お相手なし
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私の悲鳴は、喉に張り付いたままその空間に放たれることはありませんでした。そこにいる誰もが、自分は他人を守るための翼もなければ他人を忌避させる炎もない、また、その全てを消し去る力もない"持たざる者"であったことを思い出しました。誰もが一度はあこがれるヒーローという職には就けないと自覚した幼年期を思い出して戦慄しました。
自分は虐げられる側であったことを思い出したのでした。
暗く冷たいシェルターの中で、みんなはスマホから流れる目を覆いたくなる戦いから目を離すことはできませんでした。それが自分に悪夢を見せ、眠りから遠ざける刺激であることを自覚していながら誰もがそれを見続けていました。
私たちはいつからこの惨劇の観客席から舞台に移動してしまったのでしょうか? 私は弱くて、守られる側であるからここにいる必要はない……私が命をかける必要はないはずなのに、どうしてでしょう。
どうして、と投げかける前から答えは決まっていました。
舞台の側が、私たちの観客席に侵食してきたのです。いえ、本当のところを言うと私たちは決して観客席にいたわけではなかったのです。いまヒーローたちが戦っている相手を生んでしまったのは私たちの生きる社会の軋轢が産んだ膿だったのです。私たちの先祖が"みんな"と違う人たちわや遠ざけ虐げたことで今、私たちの世代で膿が弾けてしまったのでしょう。
膿を拭き取って消毒したとしても、出し切らない限りまた膨れてしまいます。では、私たちは何ができたのでしょうか? 本当に私たちが悪いのでしょうか? こうして縮こまって怖い思いをしなくてはならないようなことをしたでしょうか?
答えがYESであれNOであれ、苦しんでいる人間に手を差し伸べる……そういった人間同士が集まって暮らす以上必要であったことをヒーローという人間の柔らかく温かな手にすべてを委ねてしまった責任が私たちのような弱い人間たちにはあるのでしょう。
私たちは、罰を受けるべきでしょうか。
そうやって投げかけている時点で、被害者ヅラをして私たちは弱くて守らねばならないものですよこれ以上責めないでくださいね、という姿勢をとっている姑息さに、罰は降り注ぐのでしょう。
実際、若く未来ある子供たちが傷ついて倒れゆくのを眺めていることしかできないという罰を私たちは受けています。それくらいで罪が雪がれるとは思いませんが、確かに苦しく感じています。
あの子らが命をかけて守る世の中に、私が生きる価値はあるのか、と。
けど、心のどこかで私は待っていました。
オールマイトのような強烈な一つの光で温められないのなら、たくさんの光が私たちに当たり、なんてことない平和を享受できる日が来ることを。
私のような持たざる者が今できることはただ祈ることだけです。ただ、誰かどうにかして私の身に降りかかる苦しみから解放してほしいと願うだけです。無力です。この個性社会に無力なものとして生まれることほど惨めなことはありません。心のどこかで、報われていない、受け取るべきものを持っていないような感覚があるのです。早くこの悪夢から目覚めたい、そう願っています。
2023年4月20日
自分は虐げられる側であったことを思い出したのでした。
暗く冷たいシェルターの中で、みんなはスマホから流れる目を覆いたくなる戦いから目を離すことはできませんでした。それが自分に悪夢を見せ、眠りから遠ざける刺激であることを自覚していながら誰もがそれを見続けていました。
私たちはいつからこの惨劇の観客席から舞台に移動してしまったのでしょうか? 私は弱くて、守られる側であるからここにいる必要はない……私が命をかける必要はないはずなのに、どうしてでしょう。
どうして、と投げかける前から答えは決まっていました。
舞台の側が、私たちの観客席に侵食してきたのです。いえ、本当のところを言うと私たちは決して観客席にいたわけではなかったのです。いまヒーローたちが戦っている相手を生んでしまったのは私たちの生きる社会の軋轢が産んだ膿だったのです。私たちの先祖が"みんな"と違う人たちわや遠ざけ虐げたことで今、私たちの世代で膿が弾けてしまったのでしょう。
膿を拭き取って消毒したとしても、出し切らない限りまた膨れてしまいます。では、私たちは何ができたのでしょうか? 本当に私たちが悪いのでしょうか? こうして縮こまって怖い思いをしなくてはならないようなことをしたでしょうか?
答えがYESであれNOであれ、苦しんでいる人間に手を差し伸べる……そういった人間同士が集まって暮らす以上必要であったことをヒーローという人間の柔らかく温かな手にすべてを委ねてしまった責任が私たちのような弱い人間たちにはあるのでしょう。
私たちは、罰を受けるべきでしょうか。
そうやって投げかけている時点で、被害者ヅラをして私たちは弱くて守らねばならないものですよこれ以上責めないでくださいね、という姿勢をとっている姑息さに、罰は降り注ぐのでしょう。
実際、若く未来ある子供たちが傷ついて倒れゆくのを眺めていることしかできないという罰を私たちは受けています。それくらいで罪が雪がれるとは思いませんが、確かに苦しく感じています。
あの子らが命をかけて守る世の中に、私が生きる価値はあるのか、と。
けど、心のどこかで私は待っていました。
オールマイトのような強烈な一つの光で温められないのなら、たくさんの光が私たちに当たり、なんてことない平和を享受できる日が来ることを。
私のような持たざる者が今できることはただ祈ることだけです。ただ、誰かどうにかして私の身に降りかかる苦しみから解放してほしいと願うだけです。無力です。この個性社会に無力なものとして生まれることほど惨めなことはありません。心のどこかで、報われていない、受け取るべきものを持っていないような感覚があるのです。早くこの悪夢から目覚めたい、そう願っています。
2023年4月20日