痺れるような感動をフレスタの花に変えて
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《第3話:マスターを待つ犬》
すっかり暗くなった街では、ネオンの明かりだけが足元を照らす。談笑の声がこぼれ落ちる店を通り過ぎ、言い争う路地に目をくれず、少し浮いた足取りは帰路をただ進んでいた。
「早希、真っ直ぐ歩いて」
どこかふてくされたようなギィの声。
そこまで飲んでいないはずなのに、どこか上の空なのは、今夜のスターレスのせいだと言えなくもない。
熱い眼差しと、酔いそうになる雰囲気は通うごとに鋭さを増して、気づかないうちに意識は染められていく。
昨日よりも今日、今日よりも明日。重ねる時間が増えていくほど、日常の中に深く根付く感覚に溺れていく。
「え、なに?」
前振りなく捕まれた腕に驚いて早希はギィを振り返った。
「真っ直ぐ、歩けない?」
心配してくれているのか、邪心のない無垢な質問が胸に突き刺さる。蛍光灯の頼りない風景のなかで、なぜかギィの瞳だけが星のように明るく揺らめいて見えた。
「そんなに飲んでなかった、はず?」
考えるように視線を外したギィに意識が現実を連れてくる。店を出るときからずっと一緒にいたはずの顔が、いつの間にか不機嫌に傾いている。
原因はわからない。
ただ、腕を掴んだまま手を離してくれないギィの姿を見ているうちに、惚けていた脳ミソが覚めたらしい。
「ごめんね、大丈夫だよ」
謝罪の空気を込めて吐き出した言葉は、どうやら無事にギィに届いたようだった。
「だったら、いいけど」
納得したようなしていないような、何とも言えない表情をする。それでも一向に離れてくれない掌が、納得できない不満を訴えていた。
「本当に大丈夫だから」
心配してくれてありがとうと、思わず頭を撫でてしまった。綺麗な顔が微動だにしないどころか、甘えるように瞳を閉じてくるのだから気が抜けない。
ついついくすぐられた母性本能に気をよくしたのか、早希は束の間、そのままの体勢でギィの頭をなで続けていた。
「なんだか、不思議な感覚」
ポツリと聞こえてきたギィの言葉に思わず笑ってしまう。
「さっきまで胸のところがムカムカしていたのに、早希が頭を撫でたらラクになった」
「そうなの?」
「うん」
こういうとき、ギィも男の子だと痛感させられる。甘えるように身を預けていたかと思えば、急に鋭い視線で見上げてくるのだから反応に困る。
野生。
そのまま噛みつかれてしまうのではないかと一瞬にして身体が硬直した。
「・・・えっと」
言葉を探して視線を泳がせた早希は、なんとか言葉を見つけて「気分が悪いときは無理して送らなくてもいいんだよ?」と戸惑いを口にした。誤魔化せたとは思えない。頭を撫でていた両手首は、いつのまにかギィの視線で固まっている。
どう足掻いても微動だに出来ない心境に、口角が小さく脈打っているが、ギィには意味まで伝わらないだろう。
「早希は僕が守る。それに」
「それに?」
「ムカムカしたのは、リンドウと何かしてるのを見たから」
「え、誰が?」
ギィが傾けていた身体を起こした反動で、息の戻ってきた身体が不安定な呼吸を吐き出す。リンドウと誰かがギィに不快な思いをさせるようなことでもしたのだろうか。
考えても思い浮かばない光景に、早希の顔は不可解に歪んでいた。
それをギィがどう感じたのかはわからない。ただひとつ言えることは、ふてくされたように尖った唇で早希の頬に指をはわせていた。
「さっき、こうして。公演が始まる前に見つめあってた」
「はっ、えっ」
「みんな見てた。知らなかったのは早希だけ」
「なっなにもしてないよ?」
「でも顔が赤かったから」
ギィの触れ方が、あのときのリンドウと同じでイヤでも思い出す。
抜けたまつげを取ってくれただけの行為に意味はないはずなのに、こうしてギィに触れられた指先が全身に甘い痺れをもたらせてくるのだから仕方がない。
「いまも赤い」
クスリと笑ったギィの声に、呆然と潤む瞳で見つめ返すことしか出来なかった。
「ねぇ、早希」
「なに?」
「ケイが言ってた。嫉妬ってどういう意味?」
「どういうって」
「これは嫉妬なの?」
聞かれても答えようがない。ケイがギィに何を言ったのかは知らないが、ギィの感情を何で測ればいいというのだろう。嫉妬の意味を問われても、それを一言で教えるのはあまりにも難しすぎる。
「早希が頭を撫でたら、なくなった」
覗き込むように答えを求めるギィの瞳に心臓が動悸を運んでくる。
「あのムカムカした気持ちが嫉妬なら、早希に触れてもらったらなおる?」
両手で顔を掴まれて思わずビクリと肩が震えた。
「早希もわからないの?」
純真無垢もここまでくるなら凶器だと、早希は無意識になった喉が急速に乾いていくのを感じていた。先ほどまで夢見心地に呆然としていた脳内が、一気に覚めてしまったように肌を撫でる風が冷たい。
同時に、ギィに触れられている部分だけが焼けるように熱く感じられた。
「早希はこうされると真っ赤になるの?」
「えっ、いや、そういうわけでは」
「変だけど、少し嬉しい。ムカムカした気持ちが無くなる気がする。これから嫉妬したら早希に頭を撫でてもらうか、こうして触れることにする」
「ええっ!?」
「ダメ?」
邪心も下心もない無垢な瞳。ダメだという理由は作ろうと思えばいくらでも作れるはずなのに、今夜はきっとどうかしているんだろう。
「だめ、じゃ、ない」
かすれる吐息のような言葉が震えるように零れていく。
「よかった」
そう言って嬉しそうに微笑むギィを見てしまったら、もう他には何も言えない。
「早希、早く帰ろう」
差し出されたその手を素直に受け取ってしまったのに意味はない。スターレスを出てから今まで何を考えていたのかすら忘れてしまうほど、そこから先は家につくまで、ギィの熱しか覚えられなかった。隣から伝わる無言の喜び。星のない夜空の下で、煌く星のようにギィの瞳が輝いて見えた。
───To be continued…