番外編

アフタヌーンに捕食して


 紅茶とお菓子と花の香りが混ざり合って、庭の片隅を甘く染め上げる。
 そのどこまでも甘ったるい場所に身を置いていると、世界からはつらいこともスパイスもなにかもなくなってしまったのではないかと思えた。大袈裟だと笑う者もいるだろう。この広大な大陸に位置する小国の、生け垣に囲まれた侯爵邸から世界を語るだなんて。豪奢な箱の中で一生を終える貴族の娘の寝言だと、そう一蹴されてしまうかもしれない。
 けれど。

「ローズ嬢、私、あなたとお話できるのをとても楽しみにしていましたのよ」

 けれど今、この庭は正しく少女の世界のすべてだった。

「光栄です。ご期待に添うことができればいいのですが」
「期待だなんて。ただ楽しくお話したいだけよ。あなたはとっても賢くて素敵な人だと聞いているもの、気負わないでちょうだいな」

 王国の昼下がり。柔らかい日差しの中で、貴族令嬢たちの小鳥のような話し声が響く。華やかなドレスが咲き、おいしいお菓子と共に少女たちが交流を深めて笑い合う。侯爵令嬢が開いたのは、何度目かになるかわからないお茶会だった。王国に暮らす令嬢たちの楽しみであり日常であり、そして義務であるこの催しは、わざわざ取り立てるようなこともないほどにつつがなく優雅な会だった。……表向きは。
 上品に微笑む侯爵令嬢が主催したテーブルにつくのは、令嬢の友人たち。彼女たちが背負うのは、侯爵家や伯爵家といった高貴なる家の名だ。たくさんの貴族と顔を合わせる社交の場でも、こうした閉じたお茶会でも、彼女たちはいつだって侯爵令嬢を中心にして楽しいお喋りに興じている。そんな穏やかな空間に、今日は見慣れない顔が混ざっていた。

「お心遣いはありがたいのですが、それは……今のあたしには難しいかもしれません。だって、ずっと憧れていた皆様とのお時間に舞い上がってしまって。少し気を抜いてしまえば、紅茶の飲み方すら忘れてしまいそうですから」

 主催者が心を込めてしたためた招待状を受け取った少女――男爵令嬢であるローズ・ジェラードだ。
 緊張しているのか警戒しているのか、ほんの少し強張った笑顔を浮かべる彼女は、本来であれば地位も趣味も、侯爵令嬢とは交わらないはずの存在だった。たくさんの令嬢が集まるような社交の場にも来てはいるのだろうけれど、大して印象に残らない少女。侯爵令嬢は、それなりに人の顔と名前を記憶している自負があった。それでも記憶に残っていないのは、ローズが日陰にいたからなのだろうか。それとも、男爵令嬢という肩書きには見合わない彼女の豪華なドレスばかりに目がいってしまうせいだろうか。

「私の兄がね、ローズ嬢のことをそれはそれは褒めておりましたのよ。聡明で理知的な方だと……私も見習うようにと言われてしまいましたの。ですからぜひ、あなたに直接ご教示いただこうと思ったのよ」

 誰もが見惚れてしまう淑やかな笑みを浮かべて、侯爵令嬢は微笑んだ。桃色の瞳が柔らかく細められて、目の前に座る少女をからめとる。花のように嫋やかな視線がローズを見つめる。髪の結い方から指先まで、品定めするかのように。
 ――侯爵令嬢の目からみたローズは、静かな粗探しの対象だった。
 十四歳の男爵令嬢、歳も爵位も下の女の子。静かで涼しげな表情とは裏腹に、派手な意匠が施されたドレス。王女のお好みなのだという話が聞こえてから、金に糸目をつけない令嬢たちが身に付けるようになった流行の品だ。利口で素朴だと評判のローズには不釣り合いだという笑った友人たちを、侯爵令嬢は咎めなかった。

「兄の話を聞いていたときは、冷ややかな大人の方なのかしらと少し不安だったのですけれど。まさかこんなに……可愛らしいだなんて。私、おどろいてしまったわ」

 陽だまりを連想させる笑顔を向けられているにもかかわらず、ローズの心は冬の朝のように静謐なものだった。足を踏み入れたときに向けられた口々の歓迎と賞賛にも、侯爵令嬢の笑みにも、そして旧友を見つめるような視線にも。本当のものなどないのだということを、賢い彼女はよくわかっている。
 侯爵邸も令嬢たちも、目にはいるものはどれもこれも美しく豪華な様相だ。けれどそれは表面上だけで、本物の美などどこにもない。自分が今向けられているものだって、少し目を凝らせば品定めと嘲笑に満ち溢れているのだ。作られた敬意と親しみにはわざとらしいひびが入り、彼女たちの真意が顔を覗かせる。それに気付いて怒りを滲ませれば礼儀知らずだとなじられ、気付かなければ愚か者だと笑われる――そんな針の筵で、少女は控えめな笑顔を見せた。

「そのように仰ってくださるのは、侯爵令嬢だけです。あたしったら、いつも可愛げがないと言われているものですから。皆様があたしのことを思って言ってくださっているのは、とてもよく承知しているのですが……時には、笑われているのではないかと不安になってしまって」

 自虐的な響きを滲ませて、ローズは眉を下げる。それまで理性的な光を宿していた瞳が伏せられると、途端に彼女が纏っていた年齢にそぐわない利口さはなりを潜めた。

「本当は、あたしも皆様のように華やかに過ごしてみたいのです。侯爵令嬢のように綺麗なドレスがよく似合って、素敵なお喋りをして、誰からも愛されて視線を集める……そんな女の子にどれほど憧れたかわかりません。皆様の楽しそうなお声が耳に入る度、つい視線を奪われてしまうんです」

 それは明らかな諂いだった。並べ立てられた美辞麗句がローズの本心だと素直に信じるような人間は、きっとこの社交界にはいない。もしそんな稀有で純白な存在がいたとしても、すぐに貴族たちに食い潰されてしまうだろう。そんな悪意から守ってくれるような友人でもいるのなら別として。
 侯爵令嬢は、自分の身は自分で守らなければならないとよく心得ている人間だった。年下の男爵令嬢に向けられた誉め言葉を、彼女は完璧な笑顔で受け取る。

「お上手ね。こんなにも美しいお言葉を紡げる方だから、兄もあなたを気に入ったのかしら」
「以前お声をかけられた際には、ご挨拶をさせていただいただけですから……お気に留められるようなお話はしておりません。ですが、こうして侯爵令嬢とのご縁をいただけたことに感謝しなくてはいけませんね」

 どうかあたしからの感謝をお伝えいただけますかと、ローズは礼儀正しく口にする。その姿は伸びた背筋から指先まで、いつか教わった通りの形式を保っていた。一分の隙もなく編み上げられたマナー、どこかで聞いたような誉め言葉、相手を窺うような視線。どれもこれもが貴族令嬢の見本であり、そこに好意なんてないのだと、誰もがそう読み取るに違いない。
 聡明だなんだと時折その名を聞く割には、その性根は毒にも薬にもならないつまらないものなのだと。侯爵令嬢もその友人も、そんな冷めた評価を下す。この王国において、無害であることなどなんの価値もないのだ。他者を蝕み腐らせるような強い毒性を持つ人間だけが、このテーブルで行われるひそやかな争いの勝者となれるのだから。

「本当に、侯爵令嬢にはなんと感謝をお伝えすればいいか……」

 ローズはふと、どこか弱々しい声を上げた。
 その声色は、先ほどすらすらと思ってもいない誉め言葉を並べていたときとなんら変わらないように聞こえる。目の前の少女には談笑する価値もろくな話題もないと切り捨てようとしていた侯爵令嬢は、そのつまらないお喋りをお茶菓子代わりにでもしてやろうとティーカップに手を伸ばした。

「以前、あるご夫人がお世話を焼いてくださったことがありました。その調子では結婚相手はおろか、友人だって見つからないと、あたしのために色々と誂えてくださって。……このドレスも、普段そういったことにまで頭が回らないあたしに代わって、用意していただいたんです」
「……まあ、そうでしたの」

 白く美しい令嬢の指先が、かすかに動きを止める。けれどそれは一瞬のことで、向かいに座るローズの目に留まったかどうかすら定かではない。侯爵令嬢の動揺になんて気が付かなかったかのように、凪いだ黒い瞳は自身のドレスを見つめる。

「お友達とのパーティーにでも着ていきなさいと用意してくださったのに、あたしが口下手なせいかそのような機会に恵まれなくて。ですからあたし、今日のことはご夫人にお話ししようと思っています。きっと喜んでくださいますから」

 ドレスを慈しむかのように、ローズの手が胸元の意匠を撫でる。一つのミスも気の緩みも見せない指先が普段手にしているのはきっと、ティーカップでも花でもない。侯爵令嬢とは縁遠い文字や知識なのだろう。
 ローズは、その知識でもって手に入れたのだ。誰もが多少なりとも躊躇してしまう値段のドレスを他人に贈るような、お金と時間を有り余らせているご夫人との縁を。それは、侯爵令嬢が喉から手が出るほどにほしいものだった。いくら生まれてから死ぬまで何不自由ない生活を約束された立場だからといっても、彼女に与えられるものは無限ではない。侯爵家に不満だなんてもちろんないけれど、上がいることは確かなのだ。

「でしたら、ローズ嬢」

 侯爵令嬢は、どこまでも貪欲な少女だった。自身の世界をなによりも美しく飾りたい、人の上に立っていたい。そのために出来ることがあるならば、なんだって。
 そうして令嬢が口にした言葉は、とても心のこもったものだった。

「その素敵なご夫人に、たくさん楽しいお話を聞かせて差し上げなくてはいけませんね。次のお茶会にも、ぜひいらしてくださいな」
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