我が愛の肖像

ロイヤルナイトと愛の詩


 フレマリー王国には、この世界の誰よりもなによりも美しい人がいる。
 絹のような髪はシャンデリアの下でいつだってきらめいて、白い手は嫋やかに優雅に愛を分け与えている。宝石にたとえても物足りないほどの輝きを宿す瞳が夢見るように揺れる度、その愛らしさに胸が締め付けられるようだ。絢爛な城も豪華なドレスすらも、すべてが彼女を引き立てるために存在しているのだと、そう思わされる。
 今だってそうだ。今日のパーティのためにと誂えたらしい華やかな衣装は、彼女によく似合っていた。このドレスを着ようと思うのと見せられた日から、きっととても似合うだろう、誰もが目を見張るだろうと確信していたけれど――想像以上だった。やはり彼女は、絢爛華麗な装飾品と彼女を愛する人々に囲まれている瞬間こそが最も美しい。

「……綺麗だ」

 舞踏会の中心にいる彼女の姿に目を細め、レオナルドは思わずつぶやいた。
 世界で一番美しい人――それは、この王国の若き女王であるグレース・ヴィクトリア=ウィンジーである。というのは、この青年貴族が甘い恋慕の上に打ち立てた持論でしかないけれど、それでも。たくさんの人や贅沢品に囲まれて幸せそうに微笑む彼女を見れば、きっと誰もが頷くに違いない。自身に向けられる羨望や期待の視線にもめずらしく気付くことなく、レオナルドは女王を見つめていた。

「レオナルド!」

 そのときふと、グレースの花のような色をした瞳がこちらへ向いた。視線を感じたのか偶然なのかはわからないけれど、おそらく後者だろうとレオナルドは考える。彼女は昔から、天が気まぐれに与えた偶然を自身の愛の力で運命へと塗り替えるような女の子だったから。

「女王陛下」

 こちらへ歩み寄ってくる彼女へ、形式に則った礼を向ける。
 公爵家嫡男としての正しい挨拶の仕方であるものの、グレースは困惑したように目を瞬かせた。そうして、一歩距離を詰めてくる。その足取りはやけに親し気で、レオナルドはほんの少しだけ息を詰めた。彼のかすかな緊張は、きっと誰にも見抜かれてはいないだろう。レオナルドという青年は、他者に見せるべき自分の感情というものをよく理解している貴族だった。

「まあ。そのように畏まらないで、レオナルド。あたくしたち、お友達でしょう」

 グレースからの挨拶を待っていたらしい周囲の貴族たちの視線が、自身に突き刺さるのを感じる。普段のレオナルドにとっては他者から向けられる注目は当然であり心地のいいものだけれど、今に限っては別だ。
 ――王族と、その剣たる貴族。
 その関係性に、「お友達」という装飾は決してふさわしくない。グレース・ヴィクトリア=ウィンジーとレオナルド・ハーキュリーズの関係は、家同士の繋がりがあればこそのもの。代々王家に仕えてきたという家柄もあり、レオナルドは幼いグレース王女のお相手をすることも多々あったけれど、それでも。
 二人の関係は、文字だけを見ればあまり変わってはいないだろう。「王女と公爵家嫡男」が、「女王・・と公爵家嫡男」になっただけのこと。けれどその些細な変化が大きな意味を持つということを、レオナルドはよく理解していた。地位ある者同士の距離感というものは外交や政治に大きな影響を及ぼすし、グレースにも保つべき威厳というものがある。いくら家同士の古い縁故から来る友情だったとはいえ、今はお互い責任があるのだから。

「陛下。私は、陛下の一臣下に過ぎません。……幼少の折は、前国王夫妻の寛大なお心により良くしていただきましたが……」

 それに、とレオナルドは考える。
 自分たちは、周囲からは男と女として見られる年齢なのだ。幼い頃ならば、どれほどの時間を共にしてもそれは微笑ましい交流でしかなかっただろう。けれど今は違う、どのような噂の餌にされるかわからない。今この場で自分たちの会話を見つめる貴族たちの視線に、そのような邪推が含まれていないとも限らない。グレースには、口が裂けても言えないような話題だ。

「私が、以前のようなお心遣いを賜わるほどの人物か……どうか、陛下が今一度ご判断ください」
「……レオナルド……」

 親しい友人の固い口調に、グレースは戸惑っていたようだった。けれど、浮かんでいた困惑はすぐに生来の優雅さにかき消される。
 ええ、あなたがそう言うのなら。彼女はそう言って微笑むと、この話はおしまいと言いたげに周囲の貴族へ視線を向けた。ところで皆様は楽しんでいらっしゃるかしら、そう、それならばあたくしも嬉しいわ。そんな柔らかい言葉を皮切りに、グレースは貴族たちとの談笑を始めた。
 始めて見る顔が多いにもかかわらず、彼女はよどみなく人々の名と爵位を呼び、それぞれに合わせた世間話までしてみせている。人の顔を覚えるのは得意なのだと、彼女は以前言っていた。正確には、国民の顔と名前を覚えるのは、だっただろうか。「なによりも愛する存在である国民のことだもの」と、なんでもないことのように笑っていたけれど、そう簡単なことではないに違いない。
 そんなことを考えながら若き女王の姿を見守っていると、やがて周囲の人々は他の貴族とのお喋りに興じるためにそれぞれ散っていった。その人の動きは、波にたとえることが適切だろう。一時的に引いているだけで、このあとすぐまた別の集団が彼女を取り囲むはずだ。

「…………レオナルド」

 ひいていった波に波紋をたてまいとしているかのような、グレースのひそやかな声がレオナルドの耳に届いた。
 扇子で口元を隠して周囲を窺う様子は、かくれんぼの最中のようだ。そんなことをしても、誰よりも美しく目立つ彼女が身をひそめるだなんて不可能だというのに。その仕草が愛らしくて、レオナルドは思わず笑みをこぼした。

「……なんだい、グレース」

 そうして発した声色は、自分でもおどろくほど柔らかく甘い囁きだった。誤算だと視線を逸らしたくなるレオナルドとは裏腹に、目の前の彼女の表情は一気に明るくなる。先ほどの態度の意味を飲み込めていないようなグレースにとっては、ようやく知っている友人の姿が戻ってきたという認識なのだろう。

「あたくし、あなたに嫌われてしまったのかと思ったわ」
「俺が君を嫌うなんて、天地がひっくり返ろうとも起こらないよ。ただ……君はもう女王なんだ。昔のようにとはいかないことが多いだろう」

 それはたとえば、身に付けるもの、公務の量、関わる人の数。そして、貴族との距離感だとか。女王という言葉が内包する美しくも重たい縛りに、グレースはまだ気が付いていないようだった。
 それでいい、と思う。彼女はまだ女王になったばかりで、そして、親を亡くしたばかりの年下の大切な女の子だ。端から見れば甘い考えだろうけれど、レオナルドにとっては好きな女の子でもあるわけで――多少の贔屓が入るのも仕方がないことだ。

「そうかしら。……まだよくわからないけれど、あなたがそう言うのならばそうなのでしょうね。……あなたの意図も、国民や世界のことも……誰に言われずとも理解できるような女王様にならなくちゃ」
「気負うことはないさ、グレース。君ならば大丈夫だ。――俺が君を守るから」

 ありがとう、嬉しいわ、あたくしの騎士様。グレースはそう言って、昔となにも変わらない笑顔を浮かべた。眉が下がって頬が染まる少女のようなその笑みは、いつだってレオナルドが剣を振るう理由となる。
 幸せそうに瞳を輝かせて言葉を続けようとしたグレースを、そっと制する。先ほどとは別の面々が、女王の言葉を求めてやってきたようだ。周囲の貴族にはわからないように視線だけで彼女を促すと、グレースは不思議そうに忠実な騎士である青年の赤い瞳の先を追いかけた。

「あら、まあ。皆様!」

 そこに愛する国民たる貴族たちの姿をみとめた途端、先ほどまでレオナルドに向けられていた笑みは彼らのものとなる。グレースは幼い頃から、国と国民のすべてを心から愛しているのだ。自身と会話をしたがっている愛する国民だなんて、それはそれは愛おしくてたまらないだろう。
 グレースが嬉しそうでよかったと表情を緩ませて、レオナルドも自身や家のための社交へと足を向けた途端だった。
 がしゃん、と。
 耳障りで派手な音が響き渡り、人々の話し声で騒がしかった会場は途端に静まり返る。その静寂の中心にいるのは、どうやら使用人の少女のようだ。彼女の周囲には銀のトレーと、それに乗っていたであろういくつかのグラスが転がっている。大方、躓いたかなにかでバランスを崩したのだろう。……と、そんなことはこの場にいる誰もがわかっていた。
 けれど誰も動こうとしないのは、女王のための場で失敗をした使用人という構図がよろしくないからだ。この場は痛いほど緊迫していて、彼女の同僚や上の者がすぐさま助けに動けるような空気ではない。かといって、女王陛下のご機嫌を知る前に使用人を救える貴族などいるはずもない。もし女王が烈火のごとくその失敗を叱り出したのなら、庇った身もどうなるかわからないのだから。
 ――グレースがこのようなことで気分を害する人ではないとよくわかっている、レオナルドは別として。自分ならば場の空気すらも変えられるだろうと踏んで前へ出ようとした矢先、それよりも先に鳴る靴音があった。

「まあ、お怪我は?」

 それは、高いヒールの音。先ほどまで貴族の輪の中心にいたグレースが、その慈愛に満ちた声で道を開かせながら歩いていた。
 純白の彼女を諫めるような声がする。けれどそんな声などまるで届いていないかのように、グレースはなんの躊躇いもなく使用人のために膝をついた。ドレスの裾が床の上にふわりと広がる様は、まるで一輪の花のようだ。

「痛めたところはないかしら。まあ、手が赤くなっていてよ」
「い、いえ……」

 衣擦れの音一つ目立つようなこの場では、混乱と羞恥で上擦った使用人の声はよく響いた。はっとして女王への謝罪を述べる少女に小さく頷いて、「謝るようなことはなにもないわ」と鈴の音のような声が重なる。

「念のため、お医者様に診ていただきましょう。あたくしがご案内するわ。さあ、立てるかしら」

 白い手袋に包まれたやんごとなき指先が、身分も年齢も下の使用人の手を労わるように包んだ。そのままゆったりとした動作で彼女を導こうとするグレースを、いくつもの声が控えめな静止を告げようと飛ばされる。

「お言葉ですが女王陛下、陛下がそこまでなさる必要は……使用人のことなど……」
「ことなど、ではないわ。よろしくて? 貴族の皆様も使用人の方々も、そして今この場にはいないすべての国民も。あたくしにとっては傷一つもついてほしくはない愛おしい国民ですもの」

 それまで会場や貴族たちに向けられていた少女のように輝く瞳には、それまでにはない強い意志が宿っていた。それに押されたのか、苦言を呈していた人々は思わず黙り込む。その合間に使用人の少女へ微笑みかけたグレースは、「では、参りましょう」と彼女の手を引いていく。

「……グレース。君は……」

 変わらないなと、再びざわめきを取り戻した会場でレオナルドは一人つぶやいた。
 グレースという人は幼い頃から愛らしく、その笑顔はまるで天使のようだと評判だった。容姿だけではない。身近な貴族や使用人、庭の花や迷い込んだ野生動物、そして城壁の向こうの国民たち。そのすべてにいつだって細い手を差し伸べようとする性質は、まさに天使と呼んで差支えは無い。
 彼女がまだいとけない王女だった頃からそうだ。あのときもグレースは、城下町を訪れた王家の前で粗相をした子どもの前に座り、手を差し出した。土埃まみれの街路も、他の王侯貴族には汚らしいと一蹴されてしまいそうな貧しい国民の見目も厭わず、それが当たり前だというように。その後のことは、レオナルドもよく覚えている。貴賤なく人々に接する心優しい王女だと、彼女は誰からも賞賛を受けていたはずだ。今回もそのように事が運べばよかったのだけれど、そうはいかないらしい。
 誰も明確なことは口にしないものの、漂う空気が肌を刺しているのがわかる。最初の一人になりたくない人々は、大いなる空気という刃を互いの喉元に突き付けて、誰かの不敬で不用心な本心を待っている。もしも事が起きた場合は自分以外の責任にできるように、潮流が変わったときは女王に忠言ができるように。
 ――そんなことはさせない。なにも起こさせない。王家の剣たる公爵家の名と、我が愛にかけて。
 レオナルドは、自身の胸にそんな決意が根付いていくのを感じていた。
 すべては愛する女性と、彼女が愛するすべてを守るため。そのためならば、なんだってしてみせる。
 そのためにも今すべきことは、この場をおさめることだろう。完璧に整えられた前髪を一度かきあげて、レオナルドは会場の中心へと歩み出した。余裕に満ちた表情の裏、なにを言うべきか、誰の名を最初に呼ぶべきか、グレースが戻ってきたときにはどう動くべきか……そんなことを考えながら。
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