第2幕 プリンシパルより愛をこめて

12 麗しのビスクドール


 一年前。あれは確か、春風がドレスを揺らす暖かい日のことだったはずだ。
 形だけ残された伝統と、陛下の多大なるお心遣いことお節介の元、貴族令嬢たちが城へと招かれていた。目的は社交。気楽なお喋りの場としてなんてことが掲げられていたけれど、あの場を楽しく気安いものにしようと考えていた令嬢だなんていなかったに違いない。
 足を引っ張り蹴落としあった末に出来上がった我が国の貴族社会にとっては、あのような交流の場はすべて他人を出し抜くための戦いの場でしかない。
 各々思惑を胸にやってきたご令嬢たちに比べ、私はといえば、そこまでの強い意志はなかったはずだ。あの日はちょうど、お兄様が仰るところの私の唯一のお友達・・・・・・・・が不在だったものだから。だからほんの少しだけ気も抜けていたのだろう。休憩しようとふらりと足を踏み入れた先の庭園で、私は彼女を見つけた。

「……だから、キャロルは悪くないって言ってるでしょう。悪いのは向こうよ、わざと意地の悪いこと言って!」

 か細い泣き声を慰めるのは、憤った少女の声。凛とした声は怒気に満ちあふれていて、迂闊な子だと思った。仮にも社交の場で感情をむき出しにするだなんて、あまり褒められたことではない。
 あまり覗き見るものでもないのだけれど、誰かに聞かれて騒ぎになってしまえばそれもそれで面倒だ。少しだけ声の主たちの様子を伺おうと、花々の隙間からそっと身を乗り出した。

「でも……、でもっ、わたしが……こんな綺麗なところにふさわしくないのは、本当、だし……」
「そんなことないわよ! 大体、あんな性格悪いことを人前で言う方がおかしいんだから、キャロルが気にする必要なんてないの!」

 私からは背を向けるようにして、青いドレスの少女が座り込んでうつむく少女を慰めていた。どちらの表情もわからないけれど、状況はなんとなく読み取れる。
 キャロルと呼ばれた少女が、他のご令嬢になにか底意地の悪い皮肉の一つや二つ投げかけられたのだろう。その言葉に、繊細な心か肥大化したプライドのどちらかを傷付けられて、彼女はこのようなところで泣いているらしい。そんな彼女を励ます――というには、誰かさんへの怒りの方が大きいようだけれど――のは、そのお友達だろう。
 キャロライン・アンダーウッドとローズ・ジェラードだ、とすぐにわかった。そこまで多くはない今日の招待客の顔と名前くらいなら頭に入っていたし、来たときから離れようとしなかった二人の姿は視界の端でも目立っていたから。
 挨拶のときだって、キャロラインの方がずいぶん怯えていたことを覚えている。視線をさまよわせる彼女を庇うように、ローズが前に出ていたことも。
 友人の言葉で落ち着きを取り戻してきたのか、しゃくり上げる声は次第に小さくなっていく。

「……っ、ローズ、ちゃん。ありがとう……」
「お礼を言われることじゃないわ。ねえキャロル、やっぱり無理する必要ないんじゃない?」
「そ、そうかな……でも、わたし……」
「そうよ! 確かに、社交は大事だけど。嫌な思いをしてまで我慢するほどのこと? ……あなたが傷付くのは見たくないの、わかるでしょ」

 キャロラインの震えた声に被せるように、諭すような声が乗る。一瞬冷静さを取り戻したローズは、けれどすぐにまた火がついたようだった。

「大体! あんなのが社交で、正しい令嬢の姿だって言うのなら、あなたはやらなくたっていいわ。あんなの……キャロルにふさわしくないんだから!」

 随分な熱弁だ。それがローズの本心なのか、友人を慰めるための口八丁なのかは定かではないけれど、どちらにしろ。腹の底を隠して社交をこなしにきている女しかいない場所で、彼女たちの言動を「あんなの」と言い切る様子には、恐れ入るの一言しか思いつかない。

「ごきげんよう。お楽しみいただけているかしら?」

 どこで誰に聞かれているのかわからないというのに。私の声に固まってしまう二人は、なんとも純朴で、純粋で、愛らしい少女たちだ。
 未だ涙で光る瞳を瞬かせてうずくまったままのキャロラインとは異なり、ローズはこの場でとるべき最適な行動をわかっているようだった。けれど私が声をかけた理由はお作法の抜き打ち試験ではないから、軽く制する。

「構いません。お取り込み中のようですから」

 私の視線は、桃色を纏った花のような少女に向かっていた。個人的な感情で眉をひそめてしまいそうになって、どうにか堪える。
 ――似ている。嫌になるほどに。
 泣いたからってなにかが解決するわけでもない、そんなことはもうとっくにわかっている。それを学んだあの日から、私は泣かないようになった。
 だからといって、人が涙を流していたからってどうこうというわけではない。そのことに同情するつもりもなければ誹るつもりもない、はずなのに。そのような調子ではダンスホールの餌食にされるだけだ、だなんて。警告じみた言葉が我慢できないのは、なぜなのだろうか。

「キャロライン・アンダーウッド男爵令嬢」
「は、はい……」
「いついかなるときも背筋を伸ばし、顔をあげて堂々と。誇るべきものに相応しくあることこそ、私たちの責務です。この意味がわからないのであれば、私が迎えの手配をして差し上げますけれど」
「……っ」

 ただでさえ小さかったキャロラインは、花壇の草花に隠れようとでもするようにさらに縮こまる。再びじわじわと赤くなる頬を見ていると、きっと今から泣き出すのだろうとわかった。
 その様子に先に反応したのはローズで、今にも噛みつかんばかりの視線を向けられる。

「…………失礼。あなたにはいらないお世話でした」

 そう言ったのは私に怒りをぶつけようとしているローズへの牽制でもあり、嘘偽りない本心でもあった。
 傷付いたとき、そのまま素直に泣けて。そうした柔らかい心を柔らかいまま庇って、踏みつけられそうになれば傍で憤ってくれる人。そういう変え難い存在がいるキャロラインには、私の忠告だなんていらないものだ。めずらしく後悔を覚えながらドレスの裾を翻そうとしたとき、細い声で呼び止められた。
 王女殿下、と涙で震える喉から絞り出された声は頼りなくて、聞き逃してしまいそう。私が立ち止まったことに戸惑うように浅い呼吸が繰り返されて……やがて決意を固めたようで、鈴の音のような声が静かな庭園に響いた。

「わ、わたしも、そうやって…………堂々と……ど、ど……どうすれば……」
「――光を、見つけるのですわ」

 向けられたのは要領を得ない問いだったけれど、私は存外はっきりと答えを返すことができた。普段ならば絶対に口にしない、信念じみた言葉をすらすらと話せるのはなぜなのだろう。

「太陽でも、スポットライトでも、星でも……なんだって構いません。あなたを照らすもの、あなたの導となり、誇りとなるものを。遥か遠い空のまばゆい輝きに手を伸ばしていれば、下を向くことなどないのですから」

 
 ◆


「……そういえば……私の思い違いでしたら申し訳ないのですけれど。キャロライン嬢、髪をお切りになりましたのね」
「そっ、……そう、です! あの、最近までは……伸ばしていたのですが……」

 何度目かになるお茶会。
 ふと思い出したことを口にすると、キャロライン嬢は首を縦に振る。出会った日は髪型だなんて悠長に眺めている状況ではなかったから少し不安だったけれど、間違ってはいなかったようだ。
 一年前の彼女は、腰ほど――ちょうど私と同じほどには長かったはずだ。今は肩口に触れる程度のすっきりとした長さになって、大きな黒いリボンを飾っている。

「王女殿下とのお茶会の、少し前に……。長いのも好きでしたけど、思い切ってみちゃいました」

 キャロライン嬢は毛先に触れて、過去を懐かしむようにはにかんだ。白い指先が、よく手入れされたであろう髪をさらりと遊ばせる。

「……また……あのくらいまで伸びる頃には……王女殿下のように、なっていたくて」

 夢見るような視線を向けられて、私はどうにか相槌をうった。
 羨望、嫉妬、敵意、嫌悪。どのような目で見られることにも慣れているつもりだったけれど、彼女から向けられるこれだけはどうにも落ち着かない。王女と貴族という地位の繋がりにしては親密で、友人というには熱っぽくて。私の知っているもので喩えるのであれば、やはり数多の女性がリュシアンお兄様へ向けるものと同じ。
 悪感情を持たれるよりは、好かれている方がいいけれど。それでも、心のどこかが落ち着かない。

「そう、ですか。ええ、その長さもとてもお似合いですわ。……ところでキャロライン嬢、舞台芸術にご興味は?」
「大好きです! ……けど、あの……?」

 彼女の大きな瞳はきらりと輝いて、そのあとすぐに小首を傾げた。子兎のような仕草には、愛らしいという言葉がぴったりだ。

「近々上演される歌劇に招待されておりますの。もしよろしければ、ご一緒いたしませんこと?」
「…………よ、よ……よろしいのですか!?」
「え、ええ。せっかくですから……」

 わっとこちらに身を乗り出したキャロライン嬢は、次の瞬間にはふらふらと脱力するように椅子に座り直す。その感情の動きに若干気圧されていると、彼女は照れたように微笑んだ。

「あ、失礼いたしました……。わたし、幼い頃から舞台が好きなんです。大好きなものを、敬愛する王女殿下と……なんて、夢のようで。えへへ」
「それほど喜んでいただけると、私も嬉しいですわ。詳しいことはまた後日。当日は王家の馬車でお迎えにいきますから……キャロライン嬢? どうかなさいまして?」

 事務的な話をしようとした矢先、目の前に座る彼女の様子が変わったことに気が付いた。
 大袈裟なくらい震える体は、先ほどのように喜びが要因というわけではなさそうだ。まるで天国から地獄に落とされたかのような表情が気がかりで声をかけると、随分と頼りなく情けないお返事をされる。

「わ、わ、わたし……王女殿下がご招待されるような、素敵な場所に……ふさわしいドレスなんて、ないんです……」

 吹けば飛ぶような……というよりか、風などなくとも勝手に飛ばされていきそうなか細い声だった。自身の服装に視線を向けたキャロライン嬢は、そのままがっくりと肩を落とす。
 彼女の今日の服装を見る限り、そのような心配はいらないように思うけれど。普段のキャロライン嬢はわからないものの、王城までやってくる日の彼女はいつだってお人形のように可愛らしいのだから。そう伝えても、長いまつ毛は伏せられたままだった。

「わたしなんて、おしゃれじゃないし……流行もわからないし……」
「そう仰らないでくださいまし。私、どちらのドレスも本当にお似合いだと……いつも思っておりますのよ? 可愛らしくてあなたにぴったりですもの」
「そ、そんな……最近のわたしなんて、王女殿下のまねっこばっかりですから〜〜……!」

 ――そもそも彼女を誘った歌劇は、そこまで格式が高い場というでもない。王立劇団が主宰といえど、主役は外部の歌手だと聞いているし。……それに、本当に「ふさわしいドレス」が求められるような場所なのであれば、私はキャロライン・アンダーウッドを――男爵令嬢を、選びはしない。さすがにこれを伝えるのははばかられるから、私はにこりと微笑んで見せた。

「でしたら、私とお買い物に参りましょう」
「お、お買い物? 嬉しいです!! あの、なにを買われるのですか?」

 直前までの自身の悩みだなんて忘れたように、その表情は途端に喜びに変わる。そこに浮かぶのは、ただ私にこうして誘いをかけられたことへの歓喜だけ。
 ……なんてことを、自分で分析するのも恥ずかしいのだけれど。あまりに明らかな好意を前にすれば、羞恥心も含めて咀嚼するしかない。目を輝かせる彼女には見抜かれないように、私はまた一つ照れを飲み込んで微笑んだ。

「ええ……あなたのドレスを。キャロライン嬢」

 
 
「ドレスと……そうね、アクセサリーと靴も選んでくださる? 彼女に似合うものを」
「あの、わたし……な、なんでこんな……」
「なぜもなにも、ドレスがご入用なのでしょう? そう緊張なさらないで、遠慮されてしまうと悲しいのですわ」

 それだけ告げると、従業員たちはてきぱきと動き出した。状況がわかっていない様子のキャロライン嬢は、助けを求めるように私を見つめる。従業員の靴音にも、売り物のドレスの裾が踊るさまにも丁寧におどろく彼女は、野原に放り出された子兎のようだ。
 お茶会の途中、私はキャロライン嬢を「お買い物」へと連れ出した。お気に入りのブティックは突然の訪問にも見事に融通をきかせてみせて、店内の一室に溺れそうなほどのドレスが並ぶ。

「で、ですが、わたし、そんなつもりで言ったんじゃ……」
「ええ、わかっております。けれどね、私……こうしたお買い物に憧れておりましたの。王女という立場では、どなたかと楽しくお洋服を選ぶだなんてことはなかなか出来ませんもの」
「王女殿下……」

 大きな瞳をまたたかせて、私を見つめる視線の中に煌めきが混ざる。
 並べ立ててみせた少女らしい御託は嘘でもないけれど、本当でもなかった。確かに普通の少女たちのような交流は手に入らない。だからといって、表情に滲ませてみたほどの羨望があるわけでもない。私はこの王女としての生き方と権利と、それから責任を気に入っているのだから。
 ――それでも。

「……で、でしたら、わたし! なんにだってお供します! 王女殿下の憧れを叶えるお手伝いができるなら、こんなに光栄なことはありませんから!」
「まあ、ありがとうございますわ」

 それでも、少し上擦った声は無碍にするには惜しかった。

「……さて。それならば、今は私の可愛い着せ替え人形さんになってくださる?」
「えっ?」

 私がソファに腰かけると、それを合図にしたかのようにブティックの従業員たちが豪奢なドレスや靴を持って並んだ。
 髪の色は、瞳の色は、身長は。そうした相談を矢継ぎ早に重ねる従業員に囲まれて、文字通りお人形になったキャロライン嬢は目を回しているようだ。愛らしくあどけない小動物のような彼女ならば、どのような服だって似合うだろう……という程度のことしか言えない私は、口を出さずに見守っていることにした。

「アリア様、お疲れではありませんか〜? ブティックの方が、飲み物を用意してくださいましたよ〜」
「そうね、いただこうかしら」

 それまで黙って控えていたエイプリルが、そっと近寄ってくる。グラスを受け取った私を、彼女はなにか言いたげに見つめている。
 聞きたいことがあるのなら、遠慮なんてしないではっきり言ってみなさいとは、いつも言っていることだけれど……今日の私は機嫌がいい。こちらから、その疑問に答えを出して差し上げることにした。

「……意外?」

 ドレスを飾り立てるフリルを手持ち無沙汰になぞりながら、私は背後のエイプリルに問いかけた。彼女はこれまでなにも言ってはいないけれど、その視線はなによりも雄弁だ。

「……はい、失礼ながら。アリア様が……」
「人のためにだなんて、ということでしょう? 自分でもわかっているわ」

 おしゃれはそれなりに嗜む方だ。地位にふさわしく飾らなくては……という意識の影響は否定しないものの、それを差し引いても豪華な宝石や装飾には心が踊る。だからこうしてブティックで贅沢をすることも少なくはない。自分用になるならば、という但し書きが必要だけれど。
 エイプリルの言いたいことは、つまり。これまで自分のことばかりだった私が、突然キャロライン嬢にドレスやアクセサリーを与えたのはなぜなのかという疑問だ。こちらへ寄るように目で合図をして、近付いてきた彼女に囁く。

「……サービスよ」
「お店への、ですか?」
「それもあるけれど。キャロライン・アンダーウッドに。このくらいはして差し上げないと、彼女も私のお供をする甲斐がないというものでしょう」

 扇子の裏側でそう告げると、エイプリルは困ったように眉を下げた。私の名前を呼んだ声色で、次になにを言われるかはおおよそ想像がつく。

「……男爵令嬢は、そのような方ではないと……」
「あら、そうかしら? その勘が当たるといいわね」

 まだなにか言いたそうなエイプリルだったけれど、キャロライン嬢が近付いてくるのを見ると口を噤んだ。されるがままに着替えさせられた彼女は随分とお疲れの様子だけれど、輝く瞳と上気した頬は楽しくて仕方がないと雄弁に語っている。

「王女殿下……! わたし、こんな素敵なものをいただいて、なんとお礼をしたらいいのか……」
「あら、そのようなことは気になさらないでくださいまし。お友達へのプレゼントですもの」

 そう言った途端、彼女の頬が赤く染まる。うっとりと「お友達」という言葉を繰り返す……そんな様子を、今日何度見たかわからない。

「幸せです……わたし……こんなの、夢みたいで……ずっと、もう一度お話したくて……」

 にこりと笑顔を作ってみせた。キャロライン嬢は、よくこう口にする。もう一度お話したくて、あの日からどうしても……。
 あの日、泣いているキャロライン嬢を見つけた日にかけた言葉は、決して優しいものではなかったというのに。泣いている女の子を相手にしてかける言葉ではないと、そう言われたって仕方のないようなことばかりだったはずだ。それがまさか、こうも好かれるだなんて。
 あの日のなにが彼女のお気に召したのだろうか。興味はあるけれど、質問する気は起きなかった。

「大好きな王女殿下と歌劇……! 首都の劇場で上演されるものでしたよね。えへへ、楽しみです!」
「ええ。キャロライン嬢は、歌劇がとてもお好きなのですね」
「はい! 演劇ならなんだって大好きです! ですが、お誘いいただいたものは特別……主演の方が好きで……!」
「そうでしたの。……確か……主演は劇団員ではないと聞きましたけれど」

 演目の内容や歴史、劇団についてはそれなりに知識はあるものの、演者事情に私は詳しいわけではない。
 そこまで興味関心があるわけではないから……とはいえど。後々詳細を頭に入れなければならないのだから、ここで簡単に話を聞いておいても損はないだろう。そうした算段を立てつつ彼女に主演について尋ねると、興奮の増した声が返される。

「とっても美人でかわいくて、歌も本当にお上手な方なんですよ! いつ見てもきらきらで、舞台の上が似合う人……」

 もしかしたら王女殿下もご存知かもしれません、と添えられた前置き。舞台に明るくはない私でも、続いたその名くらいは聞き覚えがあった。

「――ルイーザさん……ルイーザ・ファーディナンドさんです! きっと王女殿下もルイーザさんのこと、大好きになってくださると思います……!」
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