Date:4月10日
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* * * * *
夜の繁華街は今日も縦横無尽に張り巡らされた店が通りがかりの人間を吸っては吐き、吸っては吐きを繰り返し、摩天楼を彩るネオンの明かりをちらつかせている。先日の一件から少し夜の外出を控えていた紗綾は、久しぶりに夜の空気に触れて安堵するようにんーっと大きく背伸びをしていた。
「ねえ、おねえさん。ひとり?」
行先を阻むように、若い男が紗綾の前に立ちはだかる。いつだったか、声をかけてきた男性とは違う、また別の男だった。
「え、ちょっマジで可愛い。どう、うちで働く気ない?」
にこやかな顔と声は道行く人の足を止め慣れているのか、紗綾の進行方向に背を向けながら紗綾の顔を覗き込むように行先を塞いでくる。
「私、未成年だよ」
「またまた、未成年って冗談でしょ。警察に見つかったら補導もんだよ、最近は危ない薬も出回っているから二十歳未満は夜の九時以降は外出禁止、見つかれば親が逮捕されちゃう時代に外出を許す大人はいない」
「ねえ、お兄さん。お兄さんはその危ない薬の出所しってる?」
「興味、あるの?」
本当は紗綾が未成年であるかどうかなど、この男はどうでもいいに違いない。現に紗綾が薬への質問をしたことで、それまで飄々としていた男の雰囲気ががらりと変わった。
「知ってるよ」
ついていくか、いかないか。二択を迫られた紗綾は間違いなく「ついていく」を選択した。別にこの状況は今夜が特別ではない。快楽と欲望を正直に表現する夜の町では、紗綾だけがこの会話を導き出せるわけでもない。
どこにでも転がっている夜の闇。男は手慣れたように紗綾の肩に手を回し、どこかに案内するように進行方向を無理矢理変えた。
「っ…ァ…はぁ…~~っ」
ドンドンと低い重低音が地下に設けられた空間を揺らしている。橙色の照明、赤いレースのカーテン、黒い壁、白いベッド。そして裸で重なる複数の男女。何をしているかなど説明は必要ない。夜の社交場だと案内役の男はそう言ったが、紗綾は黒い革張りのソファに身を置いて、緊張のまま固まっていた。
案内役の男は少し待っていてといってどこかへ立ち去っている。
少し早計過ぎたかもしれない。そうは言っても、ここまでついてきてしまったら後戻りなど出来はしない。
「アッぁああ…っ…ぁ」
淫らに響く女の人の声。情事の最中を互いに競い合っているのか、重低音に混ざって聞こえてくる卑猥な交尾の音が、何とも言えない匂いを放って室内に充満していた。
出来ることなら早くこの場を立ち去りたい。出された飲み物に手をつけず、ちょうど一人の女性が甲高く果てた頃になって案内役の男が戻ってくる。
「すげぇ、極上じゃん」
「なになに、本当にやっちゃっていいの?」
「ッ、だましたのね」
紗綾の両脇を固めるように革張りのソファーに恰幅のいい男たちが座る。全部で五人。両脇に一人ずつ、真後ろに一人、目の前の案内役の男とその隣にもう一人。激怒したように立ち上がった紗綾は真後ろの男に押さえつけられるようにソファーに舞い戻る。
「目当てのものはちゃんとあげるよ」
金平糖にも似た白い星の結晶が入った透明の小さな袋を揺らしながら、案内役の男は嫌な笑みを浮かべていた。
「だけど、タダってわけじゃない」
にやにやと漂う空気に紗綾の視線が一周する。長く艶やかな黒髪、細く白い身体、整った顔立ち。滑らかな肌を堪能させてくれるならクスリのひとつやふたつタダで渡してあげるとでも言いたいのだろう。震えそうになる声を押さえて紗綾は静かに告げる。
「私はクスリが欲しいんじゃなくて、それがどこから出回っているのかが知りたいの」
「それを知ってどうしたいの?」
体に触れようとしてくる雄たちの気配に悪寒が走る。早くこの場から立ち去りたい、それでもまだ肝心の答えは聞けていない。
「情報だってタダじゃない。それに、この余興が終わる頃にはちゃんと薬漬けの可愛い人形になっているから心配はいらない」
「じゃあ、帰るわ」
しびれを切らした紗綾が今度こそ立ち上がる。
「あなたが知ってるっていうからついてきたの、でも知らないなら私は帰る」
大声で断言した紗綾に、情事を楽しんでいた大人たちが何事かと好奇な視線を投げていた。異様な空間。紗綾にはそう感じるだけで、ここを楽しむ者にとっては日常であり通常なのかもしれない。
「はあ、ここまで来て帰すわけねぇだろ」
男が当然のような反応を返したそのとき「未成年がはいったという報道をうけた」と警察が数人部屋へと押しかけてきた。
「ちょ、なんで警察があのあまっ」
未成年よりももっとヤバイものを手に持っていた男は、騒然となった室内の中で紗綾の方を振り返る。しかし、そこに紗綾の姿はどこにもなかった。忽然と姿を消した一人の少女。まるで神隠しにでもあったように、紗綾の姿は店内から消えてしまった。
* * * * *
夜の公園で震える体を抱きしめるように紗綾は一人うずくまる。
「怖かった、怖かった、怖かったぁああ」
顔を両手で抑えながら、先ほどしてきた自分の行動を思い返して叫んでは、また両手で自分の身体を抱きしめるように腕を擦っていた。
「ちょっと、キミ」
怒ったように黒い衣装の死神が紗綾の前で仁王立ちしている。
「死にたいの?」
死神にそう言われると身もふたもないが、紗綾は両手を腰に当てて眉間にしわを寄せ、珍しく笑顔以外の表情を見せるダリルにへらへらとした笑顔を返す。
「でも、成功したじゃん」
ゴンっと鈍い音は、ダリルのこぶしが紗綾の頭頂部を直撃したせい。
今度は痛みにうずくまる紗綾を見下ろしながらダリルは「はぁ」っと頭の痛いような息を吐き出した。
「いくらボクがいるからってキミは無茶のしすぎだよ」
「だってぇ」
本当に痛かったと紗綾は頭頂部をさすりながら立ち上がる。公園のベンチに移動しながら、紗綾はダリルと並んで先ほどの出来事を思い返していた。
「ずっと私の横にダリルがいたのに、本当に他の人にはダリルの存在が目に見えないんだね」
「目に見えないってことは存在しないってことと同じ意味だって説明したよね。あの場でキミが襲われても、ボクには止めることも出来ないんだよ」
「ダリルが存在を見せる意思があれば出来るでしょ」
「うわ、キミ。そういうところばっかり覚えてるのかい?」
ふふんと笑みを浮かべて紗綾はベンチに腰掛ける。呆れたような顔をしたダリルが隣に腰かけることをためらって、立ったままでいるが、はぁっと疲れたような息を吐いているのは不思議な光景だった。
「これじゃ十和くんが苦労しているのが目に浮かぶよ」
「どうして十和がそこで出てくるわけ?」
「キミ、見た目と性格にギャップありすぎ」
大人しく座っていれば儚げな美人なのに、危なっかしくて見ていられない。よく今まで無事に生きて来たなとダリルは目の前で足をぶらぶら揺らしている紗綾を見ながら込み上げてくる感情をそっと胸にしまい込んだ。
「で、あの男何か知ってた?」
無邪気に尋ねてくる少女の顔は明らかに何かを期待していた。
紗綾はダリルが死神の能力で覗いた男の記憶を共有してほしくて、うずうずとご褒美を待つ猫らしく足を尻尾のように揺らし続けている。
「薬について出所を知っているというわけではなかったけど、彼が翼心会(よくしんかい)の人間だってことはわかったよ」
「え、あの翼心会!?」
「あのって、どの会かはわからないけどね」
「このあたりを牛耳っている暴力団だよ。ヤバいって噂は前からあったけど、麻薬はやっぱり暴力団が流しているんだ」
「でも自分が支配する町で、自分の町を壊すようなものを流すのかな?」
「翼心会の会長、天広五里(あまひろいざと)は金の亡者だっていってた」
「誰が?」
「十和」
そこでもまたその男の名前かと、ダリルは頭を抱える。佳良の兄であり、紗綾の幼馴染。事件のあと引っ越して別の町に暮らしているらしいが、彼は紗綾の通う学校に付属している大学に通っていると聞く。
その真意が何であるかは、紗綾の記憶を覗き見なくてもわかるような気がした。
「十和くんが苦労しているのが目に浮かぶよ」
「またそれ?」
同じ台詞を繰り返したダリルに紗綾は揺らしていた足を止めてベンチから立ち上がる。
「十和には苦労なんてかけたことない」
失礼極まりないと、紗綾は両手を組んでふんっと鼻を鳴らした。