痺れるような感動をフレスタの花に変えて
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《第5話:チャラい態度の本格派シンガー》
見慣れた店先は雑踏と同じで、今日も同じ店構えをしている。何も変わらない、昨日も今日も同じ看板、同じ壁紙、同じ匂い。それでも口の中でシュワシュワと余韻の残る飴の香りが、いつもと違う気分を連れてきたのか、早希は上機嫌にその扉をくぐった。
バックステージ。
開店前の入口は、雑多な裏の扉。スタッフとして勤務のある吉野と一緒にその扉をくぐった早希は、ちょうどリハを終えたらしい晶に遭遇した。
「やっほ~、なになに、二人して仲いいねぇ」
明るく振舞ってくれるが、全身に汗を流しているところみると余程ハードな練習をしていたのだろう。他のメンバーが見えないということは、まだ練習は続いているのかもしれない。
「サボったんじゃないよ」
「え?」
「あ。やっぱ、思ってたっしょ。当たっちゃった?」
ニコッと笑う顔に見つめられて、視線が宙をさまよう。
「サキちゃん、すーぐ顔に出るからね」
「そんなことない、はず、です」
「ほら、また。そういうとこ可愛くて、俺は好きだなぁ」
「からかわないでください」
「あれ、からかってると思ってる。ひどいなぁ、これでも本気なんだけど」
熱気に迫る青い瞳に吸い込まれそうになる。少し腰をかがめて身長差を埋めてくる瞳に、思わずごくりとのどがなった。
「で、吉野とどこ行ってたわけ?」
「晶に教えてもらった店に行ってたんだよ」
繋いだことを忘れていた手を吉野に引かれて、早希は晶から身体が少し離れたことに安堵の息を吐いた。本気か冗談かわからない晶の言葉は心臓に悪い。現に、ドキドキと感じたことのない鼓動が早希の心臓を襲っていた。
「あまり早希さんで遊ばないで」
「遊んでないよ、これでも俺、サキちゃんにはマジだから」
「早希さん、晶の言ってること真に受けないでくださいね」
シンガーは瞳に込めた感情を訴えてくるのが得意な生物らしい。両極端にも見える対象に同時に見つめられて正常に返せる言葉がすぐに見つからない。「はい」とも「いいえ」とも表現しがたい空気に、早希は知らずと口を堅く閉ざしていく。
「ほら~、吉野がそう言う風にいうから変な空気になったじゃん」
「ええ、あ、ごめん」
「今日シフト入ってるんでしょ。早く用意してきなよ、俺ももう練習戻るからさ」
「う、うん。早希さんもゆっくりなさってくださいね」
律儀にぺこりと頭を下げて去っていく吉野を早希は晶と並んで見送る。数秒前まで隣にいた空気。口の中に残していった時間の証拠に、クスリと小さな笑みがこぼれた。
「で?」
「え?」
耳元に囁くように、また腰を折って顔を近づけてくる晶の瞳に背筋が泡立つ。
「なに、そんなに怖がらなくてもいいじゃん」
ゆっくり一歩ずつ後退していった身体が、これ以上先はないと言わんばかりに壁とぶつかる。背中越しに冷やりとしたコンクリートの壁。それなのに言い知れない汗が伝うように感じるのは、前方を完全に封じる晶の熱気のせいだろう。
「ッ」
無言の圧力に鼓動が早くなっていくのを抑えられない。ドキドキと接着しそうなほど近い距離に、言葉も声も失くして瞳だけがゆらゆらと揺れていく。
「そういう顔、誘ってるようにしかみえないってわかってやってる?」
意地悪く囁かれた笑みに、身体が金縛りにあったように動かない。
一秒、二秒、いや体感は何分もそうしていたようにすら感じていた。それでも実際は一分にも満たない短い時間だったのだろう。突然、「はぁ」と盛大な溜息を吐いて晶は早希から体を離した。
「え?」
「リンドウのやつ、昨日、これに耐えたってマジ?」
「は?」
「なんでもない。こっちの話」
戸惑いと混乱の思考回路で、再び笑みを作る晶の表情を早希は見つめる。
先ほどまでの鋭い雰囲気はなくなり、今はいつも通りと表現できる晶に戻っているように見えた。一体何がしたかったのか。それは早希にもわからない。
「それでも見せつけられたら燃えちゃうよね」
「なにがですか?」
その質問に、晶は答えてくれなかった。
笑顔で誤魔化すのではなく「それ以上は聞くな」と安直に目が言っている。険悪な空気を作りたいわけではないので、早希もそれ以上は何も聞かなかった。
「サキちゃん、今日も俺のステージ見てくれるんでしょ?」
「あ、はい」
本当にいつも通りになった晶の空気に、早希も固まっていた身体の力を抜く。
知らない間にきつく握りしめていたらしい手の平は、うっすらと汗ばんで、緊張していたことを物語っている。自分でも気づかない感情。スターレスに通うようになってから日に日に強く芽生えていく感情があるのかもしれない。
「じゃあ、よく見てて」
晶の声に触発されて、早希は自分の手から晶の視線に顔をあげる。今度は真っ直ぐ向き合うように、見下ろしてくる晶の視線は少し優しい。
「俺だけを見ててくれたら、いつも以上に頑張れるから」
そう言って笑う顔を何人の人が知っているのだろう。
「リンドウや銀星、吉野、ケイにだってサキちゃんの視線は渡したくない。他の誰にも独占させたくない、って言ったら迷惑?」
そう言って笑う視線で何人の人に教えてきたのだろう。
「俺、意外とヤキモチやきなのよ?」
本気なのか冗談なのか、晶の真意はやっぱり測りにくい。
今度は自分でもそれが顔に出ていた自覚がある。当然、晶にもばれた。
「あ、信じてないね。信じてないでしょ。まあ、それでも俺は諦めないから」
グイっと持ち上げられた顎に驚いている暇もなく、左頬に落とされた柔らかな唇。
「欲しいものは勝ち取るってね。じゃあね、サキちゃん。俺、リハに戻るから」
離れた瞬間に自分の左頬を抑えて声もなく叫ぶ早希は、練習に戻っていく晶の背中をただ呆然と眺めていた。
信じられない。
鼓動をやめてすっかり停止してしまった心臓が、誰もいない廊下で一人、ドキンと小さな音をたてた。
───To be continued…