《外伝》永久の闇に眠れ
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何がそんなに興奮するのか、ジルコニックはキラキラした光をその青紫の双眼に宿していた。少年のようでいて、真意はよく読めない。感情の起伏がよくわからないと、ダリフォングラットは冷めた眼差しで空中に視線を泳がせていく。
「もったいない」
ジルコニックの嘆く声だけが風に漂う。
「人間たちは影を落とし、共に存在出来るというのに、風も花も土もこの美しい世界を愛でるだけのゆとりがないのか」
「彼らの生涯は短いからね」
「それは何と比べて、短いと決定づけるのか。ヴァージンローズは数秒から数分の命だが、あれは実に美しい」
「花と人間を比較するの?」
「命はすべて平等に存在しているのだよ」
鎌は視界の遥か彼方まで進んでいた。「平等、ね」と短く吐き出したダリフォングラットは、片手を伸ばして自身の鎌を引き寄せる。
「花は短すぎるから洗礼した美しさだけを残したんだと思うし、死神は長生きすぎるから人生に飽きるんだよ」
「ほほぅ」
「退屈なのは世界の方さ」
引き寄せたばかりの真っ黒な鎌は、満足そうに息をこぼして、空中に霧散する。じゅわっと滲む無音の煙は、透明の空気と混ざって、たちまちどこかへ消えてしまった。
「キミも時間がありすぎるから、そういうくだらないことを考えるんだよ」
「ほほぅ」
投げ捨てるように歩き始めたダリフォングラットの隣で、ジルコニックがあごに手を添える。
「死神にも癒しが必要か」
「癒し?」
「美しく、美しい世界で地上が染まればそれはとても素晴らしい」
「はいはい」
両手を仰いで変な鼻歌を奏でながら歩くジルコニックも、先のダリフォングラットにならって自身の鎌を呼び寄せた。まるでホウキでゴミをさらうように左右に鎌を揺らしているが、血濡れた墓場のような草原はいつの間にか綺麗な緑に戻っている。
死臭が漂っていた草原は、茜色に染まり始めた光を浴びて、キラキラと生まれ変わる。美しいという言葉を使わずにはいられないほど、たしかに世界には美しい景色が広がっていた。
* * * * *
光の差し込まない闇が全身をおおっている。いつかの光景を夢に見たのか、青紫の瞳を開けた先は指先さえ見えない暗闇の中だった。
「調子はどう?」
苦笑した声は深傷を負わせたときの雰囲気を一掃して語りかけてくる。
実に愉快。
本人は変わらないつもりでいて、いつの間にか変わっている。人間も死神も花や種の植物と同じ、環境が変われば進化する。
「やあ、ダリフォングラット」
くすくす、と穏やかな声は静かに語りかける。調子はずれの独特な鼻歌が耳に残るが、正常だと判断出来る声が奇妙な空気を連れていた。
「ふんふんふーんふふんふーん」
「機嫌がいいみたいだね」
「ふんっふーんふふん」
「それとも悪いのかな?」
よくわからないと、闇の中で苦笑したダリフォングラットの息がその鼻歌と溶け合った。
「ジルコニック、調子はどう?」
「ダリフォングラット、それに答えるのは難しい。ここを異常とするなら正常だといえるが、ここを正常とするなら異常だといえる」
「うん、問題ないみたいだね」
「問題は特にない」
「それはよかった」
ニコリと微笑んだダリフォングラットの瞳にジルコニックは映らない。同様にジルコニックの瞳にもダリフォングラットの姿は映っていないだろう。あるのは互いに闇の色だけ。
触れればそこにある格子の色さえ見えない深淵の黒に侵されている。
「ところで、あの娘は元気かな?」
「キミのいっている子が、ボクの思っている子と同じであればね」
「ほほぅ」
黒一色の中にほんの少し揺らめいた青紫が光を放つ。
「キミがここから出る頃にはもういないよ」
「ほほぅ」
「人間だからね。よく生きてもせいぜい百年。あっという間さ」
「ほほぅ」
同じ言葉を繰り返しても、その音に含まれた感情は微妙に違っているように感じる。かつて人間に興味を示さなかった男が、思考の中に人間を焦がすようになるなど、誰が想像しただろうか。
「随分と面白味が増したな、ダリフォングラット」
「そうかな?」
「やはりあれは魔性の花だったか。美しく美しいものに魅せられて、死神が苦しみを選ぶとは」
ふふふふと、肩を震わせてジルコニックは笑う。闇に目が慣れてくると見えるかもしれないが、ここは光が微塵も入らない底の底。両手を鎖に捕らわれ、あらゆる魔力を封じられた死の檻。千年牢獄という名前の棺桶と同義の場所で、笑える精神は狂っている意外の言葉が見当たらない。
「生きる長さの違う命に心を奪われる苦しみはどうかね?」
ジルコニックの問いかけに、ダリフォングラットは何も答えない。いや、何も答えられなかった。
狂っているのは自分も同じ。
「今すぐ娘を殺して、迎え入れたくなるだろう?」
ふふふふふと、またジルコニックは愉しそうに笑っている。物音ひとつしない暗闇の中で、笑い声は吸い込まれるように消えていくが、なぜか耳に残る不気味さは聞くものをぶるりと震わせる。
そうしたい。
その葛藤は、何度も何度も喉から手が出るほど望んできた。
「しないよ」
ダリフォングラットは抑揚のない声で静かに吐き出す。
「ボクはしない」
「ほほぅ」
また青紫の瞳が視界にうつらない闇を見つめる。
「さすが魔種を持ちながら理性を保ち続けただけはある」
「魔種回収の職務を何百年続けていると思っているのさ」
「いやいや、見直したよ。当たり前のことを当たり前に出来るものは少ない」
奏でられる調子はずれの鼻歌は、機嫌がいいと明らかにわかる音を出し始めた。ふんふんと自分以外にわからない歌詞をのせて、ジルコニックの歌は闇の中へ溶けていく。
「視点が変われば正義と悪は簡単に入れ替わる」
「ジル、それはもう聞きあきたよ」
「美しく美しい世界への種まきはもう終わった」
「それももう何回も聞いた」
「ふふふ、今は誰も理解できない。見たくないものに蓋をして、真実は都合よくねじ曲げられる」
閉じられた青紫に、闇が少しだけ深みを増した気がした。調子はずれの鼻歌さえ、今ではどこか懐かしい。
「千年後、キミの理想通りになっているかどうか楽しみにしているといいよ」
代わりに、ダリフォングラットのもつ青紫の瞳が、闇にまとわりつかれたジルコニックをじっと見つめていた。
「ボクは彼女を信じている」
それに彼がどう感じたのかはわからない。ふふふと、いつものような笑い方をした気がしたが、その姿を見ることは叶わなかった。
たった一枚の重厚な扉がすぐ鼻先に迫る。
ただそこに立っていただけのはずなのに、いつの間にか闇は取り払われ、混沌とした空間の中にポツリと現れた牢獄への入り口。ここは出口というべきか、入る前と変わらない扉の前に立たされたダリフォングラットは、ホッと肩の力が抜けるのを感じていた。
「おやすみ、ジルコニック」
触れた扉は冷たく、闇の中に眠るかつての相棒を飲み込んだ以外は何も変化がない。それが当然なのか異常なのかさえもわからない空間に背を向けて、ダリフォングラットはかかとをひるがえした。
今夜も魔種と魂の回収だけを便りに、生者と死者の均衡を保つために。
《完》