第2幕 プリンシパルより愛をこめて
13 あなたのためのプロセニアム
偶像を信じている。いつだって、星の煌めきと熱はあなたにも伝わるって、信じている。
私の行く先を照らしてくれた歌が、今度はあなたのための歌となって響くんだって信じている。甘い恋の歌も、情熱的な革命歌も、優しい子守唄も、どこか寂しい離別の歌も。舞台に立つ私から届けるそれは、いつだってあなたのための歌になるって、信じているの。
そんな歌で、あなたに寄り添わせてほしい。私はあなたのために、あなたの心を歌うから。あなたが望むどんな光にだって、必ずなってみせるから。
だからどうか、目を離さないで。
私が信じる
◆
「素晴らしい舞台でございました」
私がそう告げた途端、ふと空気が和らぐのがわかった。
案外と早くやってきた舞台鑑賞の日。さすが王国一の劇団というべきか、脚本も演出も見事なものだった。労いと賞賛、彼らの誇りを称えるような言葉を並べ立てると、劇団員たちの顔に喜びと安堵が広がっていく。脚本から演出から役者まで、すべてが完成された時間だった。これは決して、お世辞などではない。
舞台の脚本を一言で表すのなら、「天才の物語」だろう。
突如綺羅星のように演劇界に現れた少女が、眩い階を駆け上がっていく物語。天才女優と喧伝される主人公が迷い悩みながらも進んで行った先にあるのは、嫉妬と執着から来る暗闇……という筋書きは、とても出来のいい悲劇だった。
どうしたって人を引き付けてやまない主人公の少女。そんな彼女に目を焼かれ潰された恨みと同時に、彼女に与えられた鮮烈な一瞬の熱だけをいつまでも愛する周囲の人々。狂わされる、とはこのような現象なのだろう。私は主人公の気持ちも周囲の登場人物の気持ちも、理解出来たとはいえないけれど。だからといってこの舞台に不満があるというわけではなく、むしろ逆だ。
「どのような苦境に立たされようと、決して膝を折らない主人公の姿は大変好ましいものでしたわ。……ところで、こちらの演目には古典演劇の再解釈が多分に含まれていると見受けられましたけれど――」
美しい舞台だと思った。
舞台を彩る数々の歌や踊りも、隅々まで飾られた舞台芸術も。それからなにより、きらびやかな演劇に愛された主人公の姿も。そうした感想を細やかなところまで賛美で飾り立てつつ、私は今日の主演へと目を向ける。
「ルイーザさん。特に、あなたのお芝居と歌には胸を打たれました。どのような場面でも強く凛々しく響く歌声は、まさに歌劇の主人公にふさわしいものといえるのでしょうね」
「光栄です、王女殿下」
舞台上でもとくべつ輝いていた、透き通るような声が響く。星を閉じ込めているかのような瞳が私を捉え、そうして花のように微笑んだ。
――ルイーザ・ファーディナンド。その華やかな容姿と透き通るような歌声だけを携えて、無数の星屑によって照らされる舞台上へとやってきた少女。
歳は私とそう変わりはない十五歳だけれど、立ち居振る舞いには気品と揺るがない落ち着きが垣間見える。背筋を伸ばして私に笑う姿は堂々としていて、いまだ彼女だけが舞台に立っているかのように見えた。
「こうして私が舞台に立ち、王女殿下からお褒めのお言葉を賜わることができたのも、すべては尊敬する劇団員の皆さんのおかげです。……本当に、感謝しています」
そう言ってルイーザは、他者への敬意を高貴な形式に則ったお辞儀にしてみせる。その仕草には、話題の歌手として上流階級と関わるからという理由だけではない、生粋の優雅さがあった。
……ともすれば演出に胡座をかいた凡庸な舞台に成り果てていた物語に説得力を与えていたのは、他でもない彼女だろう。
ルイーザは、スポットライトの元に生を受けたかのように視線を集めてやまない、飛び抜けて美しい存在だった。幕開けからカーテンコールまで、彼女は舞台のどこに立っていようと輝いていて。きっと、舞台の主人公はルイーザのような鮮やかで眩しい役者なのだろうと思える。
「あまり謙遜をするものではないよ。君は演技力にも光るものがあったのだから。そうでなければ、舞台の中心に立つことなど許していないさ」
そう言ったのは、劇団の座長だ。
キャロライン嬢から聞いた話だけれど、ルイーザを女優として舞台に立たせることを提案したのは彼だそうだ。囁かれる噂の中では、主人公とルイーザの境遇にある親和性と話題性を手にしたかったのだとか。確かに、誰よりも眩い新星であるという点において、二人はよく似通っているように思う。
「ありがとうございます。そう仰っていただけて嬉しいです。けれどやっぱり私は、劇団の皆さん……そして、観に来てくださった方々のおかげだと思うんです」
ふわりとルイーザの身に纏うシンプルなワンピースが揺れて、花のように裾が円を描く。そうして共に舞台に立った役者たちを見回した彼女は、輝く瞳を細めて笑った。
「だって私、演じることがこんなに楽しいんだって知らなかったから! 皆さんが私に輝き方を教えてくれて、観客の方々が受け取ってくださった。……歌だってそうです。受け取ってくれる人がいて初めて、私は輝ける。だからこそ、皆さんに認めていただけるような演技ができたんだって思っています」
「君は相変わらずだな、ルイーザ」
「ふふ! ありがとうございますと、お返事させてもらいますね」
半ば呆れたかのような言葉に、悪戯っぽく跳ねたルイーザの声が返される。
彼女の軽やかな声を聞きながら、めずらしく私の思考は立ち止まってしまっていた。ルイーザの一挙手一投足を見ていたくなって、なにげない動作さえ輝いて見えて。照れたように頬に添えられた指先まで、目を離したくないと――そんな風に思ってしまう。これがスター性というものなのだろうか。
「君は歌で忙しいようだが、またぜひ板の上に引っ張り出したいものだ」
「わあ、嬉しいです! そうですね、もし……私を望んでくださる人がいるのなら。呼んでいただければいつだって、舞台に立ちます」
星のような光がその瞳で輝いて、ルイーザは自分よりいくつも年上の男をまっすぐに見つめた。
その視線はきっと、熱いのだろうと思った。そして、その温度は私が知らないものなのだろう。この私に、王女アリアに向けられるものはいつだって、冷たい品定めだったから。
「……本当に。この度は素晴らしい時間を、ありがとう存じますわ。ルイーザさん、また舞台上のあなたを観られる日がくればいいのですけれど」
「身に余るお言葉です。そのお言葉を胸に、再び王女殿下に感動を届けられる日が来るように……努力いたします」
「ふふ。あなたほどの実力なのでしたら、お父様やエドワードお兄様の御前だって夢物語ではないでしょう。……期待しておりますわ」
それはすらすらと並べた別れの挨拶の一つでもあったけれど、心からの言葉でもあった。
舞台に触れた経験は少ない私だけれど、舞台上から脚本にまで散りばめられた華やかさと輝きは好ましいものだったから。同じ脚本でも、また別の物語でも。幕があがるのであれば、そしてそこにルイーザがいるのであれば、きっと日々を飾るものとなることだろう。
「あなたの活動が素晴らしきものであるよう、願っておりますわ。またお会いいたしましょう」
◆
「王女殿下! お、お気に召して……いただけましたか……っ?」
まるで自分が出演していたかのように緊張しながら、帰りの馬車でキャロライン嬢が細い声をあげた。震える姿は本当に小動物のようで、頷いてみせるとほっと肩の力を抜く。
「本当に大好きな劇団なので……敬愛する王女殿下のお供をさせていただいて、観劇できるだなんて……まだ夢を見ているみたいです!」
「キャロライン嬢は、本当に舞台がお好きなのですね」
そう声をかけると、彼女は「はい!」と元気のいいお返事をされた。観劇前の楽しみで仕方がないという態度から察してはいたけれど。
彼女は本当に舞台観劇が好きで、その中でもこの劇団がずいぶんお気に入りらしい。私が劇団や役者について一を聞けば十を返してくるはしゃぎようを見ていれば、彼女が舞台を作り上げるすべての人々が好きで仕方がないのだろうとわかった。第一印象こそ緊張で大人しく固まっている令嬢……というものだったけれど、こうして好きなものについて語っているキャロライン嬢が本来の彼女なのかもしれない。
「で、ですが……わたしは、王女殿下のように、知識があるわけではないから……。きっと、わたしでは高貴な王女殿下のお相手なんて、務まらなかったと思います」
ふとキャロライン嬢の声が下がって、大きな瞳が手元へと向けられる。レースの手袋を纏った小さな手を所在なさげに遊ばせながら、彼女はぽつりとこぼした。
「王女殿下が、劇団の……脚本家の方とお話されていたとき、わたし、お話の半分もわからなくて。歴史も、文学作品も、なにも……」
「キャロライン嬢?」
「王女殿下の姿を拝見していて、わたし……わたしは、舞台が大好きですが、知識がないんだって……感じてしまって。昔の演劇との関係なんて、なにも知らなかったから……」
口ごもりながら、彼女は肩を落とす。人前で背を丸めるだなんてやめなさいだなんてことを、いつもの私なら遠回しに刺していたことだろう。私たちはその肩に責務を乗せた高貴なる者であり、背筋を伸ばさなければその誇りは儚く落ちていってしまうのだから、と。
それができないのは、彼女の言葉にも態度にも嘘がないのだと感じ始めているからかもしれない。というよりかは、そう信じたいと願い始めているから、という表現が正しいだろうけれど。口に出すだけなら誰にでもできる、尊敬と好意の言葉に絆されたわけではない。その程度のものに誤魔化されるようでは、今私の頭上からティアラは奪われているに違いない。
「キャロライン嬢。あなたは先ほどの舞台、どのような感想を抱きましたの?」
「え……? えっと……」
「私は、煌びやかな世界の美しさと不条理を感じました。主人公は友人から勇気を得て、舞台へと足を踏み出した。だというのに主人公の才能を殺すのは、その友人。先ほどの脚本家のお話によりますと、この関係性は我が国の童話を元にしている、と」
私もそう専門的な知識はないものの、古くから受け継がれてきた事柄については最低限の知識は入っている。もちろん上辺をさらうようなものではあるけれど。
「有名なお話ですから、きっとキャロライン嬢もご存知ですわ。ええ、題名は確か……」
――「星の瞳」。作者不詳、童話集でいつまでも愛される……仄暗い物語だ。
輝きたい。その夢を誰からも笑われて才能を自身の手で塗り潰しかけた少女と、彼女を後押しした友人――二人の少女の顛末が描かれる童話。友人の言葉を受けて少女は成功を収めるけれど、当の友人の方はそれがおもしろくはなかった……というところから、幸福な筋書きは一転する。
友人の負の感情の理由は、相手への劣等感と嫉妬。別の分野でありながらも夢を持っていた友人は、一向に芽が出ない自身と脚光を浴びる少女を比べ始めて。やがて少女の恋のお相手が、ずっと思いを寄せていた人間だと知って。ついに正気を保てなくなった友人は、少女の命を狙うけれど……結局、それすらも叶えられなかったという。
元々は現在伝わっているような可愛らしい文体の童話の形ではなくて、嫉妬は身を滅ぼすのだという堅い訓示だったらしい。今でこそずいぶん柔らかく婉曲にされている描写も、本来はもっと残酷だったと聞いたことがある。
「嫉妬とは、物語の不変のテーマではございますから。その作品をなぞった意図の読解も、その他取り入れられたモチーフや比喩への意識も、すべてが観劇という体験を私にとって無二の、変え難いものへとしました。けれど、ね」
舞台上の主人公の生き方は、この童話の少女に限りなく近しいものがあった。私がそれを知っていたのは、幼い頃に死にものぐるいで様々な知識を頭に入れたせいだろう。
学びの始まりはただ利のためで。文字列を頭に刻み込むだけだったその行為は、今の私にとっては世界の不思議と楽しみ方を知るための道標となっている。
「物語が進んでいく間……私はそうした知識よりも、ただただ考えていたことがありますの。――主人公にはこのまま輝いていてほしい、友人とも仲違いせずに……と。あなたはどうでしたか? キャロライン嬢」
「……わ、わたしも! わたしも、同じことを考えていました! お友達が嫉妬してしまうところも丁寧に描かれていたから……だけど……仲良しの二人なのにって……」
王女殿下もそう思われたのですねと満開の笑顔を浮かべるキャロライン嬢に、そっと微笑み返す。
上演中にふと視線を向けた横顔も、私が劇団の面々と会話をしている最中に見た緊張が混ざった表情も。そして、今この瞬間も。彼女はいつだって、この瞬間が今までで一番幸せだとでも言いたげな笑顔を浮かべていた。そして目の前で起こる事象に合わせて、その顔色はころころと変化する。
――たとえば、これが他の令嬢だったのなら。
この私の前でご丁寧に項垂れてみせるだなんて、生まれながらの役者だと惜しみない拍手を送って見せたことだろう。一見どうしようもなく計算高くも見える彼女の言動が、ただ純粋なものだとしたら。そう考えるようになったきっかけは、飾り気も気取った空気もないキャロライン嬢の表情によるものだ。そう、それだけ。
……決して、好かれて嬉しくなって舞い上がっているなどという短絡的な理由ではない。断じて。
「知識はいつでも、目の前の事象を深く理解し楽しむ手伝いをしてくれます。けれど学びにおいてなによりも大切なのは、自らの意思で知りたいというきっかけを得ること。……というのは、受け売りですけれど」
気を取り直して、私にそう教えてくださった人の真似をしてみせる。彼は童話や口承文学にご興味はおありなのかしらと、遠いようで案外と近い帝国の姿を内心に思い描いた。
「キャロライン嬢は、ご自身で知りたいと思われた。ならば、きっと身につきますわ。あなたの学びたいことは、なんだって」
ですからまたご一緒いたしましょうと笑いかけると、曇っていた顔が途端に輝く。その光を、なんとたとえればいいのだろう。城に飾られた宝石とも、ダンスホールのシャンデリアとも、磨き上げられた銀食器とも違うそれを表現する方法を、私は知らなくて。だから――知りたいと思った。