番外編

薔薇も枯れる恋のみちゆき


 恋をしていました。あの頃、十六の春に。
 あのたった一部屋の凋落の王国の中で、夢に見るほど。たとえわたしが死んだとしても忘れられない、はじめての恋をしました。自由な女の子として彼と出会わずに生きるくらいなら、この死を待つ不自由な鳥籠で、彼のことを想いながら死にたかった。
 そんな恋をしていました。
 あなたはもう、ご存じのことと思いますけれど。


 ◆


「……シャーロット?」

 ぱ、と目を開く。
 ゆるやかにからだが動き出す感覚にまばたきをしていると、やわらかな陽光とかぐわしい花々の香りがわたしを包む。そうして、赤い瞳と目が合った。

「ごきげんよう、リデル」
「え、うん、おはよう」

 街中でひそやかに息をするこのローズガーデンは、わたしのお気に入りの場所のひとつだ。すべてがいそがしく進む世界の中で、ここだけは、わたしの赤い靴と踊ってくれる。好きなだけ、好きなように、踊り疲れたら眠ることだって――そうして、ようやく気が付いた。薔薇を着飾っていた朝露はいつしかその姿を消していて、太陽は頭の上からわたしと彼を照らしている。
 ――わたしはいつからか、よく眠るようになった。
 お部屋で、車の中で、学校で、それから、こんなふうに素敵なガーデンで。一人のときは気付けば瞼が落ちていて、そうしていつも同じ夢を見る。その夢は不思議だけれど嫌なものではなくて、むしろ心地いいものだった。うつくしい恋の夢は、わたしの頭の中に居残っている。真綿で首を絞められるようなゆるやかな圧迫感を、わたしは知っていた。この苦しみこそが恋なのだと、なぜかわかっていた。

「体調悪いなら、誰か呼ぼうか?」

 ひそやかに眉を顰めるリデルは、膝をついてわたしを見上げる。わたしはそれにいいえ、と首を振って、ベンチに立てかけていた日傘を開いた。

「ありがとう、大丈夫よ。体調が悪いのではなくて……わたしはなぜだか、すぐ眠くなってしまうの。お医者様にもお話したのだけれど、原因はわからないそうなのよ」
「それならいいんだけど。……道に迷って、こっちまで来ちゃったら……君がいてびっくりしたよ。……全然、反応なくて……ちょっとおどろいたんだ」

 ちいさく吐かれた息と共に告げられた言葉は、彼のこれまでの生活を思い起こさせた。……わたしには、わからない。何不自由なく育てられたわたしには。差し迫る死だなんて、お庭の花々の静かなそれしか知らないわたしには、なにも。

「ごめんなさい。今日は調子がいいから、あまり心配しないで。……そうだわ、リデル。どこかへ向かう途中だったのなら、わたしに案内させてくださる? この周辺の地理なら、力になれると思うの」
「ありがとう。それならお言葉に甘えて……あ」

 微笑んだリデルの視線が、花壇のひとつへと向かう。

「……枯れてる」

 ちいさく呟かれた言葉にわたしも目線を動かすと、確かにかわいらしい赤い薔薇の中に、ひとつだけ。しおらしく下を向いた薔薇が一輪。

「本当だわ。……枯れたお花がそのままだなんて、めずらしい」

 このローズガーデンは、いつ来ても満開の薔薇が咲き乱れている。手入れしている方の愛情がうかがえるような、そんな丁寧なお世話を思い起こさせるようにいつも麗しい……そんな場所にはめずらしい、色褪せて萎んだ花弁。
 ――花は終わりがあるからこそ美しいだなんて言うけれど、わたしはまだ幼いから。愛を冠するこの花が、枯れないでいてほしいと願ってしまう。永遠の愛がこの世に存在することを祈るように、愛を告げわらうこの花が、ずっと。散ってしまうのならば、美しい姿を刈り取って……あの夢を見るようになってから、そんなことばかり考えてしまう。

「僕、枯れた花とかあんまり……苦手なんだけど。薔薇はなんだか、えっと……アンティーク? みたいで綺麗だね」

 枯れたら、終わってしまうのだと思っていた。美しいものが愛なのだと、枯れた花はどうしたって儚くて、夢でもうつつでも、手向けにすらならないものだと。だって、夢はいつもそういう言葉をわたしに教えていたものだから。

「……アンティーク……」
「え、っと、うん。……ごめん、変なこと言ったかな」
「そんなことないわ。あなたのその感性は、とても素敵なものだと思って」

 素直な気持ちを伝えると、リデルは少しだけ照れたように微笑んだ。
 夢の中の彼女は、いつも満開の花に囲まれている。そうして、美しい花に託すのだ。彼女の恋を、気持ちを。けれどすぐに萎れてしまって――結局、伝わらないものだと嘆くから。そうではないのだと、伝えられればいいのに。確かに満開の花々はまばゆいけれど、枯れたからといってもう終わりではないのかもしれない、と。
 ……たとえ枯れてしまったとしても、それすらも見つけてくれるひともいるのだと。
 あなたが想いを寄せるひとだもの、きっとそんなやさしさを持っているに違いない。

「……シャーロット? どうかした?」
「――いいえ、なんでも。リデルは優しいのね」
「え、いや、そんなこと……」
「ふふ。そんなこと、あるのに」

 寝起きのけだるさはいつしかどこかへ消え去って。日傘をくるりと回して、わたしはようやく立ち上がった。……今日は日差しが強い。わたしの身体は我儘なもので、気を使わないとこのあたたかい光にすら耐えられない。

「行きましょう、リデル。迷っていたというお話だったけれど、どこまで案内しましょうか」
「あ、ありがとう。それなら――」

 ――恋、を。
 誰かの恋路を、夢に見る。叶わない恋。どうしようもなく死にゆく少女の、うまれてはじめての恋を。わたしには無縁のそれは、不思議とまるでわたしのもののように心の中に馴染んでいく。だから、うつつにおいても祈ってしまう。
 夢の中で彼女が育てている愛を告げる薔薇の花が枯れたとしても、見つけてくれるひとがいますように、と。
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