《外伝》永久の闇に眠れ
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【 外 伝 】
永久(とこしえ)の闇に眠れ
* * * * *
ひどい臭いとでも言っておこう。
両手分の広い野原は蟻の群れがぶつかり合い、柔らかな雲にその咆哮が吸い込まれている。合戦。戦争。それらに身を投じる眼下の生き物たちは、そこに生きる意味を見出だしているのかもしれないが、世界を見下ろす高台から眺めてみれば、実に小さな囁きにすぎなかった。
「そろそろ決着がつくね」
隣で青紫の瞳を持つ美麗な男が退屈そうに腰をあげる。流れるような気だるさが、風をうけて髪を揺らし、眼下に広がる喧騒とは無関係な優美さを醸し出していた。ところがすぐに、その顔は呆れたように崩れ去る。
「ジルコニック?」
動かない男を見下ろして、彼はそう疑問符を投げた。
「ふんふふんふーん、ふーん、ふん」
「機嫌悪いね」
「ふふん、ふーんふん、ふ」
「それともいいのかな?」
背後に深い森が迫る崖の上。裾野に広がる人間たちの戦争を見つめながら、二人の男は互いに目を合わせようとはしない。独特な形をした黒い衣装に銀色の模様。青空から降り注ぐ光を浴びても、その身体は地上に影を落とさない。特異な存在たちは、二人とも蟻のように黒い点がひしめくその場所を思い思いの眼差しで眺めていた。
「人間は実に興味深い」
足をぶらぶらと動かしていたジルコニックが、ふふっとからかうような笑みをこぼす。そして、その黒い衣装の袖から小さな黒い結晶を取り出した。
乾いた表面は鈍い光を反射させて、青紫の瞳の中に写りこむ。親指ほどの大きさをした有名な種。宝石のような輝きはないのに、宝石以上に価値のつく特異な植物。
「魔種(ましゅ)ひとつで、何も殺しあわなくてもいいだろうに。美しく咲いた花を見て、愛でるどころか戦争を始めるなんて実に醜い」
「人間は魔種の存在を知らないからね」
「ほほぅ。見たいものだけを見て、見たくないものは見ないと?」
「争うための口実なだけさ」
立ったはずの男が、ジルコニックに連なるようにしゃがみこむ。合戦の終結は、もう少し長引きそうだった。
「見てごらん、ダリフォングラット。この種を産んだ姫は美しい花を咲かせて果てたというのに、人間たちはこんなにも醜い争いを繰り広げている。実に美しくない。そう思うだろう」
「ボクは何とも思わないかな」
「ほほぅ」
そこで初めて、ジルコニックは真横でしゃがむ男の横顔に視線を向けた。
「何とも思わない?」
風にのせて漂ってくる血の臭いに顔をしかめていた青紫の双眼が、困ったように小さく肩をあげて息を吐き出す。
「人間なんてどうでもいいよ」
「ほほぅ」
「ボクたちはただ仕事をこなせばいい」
「仕事、か」
そう呟いたジルコニックはその指で掴む小さな種を空にかざす。乾燥した楕円型は、どこにでもあるようなものにみえて、どこにでもない異質さを兼ね備えているが、別に昨日今日、この世に誕生した代物というわけではない。
「魔種と死者の魂を回収してまわることが、かね?」
かざした種から、ジルコニックの悪戯な瞳がまたダリフォングラットを横目に見つめる。今度ははっきりと、凍てつくほど冷たい瞳が返ってきた。
「はぁ」
わざとらしい息がジルコニックの口から吐き出される。
「ダリフォングラット、実につまらない男だよ。その様子では死者と生者の均衡を保つための作業に意味を感じないといった風にみえる」
「その通りだよ」
「嘆かわしく、嘆かわしい。魔種に何か恨みでもあるのかい。それともあれかな、人間に何か恨みでもあるのかい?」
その問いかけに、今度はダリフォングラットが疲れたような息を吐いて視線をまた元に戻す。
「別に」
そう短く答えた視線の先では、まだ終わらない合戦の咆哮が小さく小さく縮小していた。
「魔種ひとつで生者と死者の帳尻が狂うのはやめてほしいって、単純にそれだけだよ」
「ほほぅ」
「種を回収して、魂を回収して、世界中を飛び回っての繰り返し。永遠に終わらない作業の繰り返しに、ボクみたいに死神人生に飽きて、退屈に思っているのはいっぱいいるよ」
「ほほぅ」
うんうんと足をぶらぶら揺らしながらジルコニックは風にのって漂う死臭に鼻を動かす。そしておもむろに立ち上がり、黒い鎌を取り出した。
「死神にも癒しが必要か、なるほどなるほど。みな、ヴァージンローズのように美しいものだけを見ていたいと思うのだな」
「キミ、ボクの話し聞いてた?」
背後に森が迫る崖の上から眼下の合戦会場へと足を蹴ったジルコニックにならって、ダリフォングラットの声が追いかける。風に煽られて聞こえないはずの声は、二人の耳には届くのか、彼らは並んで飛び立ちながら先の会話を続けている。
「やはり、花が咲けば愛でればいいだけだと?」
「そういう問題じゃないでしょ。魔種はこうして人間の生態系を狂わせる第一種危険生物だよ」
「ほほぅ」
自分達以外は動くものがいない広場の上で止まったジルコニックが、まだ新しい血の海で横たわる人間に黒い鎌を向けながら、追いかけてきたダリフォングラットを振り返った。
青紫の瞳。
遮るもののない大空の光を受けて怪しい魔力を放っているが、それは彼一人の持ち物ではない。
「では、問おう。ダリフォングラット」
ジルコニックと同じ青紫の瞳が、ゆるく首をかしげて顔を向ける。
「魔種は、誰にとっての危険なのかね」
グサリと黒い鎌で魂の回収を始めたダリフォングラットは答えない。
「人間にとってなのか、死神にとってなのか、はたまた他の生き物にとってなのか。ひとつの視点で物事をとらえていては、いつか大事なものを見落とすことになる」
「大袈裟な」
またグシャリと奇妙な音をたてた鎌が、今度はむしゃむしゃと死体をその身体に取り込み始めた。
「ほほぅ、大袈裟だと思うのかね」
後始末を鎌に任せることにしたのか、地面を舐めるように動きだした鎌の租借音を聞きながらジルコニックは興味深そうな笑みを向けてくる。
はぁと、ダリフォングラットの口から重たいため息がこぼれ落ちた。いったいいつまで続くのか。安易に瞳が物語っているが、ジルコニックは気にしないらしい。
「こう考えてみればいい。魔種は定期的に人間の数を調整してくれていると」
「植物は意思をもたないよ」
「なぜそうと言いきれる。与えられた情報が正しいと、信じている事柄が正常だと誰が判断するのだね、ダリフォングラット。魔種は処女を選び、寄生し、種を残す。それは意思のある証明に他ならない。万物のすべてを理解した気になっても、我々は永遠に自分以外の他にはなれない。なれないから、わかるはずがない」
「はぁ」
今度はあからさまにダリフォングラットは地面に肩を落とす。もしゃもしゃと鎌は遠くの方まで咀嚼しているというのに、ダリフォングラットもジルコニックも移動してきたまま一歩も動いていなかった。
すっかり綺麗になった足元を眺めるように瞳を閉じた横顔に、ジルコニックは不思議そうな視線で首を傾ける。
「ため息とは感心しないな、ダリフォングラット。もっと世界に関心を持ちたまへ」
「関心って言っても、ボクは早く仕事を終わらせて帰りたいよ」
「実につまらん」
ふんっと、ジルコニックが鼻をならした。
「退屈な男だな。早く仕事を終わらせたところで大方、また女どもに囲まれてその美麗な顔を歪めるだけだ」
「キミはボクをなんだと思っているんだい?」
「美しく、美しい。そういうもので、なぜ世界は保たれないのだろうね」
「それはボクの質問に答えたくないってことでいいのかな?」
ため息を吐くことさえも疲れたのか、ダリフォングラットの疲弊した顔は力説するように身ぶりを増やしたジルコニックを見つめる。