番外編

ラヴィアンローズ


 どこまでも冷たい政略に囚われて人の温もりすら忘れた男に、愛を教えた女がいる。
 茨に囲まれた王城に生まれたその男は、気付けば臣下すら、使用人すら、そして妻や息子たちすら道具として扱うようになった。表向きは優雅な笑顔を浮かべながら、その実自身が踏みつけてきた人間の数だけを信用しているのだという。自分にも他人にも血が通っていることなんて忘れたかのように振る舞っていたその男は、けれど、ある日真実の愛にめぐりあった。
 ――可憐なる使用人。周囲に嘲られているにもかかわらず、いつだって咲き誇る気高い花。その美しさは男が忘れていた喜びを、愛を、温もりを思い出させた。そして使用人である女の方もまた、耐えてきた痛みと孤独に触れてくれる存在を得た。それが愛、これこそが愛。そうして人生が輝くのだと気付いた二人は、やがて結婚した。
 この国に生きるものならば一度は聞いたことがあるこの筋書きは、決して寝物語を諳んじたものではない。我が国の、王と王妃の真実の物語だ。今日も忙しなく行き交う人々は、それをまるで童話のようだと微笑んで語り合っている。その笑みの意味は、どこかのお屋敷の庭園と平凡な井戸端とでまったく別の意味を持っていたけれど。
 取り立てるほどではない家に生まれながらも己の手と筆で城への出入りを許された私は、どちらの笑みも解さなければならなかった。すなわち国王と結婚した使用人を下賤の鼠だと笑うか、童話のプリンセスだと褒めたたえるか、である。今日の私は前者の笑みを顔に張り付け、この城へやってきた。
 なにしろ今日のお相手は、薔薇の王女様なのだから。

「お母様のお相手をさせられたかと思えば、今度は私だなんて。才能があるとご苦労なさるようですわね」

 甘くかわいらしい声色に乗せられて私の元に届けられたのは、そんな毒だった。
 真実の愛の元に生まれた薔薇の王女――アリアの肖像画の作成。それが、宮廷画家たる私に課せられた仕事だ。
 国王陛下より直々にこの依頼が届けられたとき、私の頭の中に浮かんだのは報酬でも栄誉でもなく……「勘弁してほしい」だった。もちろん、こんな胸の内は誰にも話してはいないけれど。アリア王女が先ほど花のような笑みと共に言った通り、私は先日も城で筆をとっていたのだ。
 王妃の肖像画は、私の画家人生で最も疲弊した一枚と言って差し支えないだろう。王族貴族の肖像画の描き方は心得ている。どう描き、どこを煌びやかにすればいいのか。彼らを不愉快にしない程度のおべっかだって、画材と共にバッグの中にいつだって忍ばせている。そう苦ではない仕事のはずだった。
 ならばなぜこうも私が辟易したのかと問われれば、王妃の性格だった。使用人の女性が着飾った真実の愛というドレスは、その実高慢と嘲笑という宝石で飾られているらしい。私の腕を疑うだけでは飽き足らず、これまで私に依頼をしてきた貴族の噂に話が飛ぶ。そして結びは、娘への冷たい揶揄だった。あんなのよりもあたしの方が綺麗でしょう、だというのにあれをかわいがるだなんてあの人って意外と子供が好きみたいね。それを私に言ってどうしろと、だなんて思いは胸の奥にしまい、誉め言葉の皮をかぶった話題転換をしておいた。国王陛下はこの広い城からこんなにも美しい方を見つけられるだなんて、ははは。

「よろしいのですわよ、そう固くなられずとも。良い子にしておりますわ……アリアは、慣れておりますもの」

 王女はそう言って、肩にかかった髪をはらうように小首を傾げた。
 そう言って微笑んだ彼女が、優雅に椅子に腰かける。丸く華やかに広がる深紅のドレスはまるで花弁のようで、思わず先ほど城の庭園で見かけた赤い薔薇を思い浮かべてしまう。その姿は、到底十四歳の少女には見えないものだった。私の近所で見かける十四歳は、もっと騒がしく生意気だ。……こうして比べること自体、不敬だろうけれど。
 私を前にした王女の視線が、品定めでもするように動く。髪の一本一本から服の縫製までじっくりと見られているような感覚に襲われ、私は思わず背筋が震えた。靴に少しでも土がついていやしないか、ボタンはきちんと整列しているのか、今日はいつも以上にそんなことが気になってやまない。これではどちらが描かれる側なのかわからない。

「……あら、ごめんあそばせ」

 私の動揺に気が付いたように、アリア王女は微笑んだ。白い手袋に包まれた指先で口元を隠し、くすくすと笑う。その姿はとても愛らしいけれど、それが純粋な笑みだとはどうしても思えなかった。王家の末娘の評判といえば、あまりいいものではなかったから。我儘でいつも人を小馬鹿にするような視線をよこしてくる、王家の女。それが私が聞いていた王女の姿で、品評じみた目線を向けられたこの一瞬で感じた印象でもあった。

「とてもすてきなお召し物ですこと。特にそちらのシャツだなんて。お母様も賞賛していらしたわ……芸術家のあなたが着ていらっしゃるのだもの、次の……流行なのかしら?」

 いい意味ではないのだろうな、と咄嗟に思った。だけれどその意味を深掘りするのは、私の仕事ではない。王女の姿を描くために呼ばれた。ただそれだけだ。
 平に礼を言う。そして、「本日も美しいドレスをお召しの王女殿下にそう言っていただけるとは」なんてお世辞も添えておく。相変わらず私を見つめる大きな瞳からは、世辞だと見抜かれたかどうかはわからない。ただ頬を薔薇色に染めて、彼女は甘く微笑んだ。

「まあ、ありがとうございます。本日のものはね……私がお父様にお願いして、先日仕立てていただいたものですの」

 その言葉に、私は改めて王女が身に纏うドレスを見た。なるほど確かに、ふんだんに使われた宝石もレースにリボンも、お金がかかっていそうな出来栄えだ。王家――もとい国王陛下が贅を尽くしたであろうそのドレスにも、アリア王女の華やかな容姿は決して負けてはいない。つい見惚れてしまいそうになって、私は相槌で誤魔化した。

「お父様はね、私に……最も美しい肖像として残ってほしいのですって。過去、現在、そして未来永劫の発展のその先でも――なによりも美しいのはこの私であるようにと。そのためのドレスですわ」

 ですから、ね。
 アリア王女はそう言って私を見た。

「どうぞありのままを、お描きになって。お父様もそれをお望みだわ」

 ありのまま。私は頷いた。実際、彼女は美しい……と言い切るには、まだ年齢相応の幼さはある。それでも白く滑らかな肌も細い手足も、愛らしく染まった頬も。宝石にも負けない輝きを宿して、私を見つめる瞳も。今は可愛らしく、そしていつかは美しくなるのだろうと確信できるものだった。わざわざ飾り立て、手を加えるまでもない華やかさだ。
 それでも、わざわざ「ありのままを」と口にしてくる意図も、彼女の父である国王陛下の名をちらつかせてくる理由も私にはわからない。もちろん高貴な王族の気持ちを画家ごときが理解しようとすること自体、おこがましいとは認識している。その上で予想をするならば、私の品のない耳にはこれは脅しとして残った。
 国王陛下も出来に期待をしている。ドレスまで新調させた。だからわかっているな、と。
 私はただの宮廷画家なのに、なぜ言葉遊びのお相手に選ばれてしまったのだろう。退屈なのか、気まぐれなのか。それともお馬鹿な我儘王女という噂の通り、底なしの自己顕示欲にでも溺れているのだろうか。私は「もちろん」と頷いた。王侯貴族の威信や気品を描くことが私の仕事なのだから。

「そう。おわかりならばよろしいわ」

 目を細めて笑う彼女に、私は続けた。
 王女殿下をありのまま描けば、その肖像画のあまりの美しさに遠い未来の何者かにもあなたは羨まれ、嫉妬されてしまいそうだ、と。
 それは使い慣れたおべっかでありながら、少しの意趣返しでもあった。アリア王女が様々な方向から敵意や妬みを向けられていることは、少し社交界に耳がある者ならみんな知っているのだから。今も昔も、きっとあなたは。そんなことを言ってから、私は少し後悔した。この我儘王女がどう反応するのかわからなかったからだ。
 王女は私の言葉に一瞬目を伏せた。そうして――。

「ええ、構いません。私はこの国の王女ですもの」

 そう言い切った。私が言葉を返せない様子を見てか、彼女は微笑む。

「賞賛、羨望、妬み、謗り……そのすべては、私が高貴な血を持って生まれたからこそ与えられるものですわ。誰よりも華やかに、誰よりも美しく生きる運命、ですのよ。おわかりかしら、素敵な画家さん?」

 王女の声は甘かった。そう大きな声ではないというのに、彼女が発する言葉のすべてが私を支配するように響く。

「この王国が何千年と続いて……その先で、この私の肖像画を見て、美しいとこぼすものがいるのなら。羨み、妬むものがいるのならば。それが私の運命の意味、当家の血が永遠に咲き続けることの証明だわ」

 アリア王女はそう言って微笑んだ。薔薇のような……いや、きっと彼女こそが一輪の薔薇なのだろう。
 薔薇。誰もが知る美しい花であり、誰をも惹きつける美貌と触れるものを静かに刺す棘を持つ貴婦人。愛の象徴、美しさの比喩としてこの国で用いられ続けてきた花の名のように、いつかアリアという名がこの国の王族の名となり、国の運命の象徴となり、やがて美となり愛となる。アリア王女は「そう」なろうと咲き誇ろうとしていて、私はそれを今間近で見つめている。
 美しいとつぶやいてしまった。思わず口からこぼれたそれは静かな部屋で存外響き、王女はそれを拾う。

「王族ですから。そう、私は……ね」

 誰かとは違って。
 その意図が読み切れないほど、私は馬鹿ではなかった。
 私はこの王女のことを、最初はただの贅沢好きな我儘王女だと思っていた。実際彼女が見せる姿はそう表現するのがふさわしいもので、だけれどこの短い時間で私は自身の浅慮を知った。彼女は決して我儘で嫌味な女の子なのではないのだと、王族としての覚悟を持った薔薇のように凛とした王女なのだと、確かにそう思ったのだ。王女だからと言い切る姿に。
 だけれど、どうだろうか。彼女が今私に掲げてみせた「かくあるべし」の裏には、確かな品位や矜持と共に常に誰かへの嘲りが同居しているらしい。
 それでも。美しいと思ってしまった。
 この国で誰より、なにより、どんな花や宝石よりも――その愛も棘も毒さえも。王女が愛らしい声の裏に隠すのはどこにでもある嘲りと同じで、言の葉に仕込むのは貴族も使いこなすような遅効性の毒。それでも私の目には、それがまるで至高の薔薇を守る棘に映り、差し出されれば毒だとわかっていても飲み下したくなるほど甘美に見える。
 ああ、アリア王女。妬みも恨みも羨望も、そして愛さえ、糧にして。あなたはどこまでも美しく咲くのだろうと。私には、そんな確信が芽生えた。
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