凪潔SS
「なあ、凪っていつもなんのゲームしてんの?」
朝、いつも通りにスマホゲームのデイリーをこなしてると、二段ベッドの柵を覗き込んだ潔が話しかけてきた。
「ん~……TPSわかる?」
「T、……?」
潔ってゲームとかやんないのかな。やらなそうかも。
「ちょっとやってみる?」
ベッドに座って手招きすると、潔は少し迷ってから二段ベッドの階段を上がってきた。
俺の隣に腰を下ろした潔に、ゲーム続行中のスマホ画面を見せながら軽く操作の説明する。
「ここで移動して、これが射撃ボタン。はい、やってみて」
ゲームのキャラを一旦建物の中に入れてから潔にスマホを渡した。
「え、うぁ、ちょっと、凪っ」
俺のスマホの画面を、潔の骨ばった親指が撫でる。潔の短く整えられた桜色の爪を、きれいな形だと思った。
いさぎが出鱈目な操作をして、ぐるぐる室内を駆けまわったキャラが壁に向かって発砲しはじめた。
「なにやってんだ、潔」
「なにって、わかんね……っ、あ、どっかで射撃音するっ、敵いる! 敵! いまチラッと見えた!」
焦った潔の手によって、今度は壁に突進し続けたキャラは、後ろから敵の銃弾を浴びてあっけなく死んだ。
「潔、よっわ」
「う、うるせぇ……はじめてだから、しょーがないじゃん。凪の説明下手だし」
「じゃあ、もっかい丁寧に説明するし」
潔と壁の間に身体をねじこんで、潔の背後からスマホを持つ潔の手に触れる。
潔の肩がぴくんと跳ねた。
「うぉ、凪の手でっか」
潔の手がスマホから離れる。
「そ?」
右手をスマホから離して、潔の前に手のひらを差し出すと、潔は何を思ったか自分の手のひらを重ねてきた。
「うん、でけえ。見ろよ、関節ひとつくらい……それはいいすぎか。でも、結構ちがう。やっぱ身長あると、手もでかいんだな」
屈託なく笑う潔の横顔に、心臓がえげつないほど跳ね上がる。
思わず手を握りしめそうになって、堪えた。
だって、そんなことをしたら、潔はびっくりする。そんで、俺もきっと止まれなくなる。衝動のまま、潔のことを抱き込んで、この細い首に唇を寄せて……ってとこまで考えて、頭の中で素数を数えはじめた。
2,3,5,7,11……。失敗だ。
たった一瞬で、数字だけで、思考を目の前のストライカーに塗り替えられる。
一次選考でナンバー11を背負ったやつらは他にもいた。俺だって、11番だった。
それでも俺の中で、11っていう数字は潔世一のものだった。
潔に興味を持ってもらえて嬉しかった。近づいて嫌がられなくてほっとした。潔に触れられて、笑いかけられて、心臓が激しく脈打った。
そんなに鈍くないから、自分の感情についた名前を察してしまう。
マジで最悪。こんなめんどくさい感情に、気付きたくなかった。
「……ってか、腹減ったから、早く朝飯食べいこーぜ」
俺の手からするりと離れて行った潔が、二段ベッドからおりていく。
潔の温もりが残った手をぎゅっと握って、スマホの画面を消した。
今の潔に、恋なんて必要ないから。
〇 ゜
友だち以上、恋人未満。正直にいうと、きっと知り合いニアリーイコール元チームメイト。
青い監獄から出所した俺と潔の関係は、ひどく曖昧で薄っぺらいものだった。
潔世一というイキモノは、近づいたと思ったら、すぐに離れて行く。潔は自分を慕う全員に均等に優しくて、無関心だ。
報われないのに、ずっと潔のことが好きだった。
離れようとすると潔の方から近づいてきて、話しかけてくる。
そんな些細な事でまた潔のことが好きになって、諦めることを止めてしまう。
今もそうだ。
高校を卒業してしばらくしたらドイツに行ってしまう潔から「その前に一緒に遊びたいんだけど」と言われて断れるやつがいたら、その忍耐力を俺に分けてほしい。
どうせ行ったら、他にも潔に呼び出されたやつらが数人いて、二人っきりじゃなかったことにがっかりするとわかっていて、のこのこ呼び出されてしまう自分が滑稽だった。
ツンとした空気が頬を刺す。空を見上げると、青空に筋状の雲がいくつも浮かんでいた。
潔に待ち合わせ場所に指定された駅につく。そこは埼玉からもアクセスしやすい駅で、バラエティ番組とかで埼玉の首都だとか呼ばれているところだ。
待ち合わせ時間は十分前。潔からは二十分前に「どうせ遅刻だろ。駅前のバーガーショップにいる」って連絡が来ていた。
指定された店に着き、きょろりと店内を見渡す。
どうせ一番うるさい席だから着けばすぐわかると思ったのに、見慣れた集団が見当たらない。ただ壁側のソファ席には、視線が吸い寄せられた。壁に描かれた「9」という数字の下に、黒いキャップを被りカーキのマウンテンコートを着た男が一人で座っていた。
俺の視線に気づいたそいつは、テーブルの上のドリンクカップを手に持つと、まっすぐこっちに向かって歩いてくる。
「思ったより早かったじゃん」
冬の空より青い瞳が、悪戯っぽく弧を描いて俺を見上げた。
「潔……一人?」
「うん。凪と一緒に遊びたいって言ったよな?」
「言ったけど……みんなでって意味じゃなかったんだ」
潔は、ダストボックスにカップを捨てて、「今日は凪と二人で」と口にした。
浮き上がった心が、膝辺りまで落ちる。
『今日は』ってことは、他の日は他のやつと二人で遊ぶの?
聞きたいけど、肯定されたくないから聞きたくない。
今日の潔を独り占めできる権利だけをありがたく享受することにする。
「とりあえず、ゲーセンいく? あと親が職場で水族館のチケットもらって、それくれたから、凪が良かったら午後入場予約していい?」
なんだそれ、デートみたいじゃん。
浮かれるけど、潔にそんな感情は一ミリもないにちがいない。俺が断ったら、絶対他の日にべつのやつに同じ提案をする。
そんなデートみたいな場所に他のやつといかれてたまるか。
頷くと、潔がスマホから水族館の予約サイトを開いた。
「あ、……やっぱ土曜は結構混んでるな。凪、夕方でもいい? 16時半からならいけそう」
「うん、だいじょーぶ」
「よかった」
潔は躊躇なく16時半の入館予約をする。
「こんな時間の水族館ってはじめてだから、ちょっとわくわくする」
潔が唇を綻ばせた。かわいい。
こいつのこと好きにならないやついんのかな。
じっと横顔を見ていると、潔がこっちを向いて照れくさそうに頬を掻いた。
「……ってか、こういうのデートっぽいよな」
「へえ……潔にもそういう発想あるんだ」
驚きすぎて正直に伝えすぎたのがいけなかったのか、潔がむっと唇を結んだ。
「それくらい考えるよ。凪はわかんねーだろうけど」
「え、わかるし」
俺だって潔のことをデートに誘おうと考えたことはある。シミュレーションで100失敗するけど。想像の潔はシビアだ。「ごめん、サッカーの練習したいから時間ない」「すまん、その日は約束がある」「そんなくだらないこと考えてるから、お前は俺に勝てねーんだよ」時々解釈違いの潔もいるけど、百通りのごめんなさいを食らう。
「なぎ、なあ、見て、これお前に似てる」
ゲーセンにつくと、白いうさぎのぬいぐるみがひしめき合うクレーンゲーム機を指さして潔が立ち止まった。
「え~……もっとかっこいい動物にたとえてほしい」
「いいじゃん。うさぎ、かわいくて」
潔はタッチ決済のパネルを操作して五百円分支払い、操作ボタンに手を置いた。
「やるの、それ」
「うん。とれたら凪にあげる」
そんな大口をたたいておいて、潔は一回目も二回目も狙ってんのかっていうほどきれいにアームをシールドの手前に下ろした。
「なにやってんの、潔」
「いやだって、手前に引っ掛かってるやつ触れば落ちそうじゃん……凪ヘルプ」
早々にギブアップした潔の後ろに立って、潔の指が置かれたままのボタンに指を置く。
「あ」
視線を下げた潔が、声をあげた。
「なに?」
「……や、相変わらず、凪の手でかって思って」
潔の手が、俺の手のひらの下でじっとしている。
ボタンから指を放し損ねてアームが一番端まで行ってしまった。何喰わない顔をして、その位置から動きそうなうさぎを狙って、次のボタンを押した。
キーチェーンの部分がアームに引っ掛かってウサギが吊り上がる。
「おー、すげえ」
潔が感心して手を叩いた。
二回分を残して、一匹のうさぎが取り出し口に落ち、クレーンゲームが「おめでとー!」と声をあげた。
「あと二回分どうする? スタッフ呼んで、違う台に移動もできるけど」
屈んでうさぎを取り出して、潔のコートの大きめな胸ポケットに突っ込んだ。
潔は顎に手を当て、ぶつぶつ考え込んでいる。
「そっか、アーム下ろす時に、少しずれるんだな……ってことは、この位置じゃなくて、もう少し後ろに下げて、アームを右寄りにすれば……」
潔が自分でボタンを押して、最初に狙っていたウサギの頭にアームを押し込んで、前のめりにさせた。
さすが適応能力の天才。理解するとものにするのが早い。
最後の一回で潔は、ウサギの後ろ脚にアームをひっかけて、取り出し口に落とすことに成功した。
「はい、これ凪の」
潔は、コートのポケットから頭を出しているウサギを見て、俺の着ていたダウンには斜めになったポケットしかないことを確認すると、トレーナーの襟にウサギを突っ込んできた。
「お揃いになっちゃったね」
落としてなくす前にウサギを襟から救出して、ダウンのポケットに入れていた家の鍵につけておく。
家に帰ったらチョキの隣に並べよう。
潔は胸ポケットからウサギを出してるのが似合ってたのに、照れくさそうにサコッシュからキーケースを取り出すと、俺の真似をしてウサギをそこにつけ、さっさとサコッシュにしまい直した。
え、今の動き一体何? 潔って意外と友だちとお揃いとか嬉しいタイプ? っていうか、知り合いニアリーイコールじゃなくて、この反応は、ちゃんと俺のこと友だちって思ってんじゃん。
頭の中が理解できないイキモノの行動のせいでぐるぐるする。
潔はクレーンゲームにはもう満足したようで、次はシューティングゲームに興味を示した。車を模した箱に入って、ゾンビを打ちまくるやつだ。
潔はやっぱりシューティングゲームも下手すぎた。
何回やってもこっちは適応しきれないみたいで、ぎゃあぎゃあ騒ぎながら秒で死ぬ。潔に取り残された俺は、一人で何度もゾンビと戦うはめになった。
ゲーセンで小銭がつきるまで遊んだあとは、水族館と隣接している大型商業施設で適当に昼を食べたり、スポーツショップをのぞいたりして時間を潰して、十六時半になった。
屋上に水族館が入っているビルに移動し、チケットカウンターで潔が水族館の無料チケットを二枚出した。
チケット代の代わりに、夕飯奢ろうかなとかぼんやり考えていると、潔がパラパラとリーフレットに目を通しながら歩き出す。
「今の時間、ペンギンごはんの時間で少ないんだって。先に中からまわろっか」
潔は入場口をまっすぐにぬけて、ペンギンのいる屋外ゾーンには出ずに館内に足を向けた。
青い光がぼんやり照らす館内を、潔と一緒にのんびり歩いていく。暗いから見ずらいと言ってキャップを外した潔は時々魚が泳ぐ水槽に目を向けて、楽しそうに青い瞳を輝かせた。
「イセエビいるかな」
「食べたいの? おいしーよね」
「え、見たいって意味だったんだけど……フォルムが好きなんだよね」
潔がショックを受けた顔をしている。てきとーに同意したから失敗した。
見つけたイセエビの展示前で「かっこいいね」と言うと、潔はちょっとだけ笑って「うまそうって思ってんだろ」って俺の胸に肩をぶつけてきた。
イセエビのことをでっかいエビだな……食べるのめんどくさそうとしか思ってなかったけど、潔が好きだっていうから、今までより少しだけかっこよく見えないこともない。
他の展示より長めにイセエビを観察する潔の横顔を眺めて、次の展示に移動する。
ゆらゆら揺蕩うくらげも、変な色をしたカエルも、奇抜な動きをするイカも、大水槽をやる気なさそうに泳ぐエイもサメも、目の前にいる潔の脇役にしかならなかった。
潔は楽しそうに水槽を眺めていたのに、途中からだんだん口数が減っていった。
生返事ばっかしてたから、つまんなかったのかもしんない。
くるりとあたりを見渡して、館内の展示施設がもうすぐ終わることに気づく。
「潔、ショップ見る?」
「……ううん。先に、ペンギン観に行こ。外もう結構暗くなっちゃったし」
ショップにある窓から、薄暗くなった空が見える。
時間はまだ十七時半だけど、冬は日が落ちるのが早いから夕日というよりはもう夜に近く、屋外エリアがライトアップされてるのが見えた。
ショップ前の階段を降り、屋外に出る。
ぴゅうっと冷たい風が吹いて、潔が身体を小さく震わせた。
こんな寒いのに、ぺんぎんが見たいらしい潔は、迷いなく足を進めていく。
空を泳ぐぺんぎん、と謳われている頭上にある水槽の前で足をとめる。
この水族館一人気のエリアのはずなのに、寒すぎるせいか閉館間近のせいか、俺たち以外の人はいなかった。
淡い青い光の中ですいすい泳ぐペンギンたちを見上げて、隣にいる潔に視線を向ける。てっきりぺんぎんに熱視線を送っていると思っていた潔は、じっと俺を見上げていた。
「凪……」
「……どうしたの、潔」
何か言いたそうな潔の視線に、首を傾ける。
潔は少し考えて、とんとんとかかとの上げ下げを二回繰り返し、ため息をついた。
「凪の顔見てたら首痛くなった。むかつくから、しゃがめ」
「えぇ……そんなことある?」
潔の横暴な命令に従って、その場にしゃがむ。
潔はふっと満足そうに笑って、俺の両頬をキンキンに冷えた指先で掴んできた。
「っ、つめた!」
なんの嫌がらせ……?
薄く目を細めた潔の顔が近づいてくるのがスローモーションで見える。
冷たくてカサついて、そしてやわらかい不思議な感触が唇の上に落ちた。
青白く照らされててもわかるほど真っ赤な顔をした潔が、ゆっくり離れて行こうとする。
潔の冷えた指先に、ダウンのポケットで寒気をガードしていた指を絡めて、潔の指を手繰り寄せた。
「ねえ、もっかいちゅーして、潔」
しゃがんだまま潔を見上げる。
「……ウン」
潔は素直に頷いて、また俺に近づいてきた。
「おわっ」
そっと握っていた手を引っ張って、潔の体勢を崩す。
俺の元に倒れ込んできた潔を腕の中に隠して、目線の下にきた唇に、今度は自分からキスをした。
潔が俺の胸倉をつかんで、首筋を伸ばす。
「凪、……めんどくさいかもしんないけど、俺と遠距離恋愛しよう」
腕の中のエゴイストが、蒼い炎をちらつかせて悪魔の誘いをかけてきた。
まだ好きって言われてないな、とか不満に思うこともあるのに、栓をしていた想いが口から溢れてため息交じりに「好き」だと伝えてしまった。
俺って好きな子には抗えないんだ、と他人事のように思う。
潔が俺の知らない俺を、どこからか引っ張りだしてくるんだからしょうがないね。
額を合わせて、目線を合わせて、キスをする。
閉館のアナウンスが俺の背中を蹴っ飛ばした。
「今日、うちに泊まってよ、潔」
俺の想像の潔が100断った誘いに、現実の潔は眉を下げ困ったように照れたように視線をさまよわせて、小さく頷いた。