私あの子のこと大嫌いやねん
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
治と別れたのは3ヶ月ほど前。
高校から付き合うとったから 10年近く一緒におった。
その関係を終えようとするんは、なかなか勇気のいることやった。
私は この決断を後悔してる。
治のおらん生活に慣れへん。
寂しくて 耐えられへんから連絡もしてまう。
治は 私が会いたいって言うたら会いに来てくれるし、
私のほうからお店に行くことも未だにある。
結局 お互いを縛るもんがなくなっただけで、中身は今までとなんも変わってへん。
別れた理由の一つが『結婚観』の違い。
治の周りは独身ばっかりやからなかなか結婚をイメージできへんのかもしれへんけど、
私はここ最近 年齢的にも周りから『まだ結婚せんの?』って聞かれることがようあった。
そんなん言われて余計なお世話やとは思うけど、正直 子どもはほしい。
結婚適齢期と言われる歳になって、結構焦っとった。
彼氏と付き合って間もない友達が先に結婚していくのを何回見送ったか。
純粋に祝いたい気持ちはだんだん『羨ましい』に変わって、 最近ではその話題すらきついと思う時がある。
高校を卒業して間もない頃は
「結婚したいな」って普通に口に出して言うてたし、
店を構えることが一番の目標やった治も、私とのことも真剣に考えてくれとったんか
「俺、頑張らなあかんなぁ」って。
あの頃はほんまに自然に、そんな話をしとったのに。
今 この年齢でする【結婚の話】は、
リアルすぎてたぶん引かれるやろう。
いつからか、私の方からは何も言えやんようになっとった。
治から何のアクションも無いところを見ると、
たぶん治は恋人のままが心地ええんやと思う。
あとは 治の女関係。
…というか、店のバイトの女の子。
おにぎり宮で働くバイトの女の子は今のところ、百発百中で治のこと好きになって、
それが叶わんとわかったら辞めていく。
中には 治の知らんところで、
私に直接「別れて」と言うてきた子もおるくらい。
それには、若さってすごいな と感心すらする。
若さ故に怖いもんがないんやと思う。
私もそんな頃あったなぁなんて思いながら軽くあしらうけど、ほんまは内心そんなに余裕ない。いつだって、そう。
最近入ってきた大学生アルバイトの子、最初こそニコニコで感じの良かったあの子も変わった。
私と治が関係あるんをどこからか聞いたようで、ある日を境に突然様子がおかしくなって。
それで私も気づいた。
あぁ、この子も治のこと好きになってしもたんやって。
何かの話の流れで、あの子には彼氏がおるって治から聞いとった。
せやから安心しとったのにどないなってんねん。
私に向けられる痛いくらいの視線。
それは明らかに好意的なもんやない。
いちいち相手にせんかったらええとか、そんな問題でもない。
私も人間やから傷つくし 腹立つ。
側から見たら余裕ありそうに見えるかもしれへんけど、そんなもん無いねん。
いっそのことアルバイトは全員男で雇ってほしいくらいや。
まぁそれを治に言うたところで 通用せんのわかってるから言わへんけど。
私も店のことには口出ししたくないし、治は結局自分のやりたいようにしかせん。
今までもこんなことで何回言い合うたかわからへん。
私が嫉妬深いのと付き合いが長い分、数えきれへんほどあった。
慣れとるといえば慣れとるけど、
もうしんどいと思った。
「別れたい」と言い出したんは私の方やった。
治は納得してなさそうやったけど、
最終的に「友達でおる」っちゅうことで落ち着いた。
そろそろ結婚だって考えてほしいし、
もう女関係のことで嫉妬に狂ったり落ち込んだりしたくないねん。
それってわがままなんやろうか?
私は治以外の男なんか知らん。
寂しさを埋める方法もわからへん。
他の男と遊んだりしたらなんか変わるんやろうか?
でも変わってしまうのもそれはそれで怖いねん。
私は 友達でおるのをええことに、ダラダラと治に会う関係を続けていた。
治と会う約束をしてた日のこと。
この日は飲み会があるとは言うとったけど、思った以上にうちに来るんが遅かった。
「遅かったなぁ」
「すまん バイトの子ひとり潰れてもうてな。家まで送っとったら遅なったわ」
「そうなん。大丈夫やった?」
「おん」
いつもより濃いお酒の匂いに混じる、誰かの香水の匂い。
治は 香水なんかつけへん。
どうせ酔うたバイトの子が治にしがみついたりしたんやろう。
こういうんは今日が初めてやないから 慣れとる。
治がシャワー浴びとる間に、服を全部洗濯機へぶち込んだった。
腹立つわ
例のバイト女の顔が浮かぶ。
あの子のこと、愛想もええし嫌がらんと土日祝も働いてくれるからありがたいて治は言うとったけど、
たぶんそれだけやない。
あの子を初めて見た時 あかんと思った。
絶対 治の好きなタイプやて。
顔もええし 胸も大きい。
スタイルがよくて明朗活発な雰囲気。
お客さんのウケもめっちゃええらしい。
実際 治は あの子のことをめっちゃ可愛がっとる。
あの子も間違いなく治に惚れとるねん。
私への態度や、治のことを見る眼差しでわかる。
そんなんもわからへんほど私は鈍ないわ。
「あかん めっちゃ眠い」
シャワーを終えて戻ってきた治。
そう言いながら 私にしがみついてきたと思ったら、まもなく肩の辺りからスゥスゥと寝息が聞こえてきた。
付き合うてなくても距離が近いのは相変わらずや 。
治とは付き合いが長い分、慣れた感じになってまうんはしゃあないんかも知れへん。
身体の関係は、まだある。
正確には 最近まであった。
ここ最近は家にくることも減ったし、治はこうやってすぐ眠ってしまう。
仕事が忙して疲れとるとは言うとったけど、それだけやない気がする。
付き合うてへんねんから、セックスする方がおかしいねん。
そんなことはわかっとる。
でも私は治が好きや。
触れたいし、今までみたいに抱いてほしいと思う。
治に期待したりバイトの女にみっともなく嫉妬したり、もう限界やったはずやのに、
それで別れを選んだのに結局、別れとってもしんどいやん。
なんやねんこの気持ち。
どないしたらええねん。
付き合うとる時、治の店が忙しくなるにつれて アルバイトの子も増えた。
今まで誘ってくれてた集まりには呼んでくれへんようになった。
まぁ「店長の彼女」なんか来たら 皆 気を使うやろし、
私も別にその場に居りたいわけとちゃうからええんやけど。
今まであったもんがなくなるんは、ちょっと不安で 寂しかった。
どんどん距離を感じた。
まぁそれも今さらなんやけど
治が完全に寝てしまってからスマホが鳴っとることに気づく。
ディスプレイを見ると あの子からの着信。
結構長いこと鳴り響くスマホ。
薄暗がりの中 それをぼーっと見つめる。
鳴り終えたと思ったら すぐメッセージが入る。
【おさむさん 今日は楽しかったです】
【帰り 酔うてしまってすみませんでした】
【家散らかってましたよね 恥ずかし】
ほら やっぱりあの子やん。
しかも家の中まで入ったん?
しゃあないことかも知れへんけど腹立つわ。
職場の皆で行く言うてたけど、まさか二人やったんとちゃうやろな。
やとしたら治も治やわ。
こんな若い女相手して、何考えてんねん。
っちゅうか 何回も何回もうっさいねん。
今何時やと思ってるんや。
しつこくメッセージ送ってくんな。
次々とそんな文句は出てくるけど、今の私は彼女やないから何か言う筋合いも怒る権利もない。
今すぐ治のこと叩き起こして、
これ何なん?
好きなん?
この子がええん?
今日は二人で行っとったん?
家入ったん?
そんなん聞いてしまいそうになる
そんで全部否定して欲しい。
とにかく心を落ち着かせたい。
今やばいくらい情緒が不安定や。
こんな若い小娘に妬いて…って思われるんは癪やから ようせんけど。
彼女辞めてもしんどいん、なんなん。
どうしようもない。
ださいくらいに余裕無いやん。
繋がったら 安心できるやろうか。
そんな単純な思考が頭を過って、寝とる治にしがみついてキスをした。
「なん…?」
薄ら目を開けた治
「ねぇ、シよ?」
「…せん」
治はチラッとこちらに目線をやってすぐ また目を瞑った。
「なんで?」
なんでせんの?意味 わからん。
「なんでて…、付き合うてへんのにする方がおかしいやろ」
それはごもっともやねんけど、
ほなついこないだまでシてたんは なんで?
セックスもせんのに、元恋人の家になんで泊まりにくるん?
治になんもメリットないやん。
『やっぱりヨリを戻したい』そう言えたらどんなに楽やろうか。
簡単にそんなこと言われへん。
グッと堪えて言葉を飲み込む。
「ほな…泊まりにこんかったらええやん。私が来て言うても私のことなんかほっといたらええやん。付き合うてへんのやし」
心にもない真逆の、こんな可愛くないことを言うてしまう。
やっぱりあの子がええんやろ。
私から気持ちが離れとるから、抱いてもくれへんようになったん?
それやったらもう会いに来てくれんでええし、
いつまでも私の部屋に置いてある荷物も全部持って帰ったらええねん。
私は治を好きやのに弄ばれとる気分やわ。
頭の中でそんなことがぐるぐる回って 気づいたら涙流してた。
何を泣いとんねんって思うけど 止められへん。
それくらい心弱ってる。
「わかった。もう会いに来うへん」
そう言うて部屋を出ていこうとする治。
「え…… 治 …待ってや」
私の言葉も無視して、治は出ていってしまった。
たぶんめっちゃ怒っとる。
ほんまに もう会うてくれへんのやろうか。
何があっても今までも散々拗れてもなんやかんや一緒に居ったから、これが最後やとは到底思われへん。
でも 今回は、ほんまに呆れられとるかもしれへん。
翌日の午後
治の着替えを持って、私はおにぎり宮を訪れた。
その時たまたま治がおらへんで、バイトのあの子だけやった。
一瞬どないしよと思ったけど、昨日の今日やし治がおらへんほうが都合がええ。
「これ渡しといてくれへん?」
そう言って紙袋を手渡す。
女の子はキョトンとした顔を私に向けた。
「治 昨日、家泊まりに来とってな。忘れ物」
あんたと会うとった後に、私と居ったんやで って
言うたりたかったんや思う。
なんもおもしろない。
何も気分よくない。
それやのに無理して笑顔作って、何を言うてんのやろな私は。
なんでこの子にこんなこと言うてんねん。
たぶん私は、この子のことが怖いんや。
「治 思わせぶりなとこあるやろ?」
「えっ?」
「今までのバイトの女の子な、皆 治のこと好きになって辞めていったねん」
「そう…なんですか」
驚いた表情するけど 自分も心当たりあるやろ。
「だから ひかりちゃんは辞めんといてなぁ」
笑顔で 嫌なこと言うてる自覚ある。
どんどん自分のこと嫌いになっていく。
こんな若い子相手に牽制みたいな真似して、圧力かけて。
なにやってるんやろ 私。
こんなんやから結婚できへんのやろか。
会社で陰口言われてたんを思い出す。
『佐藤さん綺麗やのに、性格最悪らしいで』
『〇〇部長に気に入られとるん、媚びすぎやんなぁ』
『長いこと付き合うとる男はおるみたいやけど、結婚してくれへんのやろ』
『きついから嫁にはしたくないタイプやしな』
あんな陰口に負けへんって思っとったし 何言われても真に受けへんようにしとったのに、
なんで今頃 思い出して泣けてくるんやろ。
誰かにきついこと言うた覚えなんかない。
上司に気に入られて、その上司のことを好きな女の先輩と揉めたことはある。
その時に巻き込まれて迷惑やて、きつく言うてトラブったことは確かにある。
あの時の話に、尾ひれついて噂になったんやろうか。
あることないこと言われるんは嫌やったけど、ずっと黙っとった。
わかってくれる人がおったらそれでええと思っとったから、
それが強くおれる理由やった。
それから何回か治に連絡をしたけど、返事がくることはなくなった。
ついに 会うてくれへんようになった。
もう友達ですら おられへんようになってしもた。
ほんまにもう終わりなんかなって思ったら悲しくてつらくて、
これから私どないしたらええんやろって悲観的になって、
それでもやってくる毎日を必死になんとか過ごしていた。
そんなある日
仕事の帰りにたまたま侑と会うた。
こんなとこで会うっちゅうことは治の店でも行くんやろうか。
今までもこういうことは何回かあった。
声を掛けられたから、こないだ観に行った試合の話をちょっとだけした。
「今から治とこ行くんやけど ひかりも行く?」
「いかんやろ」
「なんで?」
「なんでて… もう別れてるんやから、なんでもないやん」
「まだ会うとるんやろ?仲良うオトモダチしとるんちゃうん」
揶揄うようにそう言うた侑。
今そのノリに付き合う余裕は持ち合わせてへん。
「もう、お友達でもなくなってしもた」
なんとかそんな言葉を絞り出すと じわっと涙が溢れてきた。
「えっ、ちょぉ待て。ここで泣くなや。勘違いされるやん」
ごめん と小さく呟いて、誰にも気づかれへんように下を向いて顔を隠した。
「飯まだやろ? 侑くんが話聞いたるから元気出し」
「ええて。もう帰るし」
「あかん。付き合えや」
半ば無理やり連れられて とりあえず近くのお店に入ったけど、なんや変な感じやった。
侑とサシで飲むんは記憶にない。
いつもは治やったり侑の彼女やったり、誰か一緒におるから。
もうええわ、思いっきり飲んだろ。
せっかく話聞いてくれる言うとるし、遠慮なくバイト女の話もしたるわ。
あかん、思い出したらまた腹立ってきた。
侑と食事をしながら、こないだあったことを話す。
「あのバイトちゃん可愛いもんなぁ」
呑気にそんなことを言う侑をキッと睨みつけてやると、冗談や言うて笑っとる。
「あの子は気ありそうやけど、治は店で働いとる子に手ぇ出すことないやろ」
侑の言うように、それもわかってる。
今までもずっとそうやったもん。
でも なんでかわからへんけど、不安が拭えへんねん。
「っちゅうかまだ好きなんやろ?さっさと戻れや」
「そない簡単に言わんといてよ。治はもうあの子のこと好きかもしれんし」
「なんでそない思うん?」
『抱いてくれへんようになったから』なんて、さすがに兄弟には言われへんわ。
喉元まで出かかった言葉を 咄嗟に飲み込んだ。
むしゃくしゃしてたんやろう。
いつも以上に飲んで、思いのほか酔っ払ってしまった。
「侑〜、もう一軒いこや。なぁ?」
「行 か へ ん! ちょぉ お前酔いすぎやて」
「全然いける。まだ飲める」
「あかんて。家まで送るからもう帰れ。なんかあったらめんどいし」
「めんどいってなんやの〜…言い方ひど」
そんな言い合いをしながらも、懐かしい高校時代の話に花を咲かせ、私の家までの道のりを賑やかに帰っていた。
すると、
「ちょぉ待って。コンビニ寄りたい」
急にそう言うたと思ったら私の腕を引っ張って、来た道を戻ろうとする侑。
「えっ 急に何?こっちにもコンビニあるから戻らんでも大丈夫や…で……」
私から見えへんよう必死に遮ろうとする侑の身体越しに、見覚えのある二人の姿がある。
間違いない。
治とバイトの女や。
「なんで」
私は足を止めて、その場に固まってしまった。
溢れ出た一言は本音。
なんで?
なんで二人、こんな遅い時間に一緒におるん。
「あれ?侑さんとちゃいます?ひかりさんと…」
バイト女のそんな声がしたと思ったら、その隣に居った治もこっちに気づいたようやった。
「サム、お前なんしとんねん」
怒りを含んだような侑の声がした。
私はまだ動けずにいた。
侑はとんでもなく動揺しとる私の様子に気づいてるんやろう。
私のことを自分の後ろに隠すようにした。
気のせいやないと思う。そのさりげない優しさに、胸が余計に苦しくなった。
じわっと目に涙が溜まっていく。
「なんしとるて、今帰りや。お前がなんしとんねん。なんでひかりとおるねん」
ほんまに最悪や。
男女が二人で帰るって、それは何?
普通のことなん?
治って私の知らんところでずっとこんなことしとったんやろか?
「俺らはたまたま会うただけや。いくで、ひかり」
「どこ行くねん」
「送って行くだけじゃ、あほんだら」
治と喧嘩しとるわけやないのに、乱暴な言葉を使う侑は 久しぶりに見た気がする。
今にも泣き出してしまいそうな私、
あの二人から見えんように侑はずっと前に立ってくれとった。
そして強引に腕を掴んで、私のことを引っ張るようにした。
行くはずやった道と 違う方向へ早足で突き進んでいく。
「なんでなん。なんであの子と帰るん。もしかして …もう 付き合うてたりして」
「絶対ない、それはない」
「あれ見て まだそう思う?」
侑は眉間に皺を寄せて 溜め息を一つ零した。
「ない…はずや 。たぶん時間遅なったから…送っとるだけとちゃう?」
そうやとしても、それもあかんの。
相手が自分に気あるんわかってるんとちゃうの?
そんなことするから 女は皆勘違いすんねん。
「まぁ落ち着きや」
「ごめんな」
さっきはありがと、そう侑にお礼を告げる。
さりげない気遣いがありがたかった。
たぶん侑が一緒やなかったら、完全に泣いて取り乱して、最悪なことになってたと思う。
さっきの衝撃で完全に酔いも醒めた。
家までの道をゆっくり歩く。
侑も早よ帰りたいやろうけど 私の歩幅に合わせてくれてるんがわかって、少し申し訳なくなる。
家に着く手前で侑のスマホが鳴った。
「治から電話や」
「ほっといたらええやん。侑、うち泊まる?」
「なんでやねん あかんやろ」
「変な意味やなくて、部屋二つあるから大丈夫やで。服も治のやったらあるし」
「そんな問題とちゃうねん。お前ん家泊まったとかバレたらあいつ…」
マンションの前でそんなこと言い合うてたら治が来た。
「ツム!なんでお前がひかりとおんねん」
「せやから たまたまやて。帰りに会うて…」
治は持ってた鍵を侑に投げた。
「ええわ もう。ひかりに聞く。お前は俺ん家でおれ」
「ほんまやて。めんどくさいやっちゃな」
そう呟いた侑はうんざりした表情を浮かべた。
治は怒っとるような。機嫌の悪そうな顔をしとった。
「ちゃう。侑は私の家に来るねん」
「行かんて」
「なんでそんな話になってんねん」
「なってへんて」
否定し続ける侑は 完全に私たちに巻き込まれた形。
「もう会いに来うへん言うたん治やんか。何しに来たん」
「お前がこいつと二人で会うとるからやろ」
いや答えになってへんし。
言うとることめちゃくちゃやねん。
それやったら私も言いたいわ。
「治やって…なんであの子と二人でおるん」
「それは…」
「私 あの子のこと大嫌いやねん」
「…そんな言い方 良うないやろ。あの子はお前のこと気にしとったで。自分は1人で帰るから行ったってくださいて」
は?
アホにすんのも大概にせぇ。
なんであの子のことをかばうねん。
もうええわ、ほんまにもうええ。
頭の中で なんや弾けたような音がして、完全にキレてしもた。
途端にブワッと溢れる涙。
治だけは 何があっても私の味方やと思っとった。
たとえ別れても 会えへんようになっても
私の味方でおってくれるて信じとった。
他人やもん そんなわけない。
もう関係ない女の味方でおる意味なんかない。
理解が追いついた。
そのショックで、気が狂いそうや。
「もうええわ」
「なんやねんその言い方」
散々や。
そんながっかりした顔も見たない。
「もうええやん。 私とは会わんて言うとったやん、それでええやん。ほっといてや」
「ちょぉ待ってや」
「私、もう治のことなんか好きとちゃう」
情緒がズタボロでこんな言葉しか出てこうへん。
もうあかんわ。
友達やなくなってもええ。しゃあない。
掴まれた腕を振り払う
「もう帰って。顔も見たないわ」
最低なこと言い捨てて 逃げるように走った。
家の鍵とかどうやって開けたか覚えてへん。
家着くなり気分悪くなってトイレで吐いて、侑に送ってもうたお礼も言わんと最低やなぁて、
そんなことをぼーっと思って、
その後は 部屋で一人 啜り泣いた。
大人になってから こない泣いたん初めてかもしれへん。
ありえへんくらい目が腫れて、次の日は仕事なんかいけるような状態やなかった。
治の荷物は全部箱に詰めた。
飾ってた写真とか 貰ったアクセサリーとかも全部片付けたけど、
そんなことしても何も変わらへん。
私の気持ちは晴れへんかった。
もうどれだけ悔やんでも戻ることはない。
たぶん 治は あの子と
考えたくなんかないのに、
頭の中は治とあの子のことでいっぱいや。
あれから何回か連絡はあったけど 出れずにいた。
もう 治のことで これ以上落ち込みたくない。
もしかしたら やり直そうとか
そんな話かもしれへんって
まだどっかで期待するけど、もうとっくに別れてるんやから。
ヨリを戻すなら、あんなことになる前にたぶん戻ってる。
もう連絡を寄越すのはやめてほしい。
私は治にもう期待せんの。
治のおらん世界で 頑張って生きていくって 決めた。
そんな決意を固めた頃
思いがけない話が舞い込んできた。
私と治が別れたことを知った母が、どこからかお見合いの話を持ってきた。
「あんた、子供欲しい言うてたやん?ほな 早めに動いた方がええと思うねん」
「でもお見合いって…」
「お父さんとお母さんもお見合いやで。ご縁があればええもんや。せっかくありがたい話くれとるんやから 会うだけでも会いな」
「…」
「気晴らしになるかもしれへんよ」
母にそう言われて、半ば無理やり会うことになった。
お相手は一流企業にお勤めのエリート。写真を見たけど 一般的には男前な方やと思う。
バスケットボールが上手かったらしく、高身長で体格も良さそうや。
こういう条件だけはええ人、たぶん 結婚には申し分ない。わかっとるんやけど 気が乗らへん。
指定された場所は普段は滅多に行かへんようなええホテルやった。
どこのお嬢さんやっちゅうような よそいきの格好に、 貼りつけたような笑顔。
めちゃくちゃ疲れるし たぶん向いてへん。
でもお相手の男性は 写真よりも雰囲気が柔らかくて 話しやすいええ人やった。
バスケットの話をたくさんしてくれるけど 私はそんなに詳しくはない。
ざっくりとしたルールくらいしかわからへん。でも楽しそうに相槌を打つ。
スポーツマンは好きや。
私は治がバレーしとるんも大好きやった。
高校の時は欠かさず応援に行ったなぁ。
こんな時でも 思い出してしまうくらい、まだ治が好き。
目の前の男性は私の仕事や趣味の話もたくさん聞き出そうとして、ちゃんと気を遣って会話をしてくれる。
治とは長い付き合いやったし お互いのことはそれなりにわかってるつもりやった。
だから こんな会話を新鮮に感じる。
「子どもは好きですか?僕めっちゃ好きなんですよ」
優しそうに笑う男性。
私も子供は好きや。
早よ欲しなぁと思ってたのに こんな歳になってしもたなぁ。
「私も好きです」
素直にそう答えた。
「将来、何人欲しいとかありますか?」
「二人…は欲しいですね。できたら男の子と女の子一人ずつ」
言うてから 気付く。
私が欲しいんは治との子やねん。
別に それが一人でもええし、性別がどっちでもかまへん。
惨めやわ。
別れた男のこといつまでも考えて
「ひかりさん ちょっと疲れました?」
様子を伺うように そう声をかけてくれた男の人。
私が疲れてるように見えたんやろう。ほんまに気遣いのできる人やなぁと感じる。
「緊張しましたよね」
そう言って椅子に座るよう促してくれた。
優しいなぁ。誠実そうで 真面目そう。
こういう人と一緒になったら幸せになれるんやろうなぁ。
「ひかりさんがよければ、結婚を前提にお付き合いしていただけませんか?」
話の最後の方は、真剣な顔つきでそう言われて
「あ、…りがとうございます」
辿々しさの残るお礼をなんとか伝えた。
この人に何も文句なんかない。
よろしくお願いしますって 言うた方がええんわかってる。
だって 私 結婚したかったんやし。
せやのに 答えさ出されへんの。
その理由もはっきりわかってるけど 認めたくはない。
「前向きに考えるので、少し時間をください」
それだけ伝えた。
それから お相手の男性とホテルのロビーを歩いていたら、
「ひかり?なんしとん」
そんな声が聞こえて、振り返ると侑がおった。
腐れ縁大概にせぇよ。
口から出かけた言葉を止めて ニコッと微笑む。
「侑くん奇遇やねぇ。こんなとこで何してるん?」
「侑くんて… キショ。俺は仕事の撮影やねん」
侑は私の隣におる お見合い相手に視線を向けた。
「ちょっとすみません」
私は男性に一声掛けて 少し距離を取った。
「お見合い中やねん」
わざわざ小声で伝えとるのに、
「お見合いぃ!?」
バカでかい声でそう返事するもんやから
周りの人に一気にこっち見られて、ほんまにこいつは…期待を裏切らへんな と思う。
「見合いて…お前…嘘やろ?」
「ほんまや」
「あいつ…治、知っとるん?」
「知っとるわけないやん」
侑は目を細めて、ちょっと離れたところにおるお見合い相手のほうを再び見た。
「…俺には劣るけど、なかなかの男前やな」
「なんやの その自信。ほな私忙しいから行くわ。仕事頑張ってな」
「あ、おい!ちょぉ待て」
そんな侑の言葉を無視して お相手の男性の元に戻った。
「さっきの人って、バレーの宮選手ですよね?知り合い?」
「あぁ そうです。ただの同級生なんですけどね」
あははと笑って すぐ違う話題に切り替えた。
その後はわりとすぐに解散した。
帰宅してからも そのお相手の男性は連絡をくれて、 私は治を想う気持ちを隠しながら ゆるゆるとやりとりをしていた。
めっちゃ穏やかでええ人やった。
でも 好きになれそうにない。
ほんのちょっとだけ 気持ちが紛れる それだけ。
別れても 会わへんようになっても やっぱり私は治のことが忘れられへん。
この人と付き合うたら 忘れることができるんやろうか。
わからへんなぁ。
お見合いをした翌日
治からの着信があった。
今までと変わらず それを無視しとったら、数日後に一通のメッセージが届く。
【合鍵、返して欲しいんやけど】
それを見て 何も思わへんわけない。
返さなあかんのはわかっとったけど タイミング逃してたんもあるし、
また気持ちの整理ついたら 侑にでも渡したらええかとか勝手に思っとった。
なんで?
今までそんなん言わへんかったやん。
このタイミング たぶん侑からお見合いのこと聞いたんやろな。
それか あの子と進展あったとか、なんか言われたとか。
「わかった お店に持ってったらええ?」
「俺が取りに行くわ」
そんなやりとりをして、その日の夜 会うことになった。
仕事を終えた治から連絡があって、
来るんを待ってる途中、治の荷物を詰めた段ボール箱にちらりと目をやる。
どないしよ これ。
車で来とるんやったら 持って帰ってもらおか。
そんなことを考えてたらインターホンが鳴った。
どうせ治やと思って 確認もせんとドアを開けた。
「確認してから開けなあかんていつも言うとるやん。危ないやろ」
「あぁ ごめん」
そういえば付き合うとる時、口うるさく言われとったな…なんて思い出す。
ガチャ
そんな音がして 治が内側から施錠した音やとわかって、
なんで?って一瞬思った。
久しぶりに会う治。
近い距離に緊張する。
大好きやったな。
もうでも ほんまにお別れや。
「これ、ずっと渡しそびれててごめん」
用意しとった合鍵を差し出す。
2人で買ったお揃いのキーホルダーは外した。
それはなんとなく、持っておきたかったから。
治は眉を顰めて私を見下ろす。
「いらんねんこんなもん」
「えっ?」
「会う口実や」
合鍵を持ってたほうの腕を掴まれる。
私と会う口実ってこと?
わけがわからなさすぎて呆然としてしもた。
「あの子は…?」
咄嗟に出た言葉がこれやった。
「あの子がなんでそない気になるねん」
それは私にもわからへんの。
治もあの子のこと気に入っとったと思うし、私と違って若くて 素直そうで
それが少し 羨ましかったんかもしれへん,
「なんであの日 あの子と二人で一緒におったん」
「あの日はたまたま 店が忙しなって残ってくれたねん。 帰り遅ならせてしもたから送っとったんや」
これが嘘やないて信じたいわ。
「それに… 好きや言われたけど ちゃんと断った」
あの子 治に告ったんや。
あの子と付き合うとるわけやないんや。
それがわかって、今めっちゃホッとしてる。
「ひかりのこと忘れられへんでもええて言われたけど そんな問題とちゃうでって。俺は好きやない子とは付き合うたりせん。それに…店で働いてくれとる子のこと そんな目で見たことない」
そんな風に言ってくる治 と一瞬目が合うたけど
気まずくなってすぐに逸らした。
治は、そんな私の顔を 思いきり自分の方に向けた。
「俺が好きなんはひかりや」
こんな近い距離で そんなん言われて 普通で居れるわけない。
私の顔に触れとる治の手を払った。
「嘘やろ もうやめてよ」
「嘘とちゃうわ」
いつもより少し大きめの声に驚く。
「だって…私とはエッチもせんって拒んだやん。もうその気ないってことやろ」
「あん時は…このままやったらあかんと思とってん。曖昧やなくて はっきりさせなあかんて…セフレにされたら敵わんしなぁ」
「私がそんなんするわけないやん…」
「俺かて 簡単に心変わりしたりせえへんわ」
それは 私が一番わかってたのに
不安な気持ちばっかり膨らんで もう抑えられへんかった。
「私 あの子のこと大嫌いやねん」
「知っとる」
「治があの子をかばったとき 許せんかった」
「あれはそういう意味とちゃう。あん時俺も、なんでひかりがツムと一緒におんねんって腹立っとったから」
それも今ならわかるんやけど
「ひかりがやっぱり俺がええわって、痺れ切らすん待っとってんけど」
ちょっと意地悪そうな表情を浮かべた治。
その顔 好きや。そんなことを思ってしまう。
もう今までも 何回も思ったけど。
今 素直にならな あかん時や。
「見合い したんやて? どうなったん」
やっぱり侑 言うたんやな。
「黙ってんとなんか言うてや」
そう言って、顔を覗き込むようにする治。
気を抜いたらキスされそうなくらい近い距離。
「…気に入ってくれて 結婚を前提にお付き合いしてくださいって言われた」
「ほーん」
じーっと見つめてくる治に これ以上返す言葉はない。
掴まれとったほうの腕にちょっと力が込められて、思わず見つめ返した。
「ほな俺も言うわ。結婚しよや。絶対幸せにする。飯には困らせへん。うまいもん毎日食わせたる」
…プロポーズ?
「な…んなん治 結婚したいん?」
「そら好きな女とやったらしたいやろ」
「今まで全然 言うてくれへんかったやん」
掴まれとる腕を離そうとするけど びくともせん。
「俺 自営やし、万が一があったらひかりに苦労させるなぁて。もっとしっかりしてひかりの親にも納得してもらわなあかんとか、今まで色々考えとったんやけど …もうええわ。やりたいようにすんねん」
「私は… そんなん気にしたことなかったわ。治以外ないのに、ずっと」
ずっと その言葉を待っとったんやで
「子ども 二人は欲しなぁ」
今までやったら絶対 そんなことも言わへんかったやん。
「できたら 男と…女の子 がええわ」
どっかで聞いたことあるなぁて、思わず笑ってしまう。
「私もや」
大昔に言うたかもしれへん。
それを覚えてくれとったんやろうか。
治も 柔らかな表情を浮かべて笑ってる。
「侑、あいつなんも言うてへんかったん?」
「え?」
「あいつ 案外口固いなぁ」
「なんの話?」
「そろそろええよなって。どんなプロポーズしたろっちゅう話しとってん。そしたら喧嘩になって振られてしもてなぁ。あいつにはそれでめっちゃ笑われたけど」
そうなん
真剣に考えてくれてたん?
そうやとしたら嬉しい。
「なぁ 俺にしとき。さっき言うとった縁談は断るやろ?」
まるで当たり前のように そう言って微笑む。
そんなん答えるまでもなく 決まっとるし、もう治もわかっとるやろう。
でも ここはあえて素直に言うわ。
「大好きや、治」
目が合うて こんな幸せなん知らんなぁて蕩けそうになる。
今 たぶん、ひどくだらしない顔してると思う。
でもええわ。めちゃくちゃ好きな気持ち 隠されへん。
幸せすぎて込み上げてきた涙を拭うように、治の腕に顔を押しつけてみる。
背中をそっと撫でられて 安心感からか、一気に身体の力が抜けていく。
「治のことなんか好きとちゃう。帰れアホ言われた時はもうあかんと思ったけどなぁ」
「そんなん…言うたな、ごめん」
苦笑いを浮かべた。
「次の休み、ひかりの家に挨拶しにいこか」
治は そう言って優しく笑った。
「…よろしくお願いします」
そう伝えると 痛いくらいに強く 抱き締めてくれた。
「絶対幸せにしたるから 俺と一緒に居ってな」
高校から付き合うとったから 10年近く一緒におった。
その関係を終えようとするんは、なかなか勇気のいることやった。
私は この決断を後悔してる。
治のおらん生活に慣れへん。
寂しくて 耐えられへんから連絡もしてまう。
治は 私が会いたいって言うたら会いに来てくれるし、
私のほうからお店に行くことも未だにある。
結局 お互いを縛るもんがなくなっただけで、中身は今までとなんも変わってへん。
別れた理由の一つが『結婚観』の違い。
治の周りは独身ばっかりやからなかなか結婚をイメージできへんのかもしれへんけど、
私はここ最近 年齢的にも周りから『まだ結婚せんの?』って聞かれることがようあった。
そんなん言われて余計なお世話やとは思うけど、正直 子どもはほしい。
結婚適齢期と言われる歳になって、結構焦っとった。
彼氏と付き合って間もない友達が先に結婚していくのを何回見送ったか。
純粋に祝いたい気持ちはだんだん『羨ましい』に変わって、 最近ではその話題すらきついと思う時がある。
高校を卒業して間もない頃は
「結婚したいな」って普通に口に出して言うてたし、
店を構えることが一番の目標やった治も、私とのことも真剣に考えてくれとったんか
「俺、頑張らなあかんなぁ」って。
あの頃はほんまに自然に、そんな話をしとったのに。
今 この年齢でする【結婚の話】は、
リアルすぎてたぶん引かれるやろう。
いつからか、私の方からは何も言えやんようになっとった。
治から何のアクションも無いところを見ると、
たぶん治は恋人のままが心地ええんやと思う。
あとは 治の女関係。
…というか、店のバイトの女の子。
おにぎり宮で働くバイトの女の子は今のところ、百発百中で治のこと好きになって、
それが叶わんとわかったら辞めていく。
中には 治の知らんところで、
私に直接「別れて」と言うてきた子もおるくらい。
それには、若さってすごいな と感心すらする。
若さ故に怖いもんがないんやと思う。
私もそんな頃あったなぁなんて思いながら軽くあしらうけど、ほんまは内心そんなに余裕ない。いつだって、そう。
最近入ってきた大学生アルバイトの子、最初こそニコニコで感じの良かったあの子も変わった。
私と治が関係あるんをどこからか聞いたようで、ある日を境に突然様子がおかしくなって。
それで私も気づいた。
あぁ、この子も治のこと好きになってしもたんやって。
何かの話の流れで、あの子には彼氏がおるって治から聞いとった。
せやから安心しとったのにどないなってんねん。
私に向けられる痛いくらいの視線。
それは明らかに好意的なもんやない。
いちいち相手にせんかったらええとか、そんな問題でもない。
私も人間やから傷つくし 腹立つ。
側から見たら余裕ありそうに見えるかもしれへんけど、そんなもん無いねん。
いっそのことアルバイトは全員男で雇ってほしいくらいや。
まぁそれを治に言うたところで 通用せんのわかってるから言わへんけど。
私も店のことには口出ししたくないし、治は結局自分のやりたいようにしかせん。
今までもこんなことで何回言い合うたかわからへん。
私が嫉妬深いのと付き合いが長い分、数えきれへんほどあった。
慣れとるといえば慣れとるけど、
もうしんどいと思った。
「別れたい」と言い出したんは私の方やった。
治は納得してなさそうやったけど、
最終的に「友達でおる」っちゅうことで落ち着いた。
そろそろ結婚だって考えてほしいし、
もう女関係のことで嫉妬に狂ったり落ち込んだりしたくないねん。
それってわがままなんやろうか?
私は治以外の男なんか知らん。
寂しさを埋める方法もわからへん。
他の男と遊んだりしたらなんか変わるんやろうか?
でも変わってしまうのもそれはそれで怖いねん。
私は 友達でおるのをええことに、ダラダラと治に会う関係を続けていた。
治と会う約束をしてた日のこと。
この日は飲み会があるとは言うとったけど、思った以上にうちに来るんが遅かった。
「遅かったなぁ」
「すまん バイトの子ひとり潰れてもうてな。家まで送っとったら遅なったわ」
「そうなん。大丈夫やった?」
「おん」
いつもより濃いお酒の匂いに混じる、誰かの香水の匂い。
治は 香水なんかつけへん。
どうせ酔うたバイトの子が治にしがみついたりしたんやろう。
こういうんは今日が初めてやないから 慣れとる。
治がシャワー浴びとる間に、服を全部洗濯機へぶち込んだった。
腹立つわ
例のバイト女の顔が浮かぶ。
あの子のこと、愛想もええし嫌がらんと土日祝も働いてくれるからありがたいて治は言うとったけど、
たぶんそれだけやない。
あの子を初めて見た時 あかんと思った。
絶対 治の好きなタイプやて。
顔もええし 胸も大きい。
スタイルがよくて明朗活発な雰囲気。
お客さんのウケもめっちゃええらしい。
実際 治は あの子のことをめっちゃ可愛がっとる。
あの子も間違いなく治に惚れとるねん。
私への態度や、治のことを見る眼差しでわかる。
そんなんもわからへんほど私は鈍ないわ。
「あかん めっちゃ眠い」
シャワーを終えて戻ってきた治。
そう言いながら 私にしがみついてきたと思ったら、まもなく肩の辺りからスゥスゥと寝息が聞こえてきた。
付き合うてなくても距離が近いのは相変わらずや 。
治とは付き合いが長い分、慣れた感じになってまうんはしゃあないんかも知れへん。
身体の関係は、まだある。
正確には 最近まであった。
ここ最近は家にくることも減ったし、治はこうやってすぐ眠ってしまう。
仕事が忙して疲れとるとは言うとったけど、それだけやない気がする。
付き合うてへんねんから、セックスする方がおかしいねん。
そんなことはわかっとる。
でも私は治が好きや。
触れたいし、今までみたいに抱いてほしいと思う。
治に期待したりバイトの女にみっともなく嫉妬したり、もう限界やったはずやのに、
それで別れを選んだのに結局、別れとってもしんどいやん。
なんやねんこの気持ち。
どないしたらええねん。
付き合うとる時、治の店が忙しくなるにつれて アルバイトの子も増えた。
今まで誘ってくれてた集まりには呼んでくれへんようになった。
まぁ「店長の彼女」なんか来たら 皆 気を使うやろし、
私も別にその場に居りたいわけとちゃうからええんやけど。
今まであったもんがなくなるんは、ちょっと不安で 寂しかった。
どんどん距離を感じた。
まぁそれも今さらなんやけど
治が完全に寝てしまってからスマホが鳴っとることに気づく。
ディスプレイを見ると あの子からの着信。
結構長いこと鳴り響くスマホ。
薄暗がりの中 それをぼーっと見つめる。
鳴り終えたと思ったら すぐメッセージが入る。
【おさむさん 今日は楽しかったです】
【帰り 酔うてしまってすみませんでした】
【家散らかってましたよね 恥ずかし】
ほら やっぱりあの子やん。
しかも家の中まで入ったん?
しゃあないことかも知れへんけど腹立つわ。
職場の皆で行く言うてたけど、まさか二人やったんとちゃうやろな。
やとしたら治も治やわ。
こんな若い女相手して、何考えてんねん。
っちゅうか 何回も何回もうっさいねん。
今何時やと思ってるんや。
しつこくメッセージ送ってくんな。
次々とそんな文句は出てくるけど、今の私は彼女やないから何か言う筋合いも怒る権利もない。
今すぐ治のこと叩き起こして、
これ何なん?
好きなん?
この子がええん?
今日は二人で行っとったん?
家入ったん?
そんなん聞いてしまいそうになる
そんで全部否定して欲しい。
とにかく心を落ち着かせたい。
今やばいくらい情緒が不安定や。
こんな若い小娘に妬いて…って思われるんは癪やから ようせんけど。
彼女辞めてもしんどいん、なんなん。
どうしようもない。
ださいくらいに余裕無いやん。
繋がったら 安心できるやろうか。
そんな単純な思考が頭を過って、寝とる治にしがみついてキスをした。
「なん…?」
薄ら目を開けた治
「ねぇ、シよ?」
「…せん」
治はチラッとこちらに目線をやってすぐ また目を瞑った。
「なんで?」
なんでせんの?意味 わからん。
「なんでて…、付き合うてへんのにする方がおかしいやろ」
それはごもっともやねんけど、
ほなついこないだまでシてたんは なんで?
セックスもせんのに、元恋人の家になんで泊まりにくるん?
治になんもメリットないやん。
『やっぱりヨリを戻したい』そう言えたらどんなに楽やろうか。
簡単にそんなこと言われへん。
グッと堪えて言葉を飲み込む。
「ほな…泊まりにこんかったらええやん。私が来て言うても私のことなんかほっといたらええやん。付き合うてへんのやし」
心にもない真逆の、こんな可愛くないことを言うてしまう。
やっぱりあの子がええんやろ。
私から気持ちが離れとるから、抱いてもくれへんようになったん?
それやったらもう会いに来てくれんでええし、
いつまでも私の部屋に置いてある荷物も全部持って帰ったらええねん。
私は治を好きやのに弄ばれとる気分やわ。
頭の中でそんなことがぐるぐる回って 気づいたら涙流してた。
何を泣いとんねんって思うけど 止められへん。
それくらい心弱ってる。
「わかった。もう会いに来うへん」
そう言うて部屋を出ていこうとする治。
「え…… 治 …待ってや」
私の言葉も無視して、治は出ていってしまった。
たぶんめっちゃ怒っとる。
ほんまに もう会うてくれへんのやろうか。
何があっても今までも散々拗れてもなんやかんや一緒に居ったから、これが最後やとは到底思われへん。
でも 今回は、ほんまに呆れられとるかもしれへん。
翌日の午後
治の着替えを持って、私はおにぎり宮を訪れた。
その時たまたま治がおらへんで、バイトのあの子だけやった。
一瞬どないしよと思ったけど、昨日の今日やし治がおらへんほうが都合がええ。
「これ渡しといてくれへん?」
そう言って紙袋を手渡す。
女の子はキョトンとした顔を私に向けた。
「治 昨日、家泊まりに来とってな。忘れ物」
あんたと会うとった後に、私と居ったんやで って
言うたりたかったんや思う。
なんもおもしろない。
何も気分よくない。
それやのに無理して笑顔作って、何を言うてんのやろな私は。
なんでこの子にこんなこと言うてんねん。
たぶん私は、この子のことが怖いんや。
「治 思わせぶりなとこあるやろ?」
「えっ?」
「今までのバイトの女の子な、皆 治のこと好きになって辞めていったねん」
「そう…なんですか」
驚いた表情するけど 自分も心当たりあるやろ。
「だから ひかりちゃんは辞めんといてなぁ」
笑顔で 嫌なこと言うてる自覚ある。
どんどん自分のこと嫌いになっていく。
こんな若い子相手に牽制みたいな真似して、圧力かけて。
なにやってるんやろ 私。
こんなんやから結婚できへんのやろか。
会社で陰口言われてたんを思い出す。
『佐藤さん綺麗やのに、性格最悪らしいで』
『〇〇部長に気に入られとるん、媚びすぎやんなぁ』
『長いこと付き合うとる男はおるみたいやけど、結婚してくれへんのやろ』
『きついから嫁にはしたくないタイプやしな』
あんな陰口に負けへんって思っとったし 何言われても真に受けへんようにしとったのに、
なんで今頃 思い出して泣けてくるんやろ。
誰かにきついこと言うた覚えなんかない。
上司に気に入られて、その上司のことを好きな女の先輩と揉めたことはある。
その時に巻き込まれて迷惑やて、きつく言うてトラブったことは確かにある。
あの時の話に、尾ひれついて噂になったんやろうか。
あることないこと言われるんは嫌やったけど、ずっと黙っとった。
わかってくれる人がおったらそれでええと思っとったから、
それが強くおれる理由やった。
それから何回か治に連絡をしたけど、返事がくることはなくなった。
ついに 会うてくれへんようになった。
もう友達ですら おられへんようになってしもた。
ほんまにもう終わりなんかなって思ったら悲しくてつらくて、
これから私どないしたらええんやろって悲観的になって、
それでもやってくる毎日を必死になんとか過ごしていた。
そんなある日
仕事の帰りにたまたま侑と会うた。
こんなとこで会うっちゅうことは治の店でも行くんやろうか。
今までもこういうことは何回かあった。
声を掛けられたから、こないだ観に行った試合の話をちょっとだけした。
「今から治とこ行くんやけど ひかりも行く?」
「いかんやろ」
「なんで?」
「なんでて… もう別れてるんやから、なんでもないやん」
「まだ会うとるんやろ?仲良うオトモダチしとるんちゃうん」
揶揄うようにそう言うた侑。
今そのノリに付き合う余裕は持ち合わせてへん。
「もう、お友達でもなくなってしもた」
なんとかそんな言葉を絞り出すと じわっと涙が溢れてきた。
「えっ、ちょぉ待て。ここで泣くなや。勘違いされるやん」
ごめん と小さく呟いて、誰にも気づかれへんように下を向いて顔を隠した。
「飯まだやろ? 侑くんが話聞いたるから元気出し」
「ええて。もう帰るし」
「あかん。付き合えや」
半ば無理やり連れられて とりあえず近くのお店に入ったけど、なんや変な感じやった。
侑とサシで飲むんは記憶にない。
いつもは治やったり侑の彼女やったり、誰か一緒におるから。
もうええわ、思いっきり飲んだろ。
せっかく話聞いてくれる言うとるし、遠慮なくバイト女の話もしたるわ。
あかん、思い出したらまた腹立ってきた。
侑と食事をしながら、こないだあったことを話す。
「あのバイトちゃん可愛いもんなぁ」
呑気にそんなことを言う侑をキッと睨みつけてやると、冗談や言うて笑っとる。
「あの子は気ありそうやけど、治は店で働いとる子に手ぇ出すことないやろ」
侑の言うように、それもわかってる。
今までもずっとそうやったもん。
でも なんでかわからへんけど、不安が拭えへんねん。
「っちゅうかまだ好きなんやろ?さっさと戻れや」
「そない簡単に言わんといてよ。治はもうあの子のこと好きかもしれんし」
「なんでそない思うん?」
『抱いてくれへんようになったから』なんて、さすがに兄弟には言われへんわ。
喉元まで出かかった言葉を 咄嗟に飲み込んだ。
むしゃくしゃしてたんやろう。
いつも以上に飲んで、思いのほか酔っ払ってしまった。
「侑〜、もう一軒いこや。なぁ?」
「行 か へ ん! ちょぉ お前酔いすぎやて」
「全然いける。まだ飲める」
「あかんて。家まで送るからもう帰れ。なんかあったらめんどいし」
「めんどいってなんやの〜…言い方ひど」
そんな言い合いをしながらも、懐かしい高校時代の話に花を咲かせ、私の家までの道のりを賑やかに帰っていた。
すると、
「ちょぉ待って。コンビニ寄りたい」
急にそう言うたと思ったら私の腕を引っ張って、来た道を戻ろうとする侑。
「えっ 急に何?こっちにもコンビニあるから戻らんでも大丈夫や…で……」
私から見えへんよう必死に遮ろうとする侑の身体越しに、見覚えのある二人の姿がある。
間違いない。
治とバイトの女や。
「なんで」
私は足を止めて、その場に固まってしまった。
溢れ出た一言は本音。
なんで?
なんで二人、こんな遅い時間に一緒におるん。
「あれ?侑さんとちゃいます?ひかりさんと…」
バイト女のそんな声がしたと思ったら、その隣に居った治もこっちに気づいたようやった。
「サム、お前なんしとんねん」
怒りを含んだような侑の声がした。
私はまだ動けずにいた。
侑はとんでもなく動揺しとる私の様子に気づいてるんやろう。
私のことを自分の後ろに隠すようにした。
気のせいやないと思う。そのさりげない優しさに、胸が余計に苦しくなった。
じわっと目に涙が溜まっていく。
「なんしとるて、今帰りや。お前がなんしとんねん。なんでひかりとおるねん」
ほんまに最悪や。
男女が二人で帰るって、それは何?
普通のことなん?
治って私の知らんところでずっとこんなことしとったんやろか?
「俺らはたまたま会うただけや。いくで、ひかり」
「どこ行くねん」
「送って行くだけじゃ、あほんだら」
治と喧嘩しとるわけやないのに、乱暴な言葉を使う侑は 久しぶりに見た気がする。
今にも泣き出してしまいそうな私、
あの二人から見えんように侑はずっと前に立ってくれとった。
そして強引に腕を掴んで、私のことを引っ張るようにした。
行くはずやった道と 違う方向へ早足で突き進んでいく。
「なんでなん。なんであの子と帰るん。もしかして …もう 付き合うてたりして」
「絶対ない、それはない」
「あれ見て まだそう思う?」
侑は眉間に皺を寄せて 溜め息を一つ零した。
「ない…はずや 。たぶん時間遅なったから…送っとるだけとちゃう?」
そうやとしても、それもあかんの。
相手が自分に気あるんわかってるんとちゃうの?
そんなことするから 女は皆勘違いすんねん。
「まぁ落ち着きや」
「ごめんな」
さっきはありがと、そう侑にお礼を告げる。
さりげない気遣いがありがたかった。
たぶん侑が一緒やなかったら、完全に泣いて取り乱して、最悪なことになってたと思う。
さっきの衝撃で完全に酔いも醒めた。
家までの道をゆっくり歩く。
侑も早よ帰りたいやろうけど 私の歩幅に合わせてくれてるんがわかって、少し申し訳なくなる。
家に着く手前で侑のスマホが鳴った。
「治から電話や」
「ほっといたらええやん。侑、うち泊まる?」
「なんでやねん あかんやろ」
「変な意味やなくて、部屋二つあるから大丈夫やで。服も治のやったらあるし」
「そんな問題とちゃうねん。お前ん家泊まったとかバレたらあいつ…」
マンションの前でそんなこと言い合うてたら治が来た。
「ツム!なんでお前がひかりとおんねん」
「せやから たまたまやて。帰りに会うて…」
治は持ってた鍵を侑に投げた。
「ええわ もう。ひかりに聞く。お前は俺ん家でおれ」
「ほんまやて。めんどくさいやっちゃな」
そう呟いた侑はうんざりした表情を浮かべた。
治は怒っとるような。機嫌の悪そうな顔をしとった。
「ちゃう。侑は私の家に来るねん」
「行かんて」
「なんでそんな話になってんねん」
「なってへんて」
否定し続ける侑は 完全に私たちに巻き込まれた形。
「もう会いに来うへん言うたん治やんか。何しに来たん」
「お前がこいつと二人で会うとるからやろ」
いや答えになってへんし。
言うとることめちゃくちゃやねん。
それやったら私も言いたいわ。
「治やって…なんであの子と二人でおるん」
「それは…」
「私 あの子のこと大嫌いやねん」
「…そんな言い方 良うないやろ。あの子はお前のこと気にしとったで。自分は1人で帰るから行ったってくださいて」
は?
アホにすんのも大概にせぇ。
なんであの子のことをかばうねん。
もうええわ、ほんまにもうええ。
頭の中で なんや弾けたような音がして、完全にキレてしもた。
途端にブワッと溢れる涙。
治だけは 何があっても私の味方やと思っとった。
たとえ別れても 会えへんようになっても
私の味方でおってくれるて信じとった。
他人やもん そんなわけない。
もう関係ない女の味方でおる意味なんかない。
理解が追いついた。
そのショックで、気が狂いそうや。
「もうええわ」
「なんやねんその言い方」
散々や。
そんながっかりした顔も見たない。
「もうええやん。 私とは会わんて言うとったやん、それでええやん。ほっといてや」
「ちょぉ待ってや」
「私、もう治のことなんか好きとちゃう」
情緒がズタボロでこんな言葉しか出てこうへん。
もうあかんわ。
友達やなくなってもええ。しゃあない。
掴まれた腕を振り払う
「もう帰って。顔も見たないわ」
最低なこと言い捨てて 逃げるように走った。
家の鍵とかどうやって開けたか覚えてへん。
家着くなり気分悪くなってトイレで吐いて、侑に送ってもうたお礼も言わんと最低やなぁて、
そんなことをぼーっと思って、
その後は 部屋で一人 啜り泣いた。
大人になってから こない泣いたん初めてかもしれへん。
ありえへんくらい目が腫れて、次の日は仕事なんかいけるような状態やなかった。
治の荷物は全部箱に詰めた。
飾ってた写真とか 貰ったアクセサリーとかも全部片付けたけど、
そんなことしても何も変わらへん。
私の気持ちは晴れへんかった。
もうどれだけ悔やんでも戻ることはない。
たぶん 治は あの子と
考えたくなんかないのに、
頭の中は治とあの子のことでいっぱいや。
あれから何回か連絡はあったけど 出れずにいた。
もう 治のことで これ以上落ち込みたくない。
もしかしたら やり直そうとか
そんな話かもしれへんって
まだどっかで期待するけど、もうとっくに別れてるんやから。
ヨリを戻すなら、あんなことになる前にたぶん戻ってる。
もう連絡を寄越すのはやめてほしい。
私は治にもう期待せんの。
治のおらん世界で 頑張って生きていくって 決めた。
そんな決意を固めた頃
思いがけない話が舞い込んできた。
私と治が別れたことを知った母が、どこからかお見合いの話を持ってきた。
「あんた、子供欲しい言うてたやん?ほな 早めに動いた方がええと思うねん」
「でもお見合いって…」
「お父さんとお母さんもお見合いやで。ご縁があればええもんや。せっかくありがたい話くれとるんやから 会うだけでも会いな」
「…」
「気晴らしになるかもしれへんよ」
母にそう言われて、半ば無理やり会うことになった。
お相手は一流企業にお勤めのエリート。写真を見たけど 一般的には男前な方やと思う。
バスケットボールが上手かったらしく、高身長で体格も良さそうや。
こういう条件だけはええ人、たぶん 結婚には申し分ない。わかっとるんやけど 気が乗らへん。
指定された場所は普段は滅多に行かへんようなええホテルやった。
どこのお嬢さんやっちゅうような よそいきの格好に、 貼りつけたような笑顔。
めちゃくちゃ疲れるし たぶん向いてへん。
でもお相手の男性は 写真よりも雰囲気が柔らかくて 話しやすいええ人やった。
バスケットの話をたくさんしてくれるけど 私はそんなに詳しくはない。
ざっくりとしたルールくらいしかわからへん。でも楽しそうに相槌を打つ。
スポーツマンは好きや。
私は治がバレーしとるんも大好きやった。
高校の時は欠かさず応援に行ったなぁ。
こんな時でも 思い出してしまうくらい、まだ治が好き。
目の前の男性は私の仕事や趣味の話もたくさん聞き出そうとして、ちゃんと気を遣って会話をしてくれる。
治とは長い付き合いやったし お互いのことはそれなりにわかってるつもりやった。
だから こんな会話を新鮮に感じる。
「子どもは好きですか?僕めっちゃ好きなんですよ」
優しそうに笑う男性。
私も子供は好きや。
早よ欲しなぁと思ってたのに こんな歳になってしもたなぁ。
「私も好きです」
素直にそう答えた。
「将来、何人欲しいとかありますか?」
「二人…は欲しいですね。できたら男の子と女の子一人ずつ」
言うてから 気付く。
私が欲しいんは治との子やねん。
別に それが一人でもええし、性別がどっちでもかまへん。
惨めやわ。
別れた男のこといつまでも考えて
「ひかりさん ちょっと疲れました?」
様子を伺うように そう声をかけてくれた男の人。
私が疲れてるように見えたんやろう。ほんまに気遣いのできる人やなぁと感じる。
「緊張しましたよね」
そう言って椅子に座るよう促してくれた。
優しいなぁ。誠実そうで 真面目そう。
こういう人と一緒になったら幸せになれるんやろうなぁ。
「ひかりさんがよければ、結婚を前提にお付き合いしていただけませんか?」
話の最後の方は、真剣な顔つきでそう言われて
「あ、…りがとうございます」
辿々しさの残るお礼をなんとか伝えた。
この人に何も文句なんかない。
よろしくお願いしますって 言うた方がええんわかってる。
だって 私 結婚したかったんやし。
せやのに 答えさ出されへんの。
その理由もはっきりわかってるけど 認めたくはない。
「前向きに考えるので、少し時間をください」
それだけ伝えた。
それから お相手の男性とホテルのロビーを歩いていたら、
「ひかり?なんしとん」
そんな声が聞こえて、振り返ると侑がおった。
腐れ縁大概にせぇよ。
口から出かけた言葉を止めて ニコッと微笑む。
「侑くん奇遇やねぇ。こんなとこで何してるん?」
「侑くんて… キショ。俺は仕事の撮影やねん」
侑は私の隣におる お見合い相手に視線を向けた。
「ちょっとすみません」
私は男性に一声掛けて 少し距離を取った。
「お見合い中やねん」
わざわざ小声で伝えとるのに、
「お見合いぃ!?」
バカでかい声でそう返事するもんやから
周りの人に一気にこっち見られて、ほんまにこいつは…期待を裏切らへんな と思う。
「見合いて…お前…嘘やろ?」
「ほんまや」
「あいつ…治、知っとるん?」
「知っとるわけないやん」
侑は目を細めて、ちょっと離れたところにおるお見合い相手のほうを再び見た。
「…俺には劣るけど、なかなかの男前やな」
「なんやの その自信。ほな私忙しいから行くわ。仕事頑張ってな」
「あ、おい!ちょぉ待て」
そんな侑の言葉を無視して お相手の男性の元に戻った。
「さっきの人って、バレーの宮選手ですよね?知り合い?」
「あぁ そうです。ただの同級生なんですけどね」
あははと笑って すぐ違う話題に切り替えた。
その後はわりとすぐに解散した。
帰宅してからも そのお相手の男性は連絡をくれて、 私は治を想う気持ちを隠しながら ゆるゆるとやりとりをしていた。
めっちゃ穏やかでええ人やった。
でも 好きになれそうにない。
ほんのちょっとだけ 気持ちが紛れる それだけ。
別れても 会わへんようになっても やっぱり私は治のことが忘れられへん。
この人と付き合うたら 忘れることができるんやろうか。
わからへんなぁ。
お見合いをした翌日
治からの着信があった。
今までと変わらず それを無視しとったら、数日後に一通のメッセージが届く。
【合鍵、返して欲しいんやけど】
それを見て 何も思わへんわけない。
返さなあかんのはわかっとったけど タイミング逃してたんもあるし、
また気持ちの整理ついたら 侑にでも渡したらええかとか勝手に思っとった。
なんで?
今までそんなん言わへんかったやん。
このタイミング たぶん侑からお見合いのこと聞いたんやろな。
それか あの子と進展あったとか、なんか言われたとか。
「わかった お店に持ってったらええ?」
「俺が取りに行くわ」
そんなやりとりをして、その日の夜 会うことになった。
仕事を終えた治から連絡があって、
来るんを待ってる途中、治の荷物を詰めた段ボール箱にちらりと目をやる。
どないしよ これ。
車で来とるんやったら 持って帰ってもらおか。
そんなことを考えてたらインターホンが鳴った。
どうせ治やと思って 確認もせんとドアを開けた。
「確認してから開けなあかんていつも言うとるやん。危ないやろ」
「あぁ ごめん」
そういえば付き合うとる時、口うるさく言われとったな…なんて思い出す。
ガチャ
そんな音がして 治が内側から施錠した音やとわかって、
なんで?って一瞬思った。
久しぶりに会う治。
近い距離に緊張する。
大好きやったな。
もうでも ほんまにお別れや。
「これ、ずっと渡しそびれててごめん」
用意しとった合鍵を差し出す。
2人で買ったお揃いのキーホルダーは外した。
それはなんとなく、持っておきたかったから。
治は眉を顰めて私を見下ろす。
「いらんねんこんなもん」
「えっ?」
「会う口実や」
合鍵を持ってたほうの腕を掴まれる。
私と会う口実ってこと?
わけがわからなさすぎて呆然としてしもた。
「あの子は…?」
咄嗟に出た言葉がこれやった。
「あの子がなんでそない気になるねん」
それは私にもわからへんの。
治もあの子のこと気に入っとったと思うし、私と違って若くて 素直そうで
それが少し 羨ましかったんかもしれへん,
「なんであの日 あの子と二人で一緒におったん」
「あの日はたまたま 店が忙しなって残ってくれたねん。 帰り遅ならせてしもたから送っとったんや」
これが嘘やないて信じたいわ。
「それに… 好きや言われたけど ちゃんと断った」
あの子 治に告ったんや。
あの子と付き合うとるわけやないんや。
それがわかって、今めっちゃホッとしてる。
「ひかりのこと忘れられへんでもええて言われたけど そんな問題とちゃうでって。俺は好きやない子とは付き合うたりせん。それに…店で働いてくれとる子のこと そんな目で見たことない」
そんな風に言ってくる治 と一瞬目が合うたけど
気まずくなってすぐに逸らした。
治は、そんな私の顔を 思いきり自分の方に向けた。
「俺が好きなんはひかりや」
こんな近い距離で そんなん言われて 普通で居れるわけない。
私の顔に触れとる治の手を払った。
「嘘やろ もうやめてよ」
「嘘とちゃうわ」
いつもより少し大きめの声に驚く。
「だって…私とはエッチもせんって拒んだやん。もうその気ないってことやろ」
「あん時は…このままやったらあかんと思とってん。曖昧やなくて はっきりさせなあかんて…セフレにされたら敵わんしなぁ」
「私がそんなんするわけないやん…」
「俺かて 簡単に心変わりしたりせえへんわ」
それは 私が一番わかってたのに
不安な気持ちばっかり膨らんで もう抑えられへんかった。
「私 あの子のこと大嫌いやねん」
「知っとる」
「治があの子をかばったとき 許せんかった」
「あれはそういう意味とちゃう。あん時俺も、なんでひかりがツムと一緒におんねんって腹立っとったから」
それも今ならわかるんやけど
「ひかりがやっぱり俺がええわって、痺れ切らすん待っとってんけど」
ちょっと意地悪そうな表情を浮かべた治。
その顔 好きや。そんなことを思ってしまう。
もう今までも 何回も思ったけど。
今 素直にならな あかん時や。
「見合い したんやて? どうなったん」
やっぱり侑 言うたんやな。
「黙ってんとなんか言うてや」
そう言って、顔を覗き込むようにする治。
気を抜いたらキスされそうなくらい近い距離。
「…気に入ってくれて 結婚を前提にお付き合いしてくださいって言われた」
「ほーん」
じーっと見つめてくる治に これ以上返す言葉はない。
掴まれとったほうの腕にちょっと力が込められて、思わず見つめ返した。
「ほな俺も言うわ。結婚しよや。絶対幸せにする。飯には困らせへん。うまいもん毎日食わせたる」
…プロポーズ?
「な…んなん治 結婚したいん?」
「そら好きな女とやったらしたいやろ」
「今まで全然 言うてくれへんかったやん」
掴まれとる腕を離そうとするけど びくともせん。
「俺 自営やし、万が一があったらひかりに苦労させるなぁて。もっとしっかりしてひかりの親にも納得してもらわなあかんとか、今まで色々考えとったんやけど …もうええわ。やりたいようにすんねん」
「私は… そんなん気にしたことなかったわ。治以外ないのに、ずっと」
ずっと その言葉を待っとったんやで
「子ども 二人は欲しなぁ」
今までやったら絶対 そんなことも言わへんかったやん。
「できたら 男と…女の子 がええわ」
どっかで聞いたことあるなぁて、思わず笑ってしまう。
「私もや」
大昔に言うたかもしれへん。
それを覚えてくれとったんやろうか。
治も 柔らかな表情を浮かべて笑ってる。
「侑、あいつなんも言うてへんかったん?」
「え?」
「あいつ 案外口固いなぁ」
「なんの話?」
「そろそろええよなって。どんなプロポーズしたろっちゅう話しとってん。そしたら喧嘩になって振られてしもてなぁ。あいつにはそれでめっちゃ笑われたけど」
そうなん
真剣に考えてくれてたん?
そうやとしたら嬉しい。
「なぁ 俺にしとき。さっき言うとった縁談は断るやろ?」
まるで当たり前のように そう言って微笑む。
そんなん答えるまでもなく 決まっとるし、もう治もわかっとるやろう。
でも ここはあえて素直に言うわ。
「大好きや、治」
目が合うて こんな幸せなん知らんなぁて蕩けそうになる。
今 たぶん、ひどくだらしない顔してると思う。
でもええわ。めちゃくちゃ好きな気持ち 隠されへん。
幸せすぎて込み上げてきた涙を拭うように、治の腕に顔を押しつけてみる。
背中をそっと撫でられて 安心感からか、一気に身体の力が抜けていく。
「治のことなんか好きとちゃう。帰れアホ言われた時はもうあかんと思ったけどなぁ」
「そんなん…言うたな、ごめん」
苦笑いを浮かべた。
「次の休み、ひかりの家に挨拶しにいこか」
治は そう言って優しく笑った。
「…よろしくお願いします」
そう伝えると 痛いくらいに強く 抱き締めてくれた。
「絶対幸せにしたるから 俺と一緒に居ってな」
1/1ページ