痺れるような感動をフレスタの花に変えて
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
《第4話:臆病なシンガー》
空は青く、雑踏はいつもと何も変わらない。
慣れ親しんだ光景もどこか違って見えるのは、今までよりも少しだけ、この街に違う感情が混ぜられているからだろう。曖昧な感情。答えは誰もくれない。
「あ、すみません」
最近、人とよくぶつかるようになった。
意図的にぶつかってくるような雰囲気がないわけではないが、見ているものが自分のつま先と灰色のアスファルトのせいかもしれない。はぁ、と零れ落ちた溜息のまま足を止めて、早希は人混みから避けるように近くの店先へと身体を移動させた。
「あれ、早希さん?」
優しい音色に誘われて、下を向いていた顔を上げると不思議そうな顔をした一人の青年。
「吉野さん」
柔らかな雰囲気がニコリと笑って近づいてくる。
「お買い物ですか?」
「いえ、通りかかっただけで。吉野さんも買い物ですか?」
「のど飴を買いに行こうと思って」
「のど飴?」
「仕事の前に晶とマイカが勧めてくれた飴を売ってるお店に寄ってみようかなって」
そう言って隣に立った吉野の存在に、どこかホッとしている自分がいる。
日常の中にあった雑踏を一人で歩くことが重荷に感じるのは、きっと誘拐未遂を体験したからだろう。あれから何度か危険な目に遭いかけて、ようやく身の危険を意識するようにはなっていた。
それでもどこか別の世界。
もう自分には関係ないと思っている部分がどこかにある。
それは願望に近いものなのかもしれないが、平穏を望む気持ちが真実を隠すことなどよくある話。
「すぐ近くなので、よければ一緒に行きませんか?」
「え?」
吉野の話をまったく聞いていなかった早希は、突然の誘いに驚いて顔をあげた。
また無意識に下を向いていたのだろう。驚いた早希の顔に、吉野も驚いたように戸惑いの感情を浮かべていた。
「あっ、すっすみません。早希さんにも用事のひとつやふたつありますよね」
焦ったように「無理矢理誘っているわけではない」ことを強調する吉野の姿に、早希はまた胸がホッと凪いで行くのを感じた。もう少し一緒にいたい。その気持ちは、吉野の誘いを受ける形で返答を口にする。
「よかった」
どこか嬉しそうな顔につられて早希も歩き出す。
「偶然でも、早希さんに会えるなんて嬉しいな」
「え、嬉しい?」
「えっ、ぼっ僕、声に出てましたか?」
並んで歩く吉野は口を押えて明後日の方角を向いているが、耳まで真っ赤に染まった顔をするのはやめてほしい。自意識過剰だと思われたくないのに、こちらまで顔が熱くなってくる。嘘でもお世辞でもない感情は素直に嬉しい。それでも「本当ですか?」なんて意地悪に尋ねてしまったのは相手が吉野だからだろう。
「嬉しいですよ。あなたと会えた日は心が強くいられるから」
意外にも真っ直ぐ返ってきた言葉に早希は驚く。
先ほど耳まで真っ赤にした顔とは思えない吉野の瞳が、いつの間にか早希の手を握って前を向いていた。
「早希さんに届くように歌ってる、なんて言ったらどうします?」
そこで軽く笑みを浮かべて向けられた視線に声を失った。普段のあどけなさを一掃して、時々挑戦的な強さを見せつけてくるから返す言葉を見失う。
「あ、ここです」
グッと腕をひかれて身体が止まった。
見た目にもお洒落な店構えは特に若い人たちでにぎわっている。
「色んな飴が売ってるんですね」
自然と離れた手を誤魔化す代わりに髪を耳にかけながら、早希は店内へと足を踏み入れた。その後ろを吉野も静かについてくる。なんてことはない。それが普通だと言い聞かせながら、早希はドキドキと鳴る鼓動を知られないように店内に目を這わせていた。
「さすが晶とマイカだな。何度もこの辺は通ってるのに僕も全然知らなかった。早希さんは、どんな味がいいと思います?」
種類はたくさんある。色が綺麗なもの、形が可愛いもの、季節限定のもの、定番のもの、どれも美味しそうで、店内は独特の優しい甘さで満たされている。
この中からひとつ。それは少し悩んでしまう。
「僕に選んでください」
「え?」
「あなたが選んでくれたものを僕が持ちたいだけなんですけど、その、イヤじゃなければ」
そこでまた顔を赤くするのは反則だと思った。
毎日通っているからわかる。吉野は冗談でこんなことは言わない。それが余計にくすぐったくて嬉しくて、早希は「私で良ければ」と承諾の声を吐き出した。
吉野の笑みにつられて笑う。新しい店で誰かのために何かを選ぶことが楽しい。当たり前のようで気付かない時間は、あっという間に時計の針を進めていく。
「ありがとうございます」
色んな飴を試食し、複数に絞って購入した袋を抱えて店を出るなり吉野がお礼を口にする。
「いえ、本当にあれでよかったんですか?」
正直、色々食べすぎてあまり味を覚えていない。
また下向きがちになる顔が「早希さん」と呼ぶ声につられて上を向く。
「はい、あーん」
「っ」
押し込むように口に入れられたのは選択肢にいれた覚えのない丸い飴玉。ほんのり甘くて、少し優しい。まるで吉野みたいな味だと思いかけたところで、シュワシュワと口の中で何かが弾けた。
「なんですか、これ?」
「スパークリングワインの飴、来月発売みたいでさっきもらったんです」
屈託のない顔が少し悪戯を含ませたような笑みで口角をあげる。
シュワシュワと口の中に溶ける刺激と同じ、吉野の言動はときどき感覚に不思議な刺激を与えてくる。他意はない。わかっていてもドキドキと心臓はいつもとは違う心音を刻んでいく。
「美味しい、です」
ただ飴の感想を伝えただけなのに、吉野はまた嬉しそうに笑った。
「よければ、また一緒に買いに来ませんか?」
断る理由など見つかるはずもない。
「今日はこのままスターレスまで僕がエスコートしたいな」
そう言いながらすでに捕まれている手を振りほどくことができるはずもなく、早希は引かれる手に連れ立つようにして歩き始める。
いつもの日常、通いなれた道。あれほど苦しかったはずの雑音が、今はほんの少しだけ吉野に守られているようで安心できた。それでも確実に訪れている変化の足音。口の中ではシュワシュワと、優しい刺激の余韻だけが続いている。
───To be continued…