第1幕 Dear My Sister

07 花弁はその手の中に


 今日はなんと素晴らしい日なのだろう。
 穏やかな陽気に花々も揺れている。城内に差し込む光は柔らかく、今日という日に予定がなければお茶会でも開きたいところだ。けれど、今日だけは……お茶会よりもよほど心躍るお約束があるのだから。
 きっと死んでも忘れられないような素敵な日になる、特別な約束が。

「ごきげんよう、皆様。本日はお集まりいただきありがとう存じますわ」

 明るい部屋の中、様々な感情を持った瞳たちが私に向く。
 陛下とお兄様方、リリベル公爵とロバート。――それから、ジン伯爵。
 モノクル越しの目を細めて、彼はいつもとなんら変わりない笑みを浮かべていた。ふと視線が交錯すると、彼は労るような色を混じえて私に頭を下げた。固く口を閉ざしている公爵家の人々と違って、彼はこのような場においても随分余裕があるらしい。王妃以外の王家が揃っている場でもあるのだけれど、それすらも意に介していない様子だ。

「小さな可愛い探偵さん。こうして私を呼びつけたということは、駒鳥殺しを見つけたのかい」

 優雅に腰かけていた陛下が口を開いた。静かに私へと視線を向けるエドワードお兄様はなにも言おうとはしない。

「ええ。皆様のご協力のおかげで、犯人に行き着くことが叶いました。お父様とお兄様方……被害者となったエルシー嬢のお身内である皆様に、私の辿りついた結論をお話させていただきたいのです」
「そうか。それでは、推理を聞かせてみなさい」
「はい、お父様。では、一つ一つ参りましょう」

 一歩前へ足を進めながら話し始める。私のヒールの音が、やけに大きく感じられた。陛下とお兄様方のどこか見守るような視線と、公爵から向けられる明らかな敵意のこもった視線が混ざって私の身に突き刺さっている。

「……エルシー嬢は舞踏会で毒殺されました。それは皆様はもう、ご存知のことだと思いますけれど」

 この部屋はダンスホールではないけれど。あの日の喧騒もなにもかも、手に取るように思い出せる。

「重要なのは、彼女を殺した毒はなんなのか、どこから摂取したのか、ですけれど……お医者様によると、舞踏会で口に入れたものによる死で間違いないと。こちらはお父様もご一緒に聞いてくださいましたでしょう」
「ああ、そうだな。あの者は確かにそう述べていた。私が保証しよう」
「お優しいお父様が手を差し伸べてくださり、私はカップケーキを手がけたシェフに話を伺うことができましたの。皆様はシェフの証言をご存知かしら」
「――それならば」

 私の言葉を遮ったのは、リリベル公爵だった。
 あのシェフは確か、陛下がその身柄を見つけ捕えてくださったのだから、他の人はそう話を聞くような時間はなかったはずだけれど。貴族の集まる王家の催しである以上、関わる者も訪れる者もすべては記録され、そしてその記録は部外者の目に触れないよう保管されている。部外者である彼がこのタイミングで口を割ったのは、正直想定外だ。

「少し興味深い話を耳にしました。どうやら毒を混ぜるように命じられた、と。そしてその方の名も」
「まあ……それならば、公爵もあの愉快な戯言をお聞きになりましたの?」

 私の問いに彼は答えなかった。普段であれば無礼だと糾弾しているところだけれど、この場は通常のお喋りの場ではないのだから見逃して差し上げることとして。

「……私が犯人だという噂があることはわかっています。そして、シェフがそう述べていることも。もちろん、私は彼女を殺してはおりません。この場にいる賢明な皆様であれば、あのような虚言を信じることなどないとわかっておりますけれど」

 そう言うと、公爵は口をつぐんでしまう。以前、私が犯人だという噂の元は彼だとジン伯爵が言っていたけれど、それは彼の……よく言うのであれば推理、の上に成り立っているのだろうか。それとも、この情報も含めて伯爵の――そう考え込んでしまいたくなるけれど、今は隙を見せていい場ではない。

「あの者は虚言を吐いたのです。私の前で、貴族令嬢の死という大事にあって。その理由はなんなのでしょう? 口をついて出た自己保身でしょうか。そうとも考えられますけれど、ことはそう単純ではございませんの。……エイプリル」

 名を呼べば、扉のそばで控えていた彼女の静かな足音がする。
 手渡されたものを受け取って、私は顔を上げた。かさりと音を立てながらそれらを見せれば、ただでさえ暗く沈んでいる様子だったロバートの顔色がひどいものになってしまう。怯えている彼はやっぱり、少しもエルシーに似ていない。

「こちらにあるのはお手紙と……それから、小切手です。ロバート様、どちらを先にご覧になりたいかしら」
「……っ、……いえ……僕は…………僕、……は……」

 途端に目を泳がせる彼の姿を、隣に座っていた公爵が鋭利に見下ろす。それを感じ取って余計に混乱している様子を見ていると、こう声をかけたことが悪いように思えてくるような。もちろんロバートは私が持っているこれの中身も、暴かれると誰に矛先が向くのかもしっかりとわかっているのだろうから、怯えるのも仕方がないことなのだけれど。
 それにしても。この立場にいたのがエルシーだったら、あの女なら、もう少しうまくやれただろうに。そんなことを考えずにはいられない。

「手紙だ。小切手なぞまったく心が踊らない……アリア、小さな探偵さん。その手紙は、大層魅力的なものなのだろう?」

 口を挟んできたのは陛下だった。あのままロバートの返事を待っていても埒が明かなそうだったのだから、いいのだけれど……突然なんなのだろう、という思いは拭えない。いつも通りの甘い笑顔を浮かべているはずの陛下は、どこか冷たい空気を纏っている。

「ええ、もちろんですわお父様。きっとご満足いただけます」

 私が陛下の方を向いたと同時に、ロバートが小さく息をつく音が聞こえた。これから追い詰められるのだから、安堵できるような状況ではないだろうに。

「それでは、まずお手紙をご紹介いたしますわ。こちらは亡きエルシー嬢に送られた恋文ですの。こちらの送り主は、リュシアンお兄様――」

 そこで一度言葉を切る。エドワードお兄様の視線が、どこか諦めたようにリュシアンお兄様を捉える。それを受けてへらりと揺れた金髪は、いつも通りの軽い笑顔だった。

「……を、騙った何者か。こちらは代書されたものですわ。本当によくできておりますのよ、私も初めは見分けがつかなかったほどですもの」
「…………はあ、まったく……」

 なにか言いたげなエドワードお兄様は、それでも苦々しげに黙り込んだ。普段からリュシアンお兄様の素行に随分言いたいことがある様子なのだし、きっと今もその内心は色々と渦巻いているのだろう。少し脱力したように視線を逸らしたお兄様は、「それで」と気を取り直したように続けた。

「その手紙は誰がなんのために、リュシアンを騙ったんだ?」
「ご説明させていただきますわ。まずこちらの内容ですけれど……彼女が殺された舞踏会の日、人目を盗んで二人きりで会うための約束のお手紙です。なんでも、エルシー嬢がとあるドリンクを使用人からいただくことが合図だそうですの。ですが先ほども申し上げた通り、こちらはリュシアンお兄様のものではございません。そしてお兄様も、エルシー嬢と関係はなかった……そうですわよね」
「ああ、もちろんだよ。彼女とはなにもない」

 陛下と同じ色の瞳を細めて、リュシアンお兄様は微笑んだ。いつも色々なご令嬢に声をかけているお兄様が、エルシーにだけは……というのは少し不思議な話だ。あの女が嫌いな私としては、そちらの方が嬉しいのだけれど。

「内容にそうおかしなところは見受けられません。愛の言葉も、そして地位の差や周囲を気にするような密会の約束もその合図も。……けれど、気にかかる点はございます。一点はもちろん、わざわざお兄様の名を使っているということ。そしてもう一点は……後半に記されている密会の合図です」
「ドリンクだったか。本当の逢引だとしても回りくどいものだ」

 陛下は肩をすくめてそうつぶやいた。思わずこぼれたようなそれは、心からの言葉だったのだろう。けれど私たちの生きる場所は、陛下のように恋に落ちてから最短で愛を手にすることのできる人間は少ない。リュシアンお兄様の地位と周囲から向けられている視線の質、舞踏会という場、そして、あの女を目の敵にしている私の存在。これらの要素は、この遠回りな手順を踏まなければいけないとエルシーに思わせるにはじゅうぶんだ。
 私が彼女の立場だったとしても、この手紙に記された内容に従ったことだろう。このような手段を使ってでも会いたいという意思表示は、きっとあの女の目には甘美に映ったに違いない。

「……こほん、皆様。私がお伝えしたいのは、お手紙の内容そのものではございません。こちらのドリンクは実際に用意され、エルシー嬢は手に取り……そして飲んだ。そして、口にした直後に、彼女は倒れたのです」
「――では」

 それまで黙っていたジン伯爵が、ふと話し出した。彼のモノクルが、日の光にあたって怪しく光った。その瞳はあくまで穏やかに、思案するかのように伏せられている。

「その手紙を書かせた者が犯人の可能性は高いと言えますね」
「仰る通りですわ! そう、代書を計画した人物こそ犯人ではありませんかしら」
「王女殿下は、その者が誰かはご存知で?」

 伯爵の言葉に、口角があがってしまうのが自分でもわかった。ええもちろん、と発した私の声は、上ずってはいなかっただろうか。

「こちらのお手紙の代書をなさった……正確には、代書屋への依頼を実行した方は……」

 ふとそちらに目をやると、彼はずいぶん真っ青になっていた。
 この事件をきっかけに関わるようになってからというもの、私は彼のこの表情ばかり見ている気がする。焦りに怯えに、それからどこへ向けられているのかがわからない怒り。そういうものを詰め込んで、彼はいつも青い瞳を震わせる。普段の社交界では、家と父が持つ権威の割にはまったく目立っていなかったけれど。この様子を見ると、この国の貴族として生きていくのは向いていないのだろうと思わずにはいられない。

「……ロバート様。あなたですわよね」

 そっと手を差し伸べると、彼の青の動揺はさらに深まった。信じられないものを見るようなリリベル公爵と、どこか愉快そうに目を細めるジン伯爵。怒りをにじませた公爵が喋り出すより先に、ジン伯爵が口を開く。

「……ええ、ええ。なるほど……まさか本当に、君に他者を手にかける勇気があったとは……」
「お待ちくださいまし、伯爵。私はなにも、ロバート様が犯人だと申し上げているわけではございません」
「……と、言いますと? 失礼ながら王女殿下、先ほどは代書を行った人物が犯人の可能性があるとのお話でしたが」
「ええ。代書を計画・・した人物こそと、そう申しました。ロバート様は実行こそいたしましたが、計画はなさっておりません。そうですわね?」

 そう尋ねると、ロバートはこわごわと首を縦に振った。そして伯爵を窺おうとして、それよりも隣にいる父の存在に怯えた様子で俯いてしまう。

「ロバート様に代書を指示した方がおります。そしてその方は、舞踏会でエルシー嬢が手紙に記されたドリンクを受け取るか見ておくように……とも命じたそうですの。犯人であるのは、こちらではなくて?」
「……ああ、それは……もしその話が真実なのであれば、王女殿下のご推察が正しいでしょう」

 伯爵はそう言って微笑んだ。モノクル越しの表情はいつも通りで、そこに動揺は見て取れない。彼が他人に感情の動きを見せようとしない人であることは重々承知しているけれど、不気味な仮面だと思わずにはいられない。

「それでは王女殿下は、その犯人の目星はついていらっしゃるのですか?」

 落ち着いた声色で伯爵は続けた。自身に切っ先が向けられているとは思えないほど静謐とした彼が、いったいなにを考えているのかよくわからない。

「……伯爵、あの日の飾り付けは見事なものでございましたわね。ダンスホールを飾っていた鈴蘭――あのお花は我が国には自生せず、帝国からいただいたものだそうです。伯爵が、ご用意してくださったのでしょう?」

 その表情がかすかに崩れた。なにを関係のない話を、という視線が私に向けられる。
 それは目の前の伯爵だけではなくて、リリベル公爵も同様に。公爵とは長い付き合いというわけではないものの、彼から向けられるこのような猜疑の視線には慣れたつもりでいた。けれど、こうもあからさまなものは初めてだ。冷たくも最低限の礼儀は弁えていた公爵が見せる剥きだしの不躾な視線に、どこか愉快な気持ちになってしまう。

「おや、ご存知でいらっしゃったとは」

 そんな私の意識は、伯爵の声によって引き戻された。

「……仰る通り、花々を調達したのは私です。あの美しさが伝わったことはなによりですが――王女殿下。お言葉ですが、今は花を愛でるような場ではないのでは?」

 薄い微笑みの下で彼が今なにを考えているのか、相変わらずわからないままだった。今日の温かい光には似合う笑顔だったけれど、この冷たい場には不釣り合いだ。

「帝国に確認をいたしました。伯爵が鈴蘭を私用のためにも購入していらっしゃったこと、その毒についてもご承知だったこと。……皇子より伺いましたの。随分と毒性のあるお花にご執心でしたのね?」
「たくさんの方々の訪れる場に飾られるのですから、危険なものではないか確認するのはなんらおかしくないかと思いますが」
「そうですわね。ですが私は、あの日ダンスホール中に飾られていた鈴蘭に毒があることなど、まったく知りませんでしたの。……鈴蘭の花や根に含まれる、人を死に至らしめる毒……わずかな量でも摂取してしまうことすら、危険視されているそうですわね。そのように危険なお花であることを、舞踏会の前にご存知だった方はいらっしゃるのかしら」

 部屋を見回しても、それに名乗り出る者はいなかった。参加者である貴族たちが花に触れるようなことはそうそうないだろう。けれど、飾り付けに手を貸したエイプリルもその毒については知らない様子だった。少量でも口に入れば危うい鈴蘭に、なにも知らないまま不注意で触れてしまう使用人がいないとは言い切れないというのに。
 伯爵が毒性について確認することは、なにもおかしくはない。けれど、それが「舞踏会のため」だという理由ならば、彼以外にそれを知る人がいなかったことは不自然だ。

「……俺は聞いていない。父上はいかがでしたか」
「いや? 多少であれ危険物となる可能性があるなら、1度報告し騎士団の許可を得ろと言ってあるはずだが」
「舞踏会前、飾りつけを手伝った私の侍女も知らないと。伯爵、危険なものであるとご存知でしたのなら、しかるべき報告をするべきだったのではないかしら。鈴蘭に毒があると知られれば、不都合だったのではなくて?」

 たとえばそう、エルシーがそれを知ってしまえば。
 あの女は馬鹿ではない。もし事前に、この花々は危ないものだと知っていれば……いくら恋に舞い上がっていたとしても、ドリンクの中に同じものが沈んでいたことに気が付くだろう。であれば、毒の溶けたそれを飲むことなどないはずだ。

「……なるほど。王女殿下のお考えはわかりました。私はずいぶん疑われているようですね。ですが、もし仮に……私がエルシーを鈴蘭の入ったドリンクで殺していたとして……このような目立つ手段を取る必要がありません」

 ジン伯爵は滔々と語る。まるで舞台の上に立っているように、堂々と。

「彼女一人を殺したいだけであれば、殺せるだけの量を帝国から仕入れればいいだけの話です。それこそ一輪あれば事足りる。舞踏会の飾り付けを担ってだなんて、自分から目立ちにいくようなこと……私はしませんよ」
「そうかしら。ただの貴族が鈴蘭を帝国からいただくこと自体、ずいぶん目立っているように思いますけれど。帝国皇子が教えてくださいました。帝国において鈴蘭の毒は有名なお話だと。ですから最初、我が国の貴族が鈴蘭を私的にほしがっていると聞いたとき、管轄の方はおどろかれたようですわ。ただのお花ではありますし、取り扱いに気を付ければ問題ないものではありますが……帝国もあのような事件が起きたばかりでしょう? 今に限っては個人的な取引には応じられないと、断ったそうですの」

 隣国である帝国は、我が王国と比べれば清廉で日の当たる国だ。けれど周囲を飲み込んで出来上がった大帝国であるかの国だからこその影もある。以前帝国内で起きた毒殺未遂の影響で、少しでも毒を含むものの取り扱いは慎重になっていた。それは鈴蘭も例に漏れず。
 そう大々的に語られたことではないから、私も正直なところ意識の外だった。貴族にもそこまで伝わってはいなかったようだし、ジン伯爵も私と同様に気に留めていなかったとしてもおかしくない。

「その後再び、同じ貴族から鈴蘭に関する要求があったそうですわね。今度は舞踏会に際して、と。その頃には帝国内も落ち着いていたこと、そしてその貴族が取り扱いに不安はないと言い切ったことから許可が出たと。……どうやら、とてもお上手な弁舌を披露されたそうですわね? さすが伯爵ですわ」

 皇子である私の婚約者のところまであがってくるような話ではなかったようで、そういうことがあったらしいと手紙に書かれていたまでだったけれど。
 鈴蘭は王国には自生しない花であり、人々が訪れる帝国の首都や観光地とは離れたところに咲いている。致死性の毒も、それを知る帝国を説き伏せて持ち込んでしまえば、ここではただの愛らしい白い花だ。……そう思うと、我が国は少し色々と考えるべきなのではないかしらなんてことも思い浮かぶのだけれど、今はそこは主題ではない。

「王国にて大量の鈴蘭を飾ることは、そう注目されることではありません。けれど、理由なく帝国より少量の鈴蘭を求めることはとても目立つことでした。舞踏会やその周辺に狙いを定め計画を立てていらっしゃったのなら、鈴蘭の入手は急がなければなりませんけれど……ですが、強硬することもできなかった。あまり他国の領域で不用意なことをなさると、王家にも伝わってしまいますものね」
「……はは。弁舌がお得意なのは、王女殿下の方でしょう。確かに、仕入れについての理屈はわかりました。ですがそれは、私を犯人に仕立て上げるには足りないのでは?」
「そうかしら。……ああ、失礼いたしました。私ったらお喋りに夢中で、肝心の証拠を握ったままお見せしておりませんでしたわね」

 再び手紙を開く。なんの意味も持たない愛の言葉に、別の意図を抱えた逢引の合図。何度も読み返したそれは、随分と色のない文字の羅列にしか見えなかった。きっと同じようにしたエルシーにとっては、これ以上ないほど特別なものだっただろうけれど。

「……さて。こちらの代書を計画した者、その方こそが犯人の可能性が高いということでしたわね。私はそれがどなただか、存じております」

 もう1度私に向けられた視線を見つめ返すと、やはりリリベル公爵からのそれだけが刺々しい。本来それはジン伯爵から向けられてしかるべきものなのだけれど、彼は相変わらず笑顔を崩さない。そんな完璧な仮面をかぶる伯爵とは異なって、公爵はずいぶんお顔に出やすいらしい。
 ――ああ、そういえば。
 私は、私を嫌う公爵を出し抜いてやりたいと。この事件に無理矢理足を踏み入れた当初から、思っていたのだった。

「ご家族との不和に不満を溜めていたロバート様を引き入れ、足が残るような代書依頼に彼を使い、そして毒殺の成功を見守らせた。一度は帝国の状況によって乱されかけた毒の入手を成功させ、エルシー嬢を殺すための鈴蘭で舞踏会を飾り上げた人物……」

 私のヒールの音だけが響く部屋で、ロバートは今にも倒れてしまいそうな顔色で俯いていた。私がその名を呼べば、まるで死刑を宣告されたかのような表情で顔を上げる。
 ロバートは、エルシーを殺そうとは思っていなかったに違いない。妹を嫌っていたとしても、本当に死ぬだなんて、殺されるだなんて想像だにしていなかったはずだ。伯爵に騙されていたと擁護しようと思えばできるだろう。
 けれど、彼は逃げ回りすぎた。
 私に手紙を差し出した日。あのとき邪魔が入らなければ、彼はジン伯爵にやらされたのだと話したに違いない。けれどその決意は伯爵の名を聞いただけでぶれて。小切手を突き付けられた日は、見苦しくも言い訳を叫び並べ立て。
 美しくない、好ましくない。自身の信念に胸を張らずして、なにが貴族なのだろう。

「教えて差し上げてはいかが? あなたの口から、ご尊父に。あなたを、そしてすべてを操り、妹を手にかけたのは誰なのか」

 そう言って差し上げれば、ロバートは相変わらずの顔色のまま目を泳がせた。リリベル公爵に私、それからお兄様方の方へ視線を動かしたかと思えば、助けを求めるようにジン伯爵へ視線を投げようとして。結局諦めたように青い瞳を伏せた。この息がつまるような部屋の中で、ロバートの呼吸音が響く。息を吸って、吸って、それでも酸素を巡らせることすら叶わなかったように、引きつった息を漏らす。

「――ロバート」

 そんな彼を動かしたのは、公爵の短い呼びかけだった。

「…………伯爵、が……」

 よろよろとした声が、次第に輪郭を持っていく。それは吹けば飛ぶような細い線だったけれど、今ロバートの言葉を邪魔するような者はいなかった。

「ジン伯爵、です……。僕に、エルシーを……殺す、と、持ちかけてきたのは……」

 親の仇でも睨むような、けれどずいぶんと泣きそうな色に染まった青に見つめられても、伯爵は「おや」とこぼすだけだった。

「…………」

 リリベル公爵は、じっとその姿を見ていた。

「ジン伯爵。あなたが関係者に金銭を渡し、嘘の証言をさせたこともわかっております。ドリンクのことには口を閉ざし、エルシー嬢を殺した毒はカップケーキで……命じたのは私と言えと。こちらにあるものはシェフへのそれだけですが、今頃騎士団の手によって、お医者様への賄賂の証拠も見つけられている頃でしょう」
「…………これはこれは。恐れ入りました、王女殿下。私の想像よりもずっと、あなたは思慮深いお方のようだ。ええ、その必要には及びません」

 こらえきれないような笑みを漏らして、ジン伯爵は口を開いた。穏やかで優しいのにどこか嫌に後を引く声色が、耳に残って仕方がない。はらりと黒髪が揺れて、伯爵は顔を上げた。モノクル越しのペリドットのような瞳は美しい宝石という形容はふさわしくないほどの悪意に染まり、ぎらぎらと輝く。

「その通り……エルシー・リリベルを殺したのは、私です」
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