凪潔SS
♡ ファーストキスは赤い味 ♡
「誰だよ、こんなとこにスポドリ零してそのままにしたやつ……」
トレーニングルームから部屋にもどる途中、廊下の隅に転がったドリンクボトルと零れた半透明の水たまりを見つけた。
そのままにして誰かが足を滑らせても大変だし、片づけをしようときょろりとあたりを見渡す。
しかし、近くに掃除用具が置いてありそうな場所は見当たらなかった。
「潔、なにしてんの?」
後ろから声をかけられ、振り向く。
シャワーを浴びてきたばかりなのか濡れた髪をした凪が、首にフェイスタオルを引っ掻けたままこちらに向かって歩いてきていた。
「凪、足元気をつけろよ。ここ濡れてて滑――っ、」
「うぇっ」
忠告したそばからずるっと足を滑らせた凪が、俺の方に向かって倒れ込んでくる。とっさに両腕を広げて受け止めようとしたけど、凪のデカい身体を支えきれず思いっきり後ろに倒れ込んでしまった。
後頭部をぶつける――そう思ったのに、がつんっとした衝撃は頭ではなく顔面に走った。
ズキズキ痛む唇を押さえる。血の味がじわりと口内に滲んだ。
目の前でぱちぱちと瞬く凪の唇にも赤い血が滲んでいる。
ファーストキスがレモンの味じゃないことくらい知ってる。
憧れのシチュエーションがあったわけじゃないし、むしろ自分がいつかそういうことをするっていうイメージすらなかった。
――でも、だからってこれはない。
口を押えたまま固まっていると、凪は、自分の赤い唇をぺろりと舐めて、「血の味がする」と言った。
そりゃそうだ。むしろ納豆の味でなかったことを喜ぶべきかもしれない。青い監獄にやってきた当初だったらこの時間帯はきっと納豆の味がしていた。動揺しすぎてどうでもいいことばかり考える。っていうか、こんな焦らなくても男同士ならノーカンか。
「災難だったな、お互い」
苦笑いでそう言って、転んだまま俺に被さっていた凪の肩を押す。
凪はむっと眉間に皺をよせ、俺をじっと見下ろした。
「俺はラッキーだったけど。こーゆーのラッキースケベっていうんだっけ」
「ラ……? なにが?」
「好きなやつを押し倒せたうえに、キスできたら、ラッキーでしょ」
「好きなやつ……」
凪の言っていることを反芻する。
サッカーに関することだったら大抵はパッと理解できるのに、凪の言うことを理解するのは時々すごくむずかしい。
凪は顔を傾けた。
「鈍いね、潔。でも、これならわかるだろ」
凪の白銀色の長い前髪が俺の目に入りそうになる。とっさに目をつぶると、唇にふにっという感触があった。しかも、一回じゃなくて、二回も、三回も。
「……ん、」
凪の唇が離れた瞬間、鼻にかかった微かな声が漏れてしまった。
また唇になにかが触れる。今度は、「ふにっ」じゃなくて、「ふにり」だ。
唇に押し付けられた柔らかなものから、ぬるっとした粘液をまとったものが出てきて、俺の下唇を舐め、固く閉ざした唇を割り開こうとする。
「っ、手が早すぎる!」
凪の肩をぎゅっと掴んでいた手を離し、思いっきり顔面を平手で押し返した。
バチンっと良い音がして、凪が呻きながら顔面を押さえる。
その隙に凪の下から這い出ようともがいていると、廊下の角から現れた千切が目を丸くした。
「お前らなにしてんの?」
「わからん……たすけて」
千切に凪の下から引っ張り出してもらって、その場は事なきを得た。
だけど、その後開きなおった凪から「一度も二度も変わんないでしょ」という理由で、ちゅっちゅっちゅっちゅ唇を奪われるようになってしまった。
それを止めるのに、「人前ではやめろ」としか言えない時点で、俺のお気持ちなど、凪もとっくに察っしていたようだった。
♡ にがてなキスの味 ♡
「なあぎ」
ほんのり赤く染まった頬。とろりと溶けた蒼い瞳。猫なで声で読んだ俺の名前には、ハートまでついている気がする。
さっきまで俺の正面に座り、一人で黙々と日本酒を傾けていた潔は、からっぽになった緑色の瓶を面白くなさそうに転がして、二人用のこたつから這い出てきた。
そして、俺の傍まで四つん這いでやってくると、テーブルの上にぺたりと頬を押しけて、俺の手の甲に額を押し当て、猫みたいに目をつぶる。
手元のスマホから聞こえていたゲームの射撃音が止まる。
画面の中でジグザグに動いていたキャラが足を止め、敵からの銃弾を食らって、画面の隅が赤く染まった。
「潔、飲みすぎ」
集中できなくなったスマホから手を離し、潔の火照った頬を軽くノックするように撫でる。
「なぎ、ゲームいつおわる?」
「もう終わったよ」
「新年のイベント走るって言ってなかったっけ……」
「あー……面倒だからやめた」
いさぎ、と名前を呼んで、ゆるゆると顔をあげようとした潔を、床に押し倒す。
潔は無抵抗で床に仰向けになって、へらっと笑った。
「せっかく構ってやろうと思ったのに、こんな酔っぱらっちゃって、どーすんの」
潔は、えへへえとだらしなく笑って俺の首に手を引っかけた。
久しぶりに逢う恋人が、凶悪すぎる。
倒れた時にめくれあがってしまったカーキのパーカーの裾から、形の良い縦長のへそと、鍛えられた腹筋がのぞいてしまっている。それを直して、黒いスウェットパンツにインした。
くそダサい恰好にさせても潔は可愛くてカッコいいから、なんの抑止力にもならないんだけど。
「せーしろー……すき、」
あざとく首を傾け、目をつぶった潔は、俺の首を引き寄せると、ちゅっと軽い音を立ててキスをした。
潔が俺の耳裏を撫でる。
ゆっくりまぶたを開いた潔は、小さく舌を出してキスの続きをねだってきた。
ため息を飲み込んで、潔の熱い口内に舌を差し込む。
後頭部に手をまわし、指通りの良い黒髪をかきまぜた。
潔の口の中は、初めてキスしたときみたいな血の味とは違う、苦くてクサい酒の味がした。
お酒なんて嫌いだ。潔の唾液が苦くなるし、潔の柔らかい匂いもわからなくなるし。
ぐでんぐでんに酔っぱらった潔は甘えたな上にキス魔で、確かに可愛いけれど、俺以外の前でもこんな風に酔うことがあるかもしれないと考えると気が気じゃない。
そう文句を言うと、俺の悩みの種は、「凪の前でしか飲まないよ」とか照れくさそうに頬を掻いていた。有罪だろコレ。
「誰だよ、こんなとこにスポドリ零してそのままにしたやつ……」
トレーニングルームから部屋にもどる途中、廊下の隅に転がったドリンクボトルと零れた半透明の水たまりを見つけた。
そのままにして誰かが足を滑らせても大変だし、片づけをしようときょろりとあたりを見渡す。
しかし、近くに掃除用具が置いてありそうな場所は見当たらなかった。
「潔、なにしてんの?」
後ろから声をかけられ、振り向く。
シャワーを浴びてきたばかりなのか濡れた髪をした凪が、首にフェイスタオルを引っ掻けたままこちらに向かって歩いてきていた。
「凪、足元気をつけろよ。ここ濡れてて滑――っ、」
「うぇっ」
忠告したそばからずるっと足を滑らせた凪が、俺の方に向かって倒れ込んでくる。とっさに両腕を広げて受け止めようとしたけど、凪のデカい身体を支えきれず思いっきり後ろに倒れ込んでしまった。
後頭部をぶつける――そう思ったのに、がつんっとした衝撃は頭ではなく顔面に走った。
ズキズキ痛む唇を押さえる。血の味がじわりと口内に滲んだ。
目の前でぱちぱちと瞬く凪の唇にも赤い血が滲んでいる。
ファーストキスがレモンの味じゃないことくらい知ってる。
憧れのシチュエーションがあったわけじゃないし、むしろ自分がいつかそういうことをするっていうイメージすらなかった。
――でも、だからってこれはない。
口を押えたまま固まっていると、凪は、自分の赤い唇をぺろりと舐めて、「血の味がする」と言った。
そりゃそうだ。むしろ納豆の味でなかったことを喜ぶべきかもしれない。青い監獄にやってきた当初だったらこの時間帯はきっと納豆の味がしていた。動揺しすぎてどうでもいいことばかり考える。っていうか、こんな焦らなくても男同士ならノーカンか。
「災難だったな、お互い」
苦笑いでそう言って、転んだまま俺に被さっていた凪の肩を押す。
凪はむっと眉間に皺をよせ、俺をじっと見下ろした。
「俺はラッキーだったけど。こーゆーのラッキースケベっていうんだっけ」
「ラ……? なにが?」
「好きなやつを押し倒せたうえに、キスできたら、ラッキーでしょ」
「好きなやつ……」
凪の言っていることを反芻する。
サッカーに関することだったら大抵はパッと理解できるのに、凪の言うことを理解するのは時々すごくむずかしい。
凪は顔を傾けた。
「鈍いね、潔。でも、これならわかるだろ」
凪の白銀色の長い前髪が俺の目に入りそうになる。とっさに目をつぶると、唇にふにっという感触があった。しかも、一回じゃなくて、二回も、三回も。
「……ん、」
凪の唇が離れた瞬間、鼻にかかった微かな声が漏れてしまった。
また唇になにかが触れる。今度は、「ふにっ」じゃなくて、「ふにり」だ。
唇に押し付けられた柔らかなものから、ぬるっとした粘液をまとったものが出てきて、俺の下唇を舐め、固く閉ざした唇を割り開こうとする。
「っ、手が早すぎる!」
凪の肩をぎゅっと掴んでいた手を離し、思いっきり顔面を平手で押し返した。
バチンっと良い音がして、凪が呻きながら顔面を押さえる。
その隙に凪の下から這い出ようともがいていると、廊下の角から現れた千切が目を丸くした。
「お前らなにしてんの?」
「わからん……たすけて」
千切に凪の下から引っ張り出してもらって、その場は事なきを得た。
だけど、その後開きなおった凪から「一度も二度も変わんないでしょ」という理由で、ちゅっちゅっちゅっちゅ唇を奪われるようになってしまった。
それを止めるのに、「人前ではやめろ」としか言えない時点で、俺のお気持ちなど、凪もとっくに察っしていたようだった。
♡ にがてなキスの味 ♡
「なあぎ」
ほんのり赤く染まった頬。とろりと溶けた蒼い瞳。猫なで声で読んだ俺の名前には、ハートまでついている気がする。
さっきまで俺の正面に座り、一人で黙々と日本酒を傾けていた潔は、からっぽになった緑色の瓶を面白くなさそうに転がして、二人用のこたつから這い出てきた。
そして、俺の傍まで四つん這いでやってくると、テーブルの上にぺたりと頬を押しけて、俺の手の甲に額を押し当て、猫みたいに目をつぶる。
手元のスマホから聞こえていたゲームの射撃音が止まる。
画面の中でジグザグに動いていたキャラが足を止め、敵からの銃弾を食らって、画面の隅が赤く染まった。
「潔、飲みすぎ」
集中できなくなったスマホから手を離し、潔の火照った頬を軽くノックするように撫でる。
「なぎ、ゲームいつおわる?」
「もう終わったよ」
「新年のイベント走るって言ってなかったっけ……」
「あー……面倒だからやめた」
いさぎ、と名前を呼んで、ゆるゆると顔をあげようとした潔を、床に押し倒す。
潔は無抵抗で床に仰向けになって、へらっと笑った。
「せっかく構ってやろうと思ったのに、こんな酔っぱらっちゃって、どーすんの」
潔は、えへへえとだらしなく笑って俺の首に手を引っかけた。
久しぶりに逢う恋人が、凶悪すぎる。
倒れた時にめくれあがってしまったカーキのパーカーの裾から、形の良い縦長のへそと、鍛えられた腹筋がのぞいてしまっている。それを直して、黒いスウェットパンツにインした。
くそダサい恰好にさせても潔は可愛くてカッコいいから、なんの抑止力にもならないんだけど。
「せーしろー……すき、」
あざとく首を傾け、目をつぶった潔は、俺の首を引き寄せると、ちゅっと軽い音を立ててキスをした。
潔が俺の耳裏を撫でる。
ゆっくりまぶたを開いた潔は、小さく舌を出してキスの続きをねだってきた。
ため息を飲み込んで、潔の熱い口内に舌を差し込む。
後頭部に手をまわし、指通りの良い黒髪をかきまぜた。
潔の口の中は、初めてキスしたときみたいな血の味とは違う、苦くてクサい酒の味がした。
お酒なんて嫌いだ。潔の唾液が苦くなるし、潔の柔らかい匂いもわからなくなるし。
ぐでんぐでんに酔っぱらった潔は甘えたな上にキス魔で、確かに可愛いけれど、俺以外の前でもこんな風に酔うことがあるかもしれないと考えると気が気じゃない。
そう文句を言うと、俺の悩みの種は、「凪の前でしか飲まないよ」とか照れくさそうに頬を掻いていた。有罪だろコレ。