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弾けるシャンパンのような街の明かりに照らされ、コツコツとヒールを鳴らしながら大股で闊歩している。理由は直属の上司が、取引先とのやり取りで必要な部品の発注数を間違えた事だった。
受話器を取って耳に当てた瞬間、どういう事だとこちらの鼓膜を破壊する勢いが襲ってきた。目の前のパソコンに向かって頭を下げながら話を聞いていけば、三カ月前に発注した部品が納品されたけれど、数が合わないらしい。取引先と会話を続けながら、三カ月前の書類を引っ張り出せば聞いた数と合わない。そして、受注者や最終確認者を見れば、直属の上司の名前が記されている。この上司、コネ入社したお局様で、まぁ困った事に仕事が出来ない。コミュニケーションを取らない、人の話を聞かないと厄介極まりない存在で、数々の部署で問題を引き起こし、こうしてうちの部署に回ってきた疫病神だ。
過ぎた事はいい、今はこの怒り狂う取引先の怒りを鎮める事と、信用関係を崩しかねないこの事態に私がどう立ち向かうか試される。結局、ありとあらゆる無茶をしたおかげで、取引先からは厳重注意を受けるだけで済んだが、事の発端を起こした張本人が私に向かって「ミスするなんて、貴女は一体何年勤めているの?!」とヒステリックに説教してきたものだから、私の怒りのボルテージは頂点に達した。
事務所内でくどくどと続く説教に、拳を握りしめる。あのクソババア、自分のミスを私になすりつけやがって……。そう心の中で毒づくも、実際はただただ注がれる罵倒を耐えるしかない。長い辱めと、起こしてもいない始末書を書き終えると、苛立ちを一切隠す事無く会社から立ち去った。
眠らぬ街、シンジュク・ディビジョンの多すぎる人の間を縫って、帰路へ就く。こんな精神的に疲れた日は、お酒でも飲んで全てを水に流したい。適当なバーに入って一杯引っかけようか、それか居酒屋に行って安酒を浴びる程飲むのも悪くない。どうせ明日は休みだし、彼氏もいなければ、遊ぶ予定もない。羽目を外すのに週末程丁度良い日はない。呼び込みのお兄さんの声を入れながら、どのお店に行こうか考えているとぽんと肩を叩かれた。振り返れば、黒いスーツをかっちりと着こなした金髪の男性がにっこりと微笑んでいる。
「子猫ちゃん、何か探しているんですか?」
ニコニコと営業用の微笑を携えたとても綺麗な青年。青年の質問にお酒が飲みたいと言えば、じゃあうちに来て下さい、すっごく楽しいですからと腕を引っ張られてしまう。安易に頷いてしまったが、青年の行く店とはどんなところだろうか。手持ちは最悪クレジットカードがあるから何とかなるだろう。さぁ早くと無邪気な彼に、少しだけ真っ黒だった気持ちが浮上した。
彼に連れられてやってきた扉を開けば、シンジュクの街並みと変わらない煌びやかな世界。かっちりとしたスーツをモノとしないで軽やかに歩む男性、上品な香りを纏って淑やかに笑う男性、ワイングラス片手に並々と注がれた液体で喉を鳴らす男性。そんな彼らに囲まれて一夜限りの姫となる様々な年代の女性。そう此処はホストクラブというヤツだ。人生初めてのホストクラブにどうしていいのか戸惑っていれば、先程の青年にこっちと手を引かれる。進む彼の耳元に不安からこういうところは初めてだとおそるおそる告げた。
「大丈夫ですよ、僕がお酒を飲む楽しさを教えてあげますから。ね?」
そう言って様になりすぎているウインクを落とした彼に、ドキリと不意をくらう。彼に勧められたまま座ったソファ。固すぎず柔らかすぎない材質に何だか落ち着かない。横を見れば一気飲みを促す女性と、そんな彼女に応えて嬉しそうに飲み干していくホスト。その隣はホストの腕に絡んで楽しそうに笑う少女のような女性。此処に居る自分が場違いすぎると背中へ浮かぶ冷や汗に、帰りたいという気持ちが込み上げる。
「何が飲みたい?」
「えっと……」
「普段はどんなのを飲んでるんですか?」
「……ビ、ビール」
目の前でキラキラと輝きを見せる彼に、ビールと返すのが何だか恥ずかしい。仕事疲れのくたびれた女の口から出てくる、庶民の味方。華やかな彼には似つかわしくない気がして、俯いていればクスリと息の漏れる音が聞こえる。そっと窺えば、口元に手を当てて目元を和らげた彼がいいよね、ビールと肯定を返してくれた。
「疲れた時に飲むと生き返ります」
「うん、そうなんだよ。生きてるな~ってなる」
「あはは! 僕も同じ、気が合いますね!」
取っつきにくそうだと思っていたら、案外そうでもなかった。ビールを皮切りにいろんなお酒の話が上がる。職業柄お酒は嫌でも覚えると言った彼のススメと、気持ちをさっぱりさせたい思いから気付けばモヒートを煽っていた。飲みやすさと爽やかなミントの香りが口内にとろけてまた一口と喉を通っていく。今日の最悪なミスを彼に愚痴っていると、突然発せられた声に会話が中断する。モヒートを口で転がしていれば、そういえば名乗ってなかったと眉をハの字にして小さくなって恥ずかしさを訴える彼に、可愛さから口元が緩んだ。
「笑わないで下さいっ」
「ごめんごめん、話してたところに急だったから」
「子猫ちゃんの可愛さに魅了されてしまって、ね。……僕は一二三っていいます」
改めてよろしくねと笑った彼の笑顔がすごく眩しくて、すごくかっこいい。その後、楽しい時間を過ごしお会計を済ます。思ったより安かった金額に、また一二三に会いに来たいなと心から思った。
それから週末になると私は一二三に会いに行っていた。一二三は私が来ると嬉しそうに笑って、手を差し伸べながら会いたかったよ、子猫ちゃんって出迎えてくれる。辛い事があっても一二三に全てを打ち明ければ、スッと心が晴れていく。疲れきった週末の華やいだ世界だけが私に救いをもたらしていた。
何度目になるか忘れてしまったが、ある時一二三が珍しく暗い顔を見せていた。はぁとらしくないため息を落とす彼に心配が込み上げる。どこか具合が悪いんじゃないかと、表情を窺えば、どうしたのと優しい疑問が投げかけられる。だけど、その笑みはいつもの明るさよりも何処か曇ったような明るさだった。
「ムリしてるの?」
「そんな事ないよ」
「嘘。今日の一二三は一二三らしくない」
「ごめんね、イヤな思いさせちゃって」
「違うの、私は一二三が心配なだけ」
色白の手を握りながら私は一二三が好きだからと言えば、一二三の目がゆっくりと見開かれる。本当に? と、潤ませながら問うてきた彼に力強く頷けば、朗らかに嬉しいと声を震わせて呟く。私に出来る事があれば言って欲しい、と目を見つめながら言えば、一二三の瞼はそっと閉じ、それは言えないんだと唇を噛みしめる。
「どうして?! 私は一二三の為なら何でも出来る!」
「でも、子猫ちゃんに迷惑をかけてしまうから……」
「そんな事ない! ねぇ、言ってよ。お願いだからっ」
どうしても一二三の力になりたい。いつも私の心を救ってくれる彼に、お返しがしたかった。例え客とホストというお金で繋がる関係でも、私が一二三に心を許すように、一二三も私に心を許してくれていると少なからず思っている。私の気持ちが伝わって欲しくて、握る手の力を少し強くすれば、一二三の曇った表情が雨模様に変わる。
「やっぱり言えない」
「私じゃ役不足なの? 大丈夫よ、どうにかするから」
「……実は」
頑なに閉じられた殻を割ってもらう為に、強く訴えかければ心を決めた一二三がゆっくりと言葉を紡ぐ。その内容は本来であれば許されないのだが、彼のお客さんの一人が指名替えをしてしまい、一二三個人の売り上げが大幅に落ちてしまったらしい。ホストという仕事は全て売り上げがモノをいう世界、売り上げが落ちれば一二三のホストとしての仕事も大変な事になるし、下手したらホストを辞めてしまうかもしれない。そう脳内で瞬時に導き出すと、自ずと答えが生まれ、握る手を強くし、目に決意を浮かべて口にした。
「私に任せて」
「子猫ちゃん、でも……」
「大丈夫だから。一二三の顔は私が保ってあげる」
その日から私の給料は全て一二三へと捧げられた。また、子猫ちゃんの呼び名から青子へと変化した。一二三の口から紡がれる掠れた甘ったるさが、酷く心地よくて、耳にいつまでも残る響きに私は強い独占欲を感じるようになった。一二三に名前を呼ばれるのも、甘く囁き合うのも、隣に居られるのもすべて私だけの特権。他の女には許されない、私だけのもの。
「一二三、会いに来たよ」
「青子、会いたかったよ」
そう言って腰に手を回してエスコートしてくれる彼はとても優しい。今日は給料日だから、リシャール入れてあげるねって腕に絡みつきながら言えば、一二三が嬉しそうに笑うんだ。
「ありがとう、青子。大好きだよ」
「一二三、私もだよ」
一二三の愛を受けられるこの瞬間がこの上なく幸せだ。
コツコツ溜めた貯金はたった三ヶ月で底をついた。週末に何百万もの金額を一二三の為に使っているのだから、いつか底を付くのは分かりきっていた。しかし、思った以上の早さに、通帳を握る両手が勝手に震える。このままじゃ一二三に会えない、誰かに私の一二三を盗られてしまう。そんな焦りから、私はどうすればこれまで通りに巨額な金額を一二三の為に捻出出来るか懸命に考える。今の仕事ではすぐに昇給しないし、かといってダブルワークなんかしたら一二三に会いに行く時間がなくなる。
「あ、今すぐ手に入る方法があるじゃん」
女だから出来る事、そう体を売ればいい。そうすれば、たくさんのお金が手に入る。今まで通りに一二三との甘い空間を堪能出来る。そうと決まればパトロンを作ろう。スマホで出会い系アプリを複数ダウンロードして、金払いの良さそうな男を片っ端から漁り始めた。
お金さえ手に入ればそれで良かった。だから、小汚いおっさん相手でも、とんでもないブ男でも、素人童貞でも金払いが良ければ気にしない。どんなに変態プレイを要求されても、高額な金になると思えばいくらでも我慢出来た。それに今この苦痛を耐えきれば、一二三が私を癒してくれる。また会いたかったって、好きだって言ってくれる。その為ならいくらでも体を張れた。
「一二三、好きって言って」
「好きだよ、青子」
一二三に出会って半年。私はその日もいつも通りお店の中で一二三に甘えていた。体を売って作ったお金でシャンパンを入れれば、私と一二三の周りを若手のホスト達が囲む。そして、明るい掛け声と共に流し込まれるシャンパンを見つめながら、一夜限りの宴に高揚する。この大きなホールでシャンパンコールを受ける私は、間違いなく今日の客の中で一番だ。私が一二三を一番にしている優越感、今まで生きてきた中でこれ程までに気持ちを高ぶらせるモノはあっただろうか?
「嬉しい?」
「もちろん、嬉しいよ」
「じゃあこの後、私の為に時間を使ってくれる?」
もっと一二三と居たくて、もっと一二三を独占したくて、もっと一二三を知りたい。日に日に強くなる欲望を満たしたくて、今まで口に出来なかった想いを告げれば、私の想いに応えてくれる優しい彼。早く終わらないかと、未だコールを上げるホスト達の声を耳に入れながら、一二三の腕に抱きついた。
お店を出た私達は、個室に行きたい私の要望でカラオケ店に足を運んだ。適当な時間で入った個室の扉を閉めると、先にソファへ腰を掛けた一二三の横に座って抱きついた。
「ねぇ、一二三。私一二三が大好きなの」
「僕も青子が好きだよ」
「私と付きあって」
本音を吐き出すと一二三の目が見開き、そして大きな息を吐く。どんな答えが来るか待ちわびていれば、今まで見た事のない酷く冷たい目に、背中が大きく震えた。
「僕と君は、ホストと客。それ以上にはなれないよ」
「一二三本カノ居ないでしょ?! なら私を本命にしてよ!」
「青子。はぁ、そういうのは面倒だから止めてくれないかな?」
僕はあくまで仕事で君と会っているんだよ、と言いきった一二三に怒りが込み上げる。私は一二三が好きだから、今までたくさんのお金を使ってきた。それに対して一二三は好きだと言って応えてくれたのに、今までの態度は何だったの?
「だったら、今までのお金全部返してよ!!」
「落ち着いて、青子。それに、今までのお金全部を返してもいいけど……もう二度と僕と会えなくなっちゃうけどいいのかな?」
「……っ、そしたら一二三だって売り上げに困るでしょっ?!」
「ん? あぁ、大丈夫だよ。だって僕の一番のお客さんは君じゃないから」
「う、そ……っ」
「それにこれまで通り青子が僕の為にお金を使ってくれれば、僕はこれからもずっと好きって言ってあげる」
どうする? そう悪魔のような笑いを浮かべる一二三に言葉を失う。今まで通りにお金を積めば私の想いに応えてくれる。そうきっぱりと言い、私と一二三の温度差をまざまざと突きつけられ、心が真っ黒に染まるのを感じた。
「一二三っ……」
「どうしたの? 青子」
「好きなのっ、好きなのよ……!」
「うん、僕も大好きだよ。お金を持ってきてくれる従順な青子が、とってもね」
青子は出来る子だから、まだまだ持ってこられるよね。泣き崩れる私の頬に手を這わせて、涙を指で拭ってくれる一二三は、初めて来店したあの日と同じ無邪気で明るい笑顔を見せる。だけど、その瞳の奥は私の心以上に深い闇をチラつかせていた。
一二三の狡猾な見せかけの愛情に捕らわれた私は、苦しいと感じてもまた一二三に会いに行くんだろう。胸に巣食う一二三の糸に絡め取られ、逃げる術を失ってしまった哀れな敗者なのだから。
受話器を取って耳に当てた瞬間、どういう事だとこちらの鼓膜を破壊する勢いが襲ってきた。目の前のパソコンに向かって頭を下げながら話を聞いていけば、三カ月前に発注した部品が納品されたけれど、数が合わないらしい。取引先と会話を続けながら、三カ月前の書類を引っ張り出せば聞いた数と合わない。そして、受注者や最終確認者を見れば、直属の上司の名前が記されている。この上司、コネ入社したお局様で、まぁ困った事に仕事が出来ない。コミュニケーションを取らない、人の話を聞かないと厄介極まりない存在で、数々の部署で問題を引き起こし、こうしてうちの部署に回ってきた疫病神だ。
過ぎた事はいい、今はこの怒り狂う取引先の怒りを鎮める事と、信用関係を崩しかねないこの事態に私がどう立ち向かうか試される。結局、ありとあらゆる無茶をしたおかげで、取引先からは厳重注意を受けるだけで済んだが、事の発端を起こした張本人が私に向かって「ミスするなんて、貴女は一体何年勤めているの?!」とヒステリックに説教してきたものだから、私の怒りのボルテージは頂点に達した。
事務所内でくどくどと続く説教に、拳を握りしめる。あのクソババア、自分のミスを私になすりつけやがって……。そう心の中で毒づくも、実際はただただ注がれる罵倒を耐えるしかない。長い辱めと、起こしてもいない始末書を書き終えると、苛立ちを一切隠す事無く会社から立ち去った。
眠らぬ街、シンジュク・ディビジョンの多すぎる人の間を縫って、帰路へ就く。こんな精神的に疲れた日は、お酒でも飲んで全てを水に流したい。適当なバーに入って一杯引っかけようか、それか居酒屋に行って安酒を浴びる程飲むのも悪くない。どうせ明日は休みだし、彼氏もいなければ、遊ぶ予定もない。羽目を外すのに週末程丁度良い日はない。呼び込みのお兄さんの声を入れながら、どのお店に行こうか考えているとぽんと肩を叩かれた。振り返れば、黒いスーツをかっちりと着こなした金髪の男性がにっこりと微笑んでいる。
「子猫ちゃん、何か探しているんですか?」
ニコニコと営業用の微笑を携えたとても綺麗な青年。青年の質問にお酒が飲みたいと言えば、じゃあうちに来て下さい、すっごく楽しいですからと腕を引っ張られてしまう。安易に頷いてしまったが、青年の行く店とはどんなところだろうか。手持ちは最悪クレジットカードがあるから何とかなるだろう。さぁ早くと無邪気な彼に、少しだけ真っ黒だった気持ちが浮上した。
彼に連れられてやってきた扉を開けば、シンジュクの街並みと変わらない煌びやかな世界。かっちりとしたスーツをモノとしないで軽やかに歩む男性、上品な香りを纏って淑やかに笑う男性、ワイングラス片手に並々と注がれた液体で喉を鳴らす男性。そんな彼らに囲まれて一夜限りの姫となる様々な年代の女性。そう此処はホストクラブというヤツだ。人生初めてのホストクラブにどうしていいのか戸惑っていれば、先程の青年にこっちと手を引かれる。進む彼の耳元に不安からこういうところは初めてだとおそるおそる告げた。
「大丈夫ですよ、僕がお酒を飲む楽しさを教えてあげますから。ね?」
そう言って様になりすぎているウインクを落とした彼に、ドキリと不意をくらう。彼に勧められたまま座ったソファ。固すぎず柔らかすぎない材質に何だか落ち着かない。横を見れば一気飲みを促す女性と、そんな彼女に応えて嬉しそうに飲み干していくホスト。その隣はホストの腕に絡んで楽しそうに笑う少女のような女性。此処に居る自分が場違いすぎると背中へ浮かぶ冷や汗に、帰りたいという気持ちが込み上げる。
「何が飲みたい?」
「えっと……」
「普段はどんなのを飲んでるんですか?」
「……ビ、ビール」
目の前でキラキラと輝きを見せる彼に、ビールと返すのが何だか恥ずかしい。仕事疲れのくたびれた女の口から出てくる、庶民の味方。華やかな彼には似つかわしくない気がして、俯いていればクスリと息の漏れる音が聞こえる。そっと窺えば、口元に手を当てて目元を和らげた彼がいいよね、ビールと肯定を返してくれた。
「疲れた時に飲むと生き返ります」
「うん、そうなんだよ。生きてるな~ってなる」
「あはは! 僕も同じ、気が合いますね!」
取っつきにくそうだと思っていたら、案外そうでもなかった。ビールを皮切りにいろんなお酒の話が上がる。職業柄お酒は嫌でも覚えると言った彼のススメと、気持ちをさっぱりさせたい思いから気付けばモヒートを煽っていた。飲みやすさと爽やかなミントの香りが口内にとろけてまた一口と喉を通っていく。今日の最悪なミスを彼に愚痴っていると、突然発せられた声に会話が中断する。モヒートを口で転がしていれば、そういえば名乗ってなかったと眉をハの字にして小さくなって恥ずかしさを訴える彼に、可愛さから口元が緩んだ。
「笑わないで下さいっ」
「ごめんごめん、話してたところに急だったから」
「子猫ちゃんの可愛さに魅了されてしまって、ね。……僕は一二三っていいます」
改めてよろしくねと笑った彼の笑顔がすごく眩しくて、すごくかっこいい。その後、楽しい時間を過ごしお会計を済ます。思ったより安かった金額に、また一二三に会いに来たいなと心から思った。
それから週末になると私は一二三に会いに行っていた。一二三は私が来ると嬉しそうに笑って、手を差し伸べながら会いたかったよ、子猫ちゃんって出迎えてくれる。辛い事があっても一二三に全てを打ち明ければ、スッと心が晴れていく。疲れきった週末の華やいだ世界だけが私に救いをもたらしていた。
何度目になるか忘れてしまったが、ある時一二三が珍しく暗い顔を見せていた。はぁとらしくないため息を落とす彼に心配が込み上げる。どこか具合が悪いんじゃないかと、表情を窺えば、どうしたのと優しい疑問が投げかけられる。だけど、その笑みはいつもの明るさよりも何処か曇ったような明るさだった。
「ムリしてるの?」
「そんな事ないよ」
「嘘。今日の一二三は一二三らしくない」
「ごめんね、イヤな思いさせちゃって」
「違うの、私は一二三が心配なだけ」
色白の手を握りながら私は一二三が好きだからと言えば、一二三の目がゆっくりと見開かれる。本当に? と、潤ませながら問うてきた彼に力強く頷けば、朗らかに嬉しいと声を震わせて呟く。私に出来る事があれば言って欲しい、と目を見つめながら言えば、一二三の瞼はそっと閉じ、それは言えないんだと唇を噛みしめる。
「どうして?! 私は一二三の為なら何でも出来る!」
「でも、子猫ちゃんに迷惑をかけてしまうから……」
「そんな事ない! ねぇ、言ってよ。お願いだからっ」
どうしても一二三の力になりたい。いつも私の心を救ってくれる彼に、お返しがしたかった。例え客とホストというお金で繋がる関係でも、私が一二三に心を許すように、一二三も私に心を許してくれていると少なからず思っている。私の気持ちが伝わって欲しくて、握る手の力を少し強くすれば、一二三の曇った表情が雨模様に変わる。
「やっぱり言えない」
「私じゃ役不足なの? 大丈夫よ、どうにかするから」
「……実は」
頑なに閉じられた殻を割ってもらう為に、強く訴えかければ心を決めた一二三がゆっくりと言葉を紡ぐ。その内容は本来であれば許されないのだが、彼のお客さんの一人が指名替えをしてしまい、一二三個人の売り上げが大幅に落ちてしまったらしい。ホストという仕事は全て売り上げがモノをいう世界、売り上げが落ちれば一二三のホストとしての仕事も大変な事になるし、下手したらホストを辞めてしまうかもしれない。そう脳内で瞬時に導き出すと、自ずと答えが生まれ、握る手を強くし、目に決意を浮かべて口にした。
「私に任せて」
「子猫ちゃん、でも……」
「大丈夫だから。一二三の顔は私が保ってあげる」
その日から私の給料は全て一二三へと捧げられた。また、子猫ちゃんの呼び名から青子へと変化した。一二三の口から紡がれる掠れた甘ったるさが、酷く心地よくて、耳にいつまでも残る響きに私は強い独占欲を感じるようになった。一二三に名前を呼ばれるのも、甘く囁き合うのも、隣に居られるのもすべて私だけの特権。他の女には許されない、私だけのもの。
「一二三、会いに来たよ」
「青子、会いたかったよ」
そう言って腰に手を回してエスコートしてくれる彼はとても優しい。今日は給料日だから、リシャール入れてあげるねって腕に絡みつきながら言えば、一二三が嬉しそうに笑うんだ。
「ありがとう、青子。大好きだよ」
「一二三、私もだよ」
一二三の愛を受けられるこの瞬間がこの上なく幸せだ。
コツコツ溜めた貯金はたった三ヶ月で底をついた。週末に何百万もの金額を一二三の為に使っているのだから、いつか底を付くのは分かりきっていた。しかし、思った以上の早さに、通帳を握る両手が勝手に震える。このままじゃ一二三に会えない、誰かに私の一二三を盗られてしまう。そんな焦りから、私はどうすればこれまで通りに巨額な金額を一二三の為に捻出出来るか懸命に考える。今の仕事ではすぐに昇給しないし、かといってダブルワークなんかしたら一二三に会いに行く時間がなくなる。
「あ、今すぐ手に入る方法があるじゃん」
女だから出来る事、そう体を売ればいい。そうすれば、たくさんのお金が手に入る。今まで通りに一二三との甘い空間を堪能出来る。そうと決まればパトロンを作ろう。スマホで出会い系アプリを複数ダウンロードして、金払いの良さそうな男を片っ端から漁り始めた。
お金さえ手に入ればそれで良かった。だから、小汚いおっさん相手でも、とんでもないブ男でも、素人童貞でも金払いが良ければ気にしない。どんなに変態プレイを要求されても、高額な金になると思えばいくらでも我慢出来た。それに今この苦痛を耐えきれば、一二三が私を癒してくれる。また会いたかったって、好きだって言ってくれる。その為ならいくらでも体を張れた。
「一二三、好きって言って」
「好きだよ、青子」
一二三に出会って半年。私はその日もいつも通りお店の中で一二三に甘えていた。体を売って作ったお金でシャンパンを入れれば、私と一二三の周りを若手のホスト達が囲む。そして、明るい掛け声と共に流し込まれるシャンパンを見つめながら、一夜限りの宴に高揚する。この大きなホールでシャンパンコールを受ける私は、間違いなく今日の客の中で一番だ。私が一二三を一番にしている優越感、今まで生きてきた中でこれ程までに気持ちを高ぶらせるモノはあっただろうか?
「嬉しい?」
「もちろん、嬉しいよ」
「じゃあこの後、私の為に時間を使ってくれる?」
もっと一二三と居たくて、もっと一二三を独占したくて、もっと一二三を知りたい。日に日に強くなる欲望を満たしたくて、今まで口に出来なかった想いを告げれば、私の想いに応えてくれる優しい彼。早く終わらないかと、未だコールを上げるホスト達の声を耳に入れながら、一二三の腕に抱きついた。
お店を出た私達は、個室に行きたい私の要望でカラオケ店に足を運んだ。適当な時間で入った個室の扉を閉めると、先にソファへ腰を掛けた一二三の横に座って抱きついた。
「ねぇ、一二三。私一二三が大好きなの」
「僕も青子が好きだよ」
「私と付きあって」
本音を吐き出すと一二三の目が見開き、そして大きな息を吐く。どんな答えが来るか待ちわびていれば、今まで見た事のない酷く冷たい目に、背中が大きく震えた。
「僕と君は、ホストと客。それ以上にはなれないよ」
「一二三本カノ居ないでしょ?! なら私を本命にしてよ!」
「青子。はぁ、そういうのは面倒だから止めてくれないかな?」
僕はあくまで仕事で君と会っているんだよ、と言いきった一二三に怒りが込み上げる。私は一二三が好きだから、今までたくさんのお金を使ってきた。それに対して一二三は好きだと言って応えてくれたのに、今までの態度は何だったの?
「だったら、今までのお金全部返してよ!!」
「落ち着いて、青子。それに、今までのお金全部を返してもいいけど……もう二度と僕と会えなくなっちゃうけどいいのかな?」
「……っ、そしたら一二三だって売り上げに困るでしょっ?!」
「ん? あぁ、大丈夫だよ。だって僕の一番のお客さんは君じゃないから」
「う、そ……っ」
「それにこれまで通り青子が僕の為にお金を使ってくれれば、僕はこれからもずっと好きって言ってあげる」
どうする? そう悪魔のような笑いを浮かべる一二三に言葉を失う。今まで通りにお金を積めば私の想いに応えてくれる。そうきっぱりと言い、私と一二三の温度差をまざまざと突きつけられ、心が真っ黒に染まるのを感じた。
「一二三っ……」
「どうしたの? 青子」
「好きなのっ、好きなのよ……!」
「うん、僕も大好きだよ。お金を持ってきてくれる従順な青子が、とってもね」
青子は出来る子だから、まだまだ持ってこられるよね。泣き崩れる私の頬に手を這わせて、涙を指で拭ってくれる一二三は、初めて来店したあの日と同じ無邪気で明るい笑顔を見せる。だけど、その瞳の奥は私の心以上に深い闇をチラつかせていた。
一二三の狡猾な見せかけの愛情に捕らわれた私は、苦しいと感じてもまた一二三に会いに行くんだろう。胸に巣食う一二三の糸に絡め取られ、逃げる術を失ってしまった哀れな敗者なのだから。
2019.8.19
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