第2幕 プリンシパルより愛をこめて

14 天使はお留守


「アリア様、とってもお似合いです~。お人形さんみたい……」
「当然よ! この私に着こなせないものなんてないもの」

 幼い少女のように指先を組んで見つめるエイプリルを前に、私はくるりと回ってみせた。私の動きに合わせて花のように広がったドレスを見て、彼女はさらに目を輝かせる。気分がいい。
 今日は貴族令嬢たちを城に招いてのお茶会が催されることになっている。私の名の元で開催される運びとなり、たくさんの素敵なご令嬢がいらっしゃる、らしい。……あまり全貌を把握していないのは、すべて国王陛下の気まぐれだからだ。
 どうやら現在の陛下のご趣味は私のお友達探しになっているのだと、少し前にエドワードお兄様が仰っていた。そのときに聞いた内容によると、陛下は私がキャロライン嬢とそれなりに親しくしていることをそれはそれは喜んでいるらしい。
 アリアにもっと親しい友人を、と。貴族でも平民でもなんだって、あの子が気に入りそうな人間を集めさせよう、だなんてことを陛下から伝えられたらしいお兄様は、随分疲弊しているご様子だった。ご自身の思惑を他人に話さないあの方がなにを思っているのか、正直なところよくわからない。ため息をついていたお兄様を労わることしかできなかった。
 ――どのような令嬢と話していても気は抜くな。王家の名だけは汚すな。
 そう話を締めくくったエドワードお兄様の言葉を思い返す。
 わかっている。私は王女で、この王国ではいつどこで足元をすくわれるか予想ができたものではない。とても親身に優しく近寄ってきた人間が、裏では私を嘲りながら弱みを握ろうとしていた……なんてことは日常茶飯事だ。誰も彼もが敵だと断ずるわけではないけれど、そう簡単に気も心もほどいていい相手など社交界には一人もいない。だから、本当なら……。

「……アリア様、その……差し出がましいとは承知しているのですが……」

 あの冷たく厳格な青い瞳を思い出していた私の思考に入り込んだのは、どこか弱々しいエイプリルの声だった。視線をそちらに向けると、彼女は困ったように眉を下げて私を見つめている。

「なあに? 多少無礼でもあなたなら許してあげるわ、言ってみなさい」

 エイプリルの視線はうろうろと宙をさまよって、そうして、再び私の元へと戻ってきた。先ほど私のドレスを褒めたたえていたときとはまったく別の、心配するかのような色が宿っている。

「……本日のお茶会には、キャロライン様はいらっしゃらないのですね」
「本当に彼女がお好きね。あなたがあの男爵令嬢とお友達になればいいのではなくて? 彼女、純粋そうだもの。喜んでくださると思うけれど」

 出された名前もエイプリルの意図も、どこかで予想していたものだった。エイプリルは昔から、私が身を置く社交界をずっと不安そうに見つめているから。自身より年下である私が、どうして皮肉だの裏切りだのが跋扈する場所で矢面に立たなくてはいけないのか、傷付いてはいないかと。時折そう口にして。
 エルシーにもどうやら怯えていた様子の彼女が、今のところ皮肉も裏の意図も見当たらないキャロライン嬢を好いているのは理解できる。そして、穏やかで光のような男爵令嬢と私が、本当に友人と呼べる仲になればいいと思っているのも。

「……」
「冗談よ。……エイプリル。忘れているのなら教えて差し上げるわ」

 エドワードお兄様の言う通りなのだ。どのような令嬢が相手でも、気を許してはいけない。それがたとえ、あの素直で愛らしい少女相手だったとしても。知らない温もりに多少興味を引かれたとしても、向けられる好意がどれほど心地よくても。気を緩めることなど許されない。キャロライン嬢と関わっていた私は、その当たり前のことすら忘れていた。

「私はね。対等なお友達の真似事よりも、意地の悪い女の相手に慣れているし――得意なのよ」


 ◆
 
 
 退屈だ。
 一度意識してしまうと、どうしたって頭から追い出すことができない。本当に、今日の……最近の社交界はつまらない。態度には欠片も出さないように努めながらも、私はどうにも集中できずにいた。
 華やかなドレス、流行の髪型。そうしたものに身を包み、一見可憐にお話をする令嬢たち。気を抜いてしまえば棘を向けられるこの場所を掌握することこそが、私の役目であり娯楽のはずだった。それなのにこうも興が乗らないだなんて、どうかしている。その理由はとても単純。
 ただひたすらに、社交の場が生温い。それだけだ。
 エルシーの死。それはすなわち、豪華な椅子が突如空席になったことを意味する。リリベル公爵家は、王家と並び立つほどの権力を持っていると言われていた貴族だ。……王女としてはその言説は気に入らないけれど、公爵家がなくなった今そこを突いても仕方がない。とにかく、それほどまでに力があった存在がいなくなれば、天秤は勾配を失って当たり前。そうなれば、その空いた席を狙う貴族が山ほどいるのは想像に難くない。
 ――だというのに、彼ら彼女らはその椅子から目を背けているようだった。
 お互いの出方をうかがうように、水面下で小突き合うように。華やかな舞台で演じるには到底相応しくない、遠慮でもしているとしか思えない会話。エルシーやリリベル公爵がいないだけで、こんなにもまどろんだものになってしまうのかしらと驚愕せずにはいられない。
 ここが自室だったらため息の一つもこぼしているところだけれど、私は王女。そのようなことをしてはいけないと背筋を伸ばしながら、周囲を見回した。

「……あれは……」

 そのとき、視界の端で柔らかくウェーブした髪が揺れた。何人かの友人同士で固まっている令嬢たちの中、一人で立っている姿はやけに目立っている。……もし彼女が一人ではなかったとしても、私はきっと彼女に目を留めただろう。仕立てのいい白を身に纏う姿は、とてもよく見慣れたものだったから。その茶髪も、満月のような色をした瞳も、なにもかも。まともに言葉を交わしたことはないものの、私は彼女をよく知っている。
 ――オリヴィア・ドミニク。エルシーの取り巻き。
 あの忌々しい女の後ろで、彼女に同調していた令嬢の一人だ。私自身が会話をした覚えはないものの、エルシーにはかなり上手に取り入っていたように見えていた。
 けれどエルシーが死んでからというもの、彼女の地位も変化したようだった。
 それもそうだろう。リリベル公爵家の令嬢であったエルシーは、それはそれは偉そうにしていたのだ。実際、その態度が許される地位ではあったのだけれど。エルシーが生きていた頃オリヴィアのような取り巻きに向けられていたおもねりは、あの日一瞬で反転した。リリベル公爵家の憎しみに溢れた破滅のあと、公爵家側についていた人間たちがどのように動くのか……それは興味と少しの嘲笑を含みながら膨らんだ、社交界の次なるゴシップとなったのだ。
 オリヴィアも、そんな好奇の目に晒されているうちの一人。何人かいたエルシーの取り巻きたちの間には、美しい友情だなんて存在していなかったらしい。蹴落とし合う仲へと戻った彼女たちの中で、どうやらオリヴィアは最も分が悪いようだった。

「そういえば……オリヴィア嬢は、あの子とも親しくされていたでしょう? ……なんだったかしら、今は平民としてお歌で生活していらっしゃる……」
「ああ、そうだったわね! そうして今度はエルシー嬢が……。私、声をかけてみようかしら? 彼女と仲良くなったら、きっと刺激的な毎日を送れると思うのよ」

 どこからか聞こえるわざとらしいひそひそ声が、その理由を語っている。……まるでオリヴィアが不幸の元凶のような言い草だ。没落も殺人も、自分の身に振りかかれば正気ではいられない。けれど他人がそうした不幸に巻き込まれて堕ちていく様ならば、紅茶のお供くらいにはなり得るらしい。
 オリヴィア・ドミニクは没落した令嬢の親友、殺されたエルシーの取り巻き。

「きっとご実家にいらした頃も、とても楽しい生活をされていたのでしょうね。憧れちゃうわ、牧歌的な暮らし!」

 ついでに田舎者。その一つ一つは刺されるような欠点ではないけれど、わざと火傷させて傷跡にするには十分だろう。あんなに一緒だった取り巻きのお友達からも餌食にされている様子は、哀れの一言に尽きる。多少の憐憫は浮かんでも、同情はない。
 けれど、興味はあった。
 私がオリヴィアの名前を覚えていたのは、エルシーの取り巻きだったから。そして、最近その名を聞いたから。
 毒殺事件の後、どうにかして犯人を見つけようとしていた頃のこと。他のお友達がショックを受けたり多少は塞ぎ込んだりする中、彼女は何事もなかったかのように社交界で華やかに笑っていたらしい。それが強がりなのか、彼女なりの気の持たせ方なのか、矜恃なのか、それとも。

「……ごきげんよう、オリヴィア嬢」

 その真意を知りたいと思っていたのだ。この場での会話でその理由を知れるとは思っていないけれど、オリヴィアという令嬢がどのような人間なのか多少はわかればそれでいい。

「……王女殿下……」

 私が声をかけると、彼女は目を瞬かせて私を見た。おどろいているのは彼女だけではないようで、周りの令嬢たちの視線を感じる。
 オリヴィアも周囲の人々も、私がエルシーの取り巻きに声をかけるとは思っていなかったに違いない。私とエルシーは、誰がどう見ても仲がいいとは言えなかった。あの女の味方だった人間をこれ幸いと蹴落としはしても、親しくして差し上げる理由なんてない。おまけに彼女は、田舎の子爵令嬢。家にも彼女にも、特別秀でた価値はない。王女が声をかける相手としては、やや不適切だ。

「お越しくださってありがとう。楽しんでいらっしゃるかしら」
「はい、このような素敵な場にお招きいただいて……」

 こうして向き合ってみれば、彼女はどこか純朴な印象を受ける少女だった。可愛らしいという誉め言葉がよく似合うような顔立ちは、警戒心だなんて知らないかのようだ。けれど本当に警戒をしていないのではなく、隠すことに長けているというだけだろう。
 エルシーはきっと、人を疑うことを知らないような、愛らしくて……間の抜けた令嬢を近くに置かない。

「……オリヴィア嬢。こうしてお話するのは初めてですわね。私たち、こうして同席する機会は何度もありましたのに」
「はい、今日こうしてお声をかけていただき光栄です。……王女殿下はいつもお美しくいらっしゃいますから、あたしのような世間知らずはどうにも緊張してしまって。舞い上がっていたものですから、これまで……失礼なことをしていないかと不安で」

 その瞳に困惑と疑問を浮かべていたのは一瞬のことで、オリヴィアはすぐに取り繕うように控えめな微笑みを浮かべる。
 白々しいことこの上ないけれど、社交辞令にはそれなりに慣れているらしい。この数年間、エルシーのご機嫌を損ねなかっただけはある、というべきだろう。気分屋でプライドが高い傍若無人のあの女は、少しでも気に入らない言動をしたお友達には容赦がないのだと、昔小耳にはさんだことがある。

「それに。王女殿下はいつも、エルシーさんに独占されていらしたから」
「……まあ。恥ずかしい言い方をなさるのね」
「本当のことです。誰よりも美しく高貴な王女殿下に追随することができるのは、あの方くらいだと……そう羨んでいましたから」

 あたしのような田舎者では、とても。遠慮がちに付け加えられたその言葉に、私は笑みを返した。
 オリヴィア自身も周囲も出身について口にするけれど、なにも知らない人の目から見れば生まれだなんて気にならないだろう。そう言い切れるほどに、彼女はこの社交界に馴染んでいた。それが元々の素質なのか、この嫌味な世界で優しさを削られた結果なのかはわからない。それでも、周囲の陰口にも私との会話にも怯んでいない様子は、少しは好感が持てるものだった。

「そう仰らないでくださいまし。これほど楽しい方だと知っていたら、エルシー嬢にお願いして私もお喋りに混ぜていただいたのに」
「きっと喜ばれたと思います。エルシーさんは、よく王女殿下のお話をされていましたから。……もう叶わないことが、残念でなりませんが……」

 ……王都生まれ王都育ちの貴族よりも、オリヴィアは余程肝が据わっているように見える。この私の前で、よくそんなにもあの女の名前を出せるものだ。この場の誰もが避けていた名前をなんの躊躇いもなく口にする姿は、考えなしの馬鹿に見える。
 けれど彼女はただの馬鹿ではないはずだと、不思議な確信が私の胸にはあった。狡猾な人間もなにも考えていない愚か者も、吐いて捨てるほど見てきたのだ。その私の直感が、オリヴィアは前者だと告げている。

「ええ、本当に心が痛みますわ。……けれど、私たちはこれからたくさんお話できる……そうではなくて?」

 穏やかでおっとりとした微笑みを浮かべるオリヴィアの眉がかすかに動き、月のような瞳が瞬く。警戒と希望を混ぜた光が、私の言動と感情を見切ろうとしているのが手に取るようにわかった。その期待に応えるため、とびきりの笑顔を浮かべる。

「どうぞ仲良くいたしましょう、オリヴィアさん」
4/4ページ
スキ