番外編

ドロシーのクリスマス、
あるいはトロイメライ


「クリスマスってなんですか」

 がらがらがら、ぴしゃん。
 煙草臭い職員室の扉が、無遠慮な音を立てて開いた。自身の登場で会話を止めたことを気にする様子もなく、音の主――ドロシー・マグリステリーカはつかつかと歩み寄る。

「…………」
「サンタクロースってなんですか。煙突から入ってきていい子にプレゼントをくれると聞きましたが、本当ですか。子どもの親がなりすましているとも聞きましたが、サンタクロースって親なんですか。知っているでしょう、貴方なら」

 呆れ半分警戒半分といった表情のリードを気に留める様子はなく、ドロシーは一気に質問を浴びせた。そしてかすかに息をついてから、再び口を開く。

「私はサンタクロースからプレゼントをもらったことがありません」
「いい子じゃなかったんだろう、知らないが」

 煙草の煙を吐き出しながら答えるリードは、この話を早く終わらせたいという思いを隠そうともしていない。そんな彼の様子に、なぜかよく見かける部外者、ミカエルは困ったように笑った。

「先生、そんな言い方は……」
「いえ、私はいい子です。私は全ての人間の模範なので。神様ですから」

 神を自称するドロシーの不可思議な言動は、未だリードの頭を悩ませる。ただの人間の子供にしか見えない彼女の、どこが神だというのだろう。そんな脇道にそれかけた思考は片付けて、「そうか」と軽く相槌をうった。

「それで? 何が聞きたい」
「サンタクロースです。私は初めて知りましたが、サンタクロースはどうして夜な夜なプレゼントを配るのでしょうか。大人の嘘だとしたら、なんの利益があって大人はそんな嘘をついているんですか」

 光の入らない一点の曇りもないその瞳に、リードは頭が痛くなるのを感じた。
 子どもというのは厄介なものである。答えの用意に苦労することばかりを執拗に追いかける姿は、彼の息子の――幼い頃と重なった。目の前にいるのは十数年生きてきた学生であるにも関わらず。

「俺にはこのガキが納得する答えは出せん。ミカエル」

 クリスマスとサンタクロース。そんなものについての質問は、実子にも散々投げかけられたはずだったけれど、自分はどう答えたのだろうか。
 薄れかけている記憶を辿ることすら億劫で、リードは背もたれに身を預けながら、隣に座る男の名を呼んだ。後は任せると言いたげな態度に苦笑しながら、ミカエルは口を開く。

「彼女の教育者はあなたなのだから、あなたが答えるべきだと思うけれど……。今回は私が引き受けよう。ドロシーくん。そもそも、クリスマスとはいかなるものか知っているかい?」
「いいえ。サンタクロースという人間がいて、なにか特別な日であるということしか」
「そうか。クリスマス――十二月二十五日は、とある人の誕生日でね。元々その日は、家族で静かに迎えるものだったんだ。長い時を経るうちに、今のような大きなイベントになっていったのさ」
「ふうん……それで、サンタクロースってなんですか? 正体を教えてください」
「……そうだね。本来ならば、始まりからじっくり行きたいところだけれど、君の希望に合わせて結論を急ぐとしよう。サンタクロースというのは、元は伝承だ。時を経て空想と遊び心と時勢が混ざり、人によってどう語るかは変わるだろうけれど……私の言葉で表すのであれば、そうだな」

 ドロシーは、じっとミカエルを見上げている。ミカエルは子どもが好きだった。リードが面倒だとかやりにくいだとかとこぼすドロシーの相手だって。まっさらな好奇心に染まった瞳に、思わず笑みがこぼれる。

「現代においてのサンタクロースとは一人のご老人ではなく……。クリスマスという日に誰かを喜ばせようとする、美しい思いやりそのもの、かな」

 その言葉にドロシーはぱちぱちまばたきをした。そして、どこか落胆したように小さく息をつく。

「…………つまり、トナカイのひくソリに乗って空を飛んで、夜に煙突から入ってくる人間はいないと」
「はは、そうなるね。君は物語よりも真実を知りたがっていたようだったけれど、ご不満かな」
「いいえ。私はただ、なぜ空を飛ぶ際に動物を使うのか聞きたかったんです。昔ならいざ知らず、現代には空を飛ぶための便利な機械があるのでしょう。……ですが、サンタクロースがいないなら無理ですね」

 煙草の煙が周囲を曇らせる。
 リードは子どもが苦手だった。特に、このドロシー・マグリステリーカという女生徒は。いまどき三歳児の方が大人の言うことを聞くというものだ。
 ドロシーにとって、大人というものは敬うものではなく、かといって対等なものでもなく、はたまた敵対するものでもない。ただ平等に、すべては自分の下にある。そう言いたげな深い紫の瞳に質問をされるたび、言いようのない居心地の悪さを感じるのだった。

「いないのなら仕方がありませんね、サンタクロースは諦めます。……もう一つ、聞きたいことがあるのですが」

 そう呟いて顔を上げたドロシーの紫の瞳は、今度は少しだけ、年相応というには幼い輝きを宿していた。

「ミカエルは、クリスマスプレゼントをもらったら嬉しいですか?」
「ん? それはもちろん!」
「貴方は?」
「……嫌な気はしないだろうな。物によるが」
「そうですか」

 ありがとうございました、と頭を下げたドロシーは、来たときと同じような足取りで職員室を出ていく。その後ろ姿を見つめながら、リードには不思議な直感があった。
 ――なにやら面倒くさいことになる予感がする。
 これまで大なり小なり生徒たちの厄介ごとに巻き込まれてきた「先生」の勘が、そう告げていた。けれど自分に火の粉が降りかからないのであれば、どうだっていいことだ。厄介筆頭のドロシーがなにも起こさないことを願いつつ、リードは仕事に戻ることにした。



 ◆

 
 さて、これまでクリスマスというものを知らずに育った少女、ドロシー・マグリステリーカには。
 そのイベントを前にして、あるひとつの感情が浮かび上がっていた。それはこの年頃の子どもであれば至極当たり前のものだったけれど、ドロシーはクリスマスもプレゼントも知らずに育ったため、彼女にとっては新鮮で突飛な思い付きだった。
 クリスマスプレゼントを渡したい人がいる。それは級友の男子生徒で、ドロシーは彼のことを好いていた。なので、プレゼントを渡したいと思った。それだけのことだけれど、世間を知らない彼女にはプレゼントとはどのようなものなのか見当もつかない。この狭い町の中は、知らないこともわからないことも、思い通りにならないことも多すぎる。
 ドロシーはしばし思案して、古びた公衆電話へと向かった。

「なにかあった!?」

 しばらくして飛んできたのは、少し乱れた金髪だった。いつも素直なきらめきを宿す青い瞳は、今は戸惑いに染まっている。まるで大事件でも起きたかのように慌てた様子のラファーユは、重たそうなバッグを抱えて駆けてきた。

「遅かったですね」

 そんな彼を見て、公衆電話の側に座っていたドロシーはゆっくり立ち上がる。その姿に、ラファーユは慌てたように声をかけた。

「ドロシー、どうしたの? 急に電話してきて……」
「知りたいことがあります。……そんなに息を乱してなにがあったんですか? 見苦しいのですが」
「えっ、だって……今すぐ来てって言われて、説明もなしにそのまま切られたら心配するよ。なにもないならよかったけど」

 安心したかのように息を吐くと、ラファーユはその場に座り込んだ。「急いで来たから疲れちゃって」と語る彼を、ドロシーは容赦なくせっつく。

「貧弱なんですね。そんなことより、私の質問に答えてください」
「あ、うん。ボクに答えられることならいいんだけど」
「ハインリッヒにクリスマスプレゼントを渡したいのですが、何がいいと思いますか」
「……クリスマス……プレゼント」

 予想外の質問だったのか、ラファーユは数度まばたきをして。それから、ドロシーの言葉を口の中で転がした。ドロシーが誰かに贈り物をしたがる、ということが余程意外なようできょとんとしていたけれど、ぱっと我に返った様子で口を開いた。

「い、いいと……思うよ! えーっと、それで、何がいいか……うーん……」

 腕を組んで考え込む様を、ドロシーはじっと見つめる。
 素直で人のいい彼は、おそらくその頭をフルに回転させて、頭の中の記憶の引き出しをすべてひっくり返して、そして……結局。特になにも思いつかなかった様子で、へなへなと表情を崩した。

「……ごめん。特には……うーん……ハインリッヒとそういう話、しないから……」
「そうですか。貴方はあの人とよく話していると思ったのですが」
「それはそうだけど、ボクの話聞いてもらうばっかりだから……シャーロットとかのが知ってるんじゃないかな」

 そう言われて、見慣れた赤いリボンを思い出す。確かに、親戚かつひとつ屋根の下に住んでいる彼女の方が詳しいのかもしれない、とドロシーは思い直した。
 シャーロットのことは頭に浮かんではいたけれど、最初に彼女を訪ねなかったのは。ただ単に、ドロシーにとって最も簡単に声をかけられる相手が目の前の少年だったというだけのことだ。

「せっかくだし聞いてみたら?」
「そうします。……一応聞いておきますけど、貴方は人に何かをあげたことはありますか?」
「そうだな、何度か……。でも、あまり参考にならないと思うよ。ボクの場合は、いつも向こうから欲しいもの言われるし……」

 大切そうに抱えていたバッグを抱きしめて、なにかを思い出して呆れるように微笑んだ。けれどその笑顔は、ドロシーの目にはなぜか幸せそうにも映って。その理由が果たしてなぜなのか、人間の気持ちに疎いドロシーにはわからなかったのだけれど。
 ラファーユが大して頼りにならなかった以上、シャーロットに聞いてみるというのが次の賢い手だろう。そう思って丘の上に目をやった彼女に、級友は微笑んだ。

「それでは、私はもう行きます。貴方もどこかへ行く途中でしたか?」
「うん、図書館に。今日は家にお客さんが来るから、図書館で勉強してなさいって」
「また勉強ですか。大変ですね」

 そんなことないよ、とラファーユは笑った。その笑顔はいつも通りのもののように、ドロシーには思えた。

 
「まあ、ハインリッヒにクリスマスプレゼントを? 素敵! きっと喜ぶわ!」

 ぱん、と手を合わせたシャーロットは、大きな瞳を輝かせて微笑んだ。
 ここは街中で最も高い場所、ほぼランドマークと同じ扱いを受けている屋敷であるシャーロットの家。ラファーユに会ったその足で、ドロシーはこの家に来ていた。突然押しかけたドロシーを、シャーロットは心底嬉しそうに迎え入れた。

「そうでしょうか。ハインリッヒは、クリスマスにもプレゼントにも興味はなさそうですが」
「そんなことないわ。 確かに落ち着いていると思われがちだけれど、彼って実はお祝いごとが好きなのよ。……ねえ、ドロシー? なにをプレゼントするかは決めているの?」
「いいえ。私にはハインリッヒのほしいものがわからないので。シャーロットなら、知っているのではないかと」

 さあ座って、と促されるがままに腰掛けたソファーは、ドロシーの住んでいたあの土埃舞う村では見たことすらないものだった。ふかふかで触り心地のいいこれに、彼も座るのだろうか。このソファで、こうしてシャーロットのメイドが出してきた紅茶を飲むことも、きっと少なくはないのだろう。

「ハインリッヒのほしいもの……そうね、新しいティーセットがほしいというお話は聞いたけれど……」
「ティーセット」

 おうむ返しにしたそれは、ドロシーとは無縁のものだった。ハインリッヒとシャーロットの話にあがるそれは、村の大人から渡されるお金では到底足りない品であろうことはなんとなく予想がつく。ドロシーが命じればお金なんてものはいくらでも出てくるだろうけれど、それよりも。

「ハインリッヒってああですから。そういうほしいものを他人からもらうの、嫌いそうですよね」
「そうかしら。ドロシーからの贈り物なら喜ぶと思うけれど……。……確かにこだわりがある人だから、自分で選んだものを使いたがるかもしれない、わね」
「面倒な人ですね。ほしいものをあげない方がいいかもしれません」

 シャーロットの大きなリボンが揺れる。少しばかり無言になった彼女は、困ったように眉を下げてドロシーを見た。

「あなたが渡したいと思ったものを選ぶのが一番よ。……けれど、そうね。彼が本当に喜ぶものは、別のものなのかもしれないわ。…………ごめんなさい、あまり参考にならなかったわね」
「いいえ、ありがとうございました。それでは」
「待って、ドロシー。外は寒いもの。急がないのならば、紅茶をもう一杯飲んでいって」
「……はい」

 立ち上がったドロシーは、再びすとんとソファーに座る。柔らかく沈む感覚は、生まれて初めて経験するものだった。

「シャーロットはプレゼントを渡すんですか?」
「もちろん! あなたにも用意しているわ。楽しみにしていてね」

 シャーロットはそう笑った。
 ……この、いつも楽しそうに緩やかに生きる人間と、ハインリッヒが親戚だなんて、とドロシーは思わずにはいられない。笑顔の裏の刺々しさをあまり隠そうともしない彼と、目の前の人間はやっぱり、あまりにも。そんな思考のさざ波は、シャーロットの「そうだわ」という声に押し流された。

「クリスマスプレゼントを選ぶなら、ぜひ足を運んでほしい場所があるのよ――」

 
 かくしてドロシーは、シャーロット推薦のマーケットに来ていた。なんでもクリスマスのために飾り付けられた場所だそうで、この場のすべては目が痛くなるような輝きに満ち溢れている。ごった返す人の中、潰されそうになりながら歩いていると、ふと。

「……あれ、ドロシー、ちゃん」

 喧騒に消えてしまいそうな、きっとこちらを呼び止めるものではないであろう小さな声がドロシーの耳に届いた。その声はそれなりに聞き覚えのあるもので……つまり、級友のものだった。ぐるりと勢いよく振り返ったドロシーは、ずかずかと彼女に歩み寄る。

「エラ。こんにちは」
「わ……っ、う、うん、こんにちは。えっと……ごめんね……」
「どうして謝るんですか」
「……うん……その、ドロシーちゃんはどこか行こうと……してたのに。邪魔しちゃったなって」
「まだ目的はなかったので問題ありません。貴方はここに何しに来たんですか?」
「えっ、と、わたしは…………ひゃっ!」

 なにやら答えようとしたエラが両手に持ったぱんぱんの買い物袋が人の波に流されそうになっている。あわあわと周囲に頭を下げるエラの腕を引っ張り、比較的人の少ない壁側に誘導すると、泣きそうな声で「ごめんね」とつぶやく声が聞こえた。

「謝る必要はないと思いますが。エラはどうしてここに?」
「……家族がね、クリスマスパーティするんだって。…………その買い出し……」

 少し寂しそうに笑ったエラが、両手いっぱいの買い物袋を見下ろした。その中には食材にオーナメント、プレゼントボックスが詰まっている。眉を下げた彼女は、はっとしたように顔を上げる。

「ドロシーちゃんは……?」
「クリスマスプレゼントを探しに来ました。ハインリッヒに何か渡したいと思って」
「ハインリッヒくん、に」

 エラが戸惑ったように瞬きをする。その顔は「意外だ」とでも言いたげだ。けれどドロシーはそんなことは気にせず、行きかう人々を眺めていた。
 人間のことはよくわからないけれど、クリスマスの買い物はこんなにも人間を喜ばせるらしい。……そうではない人間もいるようだけれど、とドロシーは少しそわそわとしている様子のエラを見上げた。ぱちりと目が合って、彼女は再びごめんねと眉を下げる。

「貴方は、なにをもらったら嬉しいですか?」

 そんな言葉が口からこぼれでた。
 ドロシーは、あまり他人の考えを聞くことはない。事実を知るために質問こそするものの、相手の感情にも欲望にも興味なんてないから。けれど、今日探しているのはそんな興味なんてないことのような気がして。そんな言葉を投げかけられたエラは、躊躇いの後に「わたしが言えることなんてないんだけど」と恐々話し出した。

「わたし、もらったこともあげたこともなくて…………。でも、だから、わたし、きっと、もらえるだけで嬉しくなっちゃうから……参考にならないと思うけど……」

 エラは一度深呼吸をして。どこか夢見るように空を見上げた。冬の冷たく澄んだ青空を見つめる瞳はなぜか泣きそうに歪んでいる。

「…………形に残るものだったら、嬉しいな。……見る度に思い出して……あたたかい気持ちになれるだろうから」
「形に残るものですか」
「うん。も、もちろん、食べものとかでも嬉しいけど……! なくなっちゃうと、悲しいから……。思い出、って、記憶とかって……いつか、……忘れていっちゃうものだなって、思うんだ」
「貴方は……」

 ドロシーが口を開きかけたとき、鐘の音が鳴り響いた。毎日定刻通りに鳴るそれに、エラはびくりと体を震わせる。

「あ、ご、ごめ、……わ、たし、帰らないと……!」

 今度こそ泣きそうになったエラは、慌ただしく荷物を持ち直し、ばたばたと去っていく。その背中を眺めながら、ドロシーは会話の内容を反芻していた。
 形に残るもの。
 店先に並ぶ商品を少し見渡すだけで、それがプレゼントの定番であることは窺い知れる。そのどれがプレゼントにふさわしいのだろうと検討するけれど、なにも思い浮かばなかった。
 いっそ本人に……そこまで考えて、ドロシーは一人首を横に振る。ハインリッヒのことだから、直接ほしいものを聞いても「ありがとう。気持ちだけで十分だよ」なんて言って、うまく贈り物を避けるに違いない。それでも押していけば向こうが折れることくらいわかっていたけれど……なんとなく、その手は使いたくないと思った。
 ため息が白く空気に消えていく。慣れないローファーを鳴らして、ドロシーは歩き出した。

 
「え、ドロシー? 何してんの」

 見ていた品物から顔を上げると、マフラーに顔を埋めるターリアが、ポケットに手を突っ込み立っていた。
 不機嫌そうな頬は赤くなっており、外の寒さを物語る。彼女の向こう、扉越しに見える外はすっかり真っ暗だ。ドロシーはそこでようやく、自分がどれほどの時間外にいたのか、ぼんやりと意識した。

「もう真っ暗だけど。帰んなくていーの?」
「それを言うなら貴方こそ。親というものは、自分の子の帰る時間を気にするものだと聞きました」
「……別に、ウチはそーいうのないから」

 忌々しそうに吐き捨てたターリアは、ドロシーの視線の先を追った。目の前の棚が雑貨であることをみとめると、「へー?」とおもしろいものを見つけたようにつぶやく。

「アンタこーいうの興味あるんだ?」
「いえ、私が使うのではなく。ハインリッヒにクリスマスプレゼントを渡そうと」

 また意外だと言いたげな表情に本日何度目かの説明を始めようとしたドロシーの声を、からんころんという入店を知らせるベルが遮った。音の方を見たターリアの視線に釣られるように見やると、再び知っている姿が現れる。

「ターリア、買ってきてやったぞ」
「ん。外で飲むでしょ、行こ」
「ああ。……お、ドロシーか? 珍しいな、こんな時間に」
「そうですね。貴方は、いつもこんな時間にばかり外に出ているそうですけど」

 まあな、と向けられた明るい笑顔はそれはそれは整っており、まさに眉目秀麗であった。すべてに無頓着なドロシーでなければ、ときめいていただろうけれど。手にしていた商品を置いたドロシーは、店を出る二人の後ろを雛鳥のようについていく。
 両手に飲み物を持った彼――アーガストは、店から出ると「さむ」とつぶやいた。

「……よくこんな寒さで冷たいもん頼んだな……」
「うるさい、仕方ないでしょ飲みたくなったんだから!!」

 なぜか苛立った様子のターリアは、雑貨店のすぐ側に置かれたベンチに腰掛ける。彼女とその隣に座ったアーガストにならうように、ドロシーもベンチへと座った。普段のドロシーであればこのようなことはしないのだけれど、一応聞いておこうと思ったのだ。この二人は他人のやることに興味がないドロシーの目から見ても、それなりの人付き合いをこなしている様子だったし……ターリアはともかくアーガストの方は、質問すれば答えを返してくるだろうという確信があった。

「あの、二人に質問があるのですが」
「ん? なんだ?」

 人当たりのいい笑みを浮かべたアーガストと興味なさげだが視線をあげたターリアに、ドロシーは今度こそ説明を始める。
 ……ハインリッヒにクリスマスプレゼントを渡したいと考えているが、何をあげるべきかがよくわからない、と。それを聞いたアーガストは、夜の闇に輝いている瞳をさらに輝かせる。

「ハインリッヒのことならオレに任せろ! 友人だからな!」
「……アンタたちって別にそんな仲良くなくない? 知ってんの? ハインリッヒの喜ぶもの」
「もちろんだ!」

 アーガストは足を組みなおし、前髪をかきあげ、ふふんと得意げに笑った。
 このやけにキラキラした動作を見ているのがこの二人でさえなければ、それなりに見惚れられていたのだろうけれど。ドロシーには元よりそんな感情は頭になく、ターリアといえば一気飲みしたドリンクの残量を見極めようとしていたから、アーガストが普段浴びせられている賞賛は降ってこない。けれどそれを特に気にする様子もなく、彼は効果音でもつきそうなほどきめていた。

「要は喜ぶものがわからないってことだろ? いつも言っているぞ、『君と話している時間が一番楽しいよ』と……つまり! ハインリッヒが喜ぶのは、オレ!」
「バッカじゃないの」

 ターリアが片手間にそう呟いた。どうやら中身がもう残っていないと悟ったらしい彼女は、ストローを噛み潰す合間に「それお世辞じゃん」と吐き捨てる。その言葉に、心底意味がわからないとでも言いたげに、アーガストは透き通った色の瞳でぱちぱちと瞬きをした。

「……世辞……? なぜそんなことを?」
「ウソでしょ? てか、ドロシーがどーやってそれをアイツにあげんの。クリスマスにわざわざ家行って、アンタたち三人でお喋りでもする気?」
「……確かに。プレゼントにするとなると難しいかもしれないな……」
「なんなのコイツ」

 あきれたとでも言いたげな表情で頬杖をつくターリアと、プレゼントする術を真剣に考え出すアーガストを見比べて。ドロシーは自分の求めていたような答えも、そのきっかけすらも与えられなかったことに密かに苛立っていた。
 そんな彼女の様子には気がつかないまま、ターリアは空になったプラスチックの容器を、少し先のゴミ箱目掛けて投げている。見事シュートを決めたターリアは、不機嫌そうに立っているドロシーにふと視線をあげ、心底面倒くさそうに口を開いた。

「なんなのよそんな顔して」
「貴方たち、なんの役にも立たないと思いまして」
「は? なんでそんなふうに言われないといけないわけ。無難なもんあげとけばいいんじゃないの? 寒いし防寒具とかさ。てか本人に聞けばいーじゃん」

 ひらひらと手を振ったターリアは、すっかり適当にあしらおうとしている様子だった。それに不満を露わにするより前に、アーガストが口を開いた。

「確かに、防寒具という案はいいんじゃないか? この時期ならマフラーや手袋、色々売っているだろうしな。……けど、今日は帰った方がいいぞ。もう暗いだろ」

 アーガストの言う通り、もう夜――それもだいぶ、深夜に近しい時間だった。彼やターリアにとってはたいして気を配る時間でもないのだけれど、世間知らずのドロシーが1人で出歩くにはほんの少しだけ危険な暗闇と言っていいだろう。そんな気遣いに、ドロシーはなにかを少しだけ考えて、彼女にしてはめずらしく素直に「そうですね」と呟いた。

「今日は帰ります」
「寮だろ? 途中の道暗いし、送っていくか?」
「いえ、いりません」
「そっか。気をつけて帰れよ」

 一度頭を下げると、聞こえる会話を背に帰路へつく。
 こんなにも人がいて文化にあふれて、賑やかな場所なんて、故郷にはなかった。あったのは寂れた家々ばかり。唯一立派だったドロシーの暮らす場所くらいのもので、祝いの場が設けられてもとても質素なものだった。そんなものばかりだったあの場所との違いには、多少のめまいすら覚えてしまう。歩き回ったせいかやけに疲れた体で、ドロシーは寮へ帰っていった。

 
「おかえり、ドロシー」
「はい、ただいま帰りました」

 寮の扉を開けると、いつも通りのあたたかい光がドロシーを迎えた。扉の音を聞きつけて顔を出したリデルに、学んだばかりの挨拶を返す。

「珍しいね、ドロシーがこんなに遅くまで出かけてるの。なにか楽しいことでもあった?」
「いえ、そういうわけではありませんが。少し買い物……探し物をしていました」

 結局、大した成果は得られなかったばかりか、ただ歩き回っただけだった。ドロシーの人生――彼女は紛れもない神様なので、「人生」という言い方は不適切だけれど――において、こんなことは初めてだ。望みを言えばなにもかもが手に入ったというのに、手に入らないどころか手がかりすら見つからないだなんて。
 多少の苛立ちを抱えながらリビングに入ると、そこにはめずらしく、マグレヴァーが座っていた。

「こんばんは」
「ん」
「……そうです、貴方たちは……」

 なにも考えずにそう聞こうとして、ドロシーはふと思いとどまった。
 ドロシーの対人関係の希薄さは飛び抜けているけれど、それはこの寮生二人だって同じことだ。それを思うと、ためになる言葉が返ってくるとは思えない。そう考えて黙り込んだドロシーに、リデルが不思議そうに声をかけた。

「どうかした?」
「……いえ……貴方たちに聞いても意味はないとは思うのですが、聞いてあげます」
「は?」

 慇懃無礼な言い方に苦笑いを浮かべるリデルとは対照的に、マグレヴァーは鋭く睨みつける。それをまったく気にかけることなく、ドロシーは続けた。

「クリスマスプレゼントに適切な贈り物とはなんだと思いますか?」
「あぁ……うーん、プレゼント……」

 リデルの苦笑いは、やがて困り笑いへ、そして愛想笑いへと変化していった。その笑顔は大抵、会話の中で言うべきことが見つからない際に浮かべられるものだ……と言うことを、ドロシーは学んでいた。予想通り、彼もクリスマスもプレゼントも無縁のところにいたようだ。それでもどうにか答えを絞り出そうとしている様子を、マグレヴァーは軽く嘲笑う。

「そんなもん考えたって無駄だろ。俺たちみてえなのには無縁の行事だし」
「そうですね。別に、マグレヴァーには期待していないので構いませんけど」
「はあ?」

 いよいよ苛立ちを隠さずに舌打ちをしたマグレヴァーは、だるそうに座っていたソファから体を起こす。そして、低い声で口を開いた。

「……仕方ねえな……。いいか、人にやるんなら食いもんだ、食いもん」
「マグレヴァー、食べるの好きだよね」
「そういう理由じゃねえから。……いいかよく聞け。後に残るもん押し付けられても捨てんのに困るだけ、邪魔になるだけだ。食いもんなら食ったら終わるし、ゴミにするのも楽だろ」

 長い前髪の隙間からは、なにやら恨みのようなものが垣間見える。その言葉に、ドロシーは返事も忘れて考え込んでしまう。

「……」
「おい、なんだその顔。答えてやったのに礼もなしか?」
「いえ。エラは形に残るものがいいと言っていたので。意見が食い違っているなと」
「…………あっそ」
「マグレヴァー、どうかした?」
「別に」

 なぜか毒気を抜かれた様子のマグレヴァーは、大きくため息をついた。舌打ちをして、「俺は寝る」とだけ言い残して去っていく背中に、リデルは穏やかに挨拶を投げかけた。不機嫌な彼のご機嫌に振り回されることなんて、今のリデルにとってはたいして驚く必要もない日常なのだろう。そんな彼の服の裾をくいくいと引っ張り、ドロシーは疑問をぶつける。

「リデルは形に残るものと残らないもの、どちらがほしいですか?」
「……うーん……僕は正直どっちでも嬉しいっていうのが本音かな。大事な人からもらえたなら、それが物でも思い出でも嬉しいよ」
「答えになっていません。どちらがほしいか聞いたのに」
「ごめん……。でも本当に人それぞれだと思うんだ。マグレヴァーみたいに無くなるものを望む人もいるし、エラみたいに残るものをほしがる人もいる。僕は、ほら、気にかけてくれた気持ちが嬉しいというか……」

 言葉の裏から滲んでいるのは、きっとリデルの記憶に刷り込まれている過去のことなのだろう。それくらいドロシーにも予想がついた。

「……その人の正解はその人にしかわからないよ。直接聞くのが早いだろうけど、そうしないなら……ドロシーがどっちをあげたいかで決めたらいいんじゃないかな」

 
「あはは! バラバラなのは仕方ないよー、ほしいものも考え方も違うんだから。にしても、ドロシーちゃんが人の意見聞くなんてめずらしいね」
「いくら考えてもわからなかったので。人の話を聞いたら、余計わからなくなりましたけど」
「拗ねない拗ねない。がんばったねー」

 ぽんぽんと丸い頭を撫でられて、ドロシーは眉をひそめた。子ども扱いは好きではない、自分は神様なのだから。それを彼女に言ったところで聞き入れられたことがないから、すっかり諦めたけれど。
 朝から時間の配慮もなく呼び出したことへの文句もなく、マリーゴールドはヒールを鳴らしながらマーケットを歩き出す。揺れる黒髪を見ながら、ドロシーもその後ろに続いた。

「でも、アタシもリデルくんの言う通りだと思うけど? ドロシーちゃんがあげたいものをあげればいいんだよ」
「それがわかっていたら、朝から貴方を呼んでいません」

 苛立ちを隠せない様子のドロシーの言葉に、マリーゴールドは動じる様子もなく笑い声をあげた。
 普段の彼女ならばぐっすり夢の中であろう健康的な朝に着信音が鳴り響き、出た途端に無愛想でかわいらしい声で場所だけを指定され。眠い体を動かしてやってくればクリスマスプレゼント探しのお供だった。マリーゴールドは、ドロシーのこういうところがおもしろくてかわいくてたまらないのだ。

「……そういえば……そもそもドロシーちゃん、なんでプレゼントなんてあげようと思ったの?」
「クリスマスというものには色々とイベントが付属しているらしいじゃないですか。その中にプレゼントを渡すというものがあると知って、……そうですね、やってみようと思いました」
「それならアタシにくれないの?」
「嫌ですよ、どうして貴方に。とにかく……なにがいいのかわからないので、見つけるか案を出してください」

 明るく賑やかな雰囲気に満ちている店先を、暗い瞳でにらみつけていくドロシーの手を取って、マリーゴールドはとある店で立ち止まった。

「まあ、定番で言えばこういう……クリスマスっぽい食べものとか? ほら、ツリーの形でしょ。あとはなんだろ、身につけるものはちょっと……重いのかなー? 昨日色々見たんだよね、気になるものなかったの?」
「贈り物とは関係ありませんが、気になったものならあります。どう使うものかわからないという意味での興味ですが」
「へえ。なーに?」

 手を繋いだまま店舗に入ると、小物がこまごまと置かれた棚に向かう。そこに並んでいるものをドロシーが指差すと、マリーゴールドは猫のような目を細めて「ああ、これ」と笑った。かわいらしい土台の上に置かれたガラスの球体の中には、冬の街並みが閉じ込められている。家々の足元にたくさんの白いものが落ちているそれは――。

「スノードームね。これはね、こうやってから……元に戻すと、ほら。雪降ってるみたいでしょ?」
「…………」

 軽くひっくり返してから戻してみせたそれを、ドロシーは変なものでも目にしたかのように訝しげに眺めていた。
 マリーゴールドとしても、世間知らずのこの少女がスノードームのなんたるかを理解できるとは思っていない。次に飛び出るのは「これのなにがいいんですか」だとか「中にあるのは雪ではないと思うのですが」だろう、なんて予想していた彼女の意識の外側で、ドロシーは話し出した。

「……以前……初めて雪というものを見ました」

 記憶を手繰り寄せるような声だった。じっとスノードームを見つめたまま、ドロシーは数秒黙り込む。
 その雪には、マリーゴールドも覚えがある。今年の初雪は教室で眺めたのだから。この小さな可愛い神様も同じ場所でそれを見ていたけれど、雪という初めて知ったものに疑問はあっても、感銘を受けている様子はなかったはずだ。だから、ドロシーがこの場であの初雪のことを口に出すだなんて、マリーゴールドにとっては少し意外だった。

「雪とはただの自然現象だと知って、そんなものに喜んだりするなんて皆さん変だと思いました。陽の光とも雨ともなんの変わりもないはずなのに、そんなものがどうして嬉しいのだろうと。あの人も、普段は天気になんて興味を示さないのに」

 既に止んだ、ガラスの中の小さな街の雪。
 黒い手袋を纏った手がマリーゴールドからスノードームを奪い取り、静かに反転させる。時が戻るかのように雪はガラスドームの上部に戻り、ドロシーが上下を正しくするのと同時に再び降り出した。暗い瞳がじっとその様を見つめている。ガラスの向こうに立っているマリーゴールドのことなど気にせず、最後のひとひらが落ち切るまで、ずっと。

「……故郷の景色、だそうです。随分感傷に耽っているようでした」

 ハインリッヒの故郷は、ここから遠い雪国だ。
 ドロシーはもちろん知っている。向こうにあった彼の住居も、彼の家族もなんだって。だってドロシーは神様なのだから。けれど、あの日にハインリッヒが語った雪国特有の冬の苦労も雪の思い出も、初めて聞くことばかりだった。
 知らなかったのは暮らしぶりだけではない。ハインリッヒのあんな表情もそうだ。そこに込められた感情を、ドロシーはうまく言葉にすることはできない。郷愁も愛も憎悪も後悔もあるかのような、あの――。

「それほど思いを向ける故郷なら、冬だけではなく一生思い出して、捕らわれていればいいと思いました。あの人にとっての故郷はそういいものでもないと思うのですが、随分大事に思い出しているようでしたので」

 ドロシーもハインリッヒも、そうそう帰省もできないような遠いところからこの街にやってきている。ドロシーにとってはこの街にも故郷にも思い入れなんてないし、故郷を思い出すことなんてない。……思い出すようなことがない、という言い方が正しいのかもしれないけれど。彼は違うようだった。
 スノードームを見て、そんなことを思い出して。じっとガラスの中を見つめるドロシーに、マリーゴールドは声をかけた。

「……なら、これがぴったりなんじゃない?」
「クリスマスプレゼントに、ですか?」
「そ。ハインリッヒはこれ見るたびに、ドロシーちゃんのお願い通り故郷も思い出せるわけだし? ついでに君のことだって思い出すわけでしょ」
「最後のはなんですか」

 意味がわからないと言いたげな表情は、いつも通りのものだった。暗い紫の中でぐるぐると様々な常識や非常識が渦巻いている。

「贈り物ってそういうものだと思うけどなー、アタシは。これを見るたびにプレゼントした自分のことを思い出してねって、おまじない」
「……? よくわかりませんが……あの人がこれで故郷を思い出す……のは、貴方の言う通りだと思います」

 いまだに疑問は残っているようだけれど、ドロシーの興味はマリーゴールドの言葉よりスノードームに向かっているようだった。
 もう一度それをひっくり返して、作られた街に作られた雪を降らせてみせたドロシーの瞳は、静かに光を反射していた。
 

 ◆


 ハインリッヒは、自室で小さく息をついた。
 今日はクリスマス。ここからずっと北に位置する故郷ほどではないけれど、この街の冬は寒い。雪まで降り積もったこの日を、ホワイトクリスマスだと喜ぶのか、それとも眉を顰めるかはわかれるところだけれど、ハインリッヒは後者だった。だから今日は外に出ず、この華やかな行事にふさわしく飾られた屋敷……特におおよそ個人宅に置かれるものではない大きさのクリスマスツリーと、それから料理を楽しんで終わるはずだった。
 だから。

「こんにちは。クリスマスおめでとうございます」

 頭に存分に雪を積もらせ、コートの前を開け、手袋もマフラーもなしに屋敷にやってきたドロシーを見たときは頭が痛くなったのである。

「……いつも言っているけれど、そんなに薄着で外を歩くと風邪を引くよ」
「引きません」
「…………。今、体が温まるものを用意してもらっているから。それまでここで大人しくしていて」

 ぱちぱちと火の爆ぜる音がする。凍えそうな風と共に襲来したドロシーに言いたいことはあるが、それ以上に彼女がやってきた理由が気になっていた。
 ――あまりクリスマスには興味がないと思っていたけれど。
 そんなことを考えながら、ハインリッヒは雪と風でぐちゃぐちゃになったドロシーの髪を整えてやる。されるがままの彼女は、メイドが持ってきたジンジャーティーを静かに飲んでいた。

「今日はどうしたの? シャーロットなら今は出かけているから、彼女に用事なら伝えておこうか」
「いえ、貴方に用事があるので大丈夫です」

 ドロシーはやけにボロボロの鞄を漁り、可愛らしく包装された小さな箱を取り出した。それをずい、と目の前に突き出してきて、相変わらずの真顔で言う。

「貴方にクリスマスプレゼントです」
「……クリスマス、プレゼント」

 この子の中にそんな文化があったのか、というのが正直な感想だった。
 クリスマスムードに染まった街の中で、ドロシーが無言でツリーを見上げていたのは記憶に新しい。これはなんですかと聞かれ、クリスマスの話をしてやったのを覚えている。そういうものがあってパーティーをしたりして、なんて一般的な話だけを。プレゼントにも軽く触れたけれど、そのときは興味を示している様子だなんてかけらも見られなかったのに。少し戸惑って固まっていると、ドロシーは焦れたようにプレゼントを押し付けてきた。

「受け取ってください」
「……あ、ああ。うん、ありがとう」

 受け取った小箱は、思っていたよりも重みがあった。それが相手の手に渡ったのを確認した途端、ジンジャーティーを飲み干してドロシーは立ち上がった。それはあまりお行儀はいいとは決して言えなかったものの、それを指摘するより先にドロシーは「それでは、帰ります」と言って足を扉の方へ差し向けた。
 手の中のものについて聞きたかったけれど、引き止めても無理そうだと思い直して。ハインリッヒはその姿を送るために、共に玄関の方へと向かう。飲み物のついでに用意してもらったマフラーを片手に携えて。開けられた玄関からさっさと去っていきそうなドロシーを半ば強引に呼び止めて、彼女の興味がどこかへ向かう前にその首にマフラーをかけてやった。

「ドロシー、今日の挨拶はメリークリスマスって言うんだよ」
「…………メリークリスマス」

 マフラーをまいてやりながら教えると、ドロシーは飴玉でも転がすように口の中でその言葉をつぶやいた。そうしてぱっと顔を上げると、じっとハインリッヒを見つめる。

「ハインリッヒ」
「うん」
「メリークリスマス、です。では、また今度」
「はは、うん。メリークリスマス。雪が積もっているから、足元には気をつけて」

 満足したかのように帰っていく背中を見送ってから、自室でそっと小箱を開く。クリスマスらしい色合いと輝きのリボンを解いた先にいたのは、小さなスノードームだった。
 あの子が自分からこんなものを買うなんて思えないけれど、なんてことを考えながら、ドームをなぞる。
 いくつかの家とそこで遊ぶ子どもが閉じ込められたスノードームをひっくり返すと、そっと雪が降る。見慣れた風景だ。こんなおもちゃも、雪景色も。見慣れたものだけれど、故郷のこの景色を見る機会なんてもう――しばらくはないのだ。
 スノードームの中の雪がひらひらと落ち切ったとき思い出していたのは、雪を前にしたときの会話だった。初めて雪を見たのだというドロシーに、案の定質問攻めにされていたときのこと。雪景色が懐かしかったせいだろうか、めずらしく人前でふと息をついてしまったことを覚えている。相変わらず無遠慮にその要因を聞いてきた彼女に、故郷を思い出すからかもしれないと答えて。そして、ドロシーは聞いてきたのだ。

「貴方は、帰りたいんですか」

 それに自分はどう答えたのだろう。もう忘れてしまったけれど、それでも――ハインリッヒの手は不思議と、もう一度ガラスの中に雪を降らせていた。
 幼い頃見た窓の外の景色を思い出すように。
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