轟冬美
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「せんせい」
「どうしたの」
そういって目線を合わせると、彼女はふいと目線をそらした。あまり大人と目線を合わせたがらないところがあるが、特段問題のない子だと思っていた。
「せんせい、おとうさんがこわい人なんだって? あたしのパパも怒るとあたしをたたくの」
「え?」
「せんせい、せんせいならわかってくれる? 生まれてくる前にわたしがパパとママをえらんで生まれてきたってほんと? わたしがまちがえたからこんなにつらいの? せんせいも生まれてきたくなかった? ねえ?」
黒々と絶望に沈む瞳を私は知っていた。
母である轟冷は昔こんな目で私たちを見ていた。彼女の必死の訴えに自分の過去の体験をかさねてしまいそうになったが彼女と私は別の個体で、どうしたって同じ環境にはなりえない。けれど先生と生徒という立場上何か言わないといけない。助けを求めているんだ。昔の私みたいに。
「せんせい」
「あのね、そう。私もそうだった。生まれてきたのがつらかったことがあったよ」
そう答えると、彼女の表情はぱあっと明るくなって饒舌に語りはじめた。お酒を飲むと人が変わったように怒鳴り、母を殴り、子である彼女を殴り、ひきずりまわすなどすること。など。
明らかに虐待の形跡がある。
彼女の身体の服で見えないところを殴るだけの悪知恵が働く親のする虐待は厄介だ。どうしたって認めようとしないのだから。しつけだと言って。
自分の中に湧く暗くて冷たい感情に呑まれそうになる。身体を丸めて拳から守ってくれた母の手、その手が父の手を取らなければ私はこの苦しみの中にいなかったのにという、自分の根源たる両親を恨む気持ち。
「パパとママが嫌い?」
「……わからない」
そう、きっとそうだろう。自身を抱く手が殴る手にコロコロと変わることが低学年ではまだわからないのだろう。いや、私自身親が好きか嫌いかなんていまだにわからない。私も彼女も、各々答えを出さなければならないことなんだろう。
「でも、シルバニアみたいにおとうさんがセットになってるならパパもいるけど、別で売られてたら……いらない。パパは、いらない。先生は、いる? せんせいがショコラウサギちゃんだったら、お父さんの人形わざわざ買う?」
答えに詰まってしまい、昔焦凍が生まれた頃に遊んでいたシルバニアファミリーのことの記憶をたぐりよせた。燈矢兄さんはそんなこと全く興味ないどころか少しばかりバカにしている様子だった。夏は小さい頃は一緒にやってくれたけど、この家族の異常さに気づき始める頃にはむしろこの小さなウサギの家族を積極的に壊すようになった。
決まって夏の操るショコラウサギのお父さんが子供たちを殴り、お前らなんて失敗作だ、って言って。
言葉には出さずとも、焦凍という完成された個性の子供が生まれてから多産は行われなくなった轟家で誰よりも個性が弱く発現した夏は自分で自分をそう評するようになった。一番弱くといっても私もそう変わらなかったけれども幼少時の夏は気にしているようだった。燈矢兄さんほど強く炎が出るわけでも、理想とされる半熱半冷の個性でもない中途半端な私たち。私たちのするごっこ遊びは、動物たちを模したかりそめの家庭ですら幼少時の全てである家庭を壊す父を恐れ、壊れていく母を眺め、そして完成された個性として生まれた弟を仄暗い目で見つめていた。どんな親だったとしても親は親。認められているのが少しだけ羨ましかった。しかしその羨望はいつしか罪悪感に変わっていった。父を恐れるあまり非人道的な教育を止めることができなかった罪悪感に。
だから焦凍が雄英に進学して寮生活が始まると知って、心配より先に安心してしまった。もう聞かなくて済むとホッとしてしまった。空気がジリジリと燃える音、焦凍の泣き声、うめき声、そして、父の地を這うような咆哮。
「せんせい?」
「あ、ごめんね。そうだなあ……私はやっぱり、おとうさん人形もほしいかな」
「ふーん」
「私はまだ……理想の家族を諦めきれていないのかも。優しいおとうさん、おかあさん。そして仲良しの兄弟たち……私だけが壊れたガラスをさ、一生懸命直そうとしてるだけなのかも。壊れたガラスは戻らないのに」
彼女は目をまんまるくして、得意げに話始めた。
「せんせえ! 知らないの! ガラスはかけらを集めて溶かしたらくっつくんだよ。この前ガラス工房で作ったんだ。色ガラスのかけらを集めたネックレス」
「……そう、きれい?」
「きれいだよ。いろんな色がケンカすることもあるけど、きれい」
「いいね。先生も今度やってみよう」
「えへへ。せんせいもまねっこしたくなった?」
「うん。いいなーガラス細工」
「今度見せてあげようか?」
「見たいけど、学校に大切なもの持ってきちゃだめだよ」
「そっかあ」
納得いかないと顔にかいてあるけれど、ルールは守れる子だから心配いらない。家庭の様子は注視する必要がある。問題は山積みだけど彼女の言い分には一理ある。壊れたら壊れたなりにつぎはぎできる。破片同士がいがみあっても、人生は続く。さようならと間伸びした挨拶をして彼女は帰路に着いた。
「何してんの」
「探しもの……あった」
「懐かし〜シルバニアじゃん」
「小さい頃遊んだよね」
「うん」
古びて所々ハゲた人形を引っ張り出して玄関に飾ってみた。みんな気づくかななんて。幼少時の夏と私の意地悪を一身に受けたショコラウサギのおとうさん人形だけ損傷が激しいこと、お父さんは気づくだろうか。時々、少しだけ思い出してほしいのだ。踏みつけて越えて行った私と夏のことも。
2022年9月18日
「どうしたの」
そういって目線を合わせると、彼女はふいと目線をそらした。あまり大人と目線を合わせたがらないところがあるが、特段問題のない子だと思っていた。
「せんせい、おとうさんがこわい人なんだって? あたしのパパも怒るとあたしをたたくの」
「え?」
「せんせい、せんせいならわかってくれる? 生まれてくる前にわたしがパパとママをえらんで生まれてきたってほんと? わたしがまちがえたからこんなにつらいの? せんせいも生まれてきたくなかった? ねえ?」
黒々と絶望に沈む瞳を私は知っていた。
母である轟冷は昔こんな目で私たちを見ていた。彼女の必死の訴えに自分の過去の体験をかさねてしまいそうになったが彼女と私は別の個体で、どうしたって同じ環境にはなりえない。けれど先生と生徒という立場上何か言わないといけない。助けを求めているんだ。昔の私みたいに。
「せんせい」
「あのね、そう。私もそうだった。生まれてきたのがつらかったことがあったよ」
そう答えると、彼女の表情はぱあっと明るくなって饒舌に語りはじめた。お酒を飲むと人が変わったように怒鳴り、母を殴り、子である彼女を殴り、ひきずりまわすなどすること。など。
明らかに虐待の形跡がある。
彼女の身体の服で見えないところを殴るだけの悪知恵が働く親のする虐待は厄介だ。どうしたって認めようとしないのだから。しつけだと言って。
自分の中に湧く暗くて冷たい感情に呑まれそうになる。身体を丸めて拳から守ってくれた母の手、その手が父の手を取らなければ私はこの苦しみの中にいなかったのにという、自分の根源たる両親を恨む気持ち。
「パパとママが嫌い?」
「……わからない」
そう、きっとそうだろう。自身を抱く手が殴る手にコロコロと変わることが低学年ではまだわからないのだろう。いや、私自身親が好きか嫌いかなんていまだにわからない。私も彼女も、各々答えを出さなければならないことなんだろう。
「でも、シルバニアみたいにおとうさんがセットになってるならパパもいるけど、別で売られてたら……いらない。パパは、いらない。先生は、いる? せんせいがショコラウサギちゃんだったら、お父さんの人形わざわざ買う?」
答えに詰まってしまい、昔焦凍が生まれた頃に遊んでいたシルバニアファミリーのことの記憶をたぐりよせた。燈矢兄さんはそんなこと全く興味ないどころか少しばかりバカにしている様子だった。夏は小さい頃は一緒にやってくれたけど、この家族の異常さに気づき始める頃にはむしろこの小さなウサギの家族を積極的に壊すようになった。
決まって夏の操るショコラウサギのお父さんが子供たちを殴り、お前らなんて失敗作だ、って言って。
言葉には出さずとも、焦凍という完成された個性の子供が生まれてから多産は行われなくなった轟家で誰よりも個性が弱く発現した夏は自分で自分をそう評するようになった。一番弱くといっても私もそう変わらなかったけれども幼少時の夏は気にしているようだった。燈矢兄さんほど強く炎が出るわけでも、理想とされる半熱半冷の個性でもない中途半端な私たち。私たちのするごっこ遊びは、動物たちを模したかりそめの家庭ですら幼少時の全てである家庭を壊す父を恐れ、壊れていく母を眺め、そして完成された個性として生まれた弟を仄暗い目で見つめていた。どんな親だったとしても親は親。認められているのが少しだけ羨ましかった。しかしその羨望はいつしか罪悪感に変わっていった。父を恐れるあまり非人道的な教育を止めることができなかった罪悪感に。
だから焦凍が雄英に進学して寮生活が始まると知って、心配より先に安心してしまった。もう聞かなくて済むとホッとしてしまった。空気がジリジリと燃える音、焦凍の泣き声、うめき声、そして、父の地を這うような咆哮。
「せんせい?」
「あ、ごめんね。そうだなあ……私はやっぱり、おとうさん人形もほしいかな」
「ふーん」
「私はまだ……理想の家族を諦めきれていないのかも。優しいおとうさん、おかあさん。そして仲良しの兄弟たち……私だけが壊れたガラスをさ、一生懸命直そうとしてるだけなのかも。壊れたガラスは戻らないのに」
彼女は目をまんまるくして、得意げに話始めた。
「せんせえ! 知らないの! ガラスはかけらを集めて溶かしたらくっつくんだよ。この前ガラス工房で作ったんだ。色ガラスのかけらを集めたネックレス」
「……そう、きれい?」
「きれいだよ。いろんな色がケンカすることもあるけど、きれい」
「いいね。先生も今度やってみよう」
「えへへ。せんせいもまねっこしたくなった?」
「うん。いいなーガラス細工」
「今度見せてあげようか?」
「見たいけど、学校に大切なもの持ってきちゃだめだよ」
「そっかあ」
納得いかないと顔にかいてあるけれど、ルールは守れる子だから心配いらない。家庭の様子は注視する必要がある。問題は山積みだけど彼女の言い分には一理ある。壊れたら壊れたなりにつぎはぎできる。破片同士がいがみあっても、人生は続く。さようならと間伸びした挨拶をして彼女は帰路に着いた。
「何してんの」
「探しもの……あった」
「懐かし〜シルバニアじゃん」
「小さい頃遊んだよね」
「うん」
古びて所々ハゲた人形を引っ張り出して玄関に飾ってみた。みんな気づくかななんて。幼少時の夏と私の意地悪を一身に受けたショコラウサギのおとうさん人形だけ損傷が激しいこと、お父さんは気づくだろうか。時々、少しだけ思い出してほしいのだ。踏みつけて越えて行った私と夏のことも。
2022年9月18日
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