凪潔SS

 五月末、欧州リーグも最終節を迎え、久しぶりに青い監獄のメンツで集まろう、と声をかけてきたのは潔だった。
 ――そんな時間があるなら俺とデートしてくれればいいのに。
 狭量な恋人の顔をした俺はそう思ってしまう。だけど、早生まれの潔はようやく酒が飲めるようになったばかりで、みんなと飲みに行けるのをシーズン中楽しみにしていたのかもしれないから、恋人の自分は腹の底に押し込めて、友人として、潔主催の飲み会に参加することにした。
 移籍組は六月のシーズンオフ中、日本に帰国するというから日程を合わせ、会場は日本になった。

 潔からメッセージアプリで送られてきた店の場所を確認して、タクシーから降りる。
 潔は焼肉屋だと言っていたけど、六本木駅から少し離れたその店は、日本料亭風の和風な佇まいをしていた。
 着物姿の店員さんに案内され、石畳の狭い通路を歩き和室へと通される。
 膝をついた店員さんが室内に声をかけ、そっと襖をあけると、掘りごたつのテーブルを囲んで並んで座る潔と蜂楽、その正面に千切がいるのが見えた。
「凪、久しぶり!」
 にこっと笑った潔が手をあげると、蜂楽と千切も「よっ」と片手をあげる。
「うぃっす……他のやつらは?」
 ぺこっと会釈して、空席だった潔の斜め前の席に座った。
「国内組はシーズン中だし、練習の邪魔になるから声かけなかった。凪、なに飲む? ここレモンサワーうまいらしい」
「じゃあ、それで」
 潔がスマホを出して、テーブルの端にあったバーコードを読み取り、注文画面を開いた。
「蜂楽と千切も食べたいの決まったらどんどん言って」
「おー……」
「りょーかい。肉食いまくろ~。あ、みんなご飯って頼む派?」
「普段米に飢えてるから、とりあえず白米は食いたい」
「わかる。ほんっと、日本にいるうちにおいしいご飯食べまくっておきたいよな。向こうにいると芋しか食ってねえわ」
 シーズン中はドイツにいる潔が遠い目をした。
 全員の心がひとつになって、潔は肉より先に大盛のご飯を4つ注文する。

「学生の頃、練習終わりとかに友達と焼肉食べにいくことあったんだけどさ、そん時『焼肉屋来て肉以外のもの食べて腹満たすやつばか』とか言うやついたけど、今考えると肉と一緒にご飯食ってなにが悪いんだよって話な」
「あ~……潔、その時「だよね」って同意して、ごはん注文しないで肉だけ食ったでしょ」
 ご飯を食べられなかった高校生の潔が簡単に想像できる。
「わかる?」
 へらりと笑った潔の頭を、千切が手を伸ばしてポンっと叩いた。
「今日はいっぱい食えよ。奢ってやる」
「え? ありがと。でも、今日は凪の奢りだから、みんなでいっぱい食べようぜ」
 潔の人差し指が肉の注文欄の上に乗り、上から順に人数分の数字を打ち込んでいく。
 ……え、なにそれ初耳なんだけど。
 目を丸くすると、千切が腕で俺の肩を突っついた。
「おまえ潔に何したんだよ?」
「わからーん……いや、わかるかも?」
 潔に睨まれて言い直す。わからんけど。
 潔は一人前五千円とかする肉を容赦なくカートにつっこんでいった。
「凪っち、ごちです!」
「ごち! 潔、肉もいいけど、良い酒もガンガン頼もうぜ」
「どれ? とりあえず高いやつから注文する」
「うぇ~……ねえ、すでに合計金額えぐいんだけど」
 潔はちらっと俺を見て笑顔で、注文確定ボタンを押した。
 ……ありゃ。まじで俺、なんかしたかな。



 テーブルの上いっぱいに並べられた生肉の皿を、てきとーに食べたいやつからトングで網の上に並べていく。
 潔は最初「いや並べすぎだろ……肉重なってんじゃん」とか一応仕切ろうとしてたけど、途中であきらめて自分の肉を死守することに専念し始めた。
 一皿に四枚しか並んでない高級な和牛が、大量の肉の油で上がった火柱により、みるみるうちに無残な姿になっていく。
 それでも潔は、比較的焦げの少ないうちに肉を救って「でらうまあ~……」と頬を綻ばせていた。かわいい。
「俺の焦げた肉もあげんね」
「それはいらん」
 潔に突き返された。
 仕方なく端が黒くなった肉を自分の口に運びつつ、三人の話に耳を傾ける。
 話題は、青い監獄でチームZにいた誰かに彼女ができたとかいう話だった。
 興味ないな……。
 氷とレモンが交互に敷き詰められたジョッキを傾けていると、蜂楽が「そういや、潔って全然そういう話でないけど、付き合ってる人とかいないの?」と肉の網から潔に視線を向けた。
 ――いないって言うんだろ?
 そう思って、他人事のような顔をしていたら、潔がなんでもないような顔をして爆弾を落とした。

「あ、言ってなかったっけ? 凪と付き合ってるよ」

 カランとグラスの中で氷が回る。
 蜂楽と千切の視線が、顔に突き刺さった。
「は……、ってかなんでお前が一番驚いた顔してんだよ」
予想外の事態に潔の顔を凝視して固まっていると、千切が何とも言えない顔をして俺の腕を小突く。
「や……潔は秘密にしたいのかと思って……え? 潔、もう酔った?」
「酔ってない。べつに聞かれなかっただけで、隠してるつもりなかったから」
 やっぱり潔は平然とした顔をして、透明な焼酎グラスを呷った。
「凪っちはよく潔のこと見てるな~と思ってたから分かるんだけど、潔も凪っちのこと好きだったんだね……」
「……ウン」
 そこでようやく潔は耳たぶをじんわり赤くして、パッと腕で顔を覆った。
「恥ずかしっ」
「待った、潔。やっぱ酔ってるでしょ? 蜂楽、場所変わって。っていうかもう連れて帰っていーよね?」
「え~、やだ! ねえねえ潔、凪っちのどーゆーとこが好きなの?」
「……俺のことすごく好きでいてくれるとこ、とか」
 顔を隠したまま潔がぼそぼそ喋る。
 力づくで蜂楽と潔の間に割って入ろうと腰を浮かすと、半笑いで肉をひっくり返していた千切が「あ、」と声をあげ、俺にトングを向けた。
「そーいや、おまえ年末にモデルと熱愛スクープされてなかった?」
「されてた」
 俺が答えるより早く潔が答えて、顔を隠していた腕をどけ、むすっとした顔で俺を睨んだ。
「誓って浮気なんてしてないし、そんな覚えない」
 潔に向かって挙手をして、弁明する。
 潔は神妙に頷いて「浮気は疑ってない」と俺の無罪を認めた。
「でも、やきもちは妬く……から、今日は凪の奢り! この話終わり!」
 潔は網の上の焦げかけの肉をみんなの取り皿に素早く移すと、ご飯をかっこんだ。
「もしかして俺たち痴話げんかに巻き込まれた?」
 千切が新しい肉を網の上に並べる。
「ケンカはしてないし、今日は本当おまえらに逢いたかっただけだよ。みんなと飲みたかったから」
 頬を赤くした潔がテーブルの端から肉の乗った皿を引き寄せる。
 俺を好きっていった時より今の方が赤い顔をしてるのがちょっとひっかかるけど。

「は~……もう帰りたい」
 畳に両手をついて、木目の天井を見上げる。
 ――肉より潔が食いたい。
 心の中でそう呟いたつもりだったけど、声に出てたらしくて、正面と横から足を蹴られた。
 潔は林檎みたいに真っ赤な顔で、聞こえないふりをしている。
 そういう可愛いとこはさ、二人の時だけにしてくれないと困るんだけど、潔が。
「ねえ、好き」
 我慢できずに呟く。
 潔はノールックで俺の顔面狙っておしぼりを投げてきた。



 潔のヤキモチの対価、六桁の会計を終えると、禊を済ませた俺に潔はそうっと近づいてきて、「今日、凪のとこいきたい」って甘えてきた。
 可愛いけど、たぶんこいつ顔色変えずに酔うタイプだ。
「俺も凪っちのとこ行っていい?」
「じゃ、俺も」
 千切と蜂楽まで悪乗りしてくる。
「だ……」
「いーよ! みんなで行こ! 夜通しサッカーのはなしする」
 潔以外は断ろうとしたのに、潔は勝手に承諾して二人の腕を掴んでふらふら歩き出した。
 あーあ、絶対これ家についたら爆睡でしょ。
 千切と蜂楽が、生殺し確定の苦い夜が待つ俺を笑っている。
 かくいう俺も、潔に振り回されるの嫌いじゃないから、ちょっとだけ頬が緩んでしまった。


 ……明日は絶対、寝かさないけどね。
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