旅の後
降誕祭と祝福についての空音
窓が橙に染められて、奥には黒い煙が固まったような雲が滞っていた。遠くを飛ぶ鳥は低い所を飛んでいる。
日はもう差さない。今日も順路通り真反対の空へ沈んでいく。
出窓に椅子を寄せて、肘掛けには肘を乗せている。収まりが良い。靴のつま先をフローリングの溝に引っ掛けたり外したりする度にきゅっきゅっと響く。
頬杖をついてみれば、不意にこつこつと板を叩く音がした。ドアの方から聞こえて来て、ノックか、と気が付いた。
ぼくがドアノブを眺めていると、黙ったままなのに、ゆっくりと回りだす。隙間から跳ねた焦げ茶色の髪と銀色とも灰色とも呼べる瞳が映って、彼は鍵がかかっていないドアを開いた。
「ソウだな。どうした?」
「……鍵ぐらい閉めたら、とか、返事ぐらいしたら、とか色々言いたいんだけどね」
「えー? シオンならノックなしで入るのに、きみ」
「……シオンと同じ事をしているなら、誰にでもやる訳じゃないよ。人は選ぶ」
「そうなのか。何で選ばれていないか気になるけど、どうでも良いな。で、何の用だ?」
「ちょっとお裾分けというか、そんな感じ」
小首を傾げるとソウはつかつかと部屋に入って、後ろ手にドアをぱたりと閉めた。
ドアの影で見えなかった左手に、真っ赤な葉を付けた植物を持っている事に気が付いた。小さな鉢に入っている。
ポインセチアだ、とその名前を口にした。
西の空には、夕星が輝いていた。空に溜まる何かもなく、伸びかけた藍色の上に赤く光っていた。裏口にも続く、ひび割れた石畳の隙間から生えた草同士が擦れる音だけがする。
空から目を落とすと、隣にいた彼女は何時の間にかしゃがんでいた。
星形に規則正しく生える大きな葉を見つめて、そういえば、と呟く。
「今日は降誕祭、もといクリスマスだったか」
ソウはぼくの言葉に、微かに眉をぴくりと上げた。それからゆっくりと頷いて、空いている右手で頬を掻く。気まずい時のソウの癖だ。まじまじ顔を向けていれば、ソウはううん、と一つ唸ってから続けた。
「きみから先に行事の名前が出てくると、変な感じがするよ」
「そうか? 行事の月日と名前ぐらい知ってるぞ」
「でも肝心な今日の月日と行事を結びつけるのには、一声かけないと中々ピンと来ないらしいから。ニアや、ミカ曰く。……ちょっと意外で」
青みがかってうねった髪が、時折揺れる。周りの野花と同じように風に吹かれているのかと思ったが、白い指が草を撫でていて、それで頭も微かに動いているらしかった。
夕日の色の名残で辺りは微かな橙色をしていた。
ベッドの脇の金庫が入っている小さい棚の上に、ソウはポインセチアを置く。そして赤い星が二つある、その片方の葉を静かに摘まんだ。
生えている葉を撫でているかと思っていたら、彼女は不意に口を開いた。
今日は降誕祭、もといクリスマスだったらしいですよ、と。
「定番の植物なら、名前がさっと出て来るんだ、って思って」
遠回しで含みがある言い方だった。それでも皮肉らしくはなく、驚きはしつつも、単に探りを入れているだけらしい。
知らない名称に、はて、と首を傾げると彼女は微笑を湛えて続けた。数多くある祝祭の内、最も普及しているものの一つで、救世主の誕生を祝うためにやるらしい。あるいはあの冬至の祝祭を上手く引き継いだのかもしれない、と悪戯に付け加える。冬至と聞いてやっと朧気に輪郭を掴む。
確かにソウの言う通りではあった。
良くも、まあ。そう呟いた裏で、でも太陽と救世主はよく似ているとされるから、彼女が教えてくれる曖昧な祝祭にも合点がいった。そもそも大概そういう祝いの行事に明確な原点など遡れ切れないし、語られたのならそういうものなのだから、合点も納得も関係がない。考えようが、考えまいが、定義がそう決まっているのなら、そういうものになる。
日付も行事もどうでも良いから、名前が浮かばないのが常だった。
「たまたまだぞ。地元にはないし、凄い赤いから。それが印象に残っていただけだな」
言葉を転がして、鉢を見つめる。ソウが指を離した時、微かに葉が揺れた。遠いけれど良く分かった。
同時に彼が葉を見つめたまま曖昧に目を細くしたのも見えた。何時もよりやや鋭い気がして、少し迂回でもしようかと、ぼくから尋ねる。
彼女はクリスマスに何をして祝うのかも教えてくれた。
「それ、配って回っているのか? 知り合いに」
「うん。教会で少し余らせたから。……切り花だけどただ捨てるよりは、贈り物にするのが良いんじゃないって話になって。皆に渡したり部屋に置いたりしてきた所」
どうやら贈り物をするらしく、伝承にも付いて回るらしかった。人は祝うために何かを贈り、贈るから祝われるものだから。
ぼくのための解説を続けながら、ぷちり、と白い手で、ひび割れた自棄に黄色い石畳の合間から生えた草を摘む。ぼくにはありふれたものにしか見えなかったけれど、彼女が摘むのであれば、彼女にとっては違うだろうから、何も言わないで背中と手元を交互に見つめていた。
緑ばかりの草が一掴み分の一束になった時、彼女は徐に立ち上がって、服の裾を軽く翻らせながらぼくの方へ体を向けた。影が急に伸びて、彼女の黄色い瞳が燦々と輝く。それだけ、冬の割に日が強かった。
「贈り物なら、それで最後って所か? 手ぶらになったみたいだし」
「うん。丁度ケントが部屋にいて良かったよ。勝手に置いて行くにしても、書置きじゃ不都合だろうから」
「ああ。文字が読めないからな!」
「……電話も出かけているなら意味が無いしね」
ソウは眉を下げて苦笑した。
心を込めるのが大事らしいですよ、と彼女は急に言って、ありふれた野花の束を両手でそっと――本当に大事そうに握りしめて、簡単な魔術を掛けた。
少しだけ夕日の色を飲み込んだ光の粒が溢れて、弾けた。
さらさらと粒が消えたら、彼女の摘んだ野花は真っ赤な星の様な、空に瞬くような夕星の様な植物に変わっていた。
そして、彼女は真っ赤な葉の淵を撫でて、そっと名前を囁いた。
「ポインセチアって名前、誰に教えてもらったの?」
「……昔の知り合いだぞ」
ソウは「成る程」と小さく頷いて、それから鉢から部屋全体をぐるりと見渡す。
まるで壊れ物に触れるみたいに静かな声だった。
彼女は自分で変えた赤い星を、丁度ぼくの組んでいた腕の中に差し込んだ。突然だったから、言葉も出ずに、ぱちくりと瞬きの回数だけ増える。
宿屋に備え付けの家具やもの以外は何もないから気にしないで、ぼくはずっと赤い星の葉を見つめていた。
「今日は外出しなかったんだね」
不意にソウが妙な事を聞いてくる。
魔術だから伝承に合わせた、ただの見た目だけのイリュージョンに過ぎないけれど、と彼女は続ける。
「そうだけど、何で?」
「道行く人に聞かれたから。公園の子供とか、近くの雑貨屋の人とか。贈り物でもしたかったんだろうなって思って。久しぶりに会った訳では、あるし」
「そうか」
「……あっさりしているね。きみの基準で言えば身内に当たる人達だったんだけど……」
「えー? だってぼくに贈って、祝って、どうするんだ? 返せるものはないから、ぼくに贈れなくて残念な事もないんだぞ」
にぱり、と笑うと、ソウはこめかみを押さえて、はあ、と大きく息を吐いた。明らかに何か問題があると包み隠さず、訝しげに眉を寄せる。
窓からベッドまでの微妙な距離は変わらないまま、二人で互いの顔を眺めるだけ時間が数秒続いた。
先に止めたのはソウの方だった。少し俯いたかと思えば、首を横に小さく振って、腕を組む。そして下がっている眉を更に下げて、口火を切った。
「きみは、こういう他人の好意には鈍い……は違うな」
ごっこ遊びだったとしても、どうしてもこうやって祝いたくて。
また間が空く。ゆっくりと一拍、二泊と数える。
夕日の中で、彼女ははにかむ様に微笑んだ。ぼくには眩しいぐらいだった。顔を向けないで欲しいとも、僅かに過った。
何時もより一拍多く、言葉を選ぶ間を置いて、ソウは続けた。
「見えていないフリをしていない?」
「フリではないぞ」
曖昧な色をした瞳はまっすぐと、ぼくの顔を映している。
肘掛けを指で軽く叩く。
「単純にぼくのものじゃないってだけだな」
誰のために祝ったの。
そんな言葉が引っかかって、引っ込めた。掃いて捨てるべき、元来考えるべき事ではない。
肘掛けから手をひらひらと振って、けらけらと笑ったら、丁度鐘が鳴った。
そうしたら、ぼく自身には贈り返せるものがない事に気が付いて、沈黙したまま、腕の中の星を見つめていた。
ソウは黙って顔を上げた。窓の方へ微妙に左目を眇めて、鐘の残響が止むまで待っていた。
「そうなんだ。……じゃあ、おれはそろそろ戻るかな。やりたいかは別として、仕事があるし」
しん、と静まり返った中に、ソウはそっと囁いた。
明け透けな不信心に、少し目が留まって、瞼を下ろした。
「随分直截な言い方するんだな、仕事に対して」
「だって、仕方ないでしょ。ないものがあるフリを続けられなかったんだから」
ソウは困ったように、それでも牧師の演技ではないであろう微笑を浮かべて、ポインセチアに顔を向けた。
指で葉を掬って位置を整えているらしい彼は、演技をしている様には見えなかった。
「これ、好きにしなよ。必要ないなら処分したって良いし」
「んー……、考えとくぞ」
「おれはきみにあげたつもりだから」
最後にぼくに笑いかける。瞼を少しだけ、僅かに下げるだけの笑い方だった。殆ど普段の表情と変わらないようにも見える。
黙っていると、ソウはドアに向かって、それから少し振り返った。
「メリークリスマス。……やっぱり柄じゃないな、こういうの」
頬を掻いて、じゃあね、と呟いてソウは教会に戻っていった。
ドアが静かに閉められる。
静寂が再び訪れて、窓の外に顔を向ける。空はすっかり藍色になっていた。黒い雲はうっすらと流れて来た。一雨来そうだな、と予感する。
ポインセチアに目を戻す。
それから、ぱち、と瞬きをすると、鉢の中にはありふれた野花があった。
微かに黒い粒子が散っている。魔術の残滓だ。久しぶりに見た。良く考えてみれば、この頃は全く使う事もなかった。
雑草が赤い星になった様に、星を堕として台無しにした。しかも見た目だけの、単なるイリュージョンでしかない。それだけの事だった。
何も贈り得ないぼくでは祝福も込められない。
下手な模倣に、意味は無かった。あるいは掃いて捨てる程のものだったから、摘んだ草を散らす様に捨てた。
