旅の途中


降誕祭と救済についての小話

 ケントが散歩から帰ってきたかと思えば、大きい紙袋を両手に抱えていたものだから驚いた。
「……手ぶらで出て行かなかったっけ?」
「なんか貰ったんだぞ」
「誰から」
「あそこの公園の子どもとか近所の人たちから」
 あっけらかんとした答えに困惑するおれを他所に、本人は呑気に、袋の中身をどさどさとやや雑に、小さいテーブルの上に並べていく。箱は大小様々、数も多いようで、あっという間にテーブルが色とりどりの包装紙で鮮やかに、目を引く様になっていった。
 そういえば今日はクリスマスだった。さしずめ、クリスマスの贈り物なのだろう。彼は、大層愛されているようだった。
「大体中身は食べ物っぽいな」
「だろうね。きみ、何が好きかよくわからないから、贈る物も大体決まってくるんじゃない」
「えー、ソウにまで言われるなんて思ってなかったぞ」
 カラカラと笑ってジャケットを脱いだかと思えば、ベッドに飛び込んでいく。それを眺めながら、誰かにも言われたのかと苦笑する。
「とは言え、きみ、食べ物も余り食べないから。……どうしたもんかな」
「適当に分ければ良いんじゃないか」
 テーブルの上にできた小さいプレゼントの山を前にして処遇を考えていれば、彼はベッドの上に胡座をかいて、贈り主が聞けば大層複雑な気持ちになるような提案をした。
「……それはちょっと、人の気持ちを汲んだ方が」
「ぼくが貰ったものだから、どう采配するかはぼくの自由じゃないのか? それに食べないと腐るし」
「ちょっと相談かな……」
 頭を抱えるおれを見て、ケントは首を傾げた。その時、銀色に光る前髪が目に掛かって痒かったのか、細い指で鬱陶しそうに払い除けた。
 銀色の隙間から覗いた紫色の目は、いつも少し濁っている。
 そんな今日の同室である彼は、人を惹きつけてやまない。面倒見の良さだとか、きっぷの良い気さくな性格だとか、長く蓄えた銀糸の髪だとか。あとは、現金な話をすれば、類稀と言っても良い程に端正な顔立ちも、そうなのだろう。
 恐らく人より魅力が多いのだ。数も多くて、そのどれもがまばゆい光を放っている。
 陳腐な表現だけれど、まるで太陽そのもののようだった。
 だから。
「でも今日って何かあったか?」
 当の本人が全く見えなくなる瞬間がある。
「……今日の月日」呆気に取られながら助け舟を出す。
「十二月二十五日だぞ。それが何……ああ。あれか、冬至のやつ。降誕祭」
 日付を言いながら直ぐに思い出した様だった。
 クリスマスとは呼ばないのだな、と思う。それに行事自体を知らないのだとも言わない。
 その由来、諸説ある内の一つを一番に、つつがなく口にする。記憶の引き出しが軽いのか、重いのか、よく分からない。
 ケントにはそういう所があった。普段の、スラムで育ったが故の無知がまろび出ても、笑って許されるような気軽な振る舞いと、今みたいに、世俗から離れて妙に教養的と評されるような分野へのつぶさな言動との、微妙な捻れがあった。
 そして、それはいつも急に立ち現れる。
「そうだよ。クリスマスプレゼント。……何も知らないで貰ってたの?」
「んー、そういう事だな。返すもの考えないとな」
 真剣に捉えているのか、いないのか。間延びした口調で言いながら、彼はぱた、と仰向けになった。ベッドの大の字になって、気分良さげに寝返りを打つ。そして「そういえば」と何かを思い出したような、気軽な調子で彼はおれに尋ねてきた。
「ソウはこの時期ミサ、いや聖餐か。そういう儀式、やってたのか?」
 ミサと聖餐を区別しているような口振りに彼への捻れた観念とうっすらとした寒気を覚えて、思わず口ごもる。でも黙っている訳にもいかない。口の中で何度も言葉を転がして、取りこぼしそうになりながら答える。
「……聖餐式ね、やってるよ。今頃行事の真っ最中か、何かで、バタバタしてるんじゃないかな」
「ふうん。教会は降誕祭も祝ってるのか。なんで?」
 何時もより早口で、低い声に、はた、と気が付く。
 何故、と聞きたいのはこちらだ。と言える訳もなく、でも黙っているのも矢張り気まずくて、声を絞り出すしかない。
「それは……降誕自体を祝うことで救世主の存在を裏打ちするため、だよ」
「祝って遡って証明するのか。面白いな。そこは実際の誕生日とか気にしないのか?」
「……そもそも知る術がないから」
 苦し紛れに浅い答えを返せば、ああそうか、と間の抜けた声が返ってきた。
「行動と結果があれば良いもんな。救い主なら救済した事実だけあればそれで良い。日付は書かないか」
 冷笑は一切なく、ただただ情報を整理するためだけに言う独り言のように、ぼそぼそと呟く。かと思えば、彼は突然起き上がって、こちらを見つめてきた。
 目線がピッタリと合って離れない。
 彼の美しい紫色の瞳は濁りを増して、底が見えない。その双眸でじっと見つめられれば、何時もそうなる様に、今回も、何となく、息苦しい。
「何、急に」
「んー? 救済って何だろうなって話だぞ。救世主が救世主たる為には救済をしなければならない。そう在る事を求められているなら、救済の定義をする必要があるって話だな」
 顔は、笑っているようで笑っていない。話は、分かるようで分からない。
 ケントの表情は、唇が弧を描くだけで、濁りに濁った紫色の瞳はぱきぱきと窓からの光を反射して、眼鏡のレンズごと無機質に輝く。彼は、何かが乗り移ったのかと、錯覚するような。生気のない笑みを貼り付けている。
 ひゅっと空気が喉を掠める。無意識に息を深く吸っていた。無意識で、不意打ちで、冷たいそれが直撃してむせそうになる。
「救世主の話、主題じゃ、ないんだ」
 震えそうな声を咳払い一つで律して呟けば、彼は一層笑みを深めた。
「だって極論、救世主の存在はどうでもいいだろ」
 ははは、と乾いた笑い声が付け足される。
「大事なのは誰がやったかじゃなくて、救済が何か。信じるに足る事実らしいものがあるか。それぐらいの事じゃないのか? 教会、いやソウの所は聖書だな。聖書を読む人間が重視するものって」
 そうして、恐ろしいことを言う。聖職者にとって恐ろしく在るべき言葉を。全ての根幹を底抜けにしかねない恐ろしい事実を、恐ろしい表情で言うのだ。本当に、普段の第三者からの印象と今のおれの心象と今の彼の言動、何もかもが重ならず、結びつかず、捻れていく。
 普段の魅力の影に隠れた歪みが何なのか、よく分からない。そもそも歪み自体が彼の本質なのかも、分かっていない。一時を過ごすだけの人間には見えもしないそれが、寝食を共にして半年は優に超え、一年も経とうとしている、境遇に覚えがある自分にすら未だ良くは見えないから、怖い。
「……牧師にそれ言う?」
「なんだ、不信心の告解はしないのか。良い機会なのに」
 あっけらかんとした発言の中にあっさりとおれ自身の秘密が握られていて、どきりと心臓が跳ねて、急速に冷えていく。頭の中が真っ白になる。
 そんなおれを他所に、ケントは淡々と言葉を続ける。
「結局救いって相手が掴まなきゃ意味がないんだぞ。そういう話は今は載ってないのか?」
「……とんでもない煽り方してくるよね、きみ。あるよ、大いにある」
 今だって、ととりとめのない言葉を吐き出しながら、落ち着こうと藻掻く。まるで昔を知っているかの様な口振りが、焦りに拍車を掛ける。
 紫色の瞳は未だにこちらを見つめていて、未だ無機質に光っていて、それでも彼自身の太陽たる魅力と呼ばれる性質は損なわれず、寧ろ一層引き立てられている錯覚を覚えて。こんな下らない思考も何もかもが全て見透かされている気がして、堪らなく嫌だった。
「でも流石に、言えないよ。そこまで見透かされてると」
「えー! 救世主って見透かすものなのに?」
 素っ頓狂な声を上げたかと思うと、きゅうと目が細くなる。外から光が徐々に瞼に阻まれて、ついに瞳を照らさなくなる。彼の中ではそれなりの救いだったとでも言うのだろうか。だとしたら、傲慢だ。救世主と呼ぶには、余りにも目敏くて昏い。
 同時に、聖書の救世主に対しても全く同じように感じたのも思い出す。
「救世主より悪魔だろ、それは」
「えー!?」
 つい溢れた一言に、ケントが一際大きくて、また調子外れた声を上げた。そしてぎゅっと目を瞑って眉を下げる。
 いつもの、何かをやらかしたときの顔だった。愉快な、と形容しても良いような表情だ。第三者から見たケントの範疇に収まっていく。
「やっぱり難しいぞ、こういう役割は。始めから向いてないな」
「……急に何でこんな事を?」
「ごっこ遊びの延長線だな」
 微妙に噛み合っていない答えを口にして、頭を傾けて黙考に勤しむ彼を見るに、やたらと引きつけられる目の濁りもすっかり減っていた。どうやら漸く平常運転に戻ったらしい。
 ケントの不気味なテンションはいつも突然始まって突然終わる仕組みになっているようだった。スイッチが入るタイミングはわからない。切れるきっかけもわからない。かと言って気まぐれである、とも断言できない。
 こちらはケントの何もかもがわからない。それでもケントはこちらを見透かしてくる。秘密もくり抜いて、手に握って、見透かしてくる。
 故に全てが彼の掌中にある。
 自分で何度確認しても、未だに心臓が空打ちしている気がしてならない。息が肺からたっぷりと出ていって、知らぬ間に息を止めていたのだと気が付く。
 彼の中で、彼なりの、救済のつもりだった申し出と、告解までの追い込み方と、その昏い笑みが脳裏に染み付いている。本当に悪魔のような男だ。
 本当に、縋ったら終わりな気がしてならない。
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