氷烏
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※烏に娘がいる描写があります
スポーツやっていた老人は、身体が丈夫でなかなか死ねないって、俺ら世代のだれかが言ってた。そんななんてことない戯言を、そうであってほしいという…八割くらい祈りのようなものだったと理解せず自分の甲で温めてきた。
だから烏の葬式なんて想像したこともなかった。いままでそうだったように、これからも、あのころを実感として持つ者同士話したり、するんだと思っていた。できるんだと思っていた。
白赤金の水引を使うことなく白黒の水引を使うことになった。既にある祝い事の枠に入ることなんて縁がない人生だった。薄墨ペンは既に家にあった。同年代のサッカー選手……あの頃を知るやつらがバタバタと亡くなっていたから、もう二本目に差し掛かっていた。
友人知人は一万二千円くらい包むそうだ。
全ての関係性に名前がついている前提で、社会は運営されている。なんとなく腑に落ちない気持ちを抱えたまま、一万五千円を包んだ。金額で何が計れるわけではないけど、言葉にし難いそうしたい気持ちが湧いてきて。
「羊さん」
「あ、つぐみちゃんやないの。元気してた」
烏の娘、つぐみちゃん。
すぐに気づいて声をかけてくれた。親父の人を食ったような観察癖はいい形で遺伝したらしい。
「元気してました。お父さん、羊さんとこの前あった後からずっと元気してたんです。けどもうほんの最近、ぐっと……」
「そうやったん。ご愁傷様やねえ……」
「羊さんも、お父さんの顔見たって。艶振る舞いも食べてって。お父さん、お葬式代残して逝ってん。だからいい寿司とったんよ」
「らしいなあ」
「立つ鳥、後を濁さず、ですって。住んでた家もスッキリしててね」
「そうなんや。らしいなあ」
ちょっとくらい濁してくれた方が、恋しく思う側は生きてた時の残滓を感じることができてうれしいような気がする。けどあいつはそんな感じではないらしい。子供たちの整理の時間を取らせたくなくて、晩年はトロフィーの類も全て溶かして売ってしまったという。
「写真は数枚残してたんです。日本代表が勝った時の」
「ああー、あれは僕らの人生の中でもデカいイベントだったもんなあ」
「そうなんです。あの後それなりに人生で色々あったんですけどね。家族の写真と、サッカーの写真と」
「烏……お父さんはなんか言っとった?」
「いいえ、それが特に何も」
「はー、一貫してる。後を濁さず、なんね」
「ね、お父さんらしい」
遺影の中の烏は穏やかそうに微笑んでいる。あの頃のギラギラした闘志は、コートに置いて去ったみたいだ。
通夜振る舞いには、見知った顔がいた。
「久しぶりやな千切」
「氷織かあ。誰かの葬式でも会ったなあ」
「ジジイになると、会う機会が大抵誰かの葬式やな。もう僕らの世代残ってなさすぎて誰の葬式だったか思い出せへん」
「なあ、ほんと」
受け答えに間が空いて、多少ぼんやりしているようだが食欲は衰えないらしい。千切はもくもくと寿司を口に運んでいる。
「いい寿司やね、千切」
「そう、烏はわざわざきてくれたお客を労るタイプだったってことだ」
「そういうの、あの頃は分からんかったね」
「そうだね」
つぐみちゃんに呼び出され、むせかえるほどの花の香りに包まれた烏を見せてもらった。
「苦しまずに逝けたみたいやね」
「そうねえ、特段大きな病気せずだったから」
「そうかあ」
鼻の穴に詰められた血がにじむ綿が、ああもう本当に死んでしまっているんだと思わせた。目尻の皺、真っ白になった頭髪。あの頃の面影は瞳にあったから、今はもうほとんどない。
さびしいのか、悲しいのかも分からない。じゃあな、僕もそう遠くないでと声をかけた。
「ありがとうな、つぐみちゃん」
「いいえ。羊さんにはお世話になったって言ってたし」
「そんな、世話っていうほど世話してない」
「羊さんは実感なくても、意外と恩義感じていたみたい」
「へえ。死んでしまったら、確かめようがないけど、ぼちぼち僕もジジイやし、あっちで聞いてこようかな」
「そんな元気ないこと言わないで。きっとそんな弱気だとお父さんに追い返されちゃう」
「せやなあ、お前はまだや!シッシッ!ってな」
人生を構成していた大きめのパーツだったってことは、欠けてから気づいた。毎日会っていたわけでもない、何か名前がついた関係であるとお互い認め合ったわけでもない。ただ、あの瞬間同じタイミングでサッカーをしていた、それだけといえばそれだけなのに。
香典返しの味のりで朝食を摂っていたら、あいつが死んだから貰うことになったのりで飯を食っていることにチリチリと嫌な感じがあり、のりは片付けた。
物に罪はないとわかっている。
おそらく烏が家に飾っていたものと同じ写真に映る自分と、烏を指でなぞった。無意識とはいえそんな感傷的な行動をするとは思ってもいなくて、一人の部屋でかぶりを振った。
消化しきれない喪失を突然食らっても、人生は続く。引退してからテレビで見たワールドカップ以上の言葉にし難い苦々しい感情は味わうことはないと思っていたけど、あれほどの瞬発力はないけど、香典返しの海苔が嫌になってしまってしまうくらいにはじわっと寂しかったり、苦しかったりを感じている。今後もきっと何かあるたびにそう思うのかと想像して気落ちしている。
頻繁に会うわけでもなかったのに、いなくなると寂しい。そんなこと言ったら勝手なやつやなあと笑うだろうか。
もうどんな顔で笑うやつだったか思い出せない。目を細めたか、眉を下げたか。
20260215
スポーツやっていた老人は、身体が丈夫でなかなか死ねないって、俺ら世代のだれかが言ってた。そんななんてことない戯言を、そうであってほしいという…八割くらい祈りのようなものだったと理解せず自分の甲で温めてきた。
だから烏の葬式なんて想像したこともなかった。いままでそうだったように、これからも、あのころを実感として持つ者同士話したり、するんだと思っていた。できるんだと思っていた。
白赤金の水引を使うことなく白黒の水引を使うことになった。既にある祝い事の枠に入ることなんて縁がない人生だった。薄墨ペンは既に家にあった。同年代のサッカー選手……あの頃を知るやつらがバタバタと亡くなっていたから、もう二本目に差し掛かっていた。
友人知人は一万二千円くらい包むそうだ。
全ての関係性に名前がついている前提で、社会は運営されている。なんとなく腑に落ちない気持ちを抱えたまま、一万五千円を包んだ。金額で何が計れるわけではないけど、言葉にし難いそうしたい気持ちが湧いてきて。
「羊さん」
「あ、つぐみちゃんやないの。元気してた」
烏の娘、つぐみちゃん。
すぐに気づいて声をかけてくれた。親父の人を食ったような観察癖はいい形で遺伝したらしい。
「元気してました。お父さん、羊さんとこの前あった後からずっと元気してたんです。けどもうほんの最近、ぐっと……」
「そうやったん。ご愁傷様やねえ……」
「羊さんも、お父さんの顔見たって。艶振る舞いも食べてって。お父さん、お葬式代残して逝ってん。だからいい寿司とったんよ」
「らしいなあ」
「立つ鳥、後を濁さず、ですって。住んでた家もスッキリしててね」
「そうなんや。らしいなあ」
ちょっとくらい濁してくれた方が、恋しく思う側は生きてた時の残滓を感じることができてうれしいような気がする。けどあいつはそんな感じではないらしい。子供たちの整理の時間を取らせたくなくて、晩年はトロフィーの類も全て溶かして売ってしまったという。
「写真は数枚残してたんです。日本代表が勝った時の」
「ああー、あれは僕らの人生の中でもデカいイベントだったもんなあ」
「そうなんです。あの後それなりに人生で色々あったんですけどね。家族の写真と、サッカーの写真と」
「烏……お父さんはなんか言っとった?」
「いいえ、それが特に何も」
「はー、一貫してる。後を濁さず、なんね」
「ね、お父さんらしい」
遺影の中の烏は穏やかそうに微笑んでいる。あの頃のギラギラした闘志は、コートに置いて去ったみたいだ。
通夜振る舞いには、見知った顔がいた。
「久しぶりやな千切」
「氷織かあ。誰かの葬式でも会ったなあ」
「ジジイになると、会う機会が大抵誰かの葬式やな。もう僕らの世代残ってなさすぎて誰の葬式だったか思い出せへん」
「なあ、ほんと」
受け答えに間が空いて、多少ぼんやりしているようだが食欲は衰えないらしい。千切はもくもくと寿司を口に運んでいる。
「いい寿司やね、千切」
「そう、烏はわざわざきてくれたお客を労るタイプだったってことだ」
「そういうの、あの頃は分からんかったね」
「そうだね」
つぐみちゃんに呼び出され、むせかえるほどの花の香りに包まれた烏を見せてもらった。
「苦しまずに逝けたみたいやね」
「そうねえ、特段大きな病気せずだったから」
「そうかあ」
鼻の穴に詰められた血がにじむ綿が、ああもう本当に死んでしまっているんだと思わせた。目尻の皺、真っ白になった頭髪。あの頃の面影は瞳にあったから、今はもうほとんどない。
さびしいのか、悲しいのかも分からない。じゃあな、僕もそう遠くないでと声をかけた。
「ありがとうな、つぐみちゃん」
「いいえ。羊さんにはお世話になったって言ってたし」
「そんな、世話っていうほど世話してない」
「羊さんは実感なくても、意外と恩義感じていたみたい」
「へえ。死んでしまったら、確かめようがないけど、ぼちぼち僕もジジイやし、あっちで聞いてこようかな」
「そんな元気ないこと言わないで。きっとそんな弱気だとお父さんに追い返されちゃう」
「せやなあ、お前はまだや!シッシッ!ってな」
人生を構成していた大きめのパーツだったってことは、欠けてから気づいた。毎日会っていたわけでもない、何か名前がついた関係であるとお互い認め合ったわけでもない。ただ、あの瞬間同じタイミングでサッカーをしていた、それだけといえばそれだけなのに。
香典返しの味のりで朝食を摂っていたら、あいつが死んだから貰うことになったのりで飯を食っていることにチリチリと嫌な感じがあり、のりは片付けた。
物に罪はないとわかっている。
おそらく烏が家に飾っていたものと同じ写真に映る自分と、烏を指でなぞった。無意識とはいえそんな感傷的な行動をするとは思ってもいなくて、一人の部屋でかぶりを振った。
消化しきれない喪失を突然食らっても、人生は続く。引退してからテレビで見たワールドカップ以上の言葉にし難い苦々しい感情は味わうことはないと思っていたけど、あれほどの瞬発力はないけど、香典返しの海苔が嫌になってしまってしまうくらいにはじわっと寂しかったり、苦しかったりを感じている。今後もきっと何かあるたびにそう思うのかと想像して気落ちしている。
頻繁に会うわけでもなかったのに、いなくなると寂しい。そんなこと言ったら勝手なやつやなあと笑うだろうか。
もうどんな顔で笑うやつだったか思い出せない。目を細めたか、眉を下げたか。
20260215
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