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花村宅 夜
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新学期早々、バイトを終えて帰宅。
風呂から上がってタオルで髪をガシガシやってると、スマホに着信があった。
なんだ?
時刻は夜で、もうすっかり夜空に星が瞬く時間帯だ。こんな時間に電話がくるなんて珍しいと、俺は相手を確認。さらに目を見開いて、すかさず通話ボタンを押す。 -
花村 陽介
はい、もしもし
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花村 陽介
どしたよ瀬名
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瀬名 瑞月
もしもし、花村?
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瀬名 瑞月
今、時間……いいか?
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花村 陽介
あぁ、いいぜ。いま、風呂から上がったばっかだし
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花村 陽介
つか、どしたよ?
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花村 陽介
なんか声、元気なさそうだけど……
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通話相手──瀬名瑞月の様子に、俺は気がかりを覚えた。
いつもは凛と張ったはずの声が、今は少し頼りない。
それだけと思うかもしれないけど、彼女は性格的に、落ち込んだところをあまり他人に見せない人間だ。
だから隠すことも、否、隠せないほどに落ち込んでいる彼女が、付き合いの長い友人としては気がかりだった。
すると彼女は、消え入りそうな響きで返答をよこす。 -
瀬名 瑞月
……うん。まぁその通りだ
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瀬名 瑞月
あまり……見たくないものを見てしまってな
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花村 陽介
瀬名……?
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瀬名 瑞月
あ、すまない
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瀬名 瑞月
話したいのは、私の不調とか、そんなことではないんだ
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瀬名 瑞月
ちょっとお礼を言いたくて。
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花村 陽介
お礼?
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花村 陽介
なんの?
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花村 陽介
つか、不調もやべーだろ
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花村 陽介
無理はすんなよな
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瀬名 瑞月
心配ありがとう
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瀬名 瑞月
きみがそう言ってくれるのが、私にとっては一番の薬だ
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花村 陽介
?
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瀬名 瑞月
っと、何でもない。気にしないでくれ
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瀬名 瑞月
今日の午後、里中さんたちと帰れるように取り計らってくれたろう?
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瀬名 瑞月
ほら、転校生も交えて
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花村 陽介
あぁ、あんときな。
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花村 陽介
お前、すっげ焦ってたから一人で行かせるの、なんかなーって思って呼び止めちまったんだよな
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花村 陽介
ごめん。いま思えばスゲーおせっかいだったかも
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瀬名 瑞月
そんなことはない
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瀬名 瑞月
私はきみの提案で本当に助かったんだ
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花村 陽介
おいおい
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花村 陽介
どしたんだよ、改まって
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心の底から吐き出されたような感謝の言葉に、俺は身体がむずむずした。別段、感謝されることはしていないのだ。
集団下校が指示されるなか、一人で帰ろうとする彼女を説得しただけ。
身の丈に合わない感謝がこそばゆくて、俺はおろおろしてしまう。 -
花村 陽介
なんか照れるっつーか……
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花村 陽介
ちょっと言い方、大げさじゃねーの?
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瀬名 瑞月
本当にそんなことはない
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瀬名 瑞月
実はな……その……
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瀬名 瑞月
花村は、見たか? 今夜のニュース
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瀬名 瑞月
その……鮫川の
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ためらいがちに告げられた問いに当てはまるニュースなんて、ひとつしかない。
鮫川沿いの住宅地で奇妙な遺体が発見されたというセンセーショナルな事件。
彼女はきっと、それについて言いたいのだろう。 -
花村 陽介
ああ
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花村 陽介
あれだろ? 死体が民家にぶら下がってたとかいう……
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瀬名 瑞月
ああ
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瀬名 瑞月
実は運悪く、帰り道でその近くを通ってしまってな
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花村 陽介
マジかよ!?
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花村 陽介
大丈夫だったんか?
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俺はヒヤリとした。
まさか友人がそんなおぞましい事件の現場に居合わせたなんて想像もつかなかったからだ。 -
瀬名 瑞月
大丈夫ではなかったな
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瀬名 瑞月
どうもああした事件や事故は、昔から見るのも聞くのも苦手でね
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瀬名 瑞月
ブルーシートや、たくさんのサイレンに息苦しくなってしまうんだ
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花村 陽介
え、じゃあ、いま体調悪いのも……
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瀬名 瑞月
遠目で現場を見てしまったせいだな
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瀬名 瑞月
さいわい、千枝さんや雪子さんが見守ってくれたから帰宅することができたのだが
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花村 陽介
……そっか。良かった
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瀬名 瑞月
うん
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瀬名 瑞月
花村があのとき、ひき止めてくれたおかげだ
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瀬名 瑞月
ありがとう
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瀬名 瑞月
きみのおかげで助かったし、佳菜を一人で帰らせずに済んだ
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彼女の言葉にはありありとした感謝と安堵がにじむ。
それを聞いて俺は胸を撫で下ろすと同時に、ハッとした。
か弱い妹を持つ、そして事件や事故が苦手だという瀬名にとって、この奇妙な事件はヒトゴトで楽しめるものではないのだろう -
花村 陽介
佳菜ちゃんのコトもあるし、犯人早く捕まってほしいよな
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瀬名 瑞月
本当にな
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瀬名 瑞月
それと……
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瀬名 瑞月
まだ、お礼を言いたいことがあるんだ
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花村 陽介
えっ、まだあんの!?
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瀬名 瑞月
ああ
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瀬名 瑞月
転校生がいただろう? 今日里中さんが一緒に連れてきた
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花村 陽介
ああ
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花村 陽介
都会から転校してきたっていう、なんかオシャレそうなヤツな
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花村 陽介
髪の毛、マジで男かと思うくらいサラッサラだった
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瀬名 瑞月
そうなのか……
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瀬名 瑞月
私は変わった髪色だと思ったくらいだが
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瀬名 瑞月
彼もきみに感謝したいと言っていたのでな
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瀬名 瑞月
きみが私と帰れるよう取り図らってくれたおかげで、小学生のいとこの娘さんを迎えに行くことができたって
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花村 陽介
あー、そういやなんか『下宿先の娘さん』とか言ってたよな
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花村 陽介
親と一緒に来たんじゃねーのな
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瀬名 瑞月
ご両親が揃って海外勤めになって、さすがに連れてはいけないとなったらしい
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瀬名 瑞月
それで叔父殿の家に預けられたんだそうだ
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花村 陽介
へぇ……
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花村 陽介
んじゃ、親の都合ってこと……
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瀬名 瑞月
気になるのか?
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花村 陽介
んー、そうだな
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花村 陽介
都会出身ってこともあるし
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花村 陽介
なんかちょっと……似てるっぽいなって
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瀬名 瑞月
そうか
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瀬名 瑞月
転校生も、きみのことが気になっているみたいだ
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瀬名 瑞月
服装が都会っぽいって
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花村 陽介
マジ!?
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花村 陽介
そっか! どんなヤツだった?
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瀬名 瑞月
素直そうだったよ
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瀬名 瑞月
こっちに来たばかりだというのに、従姉妹さんの安全を気にかけていたから、悪い人ではないみたいだし……
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花村 陽介
なんかちょっと、年下の子気にかけてるってのがお前と似てる感じもあるな
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瀬名 瑞月
……そうか?
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花村 陽介
そうそう
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瀬名 瑞月
ふーむ……
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瀬名 瑞月
まぁ、気になるようであれば、明日話しかけてみたらどうだ?
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花村 陽介
んじゃ、そうしてみっかな
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花村 陽介
ちょっと転校生と話す楽しみになってきた
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花村 陽介
あ、それとさ瀬名……
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瀬名 瑞月
?
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瀬名 瑞月
どうした花村?
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花村 陽介
明日の朝、俺も一緒にガッコ行こうか?
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花村 陽介
ほら、事件のこともあるしさ
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瀬名 瑞月
花村……
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花村 陽介
なんならチャリ、乗せるぜ?
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瀬名 瑞月
いや、自転車は2人乗り禁止だからな?
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瀬名 瑞月
危ないからな?
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花村 陽介
うぐっ、そうでやしたね……
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花村 陽介
クソッ、青春のあこがれベスト10のひとつが……
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瀬名 瑞月
ふふっ、なんだそれは
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瀬名 瑞月
しかし、ありがとう。それから、大丈夫だ
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瀬名 瑞月
あしたは、佳菜を小学校まで送り届けるのに、早く家を出ないといけないから
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瀬名 瑞月
きみも今日、バイトだったのだろう?
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瀬名 瑞月
疲れをとるためにきちんと寝て、明日の学校で元気な姿を見せてくれ
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彼女の発言に、俺は思わず笑ってしまった。これではまるで、瀬名が俺の保護者のようだ。
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花村 陽介
ハハッ、変なの
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花村 陽介
なんかお前、お母さんみてー
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瀬名 瑞月
?
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瀬名 瑞月
友達の元気な姿を見ると、なんだか安心しないか?
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花村 陽介
……まぁ、たしかにな
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花村 陽介
分かった。じゃあ、明日は学校で会うってコトで
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花村 陽介
でも、お前だって気をつけろよな。女の子なんだから
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瀬名 瑞月
…………
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花村 陽介
アレ、瀬名どした?
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花村 陽介
携帯の電波わるいんか?
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瀬名 瑞月
ああ……ちがくて
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瀬名 瑞月
その、ありがとう
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瀬名 瑞月
そんなふうに心配してくれるなんて、やっぱり花村は優しいな
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花村 陽介
お、おう
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花村 陽介
べつに当たり前のコト、言っただけだけど
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瀬名 瑞月
その”当たり前の心配”が私には嬉しいんだ
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瀬名 瑞月
ありがとうな
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花村 陽介
いやいやいや!
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花村 陽介
ありがとう言い過ぎだろ! たかが電話なのにさ
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瀬名 瑞月
私にとっては、”たかが”ではないんだ
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瀬名 瑞月
その……なんだ……
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瀬名 瑞月
電話だと声が聞こえるだろう?
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花村 陽介
?
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花村 陽介
うん。そりゃ電話だし
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瀬名 瑞月
なんとなく、きみの……花村の声が聞きたかったんだ
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瀬名 瑞月
花村の声、安心するから
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花村 陽介
ハァ!?
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瀬名 瑞月
どうした花村? そんなに慌てて
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花村 陽介
いっや慌てんだろーがよっ!
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花村 陽介
いきなり声聞きたいとか、安心するとか、
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花村 陽介
俺はお馴染みバラエティのナレーターかッ!?
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瀬名 瑞月
ちがう
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瀬名 瑞月
あんな騒がしいものでは断じてない
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瀬名 瑞月
花村の声は、なんだか安心するんだ
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瀬名 瑞月
落ちこんだときとか、心が乱されているときとか
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瀬名 瑞月
君の声を聞くと、安心できる
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花村 陽介
いや、ストップッ!!
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花村 陽介
なんでオレ、現在進行形で褒め殺されようとしてるわけッ!?
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瀬名 瑞月
べつに事実を言ったまでなのだが……
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花村 陽介
おっまえさぁ……
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花村 陽介
ハァ……まぁいいや……
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花村 陽介
お前が俺と話して元気になったってんならさ
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花村 陽介
ジッサイ電話かけて来たときより、声明るくなってるしな
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瀬名 瑞月
!
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瀬名 瑞月
ああ……その……
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瀬名 瑞月
元気をもらえた……ありがとう、花村
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花村 陽介
……っお、おう
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瀬名 瑞月
すまなかったな、時間をとってしまって
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花村 陽介
ん、全然
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花村 陽介
あのさ……俺もお前が元気になって……安心したわ
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瀬名 瑞月
!
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花村 陽介
またなんか、不安とかあんなら電話しろよ
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花村 陽介
何もできなくても、ハナシ聴くくらいならできるし
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花村 陽介
話せないコトとかでも、くだらねーハナシで楽しませるくらいはできっから
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瀬名 瑞月
…………
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花村 陽介
?
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花村 陽介
おーい、瀬名ー?
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瀬名 瑞月
あ……すまない。返答が遅れた
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瀬名 瑞月
その……きみの心遣いが嬉しくてな
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瀬名 瑞月
感謝する。ありがとう花村
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瀬名 瑞月
だいぶ元気になった
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花村 陽介
ハハッ、そんくらいお安いご用だわ
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花村 陽介
だから、気にすんな
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瀬名 瑞月
……うん
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花村 陽介
んじゃな、瀬名
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花村 陽介
お前の言うとおり、そろそろ寝るわ
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花村 陽介
また明日な
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瀬名 瑞月
ああ、花村。おやすみ
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瀬名 瑞月
また学校でな
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──しばらくしてツーッ、ツーッと電話が切れた。
俺はスマホをヘッドボードに置いて、布団にもぐりこむ。そうして、柔らかな枕に乗せた頭のなかで、彼女の言葉をくりかえしくりかえし思い浮かべた。 -
花村 陽介
『なんだか安心する声』か……
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俺はいつも、瀬名に助けられてばっかりだ。だから、あいつが俺と話をすることでそんな風に思っていてくれているのかと知って、ずっと胸がポカポカしていた。
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明日は何を話そうか。なんて考えながら俺はバイトの疲れも忘れて、心地の良い眠りに身を委ねた。
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