まれるとは思っても見なかったが、当の本人は寝ぼけた様子で抱き着いている。
「あったかぁい」
すりすりと胸元で頬を摺り寄せるのはやめてほしい。
わざとではない仕草が余計にたちが悪い。こんなところで誰かに見られでもしたら・・・。そう思えば思うほど、混乱した脳みそがメノウから体を引きはがそうと奮闘する。
どういうわけか全然離れてはくれない。
本当に寝ているのかと疑わしいほど、微動だにしない腕の力に驚きは隠せない。
「メノウさん、ちょ、うわぁ」
抱き着かれたまま崩れた体勢に視界が反転して、なぜか天井を見上げる形で転がっていた。犯人は無意識で寝返りをうったメノウのせい。
抱き枕か何かと思われているに違いない。
ぎゅっと抱きしめながら床で眠る姿は子どもそのものだが、視線でそれを確認して、しまったと痛感する。
「ち、近い」
少し首を傾ければ確実に唇が重なってしまう。
そうでなくても耳元に吹きかけられるような規則正しい寝息に心が乱れていくというのに、この姿勢であと何時間いや何分耐えればいいのだろう。拷問にも近い時間から解放される目安など想像もつかない。
「めっメノウさん?」
唇が重ならないように天井に向かって声をなげる。
もちろん反応はない。
「メノウさん!」
目を閉じて少しきつめに名前を呼んでみた。すると「んん~」と迷惑そうに声を鳴らして、今度は首筋に顔を埋めてこようとするのだからどうしようもない。ドキドキと自分の鼓動の音だけが変に大きく響いて、先ほどまであれだけ寒さを覚えていたはずの身体は、汗をかいているのではないかと錯覚するほど熱く変わっている。
あとどれくらい。
それは誰にもわからない。
それでも「あったかぁい」と幸せそうな寝言を呟くメノウに抱きしめられている限り、永遠に天井を見つめているだろうことは明らかだった。
(完)