凪潔SS



 鼓膜を揺らす大歓声。
 俺を呼ぶいっぱいの声が、だんだんひとつにまとまって、心臓の鼓動みたいに聞こえだす。
 ──緊張してる?

「──……、」

 息を吸う。
 スタジアムの熱気で蒸れた空気が肺に刺さって、ちょっとだけ苦しい。
 キラキラの光を集めたフィールドに足を進める。
 足の感覚は──うん、ちゃんとある。
 光の海の中、深海の色した瞳が俺を捕らえて、イタズラっぽく笑った。

「遅ぇよ、凪」
「主役は遅れて登場するもんでしょ」
 首に手を当てて答える。
 潔の藍色の目が、猫みたいに弧を描いた。
「──視ててよ」
 大歓声が俺を呼ぶ。俺を待ってる。俺を求めてる。その期待に応えられる俺がいる。

「こっから俺がサッカー界をもっと面白くするから」

 潔が不適に笑った。
 おかえり、まってたよ。そんな感情よりもっと強烈な、俺を喰らい尽くしたいって強烈なラブコール。
 丸まっていた背筋をピンと伸ばす。

 Hello,World.
二度目まして、日本。
 俺が──……





 ──俺が日本を、U−20W杯で優勝させます。

 記者たちにマイクやカメラを向けられた潔が、まっすぐに前を見据えて宣言する。
 おぉー、かっけぇじゃん。
 他人事のようにそう思った。
 U−20日本代表戦、逆転ゴールを決めた潔を抱き上げたあの時の熱は、今もまだ記憶の中に焼きついてる。
 潔はすごい。ただの賞賛。観測者の俺。あの時に胸を焦がすほどの悔しさを抱けていたら、良かったのかもしれない。
 これは悪夢だ。そう気づいても、俺は過去と同じ行動しかとれない。
 潔がキラキラのスポットライトを浴びるのを、ただ見ている。



「……、って、…………ぎ、凪……起きろってば!」
 バチンッと視界が弾けた。
 じわじわ頭のチャンネルが切り替わる。目の前には、俺の顔を心配そうに覗き込む潔がいた。手を伸ばせば捕まえられる距離だ。捕まえとこ。ぎゅっと腕の中にしまい込むと、潔はカエルが潰れたみたいな声を出して大人しくなった。
「……あらら、死んだ?」
「もう少しで死ぬとこだった……」
 潔は、ぷはっと俺の胸板から顔をあげる。
「ってか、凪めっちゃうなされてたぞ。汗もかいてるし……シャワー浴びて、スッキリしたら?」
「あー……うん」
 潔を解放して、ゆっくり身体を起こす。ぽりぽりお腹をかいて、チョキにおはよーの挨拶。それから、ベッドの下に落ちてるはずのパンツを探す。
「潔の夢見たから、起きて潔がいるのヘンな気分」
「え」
 パンツを見つけて、足を通した。ベッドから降りる前に、振り返って潔がいるのを確認しておこうと思ったら、潔はぺしょんと眉を下げていた。
「俺が出てくるのに悪夢なのか……」
「潔、魔王だからね」
 だぼだぼの黒いスウェットを着た潔が唇を尖らせる。
 一度も染められたことのないさらさらの髪を撫でて、うなじを手のひらで覆う。ほんのり赤く染まった頬にちゅーする。
「おはよーのあいさつ」
 潔がぎゅっと顔にしわを寄せた。
「手慣れてる感じ。なんかムカつく」
「マジ? ちゅーもぜんぶ潔とするのが初めてだよ、俺。こーゆーのも天才なのかも。よかったね、潔」
「……なんで俺?」
「だってきもちいいの好きでしょ」
 ぶわっと首から顔まで真っ赤になった潔が、枕を引っ掴んで俺の背中を殴ってきた。
「いて」
「ノーコメント!」
 潔は勢いよく立ち上がってベッドから降りると「やっぱシャワーは俺が先!」ってベッドルームから走り去っていった。
「……なんだよ、元気じゃん」

 昨日の夜、潔が「もうむり」「こわれちゃうから」「しんどい」ってピイピイ泣くから、俺は一回イッただけでえっち止めたのに。次は潔が可哀想ぶっても騙されないようにしよ。

 大人しくベッドの上で待てをしていると、シャワーの音が聞こえてきた。
 年月が経って、大きくなって、もうチョキの形をしてないチョキに「潔って可愛いよね」って話しかける。
 ……。

「潔、一緒に入ろうよー」
「うぁっ! もう! 狭いんだから待ってろよ……」

 潔はぶつぶつ文句を言うけど、俺を追い出そうとはしなかった。ユニフォーム着てないと小さく見える背中に、ぴったりくっついたらさすがに怒られたけど。
 わーわー騒いでじゃれながら、シャワーを浴びる。
 夢で見た過去は変えられないけど、寝覚めの悪さは排水溝に溶けて消えていった。


 俺がいっぺん死んで、地獄から這い上がってきた日から早数ヶ月。
 やっと潔の──潔だけじゃなくていっぱいいるムカつくライバルたちの前に立てる俺になったって実感してる。
 昨日都内某所で行われたサッカー界のお偉いさんや現役選手がいたくさん集まるパーティーでも褒められたり、ど突かれたり、ムカつかれたりした。
 俺はもう脇役じゃなくて、ちゃんと主人公のうちの一人だった。
 だから、酔っ払ってダル絡みしてくる潔を、堂々とお持ち帰りすることもできた。
『これもらって帰るねー』
『おー。熨斗つけて渡してやるよ』

 いわゆるワンナイト。
 ご機嫌で終始ヘラヘラしてた潔は押せば簡単に流されて、ベッドの上でまな板の上の鯉と化した。
 泥酔してたっぽい潔が昨日のことを忘れてたら、童貞奪った責任とってってお願いするつもりでいたけど、さっきの態度からすると、潔もちゃんと覚えてるっぽい。
 ……ってことは、俺たちもう恋人ってこと?
 こーゆーの、よくわかんないや。潔に聞いて「違う」って言われたらショックかも。

 考え事をしながら冷蔵庫をあけると、コンビニの安いプラスチックのケースに入ったショートケーキが目に入った。
「あー……潔、朝ごはん、鮭でいい?」
 ケーキはまだ眠らせておいて、代わりにいくつか食材を取り出す。ほぼ出来あいのものだけど。
「鮭! 大好物! 凪、自炊してんの?」
 洗面所で髪を乾かし終わった潔が、目をキラキラにしてキッチンにやってきた。
 グリルは洗うのめんどくさいから、ホイルを引いたフライパンの上に鮭を二つ並べる。
 潔が興味深そうに俺の手元を覗き込んだ。
「朝ゼリー生活続けてんのかと思った」
「いつの話してんの? 身体作りのために、ちゃんとご飯食べてるよ」

 鮭を焼いてる間に、電気ケトルでお湯を沸かし、小さめの豆腐をふたつ水を切ってお皿に出す。ひじきの煮物はパックのままでいいか。あとは納豆とヨーグルト。お味噌汁はインスタント。パックの雑穀ごはんはレンジで温める。
 鮭をひっくり返してる間に、潔にテーブルへおかずを並べてもらう。余ったお湯でお茶もいれた。
 うし、完璧っしょ。

「すげえ、ちゃんと朝ご飯だ」
 カリカリに皮まで焼けた鮭をテーブルに持って行くと、潔が感心したように呟いた。
「でしょ」
 Vサインで答える。
 俺、偉いし、すごいんだよね。知ってた。
「潔は、自分でご飯作ってるの?」
「いや。俺は寮暮らしだから、食堂で食べてる……」

 一人暮らししたいんだけど、マネージャーから止められてるんだよなあ、と潔がぼやいた。
 俺も、海外で潔を野放しにしちゃいけないと思う。危機管理能力的に。潔のマネージャーさんは優秀──。

「ん〜! 日本の朝ごはんだ……でらうまぁ……!」
 できるだけ手を抜いて作った朝ごはんだったけど、潔はほっぺた抑えて喜んでくれた。

 ご飯を食べた後、潔がテレビをつけるとちょうどスポーツコーナーで、俺の特集をしていた。
『凪誠士郎が魅せる! 衝撃のゴラッソ特集!』
「おぉ、すげえ。凪、スーパースターじゃん」
 潔がテレビの真ん前に移動して、正座をする。
「まぁね。でも、俺よりレオの方が喜んでるけど」
「想像できるわ、それ」
 潔が面白そうに肩を揺らした。
 ソファにもたれながら潔の後ろ姿を観察する。
 俺のゴールシーンが映るたび、潔の身体が前のめりになっていって、最終的にテレビとくっつきそーと思ったところで、今度は潔の特集になった。

『そしてそして、日本代表といえば、忘れてはいけないのが潔世一選手ですよね! 先月まで行われていたプレミアリーグ先シーズンのスーパープレイを全てまとめてお見せします! 必見です!』
『いやぁ、日本人選手の活躍が熱いですねぇ〜!』

 潔は居心地悪そうにお尻をむずむずさせると俺の隣に戻ってきた。
「潔かっこいいね」
「もぉ……凪もかっこいいだろ」
 なんなんだろ。潔と話すと空気がほわほわする。馬狼がいたら靴下投げられてたかも。
 潔のかっけー特集が終わって、これからの活躍を祈られたから、二人で「頑張ります」って真面目に返事をして、テレビを消した。
 
 立ち上がって冷蔵庫に向かう。さっき二度寝させたケーキとコンビニでもらったプラスチックのフォークをもって、リビングに戻った。

「ハッピーバースデーいさぎー」
 適当なリズムで歌いながらケーキを差し出すと、潔が目を丸くした。
「えっ! 俺? 誕生日四月だったんだけど……」
「だって、そのときはまだ祝えなかったじゃん」
 ぱかっとケーキの蓋を外して、ソファ前のローテーブルにケーキを置く。  
「……お前が勝手に祝わなかっただけだろ」
 覚えてたなら、連絡くれたって良いだろって潔が唇をへの字にした。
「やだよ。結果出し切ってないのに連絡すんのカッコわるいじゃん」
「凪って意外と頑固だよなぁ……」
「そー? でも、最高の誕生日プレゼントになったでしょ」
「賞味期限、昨日のケーキが……?」
「ちがう。最強ライバルの俺が」
「それは……正直めっちゃ最高だった、あの試合……」
 
 潔の顔がうっとりと蕩ける。
 おい、昨日の夜よりエロい顔すんな。

「でももうひとつ、凪から欲しいものあるんだよな」
「えー……なに? あ、今からもう一戦やりたいとか?」
 潔が顔を近づけてくる。
 ふに、っと柔らかい感触が唇に触れた。
「凪、好きだ。俺の恋人になって」
「……えー。俺、もう昨日から恋人のつもりだったのに」
「じゃあ、好きって言えよ」
「ちょー好き」
「言わせた感じがする……」
「わがまま〜。俺、潔のことめちゃくちゃ好き」

 首を傾けてちゅっと潔の唇を吸う。ふくくって、ほころんだ口端に、ほっぺに、目尻に、額に、いっぱいちゅーする。
 潔はけらけら笑って、俺を力一杯ぎゅーした。


「あーあ……。俺、今日は前とは一味違う俺アピしよーとしてたのに」
「それって、寝起きがよかったり、朝ごはんちゃんと食べたり?」
「あとは、オフの日でもちゃんと基礎トレしてるよってこととか。ぜんぶ台無し。潔のせいでベッドに直行、二度寝コースでーす」
 俺に抱きついてた潔をそのまま持ち上げて、ベッドルームに足を向ける。
 潔は、なんだか泣きそうにも見える顔で笑った。

「お前が変わったのなんて、もうとっくに知ってんだよ」

 凪誠士郎。
 俺、まだまだ、これからでしょ。

「もっとすごくなるよ、俺。こらからも期待しててよ」
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