第2幕 プリンシパルより愛をこめて

11 白詰草のお茶会


「で? どうしたのかな、僕の妹は」

 リュシアンお兄様の声が聞こえて、私は窓の外から視線を動かした。普段の私ならば、お兄様の来訪にはしゃいだことだろうけれど……今の私に、そのような気力は残っていない。簡単なご挨拶だけをする私に、エイプリルが眉を下げた。

「アリア様ったら、最近はずっとこの調子で……お疲れのようなのですが~……」

 心配をあらわにして私を見つめるエイプリルと、いつも通り甘く微笑むお兄様。私の隣に腰掛けた彼は、呆れと喜びが混ざったかのような表情で私の頬を引っ張った。

「唯一の友達がいなくなって寂しいのはわかるけど、へこんでばかりなんてお前らしくないよ。しっかりしないと」
「…………私の知る限り、私の前から姿を消したのは敵だけですわ」

 ――毒殺事件から数週間。
 センセーショナルな事件の衝撃も時が経てば落ち着いていくもので、移り気な貴族社会の流行は新たな噂に染まっている。世間の熱が事件から冷めていくのと時を同じくして、私も少し……ほんの少しだけ、気力を失っていた。
 お兄様は私をからかっておいでだけれど、この気だるさは決して毒殺事件なんかとは関係ない。断じて!
 原因は明白で、単なる疲労によるものだ。最近の私といえば、やけに私と出かけたがる陛下のお供と、毎回ご丁寧に嫉妬なさるお母様のお相手で忙しかったものだから。
 ばらばらに向けられた甘さと敵意に思いを馳せていると、お兄様の手が私の頬から離れた。

「……そうだ。アリア、今日はお兄様がいいものを持ってきてやったんだ」

 その声と共に出されたのは、丁寧に包装されたお菓子と茶葉だった。甘い香りはゆっくりと私の思考に入り込み、頭の中にかかった霧を払っていく。そばにいたエイプリルも、お菓子を見て嬉しそうに声をあげた。

「ふふ、おいしそうですね〜。それではお紅茶を……」
「ありがとう、エイプリル。だけどこれはいいんだ、僕がやるから」
「……それは……ですが、殿下……」

 言葉をさえぎられて、エイプリルは意外そうに目を瞬かせる。それ以上なにも続かなかったものの、彼女の言いたいことは手に取るようにわかった。
 リュシアンお兄様が私にこうしてお菓子を与えることは度々あったけれど、お茶の準備までなんて言い出したのは初めてだ。そのような給仕は使用人の仕事で、お兄様や私が手を出すような範疇ではないはずなのに。私たちの疑問を察したのか、お兄様は微笑む。

「ロバートと話して思ったんだ。妹は……大切にしてやらなきゃなって」
「……お兄様、彼とお会いになっていましたのね」
「死ぬ前に少しだけね。同じお兄ちゃん同士、色々あるんだよ」

 どこか寂しげな笑みを浮かべたお兄様は、そこで話はおしまいとでも言いたげに私から視線を逸らす。その瞳の向かう先はティーセットで、どうやら本当にご自身で紅茶の用意をするようだ。
 器用な指先を見つめてから数分、私の前にティーカップが置かれた。甘いチョコレートの香りを漂わせる紅茶の隣に出されたのは、様々な焼き菓子。食べてごらんと言われるがまま、クッキーを一つ口に運ぶ。上品で控えめな味のそれは、甘い紅茶とぴったりだった。

「おいしいですわ、お兄様!」
「ならよかった。お前はこういうの好きだと思って」

 そう言って、お兄様も自身のティーカップを手に取った。その中身は、私に用意してくださったものとは違うようだ。今までも度々、焼き菓子やケーキを持ってきては私に食べさせていたお兄様だけれど、紅茶まで持ってきたのは初めてだ。それもお兄様が手ずから淹れるだなんて。
 この変化は、ロバートとの会話に関係するものなのだろうか。根拠はないけれど、直感的にそう思った。

「アリア」

 けれど私がその話を切り出すよりも前に、お兄様が口を開く。甘い声はどこか意地悪な響きで、今からきっとからかわれるのだろうと予想がついた。

「聞いたよ。今日はご令嬢と会うんだって?」
「……ええ……まあ。男爵家の方とのことです」
「珍しい。アリアは下級貴族には興味がないと思っていたけど」

 お兄様の言葉には、浮かべられた微笑みとは裏腹に棘があった。下級貴族への興味だなんて持ち合わせていないのは確かなのだから、別にいいのだけれど。
 一つ断っておくならば。興味がないというのは、決して彼らのことが嫌いだというわけではない。王家や私個人の利を考えるのならば、とくべつ華やかでそれなりに賢い、地位を伴った貴族令嬢へと視線を向けるべきであるというだけの話。社交に優れ、他人より優位に立つことを得意とする令嬢――そうした少女が私の利となる。例をあげるならば、エルシー・リリベル……そこまで考えて、一人顔をしかめそうになる。自分で思い浮かべておいて言うことではないのだけれど、なにが楽しくてあんな女のことを思い出さなくてはならないのだろう。
 脳内に浮かんだ忌々しい記憶を振り払うように、私は口を開いた。

「私もそろそろお友達を作らなければなりません。……それに、陛下からの……命ですもの。無下にはできませんわ」
「……陛下が?」
「なんでも、私を好いている令嬢がいるのだと。詳細は存じ上げませんが、そうしたお話が陛下の元まで伝わったそうですの」

 そう説明すると、意味がわからないとでも言いたげにお兄様は眉を寄せた。私がお兄様の立場でも、同じような反応をしただろう。だって、社交界で大して家名を聞いたことすらない男爵令嬢の話が陛下まで……なんて! それもなにか失礼なことをしたのならともかく、好意的で平和的な話題で。

「一度ならば、会って差し上げても構いませんし。……男爵令嬢に、どのような意図があるのかは知りませんが」
「それは考えてもわからないさ。お前のことが本当に好きだから、かも」

 お兄様の声色はどこかからかいまじりで、本気でそうは思っていないであろうことが読み取れた。
 私の周りにいる令嬢というものは、決して私の友人ではない。皆それぞれ、家の利権だとか自身の地位だとか、なにかを求めて「王女」に寄ってきている。それだけの関係。私だって、そうした彼女たちの中から王女に相応しい令嬢を選んでそばに置いているのだから、他人の企みをとやかく言えはしないけれど。

「彼女の考えを見極めるにも、一度会わなければなりませんわ。この私に、なにを望んでいるのか……なにを差し出せるのか。その真意も、すべて」


 ◆

 
「ほ、ほんものの、王女殿下に、今から……! こんなに近くでお姿を拝見できるなら、わたしもう、なんにもいらないよ……!」

 ねえばあや、とはしゃいだ声がした。ひそやかに囁かれた言葉は、声の主の意図とは裏腹に静かな庭園に響く。盗み聞きをする趣味はないけれど、落ち着きのない令嬢とそれを咎める老女の声は、風に乗って私の元へと届いていた。
 二人の会話の中心にいるのは、どうやら私のようだった。けれど私の意識は、彼女たちが語る私への修飾よりも背後の侍女へと向いていて。視線をそちらに向けると、心底嬉しそうな笑顔を浮かべたエイプリルと目が合った。

「……なあにエイプリル。言いたいことがあるのならば、はっきり言いなさい」
「まあ~。私からは、なにも。男爵令嬢は、きっと素敵な方だと思っていただけですよ~」
「あなたったら、知らないうちに人を見る目を養われたようね。会話もしたことがない人間の、なにがわかるというの」

 男爵令嬢とのお茶会は、城の庭園で行われることとなっていた。
 陛下が勝手に決めて勝手に用意したこの場は、たかだか令嬢との交流の場にはやりすぎなほど完璧な場として誂えられている。まるで隣国の要人でもお招きするかのようだけれど、今から私がすることといえば自国の人間との歓談だけ。相変わらず、陛下のお考えはなにもわからない。

「お嬢様。王女殿下の御前なのですから、きちんとしなければなりませんよ。くれぐれも気をつけて、粗相のないように」
「うん、わかってる……」

 令嬢と、ばあやと呼ばれた老女の会話は続いている。令嬢の幼さが残る声色にはかすかな不安が乗っていたけれど、彼女はそれを振り払うように声を張った。

「……『いついかなるときも背筋を伸ばし、顔をあげて堂々と』……」

 そうつぶやいた声は少しだけ震えていたものの、自己暗示のような言葉に令嬢は多少落ち着きを取り戻したらしい。……あの日となんら変わりなく、細い声ではあったのだけれど。
 今から顔を合わせる男爵令嬢には、一度だけ声をかけたことある。今からちょうど一年前にはなるのだろうか、令嬢たちとの交流の場でのことだった。あの日の彼女には実のある返答は難しかったようで、会話らしい会話にはならなかったのだけれど。小さく縮こまっていた彼女にかけた言葉は、私も覚えている。
 そう、あれは――。

「いついかなるときも背筋を伸ばし、顔をあげて堂々と。誇るべきものに相応しくあることこそ、私たちの責務です。……よろしいことですわ、キャロライン・アンダーウッド男爵令嬢」
「……!」

 その瞬間、彼女はおどろいたように立ち上がり、振り返った。
 花が咲くような笑顔、というのだろう。つぼみは一瞬で満開となって、頬は愛らしく色付く。このような色の花はなにかあったかしらなんて考えていると、男爵令嬢の感激したような声が響いた。

「あ、アリアさ……王女、殿下! 覚えていてくださったなんて……! じゃ、じゃない、えっと、ご無礼をお許しください、王女殿下」

 赤くなったり青くなったりしながらも、彼女は形式通りに名乗ってみせた。
 キャロライン・アンダーウッド。男爵家と彼女の評判は、いいものも悪いものもあまり聞こえてはこない。私に近寄ってくるような令嬢というものはどの女も派手な噂を携えていたものだから、少し拍子抜けだ。

「ええ、ごきげんよう。もちろん覚えておりますわ。私、あの日のあなたの……可愛らしい言動が忘れられませんのよ」
「か、可愛いなんて、そんな……」
「あら、本当のことですわ。さぞかしご両親から愛されて、大切にされてこられたのでしょうね」

 林檎のように真っ赤になったキャロライン嬢は、それを隠すように細い指先で頬に触れる。そこに浮かぶ色は羞恥というよりも歓喜に見えて、なんというべきか――素直な子だ。

「……さあ、それではお座りになって」

 どこか震える声で返事をした彼女を横目に、私も席につく。緊張でかなり強ばっている様子だけれど、礼儀は染み付いているようだ。……及第点といったところかしら。

「ところで、私……あなたにお聞きしたいことがありますの」

 さっそく切り出すと、キャロライン嬢は目を瞬かせる。彼女の色濃い緊張の中に、少しの不安が現れた。

「本日のお茶会ですけれど。なんでも、あなたが国王陛下に直々にご請願されたのだとか」
「せっ、請願!? そんな大それたことはしてない……です……!」
「……では、どのように?」

 途端に忙しなくなる彼女の動きに合わせて、手入れされた髪に結われたリボンが揺れる。身振り手振りで否定を表し、大きな瞳をうろうろさまよわせる様は小動物のようだ。

「陛下とは、偶然……。王都で困っていたわたしを、助けてくださったんです。そのときに、わたし……」

 そこまで言うと、私の様子を窺うような視線を向けてくる。黙って笑顔で続きを急かすと、キャロライン嬢は意を決したように口を開いた。愛の告白でもするかのように、顔を赤くして。

「わたし……っ、わたし、王女殿下が以前お召しになられていた……ドレスと、同じものを……! そうしたら、陛下が……お声がけくださって……」

 つまり、彼女は困っていたところを偶然陛下に助けられ。そのとき偶然、私に憧れて購入したものを着ていて。不思議なことに、陛下が私と同じドレスだと気付いて話題を振り。キャロライン嬢が私への好意を話したところ、なぜか陛下はそれならばアリアと会わせてあげようだなんて言い出して。
 照れと興奮が混ざって要領を得ない話をまとめると、こうした経緯があったらしい。出来すぎた偶然だ、という感想しか思い浮かばないのが本音だった。三文小説だって、もう少しうまく運命を仕立てるだろう。

「素敵な偶然もあるものですわね。まるで物語のようですこと」
「そ、そうですよね……! えへへ……」

 けれど、と少しだけ考える。
 私の言葉に再び瞳を輝かせるような子に、こうもつらつらと作り話を並べることだなんてできるのだろうか。素直で純朴そうな態度ばかりを見せる彼女には、我が国の社交界は向いていないように思える。これが作り上げられたものだというのならば、その手腕は大したものだ。

「わ、わたし……一年前、王女殿下にお声がけ頂いたあの日のこと、ずっと覚えてます。王女殿下のおかげで、今のわたしがあるんです……!」
「まあ、光栄ですわ。けれど私はなにもしておりません。すべてはあなたの努力の賜物でしょう」

 そう返したことに嘘はない。私は泣いていたキャロライン嬢に声をかけただけ。それも、決して親切心からなどではなかった。
 あのとき、彼女と……そのそばにいた彼女の友人は、私が同じ場所にいることに気が付いた。あの状況下で無視することも突き放すことも、王女がとるべき行動ではない。だから彼女に寄り添い、ほんの少しだけ説いてみせた。それだけ。その程度のことをこうも感動されてしまっていたなんて、不思議と落ち着かない気持ちになる。

「王女殿下がいらっしゃらなければ……わたし、ずっと下を向いているままでした。誇るべきものに、相応しく……」
「高貴なる家の末席にいる者としての、小さな矜持ですわ。それがあなたのお心に響いたのであれば、喜ばしいことです。……そうですわ、キャロライン嬢」

 紅茶を置いて微笑めば、向かいに座る彼女の瞳がうっとりと熱を帯びる。見惚れるようなこの視線を向けられたことはないけれど、見覚えならば十分にあった。自分が浴びることになるだなんて思ってもいなかった熱の既視感は――リュシアンお兄様を見つめる、たくさんの乙女のそれ。

「私、あなたともっとお話がしたいと思っていますの。次のお誘いは陛下からではなく、私から……きっといらしてくださるでしょう?」

 そう言って手袋越しに彼女の手に触れれば、キャロライン嬢の大きな瞳が見開かれる。そこに宿る輝きはどこか泣きそうなものにも見えたのだけれど、向けられたのは日陰を知らない大輪の笑顔だった。

「はい……、はいっ! 王女殿下、わたしでよろしいのなら……!」

 ちょうど社交界には退屈していたところだ。
 エルシーが消えてからというものお茶会は棘を失い、ご令嬢方が隠し持つナイフの切れ味は鈍った。今ひそやかに行われている椅子の奪い合いだって、ずいぶんとつまらないものになっている。
 キャロライン嬢の本意がどうであれ、つまらない社交界でのお相手程度にはなってくれるだろう。それに、そろそろ新たなお友達が必要なのだって嘘ではないのだし。
 そんな考えを紅茶に溶かして微笑んで。仲良くしてくださいねと向けた声は、自分でも吐き気がするほど甘ったるいものだった。
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