side story

【金魚すくい】



「おじさぁん。金魚ちょーだい」
水槽の中でゆったりと泳ぎ回るその魚を見下ろしながら、ぼくは言った。
「欲しいなら、これで掬ってごらん。わしは金魚すくい屋だからね」
店主の男が差し出した物に、「はあ?」とぼくは苛ついた声を上げる。枠の中に薄い紙が貼られているだけの、心もとない掬い道具。「ポイ」というのだと、店主が教えてくれた。
「ふざけないでよ。こんなのすぐ破れちゃうじゃん。掬えるわけないよ」
「簡単に掬えたらゲームにならないだろう?」文句を言いながらポイを受け取ったぼくに、男はがははと豪快に笑う。「すまんな、坊や。これでも商売なんでね」
「ふん。しょぼい商い」
水を張った小さなボールを片手に持ち、ポイを構えたぼくは、水槽の前にしゃがみ込む。
水の中で泳いでいる魚の姿を眺めていると、ぼくには思い出すことがあった。



ベルガーは金魚を飼っていた。
金魚鉢というガラスの入れ物に水を張り、その中で一匹、大きな金魚を泳がせていた。
ある時、鉢の掃除をするために、別の容器に金魚を水ごと移そうとしたところ、手が滑って金魚を床に落としてしまい、鱗を傷つけてしまったのだと泣いていた。
知らないよ、と思ったけれど、マスターはめそめそと泣いているベルガーを放っておけなかったみたいだ。金魚の飼育について色々と調べた彼女は、塩水浴をさせなさい、とベルガーにアドバイスをした。水一リットルに、小さじ一杯の塩。0.5パーセントの塩水は、金魚にとって快適な環境なのだという。鱗も再生するそうだ。
馬鹿なベルガーは、塩は多ければ多いほど良い、と勘違いをしたらしい。どさどさと砂を入れるみたいに鉢の中を大量の塩で満たして、金魚を死なせた。ベルガーは、やっぱり泣いた。その悲しみ様は、鱗を傷つけた時とは比べ物にならなかった。
マスターちゃん、どうしよう、と泣き縋るベルガーを、彼女はただ励ました。金魚を死なせてしまった彼の非を、彼女は責めない。かわいそうなことをしたわね、と、憐れな運命に優しく微笑むだけだった。



神社の石段に、マスターは腰掛けていた。
「まあ、金魚」ビニールの巾着袋の中で泳ぐ魚の姿に、彼女の顔が綻んだ。
マスターは、浴衣を着ていた。白地に朝顔が水彩調で描かれた、涼しげでどこか儚げな浴衣は、死装束みたいにぼんやりとした印象だった。
「懐かしい。ベルガーがよく世話をしていたわね」
「でもこいつら、あいつが飼ってたやつみたいに、立派じゃないね」
巾着袋を目の高さに掲げて、悠々と泳ぐ三匹の金魚を覗き見る。どれも小ぶりで、模様がなく、赤黒白の単色だった。これじゃあメダカと大差ない。
「その子たちは、きっとハネの子よ」
「ハネの子?」
「金魚はたくさん子供を産むから、綺麗な子だけを選んで売るの。ハネは、選ばれなかった子。だから金魚すくいに出されたのね」
ふうん、とぼくは相槌を打つ。そっか、こいつら、捨てられたんだ。選ばれなかったんだ。綺麗じゃないから。
美しさだけで生き残る金魚。
性能の高さで生き残るぼくたち。
「きゅるちゅ?」石段の隣にすとんと腰掛けたぼくに、彼女は不思議そうな視線を投げかける。
「急に黙り込んで、どうしたの」
「ぼくもハネの子なんでしょ? ベルガーみたいに」
巾着袋を石段の脇に置きながらぼそりと呟く。
彼女の瞳に、ざあっと動揺の色が広がる。
ベルガーは、壊れてなくなった。
彼女はあいつを直さなかった。
マスターの残り少ない力を温存するため、再度の召銃を受けられる貴銃士は、モーゼルによって定められた。
ベルガーは、選ばれなかった。あいつは使い捨ての駒として捨てられた。性能を認められずに弾かれた、ハネの子だった。
ベルガーの金魚が死んだ時、その憐れな運命に、マスターは優しく微笑んだ。
ぼくが壊れてなくなっても、かわいそうなことをしたわね、と彼女は笑えるのだろうか。
「貴方はハネの子なんかじゃない」
マスターはそう言って、ぼくを優しく抱き締めた。彼女の傍は、石鹸のような良い匂いがする。
「選ばれた子よ。大丈夫……」
きみはハネの子なんかじゃない。
選ばれた子だよ。
大丈夫。
その言葉を欲しがっているのは、彼女の方だ。
女として産まれたがために、二代目の世界帝になれなかった彼女。女としてこの世界で生き残る術を、彼女はマスターの中に見出した。そのせいで命を蝕まれている。
厄介な役割だけを押しつけられた、世界帝のハネの子は、自分が言って欲しい言葉で、ぼくの心を慰める。
「本当?」顔を上げて、彼女を見つめる。
「本当よ」彼女の、壊れそうな笑み。
知っている。
ぼくはハネの子だ。
アインスのように力があるわけでも、ファルのように特別有能なわけでもない。現代銃の中では、ただの小物。ベルガーと同じ、使い捨ての駒。
ぼくが欲しい言葉を、マスターは知っているんだ。だからきみは、ぼくに優しい嘘をつく。
ぼくの背を撫でてくれる彼女の手つきは、自慰のように身勝手で、甘美な温度。
きみも、ぼくの嘘が欲しいんでしょう?



水一リットルに、小さじ一杯の嘘を入れよう。
0.5パーセントの嘘が、ぼくらにとっては心地良い。
快適な水槽で泳ぐ二匹の金魚。
浅い水面にぷかぷか浮かんで、すくわれるのを待っている。





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